第7話 後妻の再教育に乗り出す
「とりあえず頭は潰したぞ、グレンダ、グリフィス。ジェマにくっついていた他二名のメイドの再教育を頼む。あとはアーチデール男爵夫人の教育だな」
「ジェマの抜けた穴をどうしましょうか。マリアンデールお嬢様」
グレンダは頷いて私に尋ねる。
男爵と息子である兄への使いにもしたい――あえてメイドではなく下男を雇う……という考えもあるが、これから先の義母と義妹への対応を厳しくやってくれる人物も捨てがたい。
「ジェマを抜いて当面は現状の状態で回せないか?」
普通の男爵家ならば、多すぎるハウスメイドの数だが、アーチデール家の屋敷は広い。
「臨時雇いでならすぐにでも入るかと、あと、下男の一人が現在庭師の代わりを務めておりますが、彼を正式に庭師にするのはいかがでしょうか」
グリフィスは卒なく答える。
「アーチデール家に専属の庭師はいないのか?」
「以前はおりましたが、高齢で引退し、その代わり下男を雇い入れたのです」
「……その下男が入ってからいきなりその仕事を?」
「いえ、これも定期的に契約しているガーデナーの会社が当家に来た折に、手すさびで習熟していたようです」
「わかった。正式に庭師に回そう。下男が抜けるが大丈夫か?」
「当面それで回して、不都合がでてくるようでしたら、ご相談させていただければ」
「わかった」
グリフィスもグレンダもほっとした表情をしていた。
「どうした?」
「いえ、ようやくアーチデール家の奥向きが、回り始めた感じがして……」
グレンダの言葉に、あの義母はこういったことに無関心だったのかと改めて思う。
何が女主人だ。
やはりアーチデール男爵から家政の権限をもぎ取ったのは正解だ。
「あの男爵夫人に教育係をつけたいと思う」
若い令嬢ならガヴァネスをつけるところだが、そうはいかない。
「高位貴族の奥方との社交を見据えて、体裁を整えなければ。社交において好き勝手な発言をして顰蹙を買うのがあの男爵夫人だけならいいが、この家の評判を落とすのは許さない」
「フリードウッド伯爵夫人にそういった人物に心当たりがないか尋ねてみるのはいかがです?」
グリフィスが進言する。
「兄……いえ、フリードウッド伯爵夫妻がマリアンデール様には一度、お礼に伺いたいと」
「その際に相談に乗ってもらう形をとるか……だが、そこまでするとフリードウッド伯爵家に足を向けられないな」
あまり一つの家と繋がりが強まるのは……これが婚姻なら問題はないが、アーチデール家は商売の家だから、融通を利かせろと無理難題がでてこないとも限らない。
だが、あの女――男爵夫人に家庭教師(マナー講師)をつけたい。
「グレンダが男爵夫人にいろいろ教えてくれたら助かるんだが……」
元伯爵令嬢の侍女だったグレンダならば、所作もマナーも会話の運びも、高位貴族の前に出ても問題がないが……現状ハウスメイドを一人抜いた状態。
グレンダ自身もあの女が男爵夫人になってからは家事の方に仕事をシフトしているし……。
私に記憶はないが、自分が仕えていたご令嬢の忘れ形見である私への対応を知っているだけに業腹だろう。
「畏まりました。男爵夫人付きのメイド、ジェマが行っていた男爵夫人の身の回りの世話を私がするとともに、足りない部分の指摘を行えばよろしいでしょうか」
「やってくれるのか?」
「マリアンデール様がお望みならば」
「助かる。すまない。グレンダ、ありがとう」
となると――……やはりメイドを一名増やすべきか。
グレンダの負担が大きすぎる。
「メイドを一人増やそう。グリフィス手配しろ」
「Yes, My Lady」
「そろそろ復学もしなければな……。私が学院に行っている間、グリフィスとグレンダに頑張ってもらうことになるが、よろしく頼む」
「マリアンデールお嬢様……あまりご無理は……」
「これぐらいたいしたことはない。頭痛は時々するが、吐気はなくなった。見た目は仕方ない。さて、私が留守の時でも勉学に励んでもらうように、男爵夫人のご機嫌伺いをするか」
