4 素直になれない
あれから毎月、月の中頃になるとヴィオレットのおばさまとレイが来るようになった。
ずっと母と二人だった私にとっては、正直すごくうれしい。
「いらっしゃい、ヴィオレットのおばさま! レイ!」
私が飛びつくとヴィオレットのおばさまは、ちょっとげっそりした顔ながらも笑顔になって「来たよ、アリーサ!」と抱きしめてくれた。
レイはヴィオレットのおばさまの後ろからいつものように何冊もの本を持ってきた。少し首を傾げて私に聞く。
「やあ、アリーサ。先月の宿題はやった?」
私は居間にとって返すと、レイから出された宿題を持ってきて、堂々と掲げた。丸付けは母がしてくれた。
「×ばっかりだけどちゃんとやったわ」
「威張って言うことじゃないけど、アリーサらしいね」
レイは小さく笑うと、玄関からすぐの階段に荷物を載せて、私の宿題をぱらぱらと見る。
「……うーん。やっぱり計算かな。アリーサ、この辺りが分からないんでしょ」
「そうなのレイ、よく分かるわね」
私も一緒にレイの出した宿題をのぞき込んだ。私より一つ下のレイにも出された宿題なのだというが、半分ほどしか丸がついていない。
つまり私の勉強は一年以上も遅れているというのだ。
母が今まで色々と教えてくれていたので、文字は普通に読めるし本を読むことは好きだ。
しかし、公式を使った計算などは母もあまり得意ではないようで、基本的な計算しか教わったことがないのだ。
魔法術だって、聖なる魔法についても軽く話は聞いているが、浄化のやり方は習っていない。
仮にできそうだなと思っても、魔力が減るので絶対に実行はしないようにと母にきつく言われている。
なにしろ、今は私の中の母の魔力と呪いが戦って、母の魔力がちょっと負けている状態なのだそうだ。
私の魔力が十分にない状態で母の魔力が切れて、呪いに完全に負けると私は死んでしまうかも知れないらしい。怖い。
絶対魔力は使いません、と母に誓った。だって死にたくはないもの。
「じゃあ今月の学園の授業の説明をしたら、計算の練習をしようか」
「はーい、レイ。途中でお茶にしましょうね。甘くないアップルパイがあるのよ」
「うん、いいよ」
レイは毎月、私に勉強を教えてくれる。理由を聞いたら「不公平と不条理は許せない」と彼は言う。いまいちよく分からないが、彼の気持ちはとってもうれしい。
家にある本も子供向けのは読み尽くしてしまったし、大人向けのものは難しすぎて分からない。母も私にばっかり構えないときもある。
そんなときはレイがしてくれた学園の話を思い出したり、彼が持ってきた宿題をやったりして、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。
ここ数ヶ月、私はとっても充実していて、毎日楽しい。レイが来る日の前になると、つい顔がにやけてしまうくらいだ。
母もすごく嬉しそうだ。
ただ、唯一私が心配していることがある。
私はレイを自分の子供部屋に案内しながら、いつそれを言おうかと考え込んだ。
* * * * * * * * * *
授業の合間の休憩時間。子供部屋には私とレイだけだ。
母は居間でヴィオレットのおばさまと一緒にいる。ヴィオレットのおばさまはソファで眠ってしまっているようで、開いた子供部屋の扉から、母が毛布を持って行くのが横目で見えた。
私は紅茶を飲みながら、アップルパイを一切れ手にして言った。
「ねえ、レイ。ヴィオレットのおばさまの体調は、あまりよくないんじゃないの?」
レイは軽く目を見開いた。
「それは……どうして?」
「こことヴィオレットのおばさまの屋敷って、だいぶ遠いんでしょう? お疲れのようよ。もう少し、来る期間をあけたほうがいいわ」
今までだって早くとも三ヶ月くらいはあいていた。それがここ数ヶ月は毎月だ。
