第4話 使えない執事を追い出す
「お前もお前の母親も、このアーチデール男爵家の者だという自覚も矜持も持ち得ていないからだ。記憶を失ったが、それだけははっきりとわかる」
従僕にこのアーチデール家について聞き取りをしていたら、後妻が殴り込みをかけてきて返り討ちにすると、後妻の連れ子がキャンキャン喚くのでその顎を掴んだ。
「わたしの記憶は失われた。自分が何者なのか、この世界がなんなのか、慌ててガヴァネスに頼み、知識を補完してもなお、圧倒的な孤独と焦燥感は埋まることはない。お前が私を階段から突き落としたからだと聞いている」
「し、知らないわっ! あ、あんたが勝手に落ちたのよ!」
私の手を弾いてそう喚く小娘の顎を再び掴んで、手にギリギリと力を加える。
小娘の唇がみっともなくむにゅっと突き出されて、笑いを誘う。
その様子に、わたしは酷薄な笑みを浮かべた。
「そうか。だが安心しろ、そこには拘らない。もうどうでもいい。記憶がないからな。気にしない。だが、これからは違うぞ。お前は、あの女の娘、平民の娘らしいが、このアーチデール家の養女となった。お前達母娘はわたしにマウントをとって、排除を目論んでいるだろうが、そうはいかない。私はこれまでの人生全てをこの家で失くしたのだ。この家の全てを手に入れずして、どうして生きられよう。お前達親子はこの家のものになった。間違えるなよ、この家はお前達親子のものじゃない。お前達親子がこの家の付属物になったんだ。せいぜいこの家に尽くしてもらう。その覚悟をしろ」
青みがかった鋼色の瞳で小娘を睨みつけてそう言うと、小娘は目を見開き、綺麗な翡翠のような瞳から涙を溜めて震えはじめた。
義母は私の言った言葉を理解し始めているようだ。
そうだ、よく考えろ。
このアーチデール家の爵位は低いが、高位貴族でさえも、その資産に頭を下げる。
貴族だけではない。この国が、この家を必要としていることを。
「アーチデール男爵夫人と、その娘を部屋に送れ。私がいいと言うまで部屋から出すなよ? 先ほど言ったが、今すぐにでも使用人に対しての聞き取りを行う。こういった奥向きは、女主人が取り仕切るが、どこをどう見てもなっていないからな。現状より私が執り行う」
わたしの部屋に駆け付けた家政婦長とメイド達、そしてあわあわと慌てふためくような表情丸出しの執事を睨みつける。
「返事はっ⁉」
ひときわ大きな声で、しかも掠れることも割れることもない声で使用人達に言い放つと、皆一斉に「はい!!」と返事を返す。
その中で凛としたカーテシーをしたのは家政婦長。恭しい貴族の一礼をしたのは先ほど同様「御意」と返事をしたのはグリフィスだ。
うん、この二人に、使用人達への再教育を手伝わせよう。
「マリアンデールお嬢様。お茶を淹れてきました~」
緊迫感に包まれた部屋の外から、アンの声が聞こえる。
いいタイミングだ。やっぱりできる子だな。
朝から詰め込み式でガヴァネスに教えを受けて、あの女と小娘相手に大立ち回りして疲れたところだ。
しかもサーブワゴンにはちゃんとティーセットが4客。
これから執事と従僕と家政婦長を交えて、この家の使用人達の聞き取りを開始するとわかっている。
記憶を失ったが、アンが側付きのメイドだったのはよかった。
さりげなく場を和ませて気が利くところは正直助かる。
この配属は誰が考えたのだろう?
女の使用人の差配はトップである家政婦長の仕事だから、やはりグレンダかな?
