決意する少女
それから幾日か経った後。
朝早くにローレルが部屋へ来て、叩き起こされた。
「行ってくる」
短くそう言われ、一気に覚醒する。
「えっ……」
「無事を願って待っていてくれ」
掛け布を飛ばしながら跳ね起きると、それだけ告げてローレルはもう行こうとした。
「待ってっ!」
その背中を慌てて追いかける。
「……なんだ」
「なんだじゃないって!」
寝起きだろうとなんだろうと構わずに、後ろから飛びつくように抱き着く。
「なんでそんな、いきなり……!」
「いきなりじゃない。前に言っていただろう」
お腹に回した手を、ポンポンと叩かれた。
「だからってこんな、突然今日……」
「一刻も早く決着をつける。そうすればおまえをこんな部屋に閉じ込めておく日々も終わりだ」
その言葉に固唾を呑んだ。
「もう少し我慢していてくれ。きっといい知らせを持って帰ってくるから」
振り返ってきたローレルは私の髪を耳にかけると、さらりと耳の外縁を撫でた。そのまましばらくの間、ローレルの新芽のような淡い緑の目がじっと見つめてくる。
やがてローレルは長い睫毛を伏せると、なにも言わずに部屋を出ていった。
用意された朝食を食べる気にもならず、それからぼんやりと窓の外を見上げていた。
「やっぱり一緒につれてってって言っとけばよかった……」
こんな私でもなにかの役ぐらいには立ったかもしれない。私のいないところで、ローレルになにかあったら。
「待つのは性に合わないよ」
遠い視線の先では、変わらずフィアロが庭仕事に勤しんでいる。どうやら彼は連れて行ってもらえなかったみたいだ。私の護衛役だからこそ、ここにいるしかなかったのだろう。
そのとき、窓際で項垂れる私の元にあの青い鳥が寄ってきた。
「……エマ。いるの?」
ややあって、浅黒い肌の見慣れた女性が現れる。
「リナリア。今日こそ一緒に来てもらうよ」
ぐいっと手を引っ張ろうとしたエマに、やめてと声をかける。
「私、ここにいなきゃ。ここでローレルの帰りを待たないと」
「ローレル?」
「その……ルィンランディア……」
拙い発音でローレルの本当の名前を伝えると、エマは合点がいったようだった。
「ルィンランディアは帰ってこない。ここで待つ意味はない」
「どういうこと?」
エマは有無を言わせずに私を抱き上げようとする。
「ねぇ、エマってば!」
「あーだから! ここで説明しているヒマはないんだってば!」
エマが潜めながらも声を荒げ、掴む力が強くなった。
「だって説明してくれないとわけがわかんないよ!」
エマの明るい瞳が顰められる。ぞっとするほど冷淡な声でエマは言い放った。
「ルィンランディアの謀反は失敗する。ここもじきにエクセリオンの手の者が来る。このままここにいたらリナリアの命も危ない」
憮然としているエマを愕然と見返す。
「なんで……」
「内通者がいるんだ。今日の謀反もエクセリオンに筒抜けだ。ルィンランディアは助からない」
そのとき、言い争いをしている私たちにフィアロが気づいた。
「貴様は……! この間の!」
フィアロが駆けつけてくると同時に、部屋の扉が開く。
「……」
そこにいたのは護衛の騎士、マイロスだった。
「行こう……! リナリア!」
マイロスの姿を見て、エマは焦ったように声を荒げた。エマの声に駆けつけてきたフィアロがマイロスに怒鳴る。
「例のハイレインの奴だ! 捕まえろ!」
ところがマイロスはフィアロの声を無視して、わたしに直接手をかけようとした。
「マイロス……?」
戸惑うフィアロを無視して、マイロスはさらにわたしを捕らえようと近づいてくる。それを間一髪で避けたエマは、わたしを抱え込んで翼を広げた。
「おい、おまえ! 今だけは黙って聞け!」
エマは戸惑って立ち竦むフィアロに怒鳴った。
「リナリアの命が惜しければ、ここはあたしに任せな!」
「どういうことだ……!」
エマはわたしを両腕で抱えると、空中に浮き上がった。
「アホか! 見たらわかるだろ!」
マイロスの焦りに鬼気迫った顔を見て、フィアロはすべてを伝えずともなにかを悟ったようだ。
「……リナリア様になにかあってみろ、地の果てを越えても探し出して殺してやる……!」
「おお、怖いね!」
エマはそう軽口を叩きながらも、あっという間に空へと舞い上がった。
エマの羽ばたきは力強い。エレン・ケレブの街並みはどんどん流れていく。その景色を眺めながら、わたしはさっきからずっと考えていたことを口にした。
「ねぇ、エマ」
「なんだい」
「助けてもらってなんだけど、一つ、お願いがあるんだ」
エマからは返事が返ってこなかった。
「ちょっとローレルのところに寄って行ってくれないかな?」
「ローレルって……」
「あ、その、ルィン……」
「ルィンランディア」
「うん、彼のところに」
わたしを抱えているエマは、ちらりと視線で見下ろしてきた。
「さっきも言ったけど、ルィンランディアは今日で失脚する。無事じゃすまないだろうな。そんな血なまぐさい現場にリナリアを連れて行けるはずない」
「そうなる前に助けたいの」
エマはカッとなったように乱暴な口調になった。
「だから! ルィンランディアはもう助からないし、だいたいそもそも、なんであたしがあいつを助けないとなんないんだよ!」
「エマはなにもしなくていい。それに連れてってくれたら、その代わりにわたしの命をあげるから」
エマがヒュッと息を呑んだ。
「ローレルが無事でいてくれさえすれば、わたしはもう魔塊にでもなんにでもなっていいよ。この命、ハイレインにあげる。だからわたしと取り引きしてほしい。“ハイレイン傭兵団”としてエマ、取り引きに応じてくれない?」
「リナリアッ……!」
エマは忌々しそうに舌打ちすると、ギロリと睨んできた。
「いいじゃん、そこまで言うんなら取り引きしてやろうじゃないの……! 」
エマは怒っているみたいだった。なんだか悲しそうに怒られて、エマには申し訳なくなる。せっかく助けてもらったのに、その命をないがしろにするようなことを言っちゃったもんな。
「兄貴に知られたら目玉ものだな……」
「怒られるの? ごめんね」
「……仕方ないじゃん、リナリアの頼みならさ」
エマは盛大なため息をこれ見よがしにつくと、羽ばたきの音を変えた。
「それならとっとと行くよ。兄貴にバレる前に」
エマが旋回し、街並みの向きが変わる。
どうにか間に合ってほしいと、今はそれしか考えられなかった。




