表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/21

2 聖女の娘と聖女の息子




「アリーサ、来たよ!!」

「ヴィオレットのおばさま!」


 いつものように、ヴィオレットのおばさまは山ほどのお土産をもって我が屋敷の扉を開いた。

 私もいつものように彼女に飛びつこうとして、はたと足を止めた。

 今日は、いつもと違うのだ。

 ヴィオレットのおばさまの後ろから、小さな影が見えたのだから。


「……」


 思わず私は後ろからついてきた母の影に隠れた。

 母の後ろからそっと覗きこむと、屋敷に入ってくる少年の姿が見えた。

 綺麗な少年だった。赤みがかった栗色の髪が、さらさらと風に揺れている。瞳の色は綺麗な青だ。

 少年は無表情のままヴィオレットのおばさまの隣にたたずむと、視線を私に向けた。


 思わず私は緊張した。ヴィオレットのおばさまを除くと、「外」の人と会うのは初めてだ。

 なんて言われるだろうかと、どきどきしながら母のドレスを握る。母も同様に緊張した面もちで、声をかけた。


「いらっしゃい、ヴィオレット。そしてレイ、はじめまして。遠かったでしょう。ごめんなさいね」

「――いえ、たいした距離ではなかったです。はじめまして」


 少年は、凛とした声で返事をした。おびえている様子はないようだった。これは、もしかしてと私は身を乗り出した。


「レイ、どう? アリーサは、どう見える?」


 ヴィオレットのおばさまは単刀直入に息子に尋ねた。その言葉に彼は私を見て、母を見て、ヴィオレットのおばさまを見た。

 私は緊張で喉を鳴らした。


「正直に言って、ほら。可愛い女の子に見える?」


 ヴィオレットのおばさまの再度の促しに、彼は眉根を寄せると、口を開いた。

 私はどきどきしながら彼の言葉を待った。

 そして、彼の言葉はというと……。


「――いえ、十人並みですね」


 その瞬間、すぱーんと彼女の平手打ちが少年の頭を全力で叩いた。




 * * * * * * * * * *




「母さんが正直に言えって言ったんじゃないですか!」

「よりにもよって! 女の子に! 言う台詞かと!!! 母は言ってるの!!」

「僕はちゃんと躊躇ためらいました!! 言わせたのは母さんです!! 嘘は言うなっていつも母さんが言っているじゃないですか」


 ぱしんぱしんと頭を叩かれるのを防御しつつ、レイは全力で不満を露わにした。

 私はというと、怒っていいのか喜んでいいのか分からず微妙な表情のままたたずんでいる。母も同様のようである。

 ハアハアと荒い息を整えつつ、ヴィオレットのおばさまは少年の頭を押さえつけて無理矢理下げさせた。


「ごめんなさいね、アリーサ。この子は本当にこまっしゃくれて。歯に衣を着せないと言うか、夫が友人を連れてきたときなんて、ちゃっかり大人の討論会に参加していたりするの。悪気はないのだろうけれど気遣いが足りなくて、本当にごめんなさい」

「いえ、えーと……いいの。いいの、ヴィオレットのおばさま」


 きっとこれは私の鼻がもう少し高くないのが悪いのだ。眉を下げる私を見て、ヴィオレットのおばさまの手を無理矢理はずしたレイは慌てたように言った。


「僕は、……母さんが『可愛いと言え』という圧力をかけてくるのが気にいらなくて、その……。きみを傷つけるつもりはなかったけど……ごめんなさい」

「ううん、ううん!!」


 私はぶんぶんと首を横に振った。彼の反発心はちょっと分かる。私も母に同じことを何度も聞かれると、大好きでも反対のことを言いたくなってしまうものだ。きっと彼もそうなのだろうと思う。というか思いたい。