グレンダの心配は嬉しいが、さっさと行動に移さないとな。
「なんですって⁉ ジェマを外に出したって⁉ マリアンデール! お前は何様のつもりでっ!」
男爵夫人の部屋に入り、腹心のメイドを外に出した旨を告げると、男爵夫人はいきり立ってそう叫ぶが、途中で黙った。
何故ならグリフィスが私に短鞭を渡したからだ。
ジェマの前でやったように、私は短鞭を弄びながら首を傾げる。
「何する気よ、その鞭!」
男爵夫人が、動き出そうとした瞬間、パシィッとソファに鞭を当て、今度は私から近づくと、男爵夫人は後ずさる。
ソファーの布が裂けたか……まあいい、この成金で趣味の悪いインテリアをアーチデール男爵夫人の私室らしいインテリアに替えるのもいいだろう。
グレンダに教育してもらって、アーチデール男爵と仲睦まじく家具を選ぶといい。
「何様のつもり……? それはもちろん、アーチデール男爵令嬢のつもりだ。さて、これまでの記憶がさっぱりないので、貴女のことは男爵夫人と呼ばせてもらう。ジェマを外したことで、男爵夫人に不都合があってはならない。よって、家政婦長を男爵夫人につけることにした」
「なんですって⁉」
「家政婦長グレンダは元伯爵家に仕えた貴族の出自、男爵夫人が今まで行っていたお遊びの社交では、このアーチデール家の為にはならないからな。きっと男爵夫人も忘れているだろうから、まずは、我がアーチデール家と取引のある高位貴族を覚えてもらう。手始めに茶会からでいいだろう。招待状を厳選するので、出席するように。中途半端にやるとまた「成金の男爵夫人が」と嘲笑されるから、そこは入念に下調べとマナーのおさらいだ。男爵夫人になってから調子に乗ってかつての自分を忘れたようだから、思い出させてやろう」
「あの人に言いつけてやる!」
そう叫ぶ男爵夫人の前で今一度、短鞭を一振りした。
ヒュンと音がして、再びソファーの布張りが裂け目の前の女は硬直する。
「無駄だ。正式な書面にて、このアーチデール家の奥向きは私が一任されている。男爵夫人の再教育も含めてな」
「あんた……ほんとうに……あのマリアンデールなの?」
「お前の娘が階段から突き落として、記憶を失ったが、間違いなく今はなきブラックウェル伯爵家の血を引くアーチデール男爵令嬢だ。さて、男爵夫人。平民出で紳士クラブの女給を勤めるまで苦労もしてきた。そしてとうとう、男爵夫人に納まった。その手腕は見事だ。脱帽する。貴女の娘には無理だろう苦労をやってのけた。今一度、その手腕を振るわずしてどうする? 今の状態が居心地いいから、面倒くさいことはしたくないか?」
「当り前じゃない!」
「じゃあそこまでだな。これからの男爵夫人の社交によって、アーチデール男爵家が更に発展させ、お前の自慢の娘を子爵夫人、いいや……場合によっては伯爵夫人にしたくはないのか? 子供はどうでもよくて自分だけがいいというならば、この男爵夫人のままだな。頑張り次第でこの家を子爵家に上げるそういう野心はもうないか」
「……あんた……そんな……」
傷のついていないソファに男爵夫人を座らせ、短鞭をグリフィスに返して、トントンと、男爵夫人の肩を叩く。
「普通の女にはできないことを、貴女はすでにやってのけた。面倒くさいと思いながら、その先の未来が輝かしいものであると信じていただろう? 人生往々にしてそうだ。面倒くさいことをやったその先に、自分にとって価値あるものを手にできる」
優しく低く囁く。自尊心をくすぐるように。
「アーチデール家は、元は商人の家。今は男爵だが、ここも三代前なら平民だった。それは曾祖父、祖父、そして父の力でなしえたが、当然陰で支えたのは曾祖母だし祖母、そして父を支えるのは、私の母がいない今、ジャネット・ヴィ・アーチデール。貴女しかいない」
娘そっくりの翡翠色の瞳で、男爵夫人は私を見つめた。