ヴィオレットのおばさまは貴族なので、他の貴族との付き合いもある。以前の母と同じように聖女として地方で働いてもいるようだし、さすがに疲れるだろう。母は私のことがあるので、聖女としての仕事は休んでいるが、仕事をしていた時期は忙しかったらしい。
私の言葉にレイは眉間に皺を寄せた。
「アリーサ。それは僕に来るなって意味?」
「ううん、レイが来るのは嬉しいわ。本当よ。レイだって、私が嘘をついているかどうか、すぐわかるでしょ?」
私は慌てて首を横に振った。
意外なことに、まだ付き合いの短いレイだが、母と同じくらい私が嘘をつくのを見破るのがうまい。まあヴィオレットのおばさまと同じくらい、私は嘘が下手なせいなのかもしれないけど。
私の言葉に不機嫌そうな顔のまま、じっとレイは私の顔を見た。
赤みがかった栗色の髪が少し揺れた。顔と同じように綺麗な髪である。私もあれくらいさらさらしていたらいいのに、と私はアップルパイを皿に置くと、髪の毛を指先にくるくると巻いた。
私と彼の間が、気まずい雰囲気になるのを感じながら。
私だってレイを不機嫌にさせるのは嫌だ。それでもレイと同じくらい、ヴィオレットのおばさまも好きだし、心配なのだ。
思い切って口に出したのだから、最後まで伝えないと、と私は話を続ける。
「あのね、ヴィオレットのおばさまは、毎月うちに来るのは負担だと思うの。一度話し合ってみたらどうかしら」
「僕が来たくて来ているんだから、母さんには関係ない。じゃあ来月からは僕一人で来るから、母さんだけうちの屋敷にいればいい」
むっとした表情でレイは言う。知識に関しては私よりずっと大人なのに、こういうところが私よりずっと子供だと思う。
9歳というレイの年齢をそのまま感じるのは、こういう時だ。
「それはきっとヴィオレットのおばさまはイヤだと思うわ。お母様も、私が一人でどこか行こうとするとすごく心配するの。レイが一人でこんな遠いところに来たら、おばさまはとっても心配だと思うわ。帰ってくるまで気が気じゃないもの」
「そんなの、アリーサだからだろ。君は呪いがあるから、モニカさんが心配するのもわかる。でも僕は、男だし、呪いだってかかってない。母さんが心配しなければいいんだ」
「レイ」
私はレイの顔をじっと見つめた。彼は居心地悪そうに身じろぎをする。
彼だってきっと分かっているのだ。でも素直に認めるのはいやなのだろう。
「ねえ、私はレイのことが大好きよ。ヴィオレットおばさまも、お母様も、レイのことが大好きよ」
「……」
「だからそんなこと言わないで。言われたら悲しいわ」
「……」
レイはじっと押し黙って、そして椅子から立ち上がった。
「アリーサが、勉強をしたくないんだろ。僕の回りの馬鹿達と同じように。そうやって理由をつけて、逃げるんだ」
「レイ、私の言い方が悪かったら謝るわ。でもね」
「僕は間違ってない。君に勉強を教えるのは、僕にしかできないのに、アリーサはなんでそんなことを言うんだ!」
私が彼をなだめようと椅子から腰を浮かすと、彼は一度私のことを睨みつけて部屋を飛び出した。
「待って、レイ!」
「うるさい! アリーサなんか、もう知らないから!」
廊下を走るレイの背を、私は思わず追いかけた。彼が玄関を飛び出し、門を突っ切って、さらに近くの森へと向かうのを。
私にとっては初めての喧嘩で、このままにするのは嫌だった。私は初めての友達と、喧嘩別れになりたくなかった。
森の遠くで、鳥がギャアギャアと甲高い声を上げる音が聞こえた。
* * * * * * * * * *
まだ日が高いのに、森の中は木陰となってひんやりとしている。
走って走って、森の奥まで入り込んでしまった。ゆっくりと立ち止まると荒い息を整えて、レイはうつむいた。
やってしまった。ただの八つ当たりだ。アリーサは傷ついただろう。酷いことをしてしまった。
足を止めると、もう動き出せないような気がした。
それでも戻りたくなかった。レイはじっとその場に立ち止まって、ただただ地面をじっと見ていた。
