第3話 とりあえず義母からわからすことにした
「マリアンデール!」
私はドアを開けた人物を見る。
義母だった。
まあ人の部屋を訪れるのにノックをしない時点で、義母か義妹かどちらかだろうとは思ったが、義母だ。
「やりなおし。ノックしてから入室を」
私がそう言うと、そこそこな美貌を持つ義母は「はあ⁉」と声を上げて、つかつかと私の方に歩み寄り、腕を振り上げる。
「記憶を無くしてるからって、大目に見ていれば――!」
貴族のご令嬢だったらその動作も少し緩いものだろうが、さすがそこは平民上がり。
振り上げて掌を私の頬に張るまでの時間が速い。
バシンと頬を打擲されるが、わたしはソファに倒れこまずに立ち上がり、お返しとばかりに義母の頬を叩き返したうえ、髪を引っ掴む。
「喧しい! だから家政婦長に平民上がりがと舐められるんだ。マナーを叩き込まないといけないのは、あのキャンキャン吠える娘からではなく、お前からだな!!」
私は義母を睨み据える。
まさかいままで好きなように虐めていた娘が、力任せの反抗をしてくるとは夢にも思わなかったに違いない。
アンが言っていたような、大人しく地味で言いたいことも言わずに我慢をしているような娘が、よもや速攻で反撃を繰り出すとは思いもしなかっただろう。
だけど、私はこれまでの、私とは違うのだ。
「何を大目に見ていたのかは知らないが――……記憶を無くす以前の私も、お前達母娘を大目にみていたと思うぞ? マナーのなさを指摘していないとは……グリフィス!」
わたしが呼びかけるとグリフィスは素早く立ち上がる。
「家政婦長を呼べ!」
「御意!」
『御意』ときたか、さすが元伯爵家子息。
グリフィスに使用人達のマナーを叩き込ませるように言い渡すか。
伯爵家三男だった彼ならば、伯爵家相当の使用人のレベルを知っている。
このアーチデール男爵家使用人が、普通の男爵家の使用人としてはまあ普通レベルでは問題だ。
今はこんなに使用人が多くいるけど、いつ何がどうなって、没落するとも限らない。
その時になって困るのは私だけではなく、使用人も同様なのだ。
こんなことを考えるのは、何もかも、今までの記憶がないからだ。
自分のことがわからない寄る辺ない気持ち。
そんな状態は怖い。怖くて泣き出したかった。実際一人で寝ている時に泣いた。
だが泣いていてもどうにもならない。
自分でなんとかするしかないのだ。
私は義母を睨み据える。
この女もわかっていない。
平民から金持ち貴族の後妻に納まった。めでたしめでたしではないのだ。
グリフィスに聞いたところによると、大した社交もしてないようではないか。
大方「成金の後妻」とか揶揄されて、プライドの高さから社交もおざなりになって、継子虐めで鬱憤を晴らすという小さいことで満足を覚えていたのだろう。
なっていない!
アーチデール男爵家、新参貴族と言われようとも、商売の広さは国随一だ。
そこの後妻だ。
お前が、アーチデール男爵家の商売の広告塔にならないで誰がなるというんだ!
「まずはノックののち、室内にいる者が答えた時点で、ドアを開ける。最初からだ」
「お前――わたしはこの家の女主人よ!」
ヒステリックに叫ぶ後妻に向かって、私も負けじと声を張る。
「笑わせるな! 何が女主人だ? 女主人に見えないから舐められているのがわかっていないようだな! 社交も大してしないで、我が子可愛いで継子虐めかっ! おまけに使用人に手を出すとかふざけるな! いいか、私は記憶を無くした。お前の娘のせいでな! 生まれてから今までの全てをだ! 人生において、そんなことが起きるなんてきっと思いもしなかっただろう! だがこれは現実だ! お前は平民から男爵家の後妻に納まり小さい贅沢――美食と服飾と若い男との火遊びで満足しているかもしれない。それこそお前の娘がお気に入りの絵小説のように、お金持ちの男と一緒になってめでたしめでたしで人生終わりだと思っているのか? そこで終わりじゃなく、その後とんでもない没落の未来がないなんて、保証があるのか⁉ お前に野心は無いのかっ⁉ あるはずだ! そうだろう⁉ 平民女が貴族の後妻――それでおしまい、そこで満足、そんな小さいことでいいのかっ!! 違うだろう!」
そう一気に言い放ち、後妻の髪を引き掴んだまま私は彼女を睨み据えた。
「お前が後妻に納まったこの家は――男爵家だが、ブリタリウス王国指折りの資産家。建国より由緒正しい貴族家も、アーチデールが取り扱う品は金に糸目をつけずに買い求める。従僕に聞いたが、自分を持ち上げる新興の準貴族や同じ爵位の貴族家のご婦人を集めた社交で満足している場合じゃない! 自覚しろ!」
そこまで言ったところで、開け放したドアから使用人達と小娘が入ってくる。
「お嬢様!」
「何をするの⁉ マリアンデール! お母様に手をあげるなんて!」
わたしは青みがかった鋼色の瞳をキャンキャン喚く小娘に向ける。
「おい小娘、誰が呼び捨てにしていいと言った?」
唸るように低く呟くと小娘はメイド達の陰に隠れた。
これまでの私がどうだか知らないが、今の私にお前のような小娘が勝てると思うなよ?
こっちは何もかもお前のせいで失った。
黙って引っ込んでいろ。
この女の次はお前だからな!
「そこまででございます、マリアンデール様」
さすがにこの力任せの暴挙を目の前にして、家政婦長は諫めに入るか。
しかし私は彼女に呼びかける。
「家政婦長!」
「はい」
「すまない、記憶がない。家政婦長の名前は?」
「グレンダ・バーナーズと申します」
私の家庭教師をしたガヴァネスのホイットラー夫人よりも、貴族らしい雰囲気だ。
やはり貴族の出に違いない。
「私の実母に付き従い、この家に入ったと聞いている。グリフィス、この女を取り押さえろ」
グリフィスは小姓二人にも手伝わせて、義母を取り押さえさせた。
さっきの説教がきいたのか、義母はわたしを呆然としてみているだけだ。
「マリアンデールお嬢様、そのもの言いは、押し込み強盗のそれかと」
家政婦長のグレンダの呆れが滲む言葉に、私は自然と口角を上げた。
「記憶がないのだ。許せ。執事とグリフィス、グレンダ、使用人に対しての聞き取りをこの後行う。私の記憶がないのだからそこを補完するためと思ってくれ。それとこの女をアーチデール男爵家女主人として相応しいマナーと常識、高位貴族に対応しても瑕疵がない貴婦人に仕立て上げるぞ、協力してほしい」
そう宣言するように言い放つ。
「あとそこのメイドの陰に隠れている小娘お前もだ! どうやら私よりも自分の容姿が自慢のようだ。だが足りない。お前にも再教育を施すから覚悟しろ、それが嫌ならば、出ていけ」
「なんで私があんたの言うこときかなきゃならないのよ!」
小娘がメイドの陰から飛び出してそう喚く。
わたしはツカツカと小娘の前に進み出て、小娘の顎を片手で鷲掴みにした。
「お前もお前の母親も、このアーチデール男爵家の者だという自覚も矜持も持ち得ていないからだ。記憶を失ったが、それだけははっきりとわかる」




