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15 同情と驕り




 夜中になってたどり着いたわが家は静かだった。


 私の家は僻地なため、戻るのはとても大変だった。

 神殿のある街からは片道で半日ほど馬車に揺られ、その後は同じ方角へ行く乗り合い馬車を見つけるしかない。

 覆面をかぶった怪しい私を警戒して、一緒に行ってくれる人はおらず、途中からほとんど歩きだった。

 足が棒のようだ。それでも、家が見えたとたんに、私は背中を押されるように駆けだした。


「お母様! お母様!!」


 ドンドンと玄関を叩くが、返事は無い。深夜だから眠っているのだろうか。

 私はずるずると玄関にしゃがみこみ、膝を抱えた。

 母に会いたかった。抱きしめて欲しかった。愛してると言ってほしかった。

 しかし玄関の扉は開かない。

 じっと朝を待って、時々うつらうつらと眠りにつきつつ私は待った。

 ついに太陽の光が昇るのを見て、また私は玄関を叩いた。


「お母様!」


 キイ、と玄関が開いた。

 飛び込んで抱きつこうとしたが、中から顔を覗かせたのは使用人であった。

 覆面姿の私を怪訝けげんそうに見ている。


「……どなたですか?」

「アリーサです! お母様は? お母様を呼んでください!」


 私の名前を聞いて、少し表情を硬くした使用人は私に言った。


「奥様はご旅行に出かけました。お戻りは一週間以上かかるそうです」


 使用人の言葉に私はがっかりした。

 でも、一週間すれば母は戻ってくる。

 今まで一ヶ月も離れていたのだ。一週間くらい何ということもない。


「じゃあ、部屋で待ちます」

「お嬢様」


 使用人は私の言葉に首を横に振った。


「奥様から伝言を預かっています」

「えっ?」


 母に神殿から戻るということを伝えてはいない。

 なのに何で私が戻ることを知っているのだろう。

 目を瞬かせて私が使用人を見つめていると、覆面越しに使用人が淡々と言う声が聞こえた。


「奥様からの伝言は……『逃げ出すような娘を受け入れる気はありません』とのことです」

「!?」


 ガン、と頭を殴られたような気がした。

 母は、私が神殿から抜け出したのを知っている。そして、私を拒絶したのだ。

 まるで全てが終わってしまったかのようだ。疲労も相まって、ぐらんぐらんと世界が揺れる。


「私ども使用人も一週間の暇を与えられています。このまま屋敷の鍵を閉めて、それぞれ休暇をいただきます。お嬢様もどうぞ、お戻りを」

「……」

「失礼いたします」


 がちゃんと無情に、玄関の扉が閉まった。

 私の家なのに。鍵を持っていない私には、入ることもできなかった。

 拒絶するように扉を閉じたまま、屋敷は沈黙している。


「どうして……お母様。お母様……」


 ほんの少し、甘えたかっただけなのだ。ちゃんと、神殿に戻るつもりはあった。

 私の目を見て、私の顔を見て、話してくれる人が欲しかったのだ。

 そんな小さな望みも、叶えられないというのか。私が一体何をしたというのだろう。

 ただ、呪われて生まれてきた。それは私の責なのか。


 世界が回って、うまく立てない。

 ずるずると玄関にしゃがみこんで、私は顔を覆った。




 * * * * * * * * * *




 気がついたら私は神殿の宿舎にいた。

 部屋のベッドに寝かされている。周りには誰もいなかった。

 どうして、いつの間に戻ってきたんだろう。


 神殿を抜け出した罰則で、私は三日ほどご飯抜きになった。

 今度は空腹で世界が回る。回りすぎだろう世界、と思いながらも空腹に勝てるわけもない。

 体力の消費を押さえるために、私はその間ほとんど眠り続けた。


 色々な夢を見た。

 時には、鏡の前に座った金髪の女性が私をじっと見ていた。

 綺麗な顔をしているというのは分かるのに、その表情は見えない。

 母が、遠いところで手を振っていた。

 手を振り返すと、満足そうに頷いて、どこかに行ってしまった。

 レイは夢でも姿を見せてくれない。もう会わないと言ったからなのだろうか。

 寂しい。夢でもいいから、会いたい。


 その後も私は神殿で一人だった。時々見習いの聖女が話しかけてくれたり、聖女が私に果物をくれたりすることもあった。

 感情が凪いだ海のようになるときもあれば、荒れ果てて眠れない夜もあった。


 私は大人になれたのだろうか。それはまだ、分からなかった。


 神殿にきてから半年近く経った秋に、私は一人で街中に出かけた。