「さて、とりあえず、お茶にしようか」
私がそう言うと、アンは「はーい」と無邪気にテーブルに4客のティーセットを用意し、小ぶりの菓子を載せたケーキスタンドを中央にセットする。
このティーセットもケーキスタンドも、比較する現物が思い出せないから、わからないが、想像するに、意匠も凝っていていいものだ。
私は執事と従僕と家政婦長に座るように勧める。
「グレンダは、私の実母の実家からこのアーチデール家に来たと聞いた。母のことを少し尋ねたい。いや、人柄とか思い出とかではない。この家において、女主人として、どうだったかということだ」
家政婦長グレンダは痛ましそうに私を見る。
「はい、奥様は元伯爵家の出自でしたが、お身体も弱く社交にはお出になりませんでした」
「元伯爵家というからには、爵位の返還でもしたか? 実家は火の車で泣く泣くこのアーチデールに嫁いできたということか?」
「泣く泣くといいますか……何も知らずと言った方がよろしいかと」
「ふむ」
そういうバックボーンは今どうでもいい。
「しかしながら、夫婦仲は悪くはございませんでした。奥様はお身体が弱くてお嬢様が二歳の頃に亡くなられています」
「ということであまり社交には出ていなかったということか。そこはあの女に有利だな」
「マリアンデールお嬢様、本当にあの女をこの家の女主人にするつもりですか?」
どうやら不満の様子だな、安心しろ。
「肩書をくれてやるだけだ。権限は渡さない。せいぜいこの家の為に働いてもらおう。だが、その肩書をくれてやるにも、あまりにも足りていないのは、グレンダならわかるだろう?」
偏った社交に散財と火遊び、まったく、いつどこで足元を掬われるかわかっていない。
幸か不幸かその火遊びをしかける相手がそこのグリフィスで、外部にもれていないのは助かる。
いやまてよ。
あの女の詳しい出自を知らない。
そして今まで、何をしていたのか知らない。
自分の記憶もないのだから、仕方ないな。
知っておくべきだろう。これからあの女はこの国で五指に入る資産家の令夫人らしく仕立て直すのだから。
「あの女の出自について、詳しいことは? セバスチャンは知っているか?」
「はあ、旦那様のよく通われる紳士クラブの女給だったのは存じ上げておりますが」
「親は? 祖父母は? どんな財政状況で、どんな伝手を使って紳士クラブの女給になったか。あの小娘の父親とどういう関係でどう収束したのか、あとここの後妻になってからの行動すべてを調べろ」
「……わたしがでございますか?」
お前、首だな。
「グリフィス、頼めるか?」
「Yes, My Lady」
今度は(我が主)ときたか。
いいだろうグリフィス。
お前をこのアーチデール家の執事に取り立ててやる。
「頼む。それとセバスチャン、お前には暇を出そう」
「は⁉」
「安心しろ、退職金は用意してやるし、紹介状も用意しよう。よかったな、退職金が入る状態でこの家を出ることができるぞ?」
今回はたまたま私がこういう事故にあったが、父が事故にあって記憶を失って出先で行方不明になったら目もあてられない。
今ならば、退職金に、資産家アーチデールの執事をしていたという紹介状もつけてやるんだ。まだまだ幸せだろう?
「困ります!」
セバスチャンの言に、わたしは即座に言い返した。
「困っているのはこっちだ! 使えない使用人なんてなんの役にも立たない。そこに払う金はこのアーチデール家から出ているんだ! 執事の地位にありながら、この家の使用人にも主にあたる人物にも目を配らず、今まで何をしていた!! 私がこうなったのも、お前が主人である家の者に目を配らなかったせいだろうが! お前の自業自得だろう!」
「そ……それは……」
「もし記憶を失ったのがアーチデール男爵だった場合を想像してみろ。今なら、何もかも用意してやれる。もう少し、お前の身の丈に合う家に勤めていくのもいいのではないのか? それでもこの家に尽くすというならば、私の言葉は絶対だと心しろ!!」
「この!」
セバスチャンが立ち上がり、ティーセットとケーキスタンドが置かれたローテーブルを踏みつけてわたしに殴りかかろうとするところを、グリフィスが取り押さえ、控えていたアンが下男を呼びつけた。
執事とはいえ使用人が貴族に対して暴力を振るうなど、この国で許されない罪だ。
雇用主と使用人には絶対的な差がある。執事は出自も平民とはいえず、上流階級での知識や教養を必要とされる。
だが雇用主と執事は同等ではないのだ。
絶対的な従属を求められる。
今、私がこの執事に対して行った言動は、ベテランならば、受け流す、諭すことをするだろう。
しかしこいつは、歯向かった。
頭に血を上らせて主家の娘に対して、暴言と暴行未遂は許されるものではない。
「下男に縛り上げた執事を見張らせ、御者に憲兵を呼ぶように伝えろ! この騒ぎで夫人と小娘が部屋から出ようものなら、押し込めろ! 憲兵がくるまでグリフィスが主導で、残りのメイドと小姓を使って、この執事の部屋を検めろ、怪しい事象があれば報告を」
「恐れながら、マリアンデール様、捕縛しているとはいえ、下男とグレンダ様だけでこの場を離れるのは危険かと」
「……そうか、では部屋の検めはグレンダに任す! 怪しい事象があればここにいる私とグリフィスに報告を!」
そう指示を出すと、グレンダはすぐさま動く。
執事のくせに、主家の当主より肥え太りよってからに。
何を溜め込んでるか暴いてやる。
執事の部屋からとある宝石が発見された。
それは前アーチデール男爵夫人のパリュールだった。
私の母の形見の品、ブラックウェル伯爵家の遺産の一つだ。
記憶がないが、私が持っていたものを現男爵夫人に取り上げられた品らしい。
「どういうことです⁉」
グレンダは怒りのあまりに執事に詰問する声が震えていた。
アンが後で教えてくれたが、男爵夫人がこのパリュールを取り上げた時も、沈黙していたが、怒りで震えていたそうだ。
前男爵夫人の形見は私にあるべきものと、グレンダは思っていたのだろう。
「グリフィス、こいつを殴ると手が痛くなる。何かないか?」
私がそう告げると、グリフィスは短鞭を私に差し出す。
私は憲兵が来るまで、元執事を遠慮なく短鞭で打擲した。
「手癖の悪い男が、アーチデール男爵家の執事だと⁉ ふざけるな!!」




