10 穏やかな日々
あれから、三ヶ月に一度のペースでレイは私の家にきてくれている。
レイはもし手紙を出すようなことがあれば、配達員を使わずに直接連絡をするといって、約束の日がずれる時などは必ずレイの家の使用人がうちまで来てくれるようになった。
それはあまりに負担ではないかと彼の家の使用人に恐る恐る聞くと、使用人はうちの近くの村に祖父母がいて、様子見がてら行ける上に、特別手当も出るので喜んでいるそうだ。ホッとした。
そういえばうちの使用人も、僻地であるうちにずっといるのは退屈ではないだろうか、と私は思った。
そこで母と相談してから、レイの家へ手紙のお使いがてら街へと行くのはどうかと使用人に提案してみたら、それはもう大歓迎であった。
これで私とレイの間の連絡手段は滞りなくなり、何かあったときにはいつでもお互いにやりとりができるようになった。
穏やかに、日々は過ぎた。
春には私の誕生日を迎え、レイは可愛い小鳥のブローチを私にくれた。特別な日以外はつけないくらい、大事にしている。
秋のレイの誕生日には、私には読めないがレイの欲しがっていた歴史書を送り、彼はたいそう喜んでくれた。
一年が経ち、二年が経った。
私が14歳になってしばらく過ぎた冬頃、いつものようにレイが私の屋敷に来た。
そこで私は食料庫にちょっとしたお使いを頼まれた。
なにやら、干からびた野菜を実験の対象とする勉強があるのだそうだ。
私はレイと時々やる勉強の実験を楽しんでいた。
うん、そう、間違っても魚や蛙の解剖をするとレイが言い出さない限りは。
なお、「学園でそういった実験もしたんだけど……まあ、やらないよ。アリーサのその表情を見れば、やろうなんて口が裂けても言えないね」と彼は笑っていた。
レイは驚くほど、どんどんと大人になっていった。
もう私の背を越すほど身長も伸びた。前は私のほうが背が高かったのに、いったいいつの間に越されてしまったのだろう。
ちょっと悔しいような気がしなくもない。
学園で友人も増えたらしい。会話の中に時々私の知らない人の名前が出る。
ほとんど男の子の友人らしいが、女の子の友達はいないのかと何気なく聞くと、「女の子は……色々と面倒くさいから」と苦笑して言っていた。
いったい彼に何があったのだろう。
その後、慌てて「君は別だけど!」と付け加えていた。
レイは細身なのだが、身長が伸びるに従って、だいぶ筋肉もついてきているようだ。
夏になるとレイと泉で遊ぶのが恒例だったので、今年もそのつもりだったのだが、「君が溺れない程度に泳げるようになったから、もう水遊びはしない」とレイは言い切った。
それも授業の一貫だったのか。せっかく今年は可愛い水遊び用の服を買ったのに。
私はブーイングをしたが、彼が意見を変えることはなかった。
彼は前に比べてだいぶ素直、というか丸くなったのだが、唐突にひどく頑固になるときがある。
水遊びについても彼の中の譲れない線の一つだったようなので、私は渋々諦めた。
レイは勉強は元々できるので、先生にも一目置かれるようになって、学園での学問の研究会にも誘われたりしているようだ。
彼は私に生き生きとそれを話し、何よりも嬉しそうだった。
知識を認められるのは、彼にとって変わらず嬉しいことなのだろう。
そんな彼の話を聞くのは、私も嬉しい。
レイが誰かと喧嘩をすることはほとんどなくなった。
しかしこの前、彼が頬を腫らしていたので驚いて話を聞くと、うちの近くの村の少年たちと喧嘩をしたらしい。
何が原因で、と私が尋ねたところ「土下座させて謝らせてやろうと昔誓ったから」と彼はなにやら誇らしげに言うのだ。
それは誇って言うことだろうか、と私は彼をちょっと心配した。
結局「3対1で引き分けだったから、土下座させる約束まではできなかった。次は絶対勝つから」と言われて、私は曖昧に「無理をすることはないのよ、あと人を土下座させるなんて良くないわ」と返事をすることしかできなかった。
これもレイの頑固な云々の一つだったので、私の助言はきっと聞いていないだろう。