「それより、私のことは普通に見える? 恐ろしくはない?」


 彼の態度を見るに、使用人たちとは違い、ぎょっとしたりおびえたりしていない。それでも念のため確認すると、彼は眉を上げて頷いた。


「普通に見えるし、恐ろしくはないよ」

「ほんと? ほんとにほんと?」


 彼は再度頷いて、付け加える。


「君の顔は真っ黒には見えないよ。暗くて恐ろしいものが渦巻いているようにも」

「……真っ黒?」


 首を傾げる私に、彼は続けていった。


「君のことは母さんから聞いてたけど、君の姿が恐ろしくおぞましく見えるのって、顔の部分に真っ黒で真っ暗で、夜の闇の向こう側のような恐ろしいものが見えるんだって。何もかも吸い込んで、代わりにおぞましい化け物が出てくるような。まるでブラックホールみたいな」

「ブラックホール?」

「ブラックホールは隣国で発展している学問の中に出てくる言葉だよ。そんなようなものがおそらく君の呪いなんだろうね。母さんも僕も実際に見てないからどうおぞましいのか分からないけどさ」

「うーん、……なるほど?」


 あいまいに分かった様子をする私に、彼は苦笑した。馬車から本を持ってきて、私に尋ねる。


「……一緒に読む?」


 私はぱっと顔を輝かせた。


「読む!!」


 なお、その『ブラックホールと超重力』という本を読んだ結論としては、よく意味が分からなかったことだけが分かった。




 * * * * * * * * * *




「……一時はどうなることかと思ったわ」


 ぐったりとヴィオレットが椅子に座ると、アリーサの母、モニカが微笑む。


「仲良くなってくれたみたいで、本当に良かった」

「こっちもよ。本当にあの子は、天の邪鬼にもほどがあるんだから」


 そういいながらヴィオレットは窓の外を見た。庭ではアリーサとレイが、雲を見上げて何か話してる。きっとレイが雲の蘊蓄うんちくを語って、アリーサは何も分からないまま「なるほど!」と言っているに違いない。


「ところで、モニカ」


 使用人が入れた紅茶を飲みながら、ヴィオレットは声を小さくした。


「ついに伝えたのね、アリーサに」

「ええ……」


 モニカは目を伏せた。できることならばずっと伝えたくはなかった。お前は世にもおぞましい顔をしていると、聞いてショックを受けない娘はいないだろう。

 実際にアリーサも数日は元気がなかった。それでも今日、レイと話している彼女はここ数日と比べようもないくらい楽しそうだ。


「アリーサが、『私は学園にいつ入れるの』と聞くから、これ以上黙ってはいられないと思って」

「……ああ」


 ヴィオレットは目を閉じた。

 本来ならアリーサはとっくに学園に通っている年だ。

 彼女にもモニカにも、アリーサは可愛い女の子だ。そりゃあ多少の贔屓目ひいきめはあるかもしれないが、それでも愛らしいあの女の子の姿が、他の人間には決してそう映らないのを知っている。

 学園には入れられない。それどころか、この屋敷から外に出すのも怖い。

 場合によっては、化け物として殺されてしまっても、まったく不思議ではない。それほどに彼女の姿はおぞましいのだそうだ。



「私にはぜんぜんよく分からないのだけれど、アリーサの顔は真っ黒なの?」


 ヴィオレットの言葉にモニカは頷いた。


「私も実際には見えないけど、アリーサを『見た』人はそう言う人が多かったわ。人によって微妙に違うみたいだけど」


 顔の部分に真っ黒で深くて背筋が冷えるほどの暗黒がある。その中からは化け物のような恐ろしいものの目が覗いている。

 おそらくそれが「呪い」本体だ。

 ヴィオレットはモニカに聞く。


「浄化は、できそうなの?」

「……難しいわ」


 モニカは唇を噛んだ。ずっと昔の聖女の時代に浄化した呪具を思い出す。


「少なくとも、もとの呪具の呪いは完全に消え去っていたはずなの。小さな手鏡だったのだけれど」

「ああ、持ち主が『自分は醜い』と思いこんで死んでしまった事件よね」


 神殿には、死者の荷物が持ち込まれることがある。特に急死した人の遺品は、何らかの呪いや悪意が残っていないか、確認するのだ。

 その中にあったのが小さな手鏡だ。何の変哲もない普通の手鏡のはずだった。

 しかしモニカは気づいた。

 途方もない呪いがそこには潜んでいた。


「始まりは小さなものだったみたい。とある令嬢が、別の令嬢にその手鏡を贈ったのですって」


 元々、他の女性に手鏡を贈るのは失礼なことだった。お前の顔をよく見ろという意味なのだ。

 贈られた女性はけっして美人ではないが愛らしい顔立ちだった。そして贈ってきた令嬢とも仲が悪いわけではなかった。戸惑った彼女は、日々手鏡を覗いては自分の顔のどこが悪いのだろうと考え込んだ。


