20 大人の密談
2話同時更新です。(1/2)
「アリーサはどうだ」
衣装棚に隠れた私に、聞こえたのは男の人の声だ。ベルナンさんの声だろう。
それに返すように返事をするのは聞き慣れた声だった。
「だいぶ落ち着きました。最近では食事もよく食べますし、眠りも深いようです」
母は穏やかにそう返した。
「それは何よりだ。モニカさんもよく眠れているようで良かった」
「お見苦しい顔を見せ続けて申し訳ありません」
「いや、問題ない」
その会話にヴィオレットのおばさまが加わった。
「その流れだとモニカの見苦しい顔を見せ続けたことを認めているように聞こえるけど」
「そういう意味ではない」
苦い声でベルナンさんが言うのを、ヴィオレットのおばさまが笑う。
どうも、聞いている限りは普通のお茶会のようだ。そりゃあ話題に私が出てきてはいるが、別に悪巧みというほどのものでもない。
私は居心地の悪さを感じながらも、レイが私を引き留めるように手を握っているため、衣装棚から出られずにいた。
「レイはどうだ」
今度はベルナンさんがヴィオレットのおばさまに聞いた。おばさまはしれっとした声で答える。
「相変わらずね。週に一度この屋敷に来ているけれど、学園の勉強は特に問題はないわ。最近は精神的にも落ち着いているから、私もほっとしているところ」
「なるほど。まあそっちも何よりだ」
ベルナンさんとヴィオレットのおばさまは、母より年も近いせいか、お互いに敬語は崩して話している。
近況報告は終わった様子で、ベルナンさんが声を低めた。
「アリーサを、隣国へ連れて行こうと思う」
「!」
驚いたように息をのむ母やヴィオレットのおばさまと同じように、私も息をのんだ。
隣国って、隣国? ベルナンさんのいたところ?
海を挟んだ国で、海の流れが悪いと船で片道一週間くらいはかかると彼に聞いたことがある。
「今度はモニカさんも一緒に来てくれてかまわない。神殿ではないが、田舎の長閑な村に、家を用意している」
「家って……いえ、隣国って……そんな」
驚いた声で母が言った。
「衣食住は保証する。アリーサも長い滞在になると思うから、荷物は全部持ってきてくれ。必要なら使用人も連れてきていい」
「……分かりました。ベルナンさんに、ずっとこちらに住んでくださいとは、言えないですものね」
戸惑いながらも、母はそれを受け入れたようだ。
確かにベルナンさんはもとは隣国の人で、まだあちらでも仕事があるだろう。私が成人したらすぐに駆けつけられるようにとこの近くの村に住んでくれているが、それが一生続けられるわけではないのは分かっていた。
でも、そんな。隣国に行ったら。
「レイはどうするの?」
ヴィオレットのおばさまは、私の心を代弁したかのようにベルナンさんに尋ねた。
ベルナンさんはしばらく沈黙してから、息を吐いた。
「ヴィオレット。レイに兄弟は?」
「いないわ。一人息子よ」
「では彼は、父親の貴族位を継ぐことになるな。この国に領地と領民を持っているな?」
「そうね。そうなるわね」
ギリ、と私の隣で歯を噛みしめる音がした。
「ならレイはこちらで、そのまま暮らすのが良いだろう。いい縁談を用意するよう、神殿にも声をかけておく」
私の喉の奥から、ひゅっと息が漏れた。それは悲鳴の代わりのように、掠れた音だった。
息苦しくて、胸が痛い。この衣装棚の中は、酸素が足りないのではないのかと思うくらいに。
ヴィオレットのおばさまは淡々と尋ねた。
「アリーサじゃ駄目なの? 息子はそのつもりよ。たぶん隣国くらいなら普通に通うと思うけど」
「駄目だ。アリーサには隣国で、聖人との縁談を用意するつもりだ。顔を合わせて普通に話ができる男性を。彼女にはそれが必要だ」