レイに頼まれた野菜を取りに、食料庫の奥へと入り込む。
少し薄暗いのでちょっとためらいつつも、奥の方は高い窓から光が差し込んでいるので、そこまで小走りに行った。
干からびたものはもっと奥だろうか。積み上げられた籠をどかして、いくつかの籠の中からもっとも干からびた野菜を探す。
ふと、籠の中に白いものがあるのを見つけた。
思わずびっくりして飛び退いたのだが、あらためてまじまじと見るとそれは封筒のようだ。
取り出して見てみると、宛名は私で、差出人は……レイだった。
「こ、これは!! これだわ!!」
昔、行方不明になった手紙があった。
私がひどく情緒不安定になっていた時期に、レイから送られた手紙だ。
その後も探したのだが、どこにも見つからなかった。その手紙が、そこにあった。
嬉しくなって私は食料庫の中で、上のほうの窓から差し込む細い光だけを頼りに、手紙を読み始めた。
それは、謝罪から始まって、切々と彼の思いが綴られていた。
そういえばそんなことがあったな、と思い出しながらも手紙を指でなぞっていく。
『僕は、君にふさわしい友達になれるように努力をする』という彼の言葉に、胸が暖かくなるのを感じた。
ふと指が、一文で止まった。
『君はとても可愛いと、僕は思う』
思わず頬が赤くなった。
こんなことはレイから言われたことはない。
そういえば、あの事件の後の謝罪合戦でも、レイは容姿については「化け物なんて思ったことはない」「あの黒い女の人を見た後でも、変わらずそう思う」という話くらいしかしていなかった。
これはぜひとも、当時読んでおきたかった。あるいはレイの口から直接言われたかった。私は少し残念に思った。
最後まで手紙を読み終えては、何度も繰り返し戻って読んでいると、だいぶ時間が経ってしまったらしい。
いつまでも戻ってこない私を心配したレイが、食料庫の扉を開けた。
「アリーサ、どうしたの。迷ってる? 干からびた野菜っていったって、本当に何でもいいんだ……けど……」
彼の言葉が途中で止まった。
私は「ふふ」と笑みをこぼして、その手紙をちらりと見せた。
「待って。待ってアリーサ。僕は今、ありえないものを見ている気がする」
「私もありえないものを見つけてしまったわ。どうやら手紙はこの食料庫に迷い込んでいたみたいね」
「その手紙は一生迷っていてほしかったよ。アリーサ、読むのはよそう。ものすごく恥ずかしいんだけど、手紙を僕に返してくれる?」
「金銀財宝と引き替えでも、お断りするわ」
私は彼に無情に返事をした。
これは私の宝物の仲間入りだ。それこそどんな財宝と引き替えでも渡す気はない。
私はまじまじと白い封筒と便箋を見て、レイに言った。
「それにしても、よくすぐに分かったわね。これがレイの手紙だって」
「そりゃあ封筒から便箋から悩んで選んだからね。それに免じて返してくれない?」
「いやよ。中身も覚えているの?」
「一晩中読み返したから、一言一句違わず言える自信がある。君が望むのならいつでも中身を伝えるから、それはどうか返してほしい」
「ほんと!? じゃあ今言って!」
「君は僕を辱めるつもりなの……」
恨めしげな彼の声に、私は笑って便せんを封筒にしまうと、服のポケットに入れた。
「だってレイが言ったのよ。いつでも中身を伝えるって。私まだ聞いていないことがある気がするの」
「全部言ったと思うんだけど……ええと、君の体調を心配する文から始まって……」
「だめ、だめよレイ。一言一句違わず言えるって言ったじゃない。内容の要約じゃ納得できないわ」
彼は頭を抱えた。
私は意地悪を言っている自覚はあったが、下手に頷いてしまうと、彼に言いくるめられ、封筒を取られてしまう可能性があるので手加減はしなかった。
「まだ君に届いていなかったうちは僕のものだから、4年の間は僕のもので、この30分間だけ君のものになっている。比重で考えても僕のものだ。ここは間をとって僕がもう一度君に新しい手紙を書くというので妥協してほしい」とか何とか言われる気がする。
冷静に考えると彼の言っていることはたぶん違うのだが、議論で彼に挑んで勝てるかというと、正直ちょっと自信がない。
