9 聖女の力
なにやら、大変なことになっていたらしい。
私が二度目に起きたときには、すでに夕方を過ぎていた。
ヴィオレットのおばさまもレイも起きていて、私が居間へ顔を出すと、二人はぱっと私に顔を向けた。
「アリーサ、体調はどう?」
「ヴィオレットのおばさま、大丈夫よ。ちょっと体が重いけど、それだけ」
「ああ、だいぶモニカの魔力が消えていた時間が長かったからね。今はまたモニカの魔力に包まれているから、すぐ前のように馴染むと思うわ」
「そうなのね。分かったわ」
レイもまた心配そうに私を見た。
「アリーサ、もう平気そう? モニカさんからは話は聞いた?」
「ええ、レイも、ヴィオレットのおばさまも、迷惑をかけてごめんなさい」
私の目が覚めたとき、ベッドの隣にはまだ母がいた。
母はすでに起きていて、私の頭を優しく撫でていた。
母は、私が「浄化」の力を使ってしまったこと。そして、母の魔力が消えてしまった私は、呪いに取り込まれてしまったことを話してくれた。
呪いの世界は暗闇で、逃げだそうと歩き続けた私を、呪いが何度も奥へと引きずり込んでいたらしい。
レイはヴィオレットのおばさまの力で、私の中に入り込んで、引きずり込まれないように私を外へと導いたのだそうだ。
何しろ、そこは真っ黒な暗闇で目が利かなかった。
あの「黒い顔の女の人」は常に鏡を見続けていたのだが、耳を澄まして私の行く先へと先回りして、私を引き戻していたらしい。
その原因は「声」だという。
レイが一言も話さなかったのも、私以外の意識が潜り込んでいることが「黒い顔の女の人」にばれないようになのだという。
もしもばれたらレイまでもあの黒い闇の中に永遠に閉じこめられていてもおかしくはなかったらしい。
話を聞いてぞっとした。私は生と死の狭間にいたのだ。
もしレイが来なければ、あの女の人に話しかけていたのかもしれない。そうしたらどうなっただろうか。
想像もしたくないけれど、もうここにはいないかもしれない。
そうしてまた、レイまでをも巻き込んでしまいかねなかったことに恐怖した。
ヴィオレットのおばさまも、さぞ心配したことだろう。レイにも申し訳ない。
そんな思いで私は二人に謝った。
しかし、私の詫びの言葉にレイは首を傾げた。
「アリーサ。僕は君から、もっと別の言葉を聞きたい」
「別の、って?」
「僕は危険を覚悟して、君を助けに行った。それはもちろん、君が僕にとってとても大事な友達だからだ。自分の友達を自分の意志で助けた。それは、友達に詫びられるようなことじゃないだろう?」
「まあ、レイ」
私は少しだけ笑うと、ヴィオレットのおばさまとレイに心からの思いを込めて言った。
「改めて、二人とも、助けてくれてありがとう。とても嬉しかった」
二人は花が綻ぶように笑うと、「どういたしまして」と口々に返事をしてくれた。
母は私が起きた後に話をしてから、私と入れ替わるようにベッドで眠りについてしまった。
ヴィオレットのおばさまにそう言うと「あの子は無理をするから」と呆れ顔で、母の看病のために数日帰宅を延ばしてくれた。
その間に私とレイはお互いに謝罪をして、そして誤解を解いていった。
レイは私に手紙を書いてくれていたらしい。
いったいどこに行ってしまったのか分からないけれど、それが私に届いていないということに彼は驚いていた。
「じゃあ、アリーサ。僕とはあれっきり、連絡もないと思ったのか」
「ええと、うん。そうね……」
思わず私の声は小さくなる。レイは自分の頭をぐしゃぐしゃとかいた。
「何てことだ。僕も今回の件の一因じゃないか。喧嘩したまま連絡すらしない最低人間じゃないか」
「そ、そんなことないわ。レイ、あなたはちゃんと私に手紙を書いてくれていたというのに、それが届いていなかったのがいけないのよ」
「アリーサ、言い訳だけなら何とでも言える。結果として君は手紙を受け取っていない。僕は君に手紙がちゃんと届いたのかという確認を怠った。それは僕の責だ」
レイは生真面目に言い切った。