レイにとって学園は、正直楽しくない場所だった。
級友とは話が合わないし、先生も小賢しいレイを持て余していた。
彼は学園の話が出たときに、自分がそうなるだろうと予想した。そんな集団の中で上手くやっていける気が全くしなかったのだ。
だから学園に入れると言われたときに母に反対したのに、母は「あなたは他人との付き合い方を学ぶべきよ」とレイの言葉を一蹴した。
大人はいつだって理不尽で、彼の言葉を口先だけで聞いている。
学園では彼は「頭はいいけど他人と仲良くできない問題児」だと思われていたし、彼は自分の存在意義を学園で見つけることができなかった。
だから、「アリーサのために」学園に行くのは彼にとって唯一すがれる「彼にしかできない」ことだったのに。
アリーサに言われて、レイは彼女にまで拒否されてしまったような気持ちになったのだ。
ここで引き返して、アリーサに「僕が悪かった」といえるような性格でないことを、レイは自覚していた。
「僕は、どうしてこうなんだ……」
自分の頭をぐしゃぐしゃとかきむしるようにすると、急に森の中で「うわっ!?」という声がした。
アリーサかと思ったが、少年の声だ。
ぱっとその方向を見ると、レイよりすこし離れた場所で、木の影からこちらをのぞき込んでいる三人の少年の姿があった。13歳くらいの年齢だろうか。体格の良い少年が一人、細身の少年が二人いた。
「……うわ、びっくりしたぁ」
「何だよ、脅かすなよ。何でこんなところにいるんだよ、化け物かと思ったじゃん」
「俺はビビってねえし」
三人の少年達は押し合いながらも木の影から出てくる。機嫌の悪いレイは険を含んだ声で彼らに言った。
「ここはモニカさんの私有地だけど、勝手に入ってこないでくれる? 不法侵入だろ」
少年たちは顔を見合わせながら、レイの棘のある言葉に気分を悪くしたようだ。
「なんだよ、お前だってそうだろ」
「あそこの屋敷は母娘だけって聞いてるし。見たことないけど」
「俺らは探検隊だけど、お前こそ『ふほうしんにゅう』じゃん」
イラッとしながらレイは口々に言う少年に言い返した。
「僕はモニカさんちの客だからお前等とは違う。人の敷地内に勝手に入ってはいけませんって常識くらい、親から習わなかったのか」
「何だと! お前、何様だよ!」
体格の良い少年が怒りに手を震わせた。
回りの二人は「あーあ、リーダーを怒らせた」「知ーらない」とか言ってそそくさと彼の側を離れる。リーダーと呼ばれた少年は、ずかずかとレイに近寄ると、その胸ぐらを掴んだ。
その少年をレイは軽蔑の視線で見る。
「反論できないからって暴力に訴えるのは卑怯者のすることだ」
「てめえ!」
そのまま少年はレイの胸元を揺さぶると、勢いよく突き倒した。
小柄なレイの体はそのまま地面に擦れるように横倒しに倒れた。膝をすりむいたようで、かすかに血がにじむ。
それを見て少年はちょっとたじろいだ。頭に血が上ってしまったが、そこまでするつもりはなかったと言いたげに「……ごめん」と小さく謝った。
レイが倒れたまま少年を睨むと、体格の良い少年はばつの悪そうな顔をしている。
そんな少年を援護するかのように、残りの二人が遠くから声をかけた。
「リーダーはなー、両親がいないんだぞー」
「人の親のこと言っちゃ失礼だってお前こそ知らないのかー」
その言葉に今度はレイが目を丸くした。
リーダーの少年は「お前等うるさい!」と怒鳴っている。今度はレイがばつの悪い表情で「……ごめん」と謝った。
「いいよ、俺こそごめん」
リーダーはレイに手を差し伸べて、彼を引き起こした。
すりむいた膝が痛かったが、レイは立ち上がって膝と服に付いた小石や泥を払った。
「お前、この辺のヤツじゃないのか?」
リーダーの言葉にレイは素直に頷く。すると少年は納得したように頷いた。
「じゃあ知らないのか。お前、この森には化け物が出るんだぞ」
「そうだそうだー」