しかし、理不尽に言いくるめられるのはまっぴらだ。今回は特に、渡したくない物があるのだから。
これはある意味、私とレイの勝負なのである。
彼は私の言葉にしばらく考え込んだ後に、両手を挙げた。
「……分かった。言うよ。その手紙の内容を僕がいつでもそらで言えると証明できれば、君はそれを手放してくれるんだね?」
「そうよ、最後までよ」
レイがいないときでも読める手紙を手放すのは惜しいが、レイがいつでも言葉で伝えてくれるのなら、損な取引ではあるまい。
はぁ、とため息をついてレイは言った。
「言う、けどアリーサ。お願いがある」
「なぁに?」
「後ろを向いてくれる?」
「え? 後ろに何かあるの?」
私は慌てて後ろを振り向いた。薄暗い食料庫の中だが、後ろには壁がある。
しかしそれだけだ。特に何かがあるわけではない。
首を傾げる私の背中に、レイの声がかかる。
「このままの状態なら言ってもいい。そのかわり絶対にアリーサは振り向かないこと。振り向いたら君の負けだから、その時点で手紙は手放してくれる?」
「えええ、それはちょっと卑怯だと思うわ」
「卑怯でいい。僕が今どれほど恥ずかしい思いを堪えているか分かってほしい」
「うーん……そうね。分かったわ」
しぶしぶ私は頷いた。
それほどまで恥ずかしいものなのだろうか。
私がもし子供の頃に書いた文章をレイに読まれたら……ああ、うん、確かにやっぱり恥ずかしい。
私はちょっと納得した。
私は準備万端で、レイの言葉に耳を傾けた。
彼はだいぶためらった後に、観念した様子で口を開いた。
「――アリーサ。体調は大丈夫?あの後、君が目を覚ます前に帰ってしまってごめん」
静かで、凛とした声だ。
前と比べて、だいぶ彼の声は低くなった。
今のレイの声で読み上げられるその手紙に込められたのは、9歳のレイの心だった。
「僕は君が目を覚ますまでずっとついていたかった。起きてまず、君に謝りたかった。それが手紙となってしまったことを、心から申し訳ないと思う。アリーサ、君を守りきれなくて、本当にごめんなさい」
レイの声はとても心地よい。ずっと聞いていたい。
できることならちゃんと顔を見て言ってほしいのだが、振り向いたら私の負けなのだ。ちょっと残念。
「僕は君と喧嘩をしたあと、素直に戻れずに、腹が立ったまま、森の中で少年たちと喧嘩をしたんだ。喧嘩に負けて足をくじいて、少年たちに肩を貸されて森の入り口へ戻った。それで君を傷つけることになった。本当にごめん。僕がもっと強かったら。僕がもっと人の気持ちを思いやれるような人間だったら、こんなことにはなっていなかった」
そんなことがあったと、あの事件の後に聞いたけれど、彼はそのときからだいぶ変わった、と私は思う。
なんというか、前のレイは知識が先行した大人のような子供だったのだが、それに思いやりとか我慢とか、色々なものが加わった気がする。
「君は僕の母の体調を思いやってくれたね。本当に、その通りだ。僕は、無理矢理学園へと入れた母に対して、思い知らせてやりたいと思って、わがままを言ったり、言うことを聞かなかったり、配慮のないことをした。君が母を心配したことに、僕は自分が冷酷な人間なのだと、君に思われているような気がして、腹が立ったんだ。僕だってそれは気づいていると。でも、気づいても言わなかったら同じことだと、分かった。僕は最低だ。本当にごめん。母にもちゃんと気持ちを伝えて、謝ろうと思う」
今、レイとヴィオレットのおばさまの関係性はとても良好だ。
ヴィオレットのおばさまはレイのことをとても大事にしているし、レイも同じようにおばさまを大事にしている。
前のように意地をはることもなく、大事なことはお互いに話し合えるようになっているらしい。
とても素敵だと思うし、大好きな二人が仲がよいのは、とっても嬉しい。
「僕は、もう君の友達にはふさわしくないかもしれない。でもアリーサ、君さえよければ、僕の友達でいてくれないか。僕は、君にふさわしい友達になれるように努力をする。学園でももめごとを起こさないようにするし、剣術も武術ももう嫌がらない」
