第2話 従僕から話を聞くことにした
我がアーチデール男爵家はブリタリウス王国から、男爵の爵位を戴いている。
三代続いた商売人の家ではあるが、祖父がしこたま事業拡大して、これが大成功に。
国もこんなに稼ぐなら、いっそ貴族の爵位を与えて税金をとってやろうということか。
祖父の代で商爵となり父の代で男爵になった。
父である現アーチデール男爵は祖父に倣って仕事に邁進している。
ギスギスした家庭環境が嫌でアカデミーに逃げ込んだ跡取り息子にも、記憶喪失になった娘にも、後妻となった女にも、その女の連れ子にもたまに顔を出して機嫌を取る程度。
そうでなければ稼げないのか、ただただ商売が楽しいのか。多分後者だろう。
そんな状況なので、建国より名のある高位貴族やそれの寄り子の貴族家からは、「薄汚い禿鷹め、しょせんは成金だ」と揶揄されるようだが、言われるだけはある。
アーチデール家の資産は、下手な貧乏貴族では足元にも及ばない。
「成金め」の揶揄は、爵位はあるが金はない……貴族家の負け犬の遠吠えだ。
気にすることは何もない。
これが貧乏男爵家なら、更にこき下ろされていただろうと私は見ている。
爵位が低くとも、金があることはいいことだ。
うちには普通の男爵家よりも使用人の数が多いのがその証拠。
男爵家の使用人の人数なんてたかがしれている。ひどいところになると執事が一人で、従僕や下男、御者まで一手に引き受けるところもあるという。
アーチデール家の使用人は兄や私の乳母だった女性が現在家政婦長になっている。
我が家の使用人の人数。
家政婦長一名、ハウスメイド五名にランドリーメイドとキッチンメイドが五名ずつ。
執事が一名、従僕が一名、小姓が二名、下男が五名に御者が二名と料理長が一名だ。
この人数を雇える男爵家は珍しい方だと家庭教師のホイッスラー夫人が述べていた。
だが、父親の事業が傾けば、今の生活は維持できない。
長期的に現状維持を目指すならば、他所から入ってきた一番金がかかるだろう二名、後妻と連れ子を教育しなければ。
しかしその前に、わたしには一切以前の記憶がないので、この家を俯瞰的に見られる人物、アンが勧めた従僕であるフリードウッド氏を呼び出した。
極めて冷静にこの家の現状を語ることができる人物が私には必要だ。
◇◇◇
「マリアンデールお嬢様、お呼びと伺いました」
「うむ、忙しいところすまない。かけてくれ」
わたしがソファに座るよう促すと、彼ははっとしたように目を見開いた。
その従僕の顔をまじまじと見返したが、伯爵家の三男坊というだけあって、プラチナブロンドに、菫青石の瞳、社交界の夜会に出れば、ご令嬢達ハートを狙い撃ちできるだろう容姿。
それがどうしてこの男爵家の従僕になった?
彼ならばどこぞの貴族家、実家と同等の伯爵家や、一つ上の侯爵家の婿にと引く手数多ではなかったのでは?
