閑話 変わりすぎた妹(オリバー視点)
「邪魔なものを、阻むものを、すべて排除する単純な方法があるだろう?」
目の前にいるのは、紅茶色の髪に青みがかった鋼色の瞳を持つ、実妹のマリアンデール。
数か月前に事故で記憶を失った僕の実妹。
無事に学生生活に復帰して、卒業間近になったある日、従僕――いや、執事になったグリフィスを従えて僕の研究室にやってきた。
こんな娘じゃなかった。
僕の白衣の襟首を引き掴んで、こんな物騒な発言をするような妹じゃなかった。
彼女は怒っているのだ。
いや、ずっと、怒っていた。
記憶を失ってからだけではなく、多分記憶を失う前も――。
年の離れた妹をどう扱っていいかわからなくて、後妻が家に来た時は最悪で、家にいたくなかったから、この研究室に僕は逃げた。
でも、マリアンデールは逃げられなかった。
あの後妻と義妹がやってきて、嫌な思いは何度もしただろうに、だけど僕にも父にも何も言わず。何も主張しなかったから、どんなに家に居づらい日々を送っているかなんて、想像もしなかった。
気が付いたのは、マリアンデールが義妹によって階段から突き落とされて意識不明の重体になったと耳にした時だ。
他所から入ってきたしかも平民の女と子供に、貴族のご令嬢の間で流行っている絵小説みたいな虐めを受けていたのかと。
階段から落とされるなんて尋常じゃない。
そんな状態の家にずっといたのかと驚いて、駆け付けたら……意識の戻ったマリアンデールは変わっていた。
生意気な口を利く義妹に向かって嘔吐し「なってない家だな」とその青みがかった鋼色の瞳で僕達を一瞥。
マリアンデールには、僕も父も義母も義妹も記憶になく。
以前のように大人しく優しく微笑む妹ではなかった。
その姿は妹のはずなのに……。
彼女ではない何者かが、そこにいた。
執事を解雇して従僕だったグリフィスを筆頭執事に据えて、後妻にくっついてきた生意気なメイドをどこかへ追い出し、後妻を懐柔し、義妹も懐柔したという。
何をしたらそんなことになるのか。
そんな妹が、学院卒業後の進路について相談とか。
普通は結婚するだろうと言ったら、キレられた。
「記憶を失った女が結婚などできるはずがない。研究者なのに想像力が足りないな。いつ記憶が戻るかわからないのに結婚か。アーチデール男爵家から嫁に出して初夜の真っ最中に記憶を取り戻したり、子供ができて何年も後になって、十五、十六の記憶が戻ったらどうするつもりだ?」
記憶を失っているマリアンデールを他家へ嫁がせることはできないと、彼女自身の口から説明をされてぎょっとした。
そんなあからさまなことを言う妹ではなかった。
確かに考えなしで答えた僕が悪かった。
でも、彼女が一番訴えたかったのは――アーチデール男爵の継承権を自分によこせというものかもしれない。
「戻りたくない? 研究を続けたい? だが、お前の研究費用はアカデミーの研究費では足りず、実家のアーチデール家から出ている。後を継がなければ研究費は手に入れられないだろう。だが後を継げば研究する時間がとれなくなる。そこで――私も、『お兄様』も、やりたいことを今の立場を維持できる方法を思いついた」
僕は男爵の地位につくだろうけど、実権は自分によこせといってきた。
「この方法に、私の意向に賛同したら、寒冷地に実験場を確保してやる」
一介の学生である彼女にそんなことが可能なのかといぶかしんだが、これは正真正銘、マリアンデールが学院で作った伝手だ。
父のコネではない。
あろうことか、マリアンデールはシーグローヴ公爵家令嬢と懇意にしているという。
僕だって学院で高位貴族の友人を得たけど、公爵家の人間なんて、そんな伝手はできなかった。でも妹はそれをやってのけた。
大親友だとか。
恐ろしい……。どうやったんだ。
僕は翌日、父を訪ねた。
相変わらず王都内を飛び回っているが、商会の執務室を張っていたら姿を現した。
なんか……若い後妻をもらったからって、ちょっと洒落っ気がでたのかもしれない。
そこを指摘することなく、マリアンデールが研究室に進路の相談にやってきたことを告げると、父は少しばつが悪そうな顔をしていた。
そりゃそうだ。
父と僕は似た者同士だ。
マリアンデールの指摘どおり、家にいつかないのだから。
父なんか、記憶を失ってからのマリアンデールに家政を一任すると書面にて正式なものにしている。
それをよくあの後妻が承知したものだと思う。
「どうした、珍しいな」
「父さん……マリアンデールの進路について相談されたけど、父さんはどう考えてるの?」
「マリアンデールが、お前に?」
多分彼女は、僕から後継者の件を納得させた方が早いと思って、相談したはずだ。
だから父には相談していない。
「あの子はアーチデール男爵の地位を望んでいる」
父は葉巻に火をつける。
溜息のように紫煙を吐き出した。
「あの子には悪いと思ってる。今まで何もしなかったし、あの事故で一命をとりとめてから、いままでの記憶も失ってしまった。大事にしてたお前の母さんの形見にも執着しない」
ああ、ブラックウェル伯爵家の遺産のピジョンブラッドのパリュール……。
マリアンデールの紅茶色の髪によく似合うはずだ。
「それがあの子の望みなら叶えてやりたい」
「そうして欲しい。僕は、アーチデールの商売を引き継ぐなんて無理だから」
「お前はそれでいいのか?」
「いいよ。僕は研究ができればそれでいいんだ……あの子はあんなに苛烈な性格になったけど、話を聞く限り、一貫してるんだ。家を守るってこと。きっとね、きっと、記憶を失う前もそうだったんじゃないかなって、なんとなく、思うんだよ」
僕がそう言うと、父はもう一度葉巻を口に咥えたのだった。