レイはこの宣言通りに、学園でももめごとも起こさなくなった。
前は相手の言動に鋭い批判を加えていたようなのだが、それがなくなったそうだ。
他人の気持ちに配慮するようになったと、先生からの成績表に書かれていたようだ。
体の成長と共に、剣術も武術も上位陣に入り込んでいるそうだ。
時に表彰されるくらいには、どちらも積極的に取り組んでいるらしい。
今、彼がそうして心も体も強くなっているのは彼自身の努力の結果だろうと私は思う。
できることなら私も一緒に学園に通って、そんな彼を見てみたいものだ。
母におねだりしてみたが、学園への訪問すら許可が出なかったので、残念ながら諦めるしかない。
レイの言葉はついに、私の期待していた部分へきた。
わくわくと私は両手を握りしめた。
「君は心優しいから、少年たちの言葉に傷ついているかもしれない。僕は君のことを、化け物なんて思ったことは一度もない。……」
そこで、レイの沈黙が続いた。
もしかして内容を忘れてしまったのだろうか。
大事なところなのに、と私はがっかりした。
「君は」
しかし、続けるレイの声がした。
私は大事な部分を聞き逃すまいと耳を澄ました。
「とても」
――と、その瞬間。
きっぱりとしたレイの声がした。
「じゃあアリーサ。ここまで」
「は!? え、どういうこと!?」
私は驚いて振り向いた。そっぽを向くレイの姿があった。
「僕は一度に全部言うとは言ってない。長い手紙だから、分割するよ。でも残念、君は最後まで言う前に振り向いてしまったから、君の負けだ。その手紙は没収だね」
「ちょ、ずるい、駄目よ! ずるいわ!!」
レイの言葉はあまりに卑怯である。私は慌ててポケットの手紙を押さえた。
大事な部分を聞いてない上に、手紙まで没収されてなるものか。
「ずるくない。いつまでに言うとも僕は言ってない。手紙を渡して」
「そういうのレイの悪いところだと思うわ! 分割したなら、じゃあ続きを……」
言いかけて私は言葉を切った。
この流れでレイから「可愛いと、僕は思う」と言われたところで文脈が分かりづらい。
ずるい。絶対にレイはずるい。
ぐぬぬ、と私が怒りに震えていると、彼はしてやったりという顔をしている。
「て、手紙は渡さないわ! 最後まで聞いてないもの!」
「じゃあ残りを言おうか?」
「ずるい!!!!」
私は全力でポケットを押さえた。
レイは右手を差し出して、手紙を渡せと迫ってくる。
「僕はちゃんと約束を守ったと思うけど。手紙の内容を口で言うことがどれほど恥ずかしいか、君だって想像できるだろう?」
「でも大事なところが分割されたもの! もう一度、今度は分割なしで言ってくれる!?」
「それは約束しない」
彼は断固として拒否した。
そこまでして可愛いと言いたくないのか、と私は頬を膨らませた。
「ほら、アリーサ」
「いやだったら! これは私のなんだから」
「君に届く前は僕のだろ。つまり4年間僕のものだったんだから……」
私のポケットから手紙を出そうとするレイと、もみ合いの結果、私は足下のじゃがいもらしきしなびた野菜を踏んずけてしまった。
ずるり、と私のバランスがくずれるのを、「危ない!」と慌ててレイが手を伸ばす。
私とレイは、もつれ合うように地面に転がった。
思いっきり頭をぶつけたかと思ったが、レイの手が私の頭を守ってくれていたため、私の頭とレイの手の間が地面と少しだけ鈍い音を立てたくらいで済んだ。
しかし、転倒の際に蹴飛ばしてしまったのか、詰みあがった野菜かごが上から振ってきた。
どさどさ、どすん、と落下する籠は、レイの背中や頭に容赦なくぶつかった。
その下の私には振ってこなかったが、それはおそらく彼が庇ってくれていたからだろう。
これ以上落ちるものがないかを警戒するかのように、私を抱きしめたレイはしばらく動かなかった。
少ししてやっと彼は少し身を起こした。
埃がキラキラと倉庫の中を舞っている。
綺麗な青い瞳が心配そうに私を見つめた。
「……怪我はない? アリーサ」