「リーダーの言うとおりだー」
彼らのことばに何かひやりとするものを感じながら、レイは尋ねた。
「……化け物?」
「そう、世にもおそろしい化け物が、この森に出るらしい。お前みたいな弱っちいのが一人でいたら、喰われちまうぞ」
「僕らはそれを探検しにきたんだよ」
「お前はビビってばっかでぜんぜん進まないじゃないかー」
少年たちは、やいやい言いながら、お互いを押し合って笑っている。
レイはもう一度口の中で「化け物……」と呟いた。
「怪我させちまったし、家の方まで送ってやるよ。モニカさんちってどっちだ?」
「いや、いい! いいよ!」
レイは首を横に強く振った。
ちらりと後ろを見るが、アリーサは来ていない。森の中には一人で絶対に行かないようにと言われている彼女だ。きっと来ないだろうとは思いながらも、レイの心に不安がわき出てきた。
「遠慮すんなって。服だって汚しちゃったし、母ちゃんに怒られるだろ。俺が謝るよ」
「いいったら!」
早く、彼らと別れなくてはいけない。
じりじりと下がろうとしたレイだったが、先ほど転んだときに足首をひねったのか、痛みが走る。思わず顔を歪めた。するとリーダーはやれやれと肩をすくめる。
「しかたねぇな、よし、1号2号。運んでやれ」
「あいさー」
「リーダー、俺を2号って呼ぶのやめてよー」
文句を言いながらもリーダーの指示で、彼らはレイの両脇を抱えた。
「本当に大丈夫だったら!」と固辞するも、少年たちは「リーダーは一度言うと聞かないから」「悪いことしたって思ってるみたいだし」と話を聞いてくれない。
年上の少年に二人がかりで引きずられるようにされると、小柄なレイには踏ん張りようがなかった。ただでさえ体格の差があるうえに、今は足首も痛いのだ。
しばらく暴れて、そして諦めて引きずられるままにレイは森の中を少年たちに連れられていった。
森はとても静かで、時々鳥の声が聞こえるくらいだった。
「それにしてもお前、なんでこんなところに一人でいるんだ」
リーダーの質問にレイは言葉に詰まった。
このまま戻るのはやはり気まずい。アリーサのこともそうだし、母のことだってそうだ。指摘されるまでもなく、レイだって母の疲れには気づいていた。それでも素直に言えなかったのだ。
それをアリーサに指摘され、彼女には酷いことを言ってしまった。
「……友達と、喧嘩して」
「あー、お前嫌われてそうだもんな」
「……」
むっと黙り込むレイに、リーダーはしまったという顔をして、慌ててレイの背を叩いた。
「まあ気にすんなよ、そうだ、俺らの探検隊の一員にしてやるよ! 今なら3号があいてるし」
「絶対嫌だ」
きっぱりと拒否するレイに、1号と2号は「せっかく手下……いや3号ができると思ったのにー」と残念そうである。
断固として嫌だ、とレイは心から思った。
「お、見えてきた。あれだろ、あの屋敷」
森の隙間から、モニカ家の屋敷が見える。レイは緊張してその方向を見るが、アリーサの姿はない。
ホッとした。
気まずいのもそうだったが、少年たちと会わせたらまずいことになると思ったのだ。
レイは屋敷の方向を見たまま頷いた。
「そう。あそこ。でも森の出口まででいいから」
「ええー、でも」
「本当にいいから! 不法侵入者って怒られるぞ!」
「うっ……」
少年たちは顔を見合わせた。彼らもまた叱られるのは嫌だった。
本人があまりにも嫌がっているようだし、という心の言い訳をしつつ、彼らは頷いた。
「じゃあそこまでな」
「怪我の手当してもらえよ。ごめんな」
「いいよ、送ってくれてありがとう」
そう、話し合っていた瞬間に。
森の出口の大きな木の陰に、隠れるようにしゃがんでいた少女が、ぱっと立ち上がって声をかけた。
「レイ、怪我したの!?」
アリーサが、そこにいた。
約束を守って、森には入らずに。
それでもレイを心配して、森の入り口から離れられずに、そこにいた。