そこまで自分の責任にすることないのに、と私は思うのだが、彼はそういうところはとても気になるのだろう。
「でも、もう大丈夫よ。レイは私のことを大事な友達って言ってくれたわ。すごく嬉しい。私もそう思っている。これからもずっと、友達でいてくれる?」
「もちろん、アリーサ」
私の差し出した手に、レイは両手を重ねた。
私たちはその後も、時間の許す限り話をした。
喧嘩したときの話だったり、暗闇の中の女の人がどれだけ怖かったかという話だったり、レイがあの後ヴィオレットのおばさまからどれだけ雷を落とされたかという話だったり。
尽きることもなく話題と笑いが私とレイの間で交わされた。
私の恐ろしい経験は、そうして幕を閉じたのだ。
* * * * * * * * * *
「ほんっとに、無茶をしたわね。モニカ」
「ごめんなさいね……ヴィオレット」
あの後1日近く眠り続けて、ようやくモニカは目を覚ました。
ヴィオレットには謝っても謝っても足りないくらいだが、モニカの謝罪をヴィオレットは受け入れた上で、再度忠告した。
「いいこと、モニカ。次に私をあなたの自殺に巻き込んだら、ぶん殴って大泣きするわ。私があなたをどれほど大事な友達だと思っているのか知らないの? 一晩中でも説教をするからね」
「分かっているわ。本当にごめんなさい」
しおしおと萎れた様子でモニカは謝った。
友人だけでなく友人の子供まで巻き込んだのだ。
結果として皆助かったものの、まさに紙一重でもあった。
深夜から始まったアリーサ救出作戦は、朝まで続いた。
その間にもしモニカの力が尽きていたら……アリーサだけではなく、レイまで失ってしまっていただろう。あの暗闇の中に。
「娘に対する罪悪感は分かるわ。でもあなたが亡くなってしまったら元も子もないのよ。アリーサだけが残されても、あの子はまた呪いから解放される手段がないの。あなた以上に浄化の力を持つ人が見つからなかったら、呪いが永遠にアリーサから放れないんだから」
「ええ……そう、ね……」
モニカは歯切れの悪い返事をした。ヴィオレットが彼女を見ると、モニカは自身の手を開いて、そして握りしめた。
長い沈黙の後に、モニカは言った。
「……ヴィオレット、私、たぶん浄化の力を失うと思うわ」
「!?」
ヴィオレットは目を凝らしてモニカを見つめた。モニカの回りには聖なる力がある、ように見える。しかし確かに、それは前よりも弱々しくなっている。
「急速に力が衰えているのを感じているの。おそらく、昨日の無理が祟って、穴の開いた水袋みたいに、私の力が流れ出している。数日のうちに、水袋の穴はふさがるかもしれない。でも、かなり水袋が小さくなる予感がしている」
昨日までのモニカなら、力さえ通じればアリーサの中の呪いを払いきる自信があった。
今までは、呪いを払おうにも呪いの中のモニカの力が邪魔をしていた。
かろうじて一時的に追い払う程度しかできなかったが、娘が成人さえすれば、と思っていた。
ところが今回、一晩中アリーサから呪いを追い払うという無茶をしたおかげで、モニカの中の力が弱体化している。
すでに、呪いに対抗するだけの力がない。そしてそれは、回復するものでもなかった。
「……モニカ」
「大丈夫、ヴィオレット。もう自暴自棄にはならないわ。あなた達に救われたアリーサの命を、私が守らなきゃいけないんだもの」
ヴィオレットの心配そうな声に、モニカは微笑んだ。
自分にはもうできない。けれどそれは、決して誰にもできないという意味ではない。
彼女と同じだけの浄化の力を持つ者が出てくれば解決する話なのだ。
未来は絶望だけではない。それと同じくらい希望があるのだと、少年が示してくれた。
「アリーサが16歳になるまでは、まだ時間がある。諦めないわ。私が娘を守るんだから。絶対に、救ってみせる」
「……うん、そうね。そうよ、モニカ」
ヴィオレットはモニカの言葉に力強く頷いた。
そのための助力を渋る彼女ではないだろう。そしてまた、彼女の息子も。
アリーサの部屋からは、子供達の楽しげな笑い声が聞こえてきた。