「う、うん……ごめんなさい」
「別に謝ることはないよ。どちらかというと、こんなところで揉みあった僕が悪かった。でも今後は野菜籠の詰み方をもう何段か減らした方がいいね」
はあ、とため息をはくレイだが、私は転がった状態のまま、まじまじと彼を見ていた。
それに気づいた彼は眉を上げる。
「何? どうかした、アリーサ」
「うん、そうね。ふふ。どうかは、したわ」
私は少し頭を上げてレイの手が頭の下から外れるのを待って、口元を「ふふふ」と覆った。
「どうかって、どこか痛めた? いや、笑っているから違うよね。何?」
「レイ、……耳が真っ赤よ」
「!!」
ぱっと彼は立ち上がった。
薄暗い食料庫の中だったので、ここまで近寄るまで気づかなかったが、レイの耳が赤かった。
どうやらあの手紙は、ひどく彼の羞恥心をそそったらしい。
申し訳ないことをしたと思いながらも、笑いが隠しきれない。
だから後ろを向くように言ってたのか。
レイは片手で自分の顔を覆った。
私はくすくすと笑った。
「ふふ、手紙を読むのがそんなに恥ずかしかったのね。悪かったわレイ」
「君ね、アリーサ。僕を辱めるのがそんなに楽しいの」
「そんなことないわ、ごめんなさい。お詫びに謹んで進呈するわ」
笑いを含んだ声ながらも、私はどうにか笑いを納めて身を起こすと、ポケットからレイの手紙を出した。
正直ちょっと惜しいのだけれども、それ以上に珍しい彼の表情を見て、満足してしまったのだ。
薄暗い食料庫の中。私は座ったまま彼に手紙を差し出した。
レイは黙ったまま、片膝をついて、左手で私の手紙を受け取る。
まだ耳は赤いのだろうかと彼の顔を見ようとすると、じっと彼は私を見ていた。
レイの真剣な瞳に、私の心臓がドキンと跳ねた。
何も言わずに彼が私を見ているので、私もまた彼を見つめ返していた。
彼の顔が、とても近い。
レイの赤みがかかった栗色の髪の毛は、とても綺麗だ。
触れるとさらさらでとても好きなのだが、最近はあまり触れさせてくれない。レイの頭を撫でようとすると嫌がるのだ。
ヴィオレットのおばさま譲りの整った顔立ちは、前よりだいぶ精悍になった。
青い綺麗な目は食料庫に差し込むかすかな明かりを反射して、深い紺色のように見える。
形の良い彼の唇が少し笑みの形に上がって、そして彼は口を開く。
静かな食料庫で、囁くような彼の声は、しっかりと私の耳に届いた。
「――アリーサ。君はとても可愛いと、僕は思う」
「!!??」
突然の言葉に、私は目を見開いた。
あまりの驚きに口が開いて、何かを言おうとして、でも何も言えずに私は口を閉じた。
あんなに嫌がっていたというのに、いったいどうしたことだ。
彼はじっと私を見つめながら、空いた右手で私の頬に触れた。彼の親指はゆるりと頬を撫でて――耳に触れる。
そして彼は笑った。
「ほら、アリーサ。君だって耳が真っ赤だよ。耳どころか顔も真っ赤だよ」
「!!? レイ!!」
私の怒声にぱっと彼は立ち上がると、さっさと彼自身の手紙を懐に入れた。
やられた。何かに負けた気分で、私はレイを睨む。
「ずるいわレイ、そうやって人をからかうのは良くないわ」
「君も存分に僕をからかったじゃないか。それに僕はからかってはいるけど、ちゃんと本心だよ。9歳の頃ほど素直に言えなくなっているだけで」
「じゃあもう一回言って!」
「また今度ね」
彼は笑いながら食料庫を飛び出した。私も笑いながらそれを追いかける。
「今度なんて待てないわ。今言ってくれないなら、手紙をちょうだい」
「もう僕のだから駄目。じゃあ、君が僕に追いついたらね」
すでに身長も体力も負けている私は、追いかけっこで彼に勝てるはずもなく、残念ながら9歳のレイの手紙を手に入れることはできなかった。
しかし、長年行方不明だった彼からの手紙が見つかったことはとても嬉しいことだった。
午後にはお祝いにと私がアップルパイを焼き、何があったのかと尋ねる母やヴィオレットのおばさまに、私たちは顔を見合わせて笑うのだった。
その後も、穏やかに、日々は過ぎていった。