「聞き及んでいるだろうが、私には以前の記憶がなくて、どうにも心許ないのだ。そこで、このアンが言うにはフリードウッド氏がこの家を冷静に見ていると聞いてね。いろいろこの家のことを尋ねたいのだよ」
「お嬢様、私のことはグリフィスとお呼び下さい」
「わかった。グリフィス。尋ねたいことはいろいろあるが、初対面に等しいから、敢えて尋ねる。なぜグリフィスはこのアーチデール家の従僕になった?」
「旦那様が提示された給料が文官の初任給よりもよかったのです――。わたしをまるで商品のように扱う実家に嫌気がさしたのもありました」
あ、うん。なるほど。
高位貴族でも金がないところはないからな。
金の為なら娘に限らず、息子を他家に縁付かせるのは当たり前。三男坊なんかいい駒だと思われていたのかもしれない。
しかし、彼の矜持がそれを許さなかったか。
「深いことを聞いてすまない。で、尋ねたいのは私の家の使用人達はどうだ? 忌憚なく発言してほしい」
「普通……かと」
「普通か」
「男爵家の使用人数にしては多いですが、質的には男爵家相当だと思われます」
「なるほど」
質的には男爵家相当。
つまりはそこそこか……これはやはり再教育が必要だな。
「あと、使用人の数があるせいか、派閥がありますね」
「そこを詳しく」
グリフィスが語るのは義母派と、家政婦長派に分かれているという。
義母はなるだけ自分の言うことをきくメイドを側に置き、家政婦長とはあまり関係はよくないようだ。
家政婦長は亡くなった母についてきたメイドであるらしい。
亡くなった母はやはり貴族家の娘だったのだが、お家の経済事情がよろしくなくて、商爵の息子だった父に嫁いできた。その母にくっついてこの家のメイドとなった家政婦長は最低でも男爵家の出自の貴族かもしれない。
義母は元平民で、安酒場ではないものの、準貴族達が通う酒場の女給で父と懇意になってこのアーチデール家の女主人に納まった。
仕える主が貴族と元平民では、家政婦長の方にも僅かながらも選民意識があるとみていいだろう。
そして義母も元平民、酒場の女給だったというコンプレックスが刺激されているに違いない。
そこで一番何もしらない私を貶めることで憂さ晴らしか。
家政婦長にもこの後一度、会って話をしなければ。
義母を女主人として認めていない使用人頭がいるなら派閥の派生は当然だ。
私は考える。
失った記憶はこれまでの人生の時間。
アンが語る義母や義妹のひどい仕打ちに覚えもなければ、亡くなった母との温かであっただろう記憶すらもない。
この自分の見た目、容姿を――自慢に思っていたのかそれとも劣等感を抱いていたのかもわからない。
貴族の学院にいて、どういう生活をしていたのか。
それが全部失われている。
失われたものを嘆いていても仕方がない。
失ったなら、それ以上のものを手に入れないで、どうする。
わたしはこの家の全部を手に入れて、失った記憶よりも豊かに生きる。
そのためには今まで以上に義母義妹に疎まれようが……いや、むしろ、利用するつもりだ。
私は自分の幸せだけを求めるなんて、けち臭いことはしない。
失ったからにはそれ以上を取り戻す。
「……グリフィス、私の義母についてはどういう印象だ?」
「仕える主家の奥方としては……いろいろと足りなく、問題があるかと」
奥歯にものが挟まったような物言いだな。
「つまらない散財が多く、社交も限定していて、その……」
「その?」
グリフィスは溜息をつく。
「寝室に呼び出されることも」
ポカンとしてグリフィスを見つめる。
「やったのか?」
私の質問にグリフィスは被せるように否定の声をあげた。
「お嬢様! 直截すぎます! なんとか理由をつけて断っております! 男爵家とはいえ貴族家のご令嬢のお言葉ではございません!」
『男爵家とはいえ』ときたか。元伯爵家の矜持が高そうだな。うん。やはり政略として売られる商品にはなりたくなかったのが今の一言でわかる。
しかしそうか……義母も若いからな……中年オヤジよりも見目良い若い従僕を侍らしたいのだろうが……。
そうか、そういうこともあるからアンが「執事も頭が上がらない」と言うわけか。
由緒正しい伯爵家の出自、アーチデール家の後妻だが、現在女主人のお気に入り。
父は外にいてなかなか帰宅しないとなると、この屋敷での地位では後妻がトップなのだから。
「なってない家だな。わかった。グリフィス。私はこのアーチデール家を男爵家とはいえ貴族家としてきちんとしたものにしたい。従業員だけではなく義母義妹にも――……」
と言いかけたところでノックもしないで部屋の扉が開かれた。