 外出禁止令はもう解かれていて、街中であればどこに行ってもいいと言われている。

 ただし覆面は常備だ。私も素顔で外に出るのは余りに危険であると知っている。


 古い本屋の中を見回ると、レイに送っていた歴史書の六冊目があった。

 ガラスケースに覆われている本の値段を見て私は目を丸くした。

 私のお小遣いではとうてい手に入らない金額だった。不足分は母が足したのだろう。

 そういえば、次の年のレイの贈り物は宝石に飾られた小物入れだった。

 とても綺麗で可愛くて気に入ったのだが、見るからに高そうなものだった。


 嬉しいけれど、と前置きをして遠慮がちにレイに伝えたことがあった。


「そんなに高いものはいらないのよ」

「相応だよ。僕も配慮が足らなかった。母が買ってくれていない理由を察するべきだったね」


 彼は肩をすくめてそう言っていた。

 あれは値段のバランスを取っていたのか。そんなことすら知らなかった。


 レイとの会話を思い出すと、いつも胸が痛んだ。

 彼は今何をしているのだろう。

 今年の誕生日に、この六冊目を彼に贈りたい。でも迷惑だろうか。もう会わないと言われているのに。お金もないのに。

 ぐずぐずと未練がましく、本屋の棚を見てはため息をつき、そして背を向けた私に声をかけてくる人がいた。


「金が欲しいのか?」


 振り返ると、背の高い男の人が私を見ていた。

 私知ってる。こういうのは人買いだ。女の子をさらって売り飛ばす奴だ。


「警備兵さーん!!!」

「待った待った待った! ほんと待てって! 聖女に声かけて警備兵を呼ばれたら、問答無用で牢屋入りになるから!」

「私は聖女じゃないけど、おじさんは怪しいわ。お金が欲しいかと声をかけてくるおじさんがいたら警備兵を呼べってお母様が」

「そんな怪しい覆面をしている聖女に言われるほど怪しいのか、俺は……」


 がっくりと肩を落とす男の人に、私もしょんぼりと肩を落とす。

 そりゃあ私も怪しいのは分かっている。でも仕方がないのだ。私が素顔で街を歩いたら阿鼻叫喚で、その末は私の火炙ひあぶりでもおかしくない。


「違うんだ。俺はな、まだ街に慣れていない聖女をちょっとうまいこと言いくるめようと思っているだけなんだ」

「違わなかった! 警備兵さーん!!!」

「嘘をつけない呪いにかかっているんだよ!!」


 おや、と私は叫ぶ声を止めた。

 男の人はぜいぜいと肩で息をして、神妙に話しだした。


「まあ聞いてくれ。俺は良家の三男坊でな」

「警備へ……」

「疑う度に警備兵を呼ぶのはやめてくれないか! 本当だって! 嘘をつけてたらつくよ!」


 それもどうかと思いながら、私は男の人を見る。

 どう見ても怪しい男の人だ。さらに怪しい覆面姿の私の隣にいるものだから、目立って仕方がない。

 しかし間違ってもこの男と路地裏になど行くほどに警戒心がないわけじゃない。


「じゃあ、そこの木椅子で話を聞くわ。そうしたらちゃんと警備兵さんに自首するのよ」

「何で俺が犯罪者だと断定しているんだ……」


 しぶしぶと男と私は本屋の前の長い木椅子に座った。


「それでな、良家の三男坊の俺は、若い頃からやんちゃをしていたんだ」

「悪いことをやんちゃって誤魔化ごまかすのはよくないって、レイが言ってたわ。人買いは犯罪よ」

「買ってないし売ってない。勘弁してくれお嬢ちゃん。やんちゃ続きの俺を、親父は恥さらしとののしって勘当したんだ。まだ若かった俺はこう思った。そうだ、神殿から聖品を横流ししよう、と」


 私は遠くにいる警備兵を見た。

 彼は哀願するような目で首を横に振った。


「最後まで聞いてくれ。聖品だと思ったら呪いがまだかかっていて、運んでいる途中で俺は呪われた。嘘をつこうとしてもつけなくなってしまったんだ」

「正しく素晴らしいことだわ。よかったわね。じゃあこれで」

「嘘をつけないことが素晴らしいことだと思うなら、お嬢ちゃんはお花畑で育ったんだな」


 立ち上がろうとした私がむっとして彼を睨むと、男は両手をすくめた。


「たいそう肉付きのよい貴族の女性に『こんにちは、豚みたいなお美しさで』と告げて凍り付く場に出会ったことはあるか? 夫が末期の病気の女性に『もう無理でしょうな。身の振り用を考えた方が良いでしょう』と告げて刃物を持ち出されたことは?」

「なんて酷いことを言うの」

「俺だってそう思うよ! さすがにそこまで率直に言えるほど空気が読めないわけじゃないのに! だから助けてくれって、神殿にすがったんだ! そうしたら神殿から聖品を持ち出した罪で三年も牢屋行きだ」