がんがんと頭が痛くなった。必要とか必要じゃないとか、ベルナンさんが決めないで。そんなの、私の勝手じゃない。どうしてそんなことを言うの。
もう、衣装棚からは出られなかった。
私はこの話の流れを、聞き続けるしかなかった。
困ったように母はベルナンさんに言う。
「アリーサはレイと離れるのを嫌がると思いますわ」
「そこは説得してくれ。彼女なら最後には理解してくれるだろう」
「そう……ですね。あの子はとても、いい子だから」
話が、まとまろうとしていた。
私の気持ちも、大切なものも、すべて置き去りにして、話がまとまろうとしていた。
ヴィオレットのおばさまの声が続く。
「レイも荒れると思うわ」
「そちらは説得に応じないだろう。なので早めに行動に移したい。なに、まだ若いんだから大丈夫だ。いずれアリーサのことだって忘れるさ」
ベルナンさんの声が遠い。私の心がふらふらと、漂って、どこかに行ってしまうかのようだ。
すっと、レイの手が私から離れようとしたのを私はあわてて掴んだ。
行かないで、と声も出せずに彼の手を握る。
彼は少し迷った後、手を離そうとするのをやめた。
「決行は近い内に。レイには告げないように。モニカさんはアリーサを説得しておいてくれ」
「そうね」
「はい、分かりました」
決まってしまう。
一日でも長く、と望んだ幸せが消えてしまう。
心の中でどんなに悲鳴をあげても、親たちには聞こえなかった。
彼らはその後、何か小さな声で話をして、そのまま席を立つ音がした。
足音が小さくなり、そして扉を閉める無機質な音がした。
どこかで私に囁く声がする。
分かっていたじゃないか。いずれ彼とは別れがくると。
顔を見せることもできない貴族の妻などいない。病弱であると誤魔化すにも限界がある。
かといって、このおぞましい顔をさらすことなどできない。
分かっていたじゃないか。だから隣のレイがなにも言わない。
私が泣いているのが分かっているのに、なにも言わない。いつもなら慰めてくれるのに。
ただ、繋がった手がぎゅっと握りしめられているだけだ。
納得しようとした。私がいけないのだと。
私が呪われているからいけないのだと。受け入れるべきだと。
しかし、ぽつり、と胸の中に生まれた染みのようなものが、どんどん大きくなっていった。
なんで。
私がなにをしたっていうの。なにもしてないじゃない。
望んで呪われて生まれたわけじゃない。
罪を犯したわけでもない。
なにがいい子よ、お母様。馬鹿にしないで。なんでもかんでも頷くようなお人形が欲しいなら、お店で買ってアリーサって名前でもつければいいじゃない!!
心の中で思ったのか。もういっそ声に出ていたのかは分からない。
私が叫んだ瞬間に、ぱっとすべての明かりが消えた。
真っ暗だったはずの衣装棚になぜ明かりがあったのか不思議に思う間もなく、私は暗闇に引きずり込まれた。
* * * * * * * * * *
「ベルナンさん! 早く!」
怒りに震える声が、室内から飛んだ。
扉の外で待機していたベルナンは、すぐに部屋に飛び込んだ。中には衣装棚から転げるように外に出たレイが、アリーサを抱えていた。
アリーサの顔は真っ黒だ。ベルナンから見てもそうなのだ。中から小さな目がたくさん覗いている。
ベルナンは思わず腰が引けそうになったが、ここで逃げたら間違いなく彼に殺される。
「アリーサ!」
ベルナンはアリーサの手を握った。
大人は、本当に彼女に酷いことばかりをする。そう思いながら。
しかし、信じて欲しい。
「アリーサ、君を救いたいんだ。すべての呪いを、消し去って」
両手でぎゅっと彼女の手を握って、ベルナンは言った。心から。
彼の手から、室内全体を照らすような明かりが放たれた。




