121話 ご機嫌から一転
春人が家のリビングで何気なくテレビを見ていると琉莉が寝むたげに目を擦りながらやってきた。
「ん~、おはよ~お兄」
「おはようって……もう昼だぞ」
「昨日は朝方までゲームしてたから眠いんだよ」
ふわぁ~と、あくびを漏らしながら琉莉は春人が座っているソファに腰を下ろし近場のクッションを抱きかかえる。
目はいまだに半分くらい閉じており完全には目覚めていない様子だ。
「また遅くまで遊んでたな。今は何のゲームやってんだっけ?」
「ん~?五人チームのFPSだよ。ほら、敵殲滅するか爆弾設置する」
「あー、そういえば一回やらせてもらったな」
一度何気なくやりたいなどと口にしたら琉莉が目を輝かせて春人にやり方を教えてくれた。
仲間ができて嬉しかったのだろう。
それでもしばらくやって目が痛くなり、それ以来やってないのだが。
「お兄もやればいいのに」
「俺は長時間画面見てるの苦手みたいだからな。琉莉にはついていけんよ」
「ついていけなくても一緒に遊ぶくらいできるのに」
琉莉がどこか寂し気に目を向けてくる。
春人と一緒にゲームをするのが嬉しかったのだろうか。
そんな妹の可愛らしい姿に春人はつい苦笑する。
「まあ、そうだな。たまになら一緒にやってもいいかな」
「ほんとっ!?」
琉莉が身体をぐいっと寄せて上目遣いに春人を見る。
普段見ない食い気味の琉莉の反応に春人は更に苦笑いを浮かべる。
「ああ、そんな長くはできないかもしれんけど」
「いいよいいよ。ふふふ、そうかぁそうかぁ。お兄と一緒にゲームができるんだぁ」
本当に嬉しそうな上機嫌の琉莉。
花が咲いたような満面の笑みを浮かべている。
ここまで喜ばれては春人も自然と笑みがこぼれる。
こうなると少しはゲームの方も練習をしとかないとと思った時だ。
本当に不意に思い出した。
(そういえば、昔の女の子のこと、まだ琉莉に説明してないな)
春人は今も嬉しそうに笑顔を作る琉莉の横顔を見る。
あの女の子が美玖で最後の日が春人の勘違いだったという話はまだ琉莉にしていない。
昔のことで琉莉には本当に世話になった。
この妹には説明しておくべきだろう。
(今は機嫌もいいし、まあ、簡単に言っておくか)
春人はそんな軽い感じで琉莉へと声をかけた。
「琉莉ちょっといいか?」
「んー、どした?」
「琉莉も知ってるさ、俺が昔よく遊んでた女の子の話なんだけど、あれなんか俺の勘違いだったみたいでさ」
「へー……ん?」
「俺もやっぱり小学生だったから間違えて覚えてたみたいでさ」
「え、何いきなり、ちょっと待って」
「それでその女の子なんだけど――ぶほっ!?」
「待てっての!」
琉莉のボディブローが春人のわき腹に入り身体がくの字に曲がる。
「いってぇ……」
ソファの上でうつ伏せに倒れながら春人は苦悶の声を漏らす。
そんな苦しむ春人を琉莉は困惑を色濃く瞳に映しながら見下ろす。
「え、なにどういうこと?勘違いってなに?」
「だから……今説明してただろ」
「あんなの説明じゃなくて、ただしゃべってただけでしょ。っで?なんなの?」
さっきまでの機嫌がよかった妹はどこに行ったのか。
今は逆に目尻を吊り上げ不機嫌さを露にしてる。
「だから……俺の勘違いだったんだよ。最後に女の子に会う日が。本当はその前日の女の子に会った時が最後だったの」
「えーと……前日が最後の日……ってことはなに。お兄は来るはずもない人をずっと待ってたと?」
「おぉ、流石琉莉。理解が速くて助かる」
「それで来なかったことに勝手に腹を立てて勝手にショックを受けてたと?」
「ん、まあ……そうなる、な」
「それで勝手に数年間引きずって一時期人と関わるのも避けていたと」
「…………はい」
「お兄クズ過ぎない?」
「ぐはっ!」
琉莉の言葉が胸に突き刺さる。
そして琉莉はそれはそれは冷たい汚物でも見るような視線を向けている。
流石の春人もこの視線は精神的にくるものがある。
「はぁーーー、まあ、お兄がクズなのは知ってるし、それはそれで別にもうどうだっていいんだけど」
「俺ってそんな救いようがないぐらいクズなの?」
「それで、なんで急に思い出したの。何かあったんでしょ?」
当然の疑問だろう。
いきなり春人がこんな話をしたのだから何かしらのきっかけがあったはずだ。
「さっき言おうとしてたんだけどお前に殴られたんだよな」
「そういうのいいから早く」
早くしろと、くいっと顎で先を促してくる。
理不尽ではないかと春人は釈然としないが躊躇いがちに口を動かす。
「……美玖なんだよ」
「は?」
「だから美玖なんだよ」
「だから、美玖さんがなに?」
「だから!美玖なんだよ!昔会ってた女の子が!」
「……は?」
琉莉は唖然と真顔になり口を開けたまま固まる。
何を言っているのかと全く理解ができていない様子だ。
「ちょっと、え?意味わかんないんだけど」