「自業自得ってそういうことを言うと思うの」

「分かってるさ! でも、罪を償った後でも、神殿は俺が出禁なんだよ。盗みを働いたせいで!」


 彼はすがるように私に言った。


「あんたがもし聖女なら、あるいは聖女の知り合いがいるなら、どうか呪いを解いてもらえないか? もちろん礼はする。ちゃんと働いて稼いだ金だ」


 私は戸惑った。彼の事情を聞くと、確かに可哀想だ。

 だが、神殿の許可無く聖女は仕事をしてはいけない。問題が起こってはいけないからだ。

 そして私は浄化の能力は……なくはないが、自殺覚悟だ。使ったらまたあの黒い顔に捕まってしまう。

 ベルナンさんならできるだろう。けれど、彼が神殿を通さない依頼を受けるとは思えない。

 そもそも彼は頻繁ひんぱんに隣国に戻るので、今神殿にいるかどうかも分からないのだ。


「残念だけど、期待には添えないわ。私の浄化の力は使えないの。使える人もいるけれど……私もめったに会えないし。おそらく彼は拒否すると思うわ」

「頼む、声だけでもかけてくれ! 俺だって普通に生きたいんだ!」


 私は彼の言葉にぐらりと揺れた。

 普通に生きたい。……私もそう思う。

 私と同じ思いをする人が、まっとうに生きるために、呪いを解いてほしいというのなら。

 それは話を聞いてもいいのではないだろうか。少なくとも話くらいは、ベルナンさんにしてもいいのではないか。

 私はすがるような男の人の声に頷こうとした。


「分かっ……」

「アリーサ、君は馬鹿か。なんの理由もなく神殿が、呪われた者を出禁にすると思うのか」


 冷たい声に振り返ると、そこには私の思い浮かべた人がいた。

 ベルナンさんだ。鷹のような鋭い目が私と男を睨む。


「ベルナンさん」

「ちっ!」


 男は立ち上がるとさっと逃げ出した。

 私はあっけにとられた。

 今、浄化をできる人がそこにいるのに、なぜ彼は逃げ出したのだろうか。


 ベルナンさんが男の逃げた方向に視線を向けると、その先に警備兵がいた。男を追いかけて捕まえたところだ。

 三人がかりで押さえつけられて、男は暴れている。

 私はおそるおそるベルナンさんに話しかけた。


「ベ、ベルナンさん。あの男の人は、嘘をつけない呪いにかかっていてそれを解いてほしくて私に声をかけてきたの。そりゃあ神殿を通さなかったのは悪いことだと思うわ。でも」

「アリーサ」


 ベルナンさんの低い怒りの声に、私の声は喉から出てこなくなった。


「アリーサ。あの男の、呪いの話は嘘だ」

「うそ!?」

「実際にあいつがかかっているのは、所在が容易に掴まれる呪いだ。呪いには違いない。だが、それも自業自得だ。神殿から何かを盗もうとすると自動でかかる罠だよ。かけたのは神殿、まあ、聖女だ」

「うそ……」


 私はベルナンさんの言葉を否定したいのか、彼の言った嘘という言葉を理解したいのか、分からないままその言葉を力なく繰り返した。


「三年罪を償ったというのも嘘だ。金は聖物を売ったものだ。所在が分かっていたからすぐに警備兵が手配された。分かっているとはいっても、おおまかに区画だけだが。どこか遠くの村に逃げてもすぐばれる。むしろ村に余所者がいたら目立つからこそ、この街を出ていなかった」

「……」

「神殿は出禁というか、そもそも捕まるから頼めない。だから街で獲物を探したんだ。怪しい覆面姿の聖女服の女の子が、男に声をかけられているという知らせをうけてすぐ来たが、そうでなければ君は彼を信じていただろう。裏でこっそり聖女が仕事を請け負ったなんて、とんでもない醜聞しゅうぶんだ。君はそれをばらされたくなければ、彼のために動けと言われただろうな。それが事実を歪めたものであったとしても、君が彼のために誰かにそれを打診した時点で、事実になる」

「……」

「自分にとって不利のようなことをばらすのも、嘘にほんの少し真実を混ぜるのも、全部君を騙すためだ。自分は騙されないと思っているような世間知らずはいい鴨だな」


 曇った空から、ぱらぱらと雨が振ってきた。

 しかしそれよりも、ベルナンさんの言葉のほうが、よっぽど私を心から冷やした。

 助けてあげたい、と思ったのだ。普通に生きたいという気持ちを、私もずっと抱えていたから。


「アリーサ。甘えるな。そして、おごるな。君は誰かを救えるほどの力はないんだ」

「……ごめん、なさい……」


 うつむいて涙を流しても、ベルナンさんはいつも通り慰めてはくれなかった。そのまますぐに身を翻して、警備兵達と合流してなにやら話をしていた。




 数日後、指名手配されていたものを捕まえた報奨金として、いくばくかのお金が私に渡された。それは皮肉にも、お小遣いを足せばあの歴史書に届く金額であった。




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