 贈った方もただの冗談だった。その後の社交界で会ったときの話の種にでもするつもりだったのだろう。贈ったことすらすぐに忘れてしまうくらい。

 しかし贈られた令嬢は、鼻の形が悪いとか、目のバランスが悪いとか、日々気にするようになった。気にしても仕方がないと、ただの冗談なのだろうと思いこもうとした。でも、できなかった。

 そしていつからか彼女は片時も鏡の前から離れず、外に出ることもなく、自分の顔のバランスを、目の大きさを、ぶつぶつと「あれがおかしいこれがおかしい」と呟くようになった。


 ぱったりと部屋から出ることがなくなった彼女を心配した家族が、彼女の部屋を覗くと……大きな鏡の前で首を吊った令嬢が、手鏡を強く握りしめたまま揺れていた。

 その手鏡は、形見としてか、それを贈った令嬢の元に渡ったらしい。


 その後のことは、想像の通りである。彼女は顔を無くすように大きな鏡に頭と顔を叩き付けて亡くなった。鏡は何人もの令嬢へ不自然なほど自然に渡され、合計十人ほどの命を奪った。


「亡くなった方を弔った後、手鏡を神殿で浄化して、粉砕して聖廟せいびょうに封じてあるの。実際、その手鏡を見たけれど何もそこにはなかった」


 モニカは窓の外を見ている。娘が外にいるときは不安で仕方がない。いつどんな驚異が彼女を襲うのかも分からないからだ。

 過去、この世界に存在した魔物はもはや妖怪と同じようにお伽噺とぎばなしのような伝説の存在となったが、驚異は決して魔物だけではない。彼女にとって最大の驚異は、同じ人間なのだ。


「呪いが、全部アリーサの中に入り込んでいるってことね」

「ええ。私の力ごと」


 ヴィオレットは考え込んだ。

 浄化の力において、モニカの右にでるものはいない。実際、モニカの頼みで現在の聖女が何人か、アリーサの呪いを解きにきているのだ。しかし純然たる力の差で、浄化をすることはできなかった。

 現状、打つ手は全くないのだ。



「……やっぱり、アリーサの成人を待つしかないか」

「それしかないのね……」


 二人はそろってため息をついた。


 聖女の娘は、親の力を引き継ぐことが多い。親の力が子供に流れ、子供はその力を持つ。しかし、たいていの子供は成人と共に親の力をなくしてしまう。

 それはどの子も「自分自身」の魔力を持つからだ。小さい頃は親に守られ、それでよしとしても、大人になると自分自身の力で立つことを望む。

 それゆえに現在、モニカの力を受け継いでいるアリーサも、成人すれば彼女自身の魔力を持つことになり、モニカの浄化を拒んでいる聖女の魔力も消えるだろう。

 そうすれば、モニカがアリーサを浄化することができるのだ。

 問題は、聖女の力は年々弱まっていくことだ。モニカがその呪いを浄化できるだけの力を、アリーサが成人するまで持っていることが必要となる。


「……神殿には、私以上の浄化の力を持った人が現れたら教えてほしいと依頼してあるわ」


 モニカ以上の力を持つ人間なんてそうそう見つからないと思ったヴィオレットだが、彼女はそれについては口をつぐんだ。


「……そうね。それまで、しっかりとアリーサを守らないと」

「ええ」


 モニカは力強く頷くと、目を細めて窓の外を見た。

 暖かい日差しの中、アリーサとレイは楽しそうに遊んでいる。それをほほえましくも見ながら、モニカは、台所から庭に小麦粉らしきものを持ち出した娘の尻を叩くために、勢いよく部屋から飛び出した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