「まあ、そうだろうな」
「そんな達観してないで説明してよ」
「説明っていっても……俺が美玖と会ってたこと思い出してその後話したんだよ。それで俺が勘違いしてたって知った」
「お兄の説明が下手なのか、混乱してて頭に入ってこないのか……」
琉莉は悩ましげに頭を両手で押さえ何事かぶつぶつ呟いている。
唐突な春人からのとんでも情報を頭で整理しているのだろう。
「ていうかなんで今更。お兄ずっと美玖さんといたじゃん」
「俺も進んで思い出す気になれない記憶だったしな。まあ、勘違いだったんだけど。だから美玖のことも気づかなかったんだよな」
「にしても……あれ?でもそれだと美玖さんも気づいてなったの?」
「いや、美玖は最初から知ってたらしいぞ」
「なんで言わなかったの美玖さん?」
「俺が当時約束したからな。絶対見つけるって。それを信じて自分からは言わなかったらしい」
「美玖さんめちゃくちゃロマンチストじゃん」
一体何年待っていたのか。気の遠くなる約束を守っていた美玖に琉莉は素直に感心する。
そして、ぎろっと春人に鋭い視線を向ける。
「てか、お兄最低じゃない?そんな約束しといて忘れてたんでしょ?」
「う……。し、しかたないだろ。俺にとってはトラウマみたいなもんだったんだから」
「それにしたって酷いよね。そうか、でも納得だよ。なんで美玖さんがお兄なんかと仲良くしてたのか」
「なんかとか言うなよ」
「約束忘れる最低男がなに?」
「っ、こいつ……」
厭味たらしい琉莉の言葉に春人は頬を引きつる。
「でも、えー、美玖さんかー……」
「なんだよ今度は」
春人に軽蔑するような視線を向けていたと思えば今度は難し気に眉根を寄せ始めた。
「美玖さんと今後どう接していけばいいのかと思って」
「そんなの今まで通りでいいだろ」
何を悩んでいるのかと春人が軽い感じに返答したら、また琉莉から睨むような視線が返ってきた。
「簡単に言うねお兄。私はさ、昔の女の子のことお兄を傷つけたクソガキだとずっと思って嫌悪してたの」
「クソガキってお前な……」
「それがいきなり正体が美玖さんで傷ついていたのもお兄の勝手な勘違いだったなんて聞かされた私の心情お兄にわかる?」
「いや、ほんとごめんて」
「どんな顔して美玖さんに会えばいいんだろう……」
春人が思っている以上に事態は深刻らしい。
手にしたクッションに顔を埋め、しゅんっと身体を丸める。
琉莉が美玖を大好きなことは知っている。そんな大好きな美玖が昔から嫌悪していた女の子と同一人物だと知ってしまい今は感情がぐちゃぐちゃなのだろう。
春人は気まずげに頭を掻いて琉莉に声をかける。
「あのさ……原因の俺が何言ってんだって思うだろうけどさ。俺の話聞いて今も昔の美玖嫌いか?」
「……嫌いかはもうよくわからない。そもそも美玖さん悪くないし」
「じゃあ今の美玖は好きか」
「美玖さんは大好きだよ。当たり前じゃん」
「ならそれでいいんじゃないか?」
「はい?」
琉莉はクッションから顔を上げ訝し気な視線を向ける。
「何がいいの?」
「だから今の美玖は好きなんだろ?昔のことは俺が悪かったから本当に申し訳ないけど……それを聞いても今の美玖が好きならいいんじゃないか?」
優し気に顔を和らげる春人に琉莉は目を丸くする。
「お兄って……」
そしてゆっくり口を開く。
「……お兄って本当に能天気だよね」
「なんでここでバカにされてんの俺!?」
琉莉を慰めるつもりだったのに突然春人の品性を下げる言葉が返ってきて春人は驚きと困惑で声を上げる。
「このタイミングでそんなお気楽なこと言えるのはお兄くらいだよ」
「人が優しくしてやれば……」
「優しければいいって問題でもないんだけどね。――でも」
琉莉はにひっと笑顔を向けてくる。
「お兄のお気楽さを見てると少しは楽になったよ。ありがと」
「お礼を言われたのになんか嬉しくねー」
「人のお礼は素直に受け取っておくもんだよお兄。それはそうと――」
琉莉はソファから立ちあがると春人の腕を掴み引っ張る。
「ゲームやるよ。今日は寝かさんから」
「え、いきなり?練習とかしたいんだけど」
「そんなん実戦で身に着くから。ほらやるよ」
ぐいぐい引っ張る琉莉に春人はやれやれと苦笑しながら立ち上がる。
今後の美玖とどう接していくのかはわからないが琉莉なりに少しは頭の整理ができたらしい。
(結局全部俺のせいだからな。とりあえず今日は琉莉の気がすむまで付き合うか)
これくらいのことは兄として受け入れようと春人は琉莉とゲームを始めたのだが――。
「お兄何へばってんの!まだ夕方だよ!」
「お前、元気すぎだろ……」
五時間ぶっ続けでゲームに付き合わされることになり春人は軽く後悔していた。
目はしばしばし、身体もずっと座りっぱなしなので節々が痛い。
結局夕食の時間まで春人が解放されることは無かった。




