吐露する少女
そうやってローレルに身を寄せて温もりを分け合っていると、しばらくして遠慮がちに扉が叩かれた。
咄嗟に離れようとしたが、ローレルに引き留められる。
「ルィンランディア様」
入ってきたのは、フィアロだった。フィアロはちらりとこっちを見ると、一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐに跪いてしまったためにそれ以上の表情は伺えなかった。
「すみません……見逃しました」
フィアロの後ろから入ってきたセレンさんとラズラルさんは、険しい顔をしている。
「……ああ」
ローレルは重々しく頷くと、ため息をついて「そうだろうな」と一言こぼした。
「空に逃げられてしまえばこちらには手の出しようもない。よくリナリアを守ってくれた」
「……は」
フィアロは顔を上げると、じっとわたしを見つめてきた。
「リナリア様」
ややあって紡ぎ出された言葉は、先ほどの気迫が嘘のように随分と心細い。
「ご無事で、なによりで……」
「フィアロが守ってくれたから……それよりフィアロは大丈夫だった? ケガはない?」
朱の花が浮かぶ青い目を覗き込むと、フィアロは強張った顔でなんとか微笑みを浮かべてくれた。
「ごめんね、巻き込んで……助けてくれてありがとう。……でもまさか、フィアロがあんなに強いなんて。まるで……」
「すみません、リナリア様」
我慢できないといったように、フィアロに遮られた。
「僕は、じつは……リナリア様の護衛兼監視として、庭師に扮していただけなんです」
縋るように、許しを請うように揺れる瞳が、泣きそうに歪んだ表情が、言葉を失わせた。
「僕はリナリア様に、自分を偽っていました」
フィアロがあまりにも苦しそうに、絞り出すようにそう言うものだから、わたしは思わずローレルから離れてフィアロの手を取った。ローレルは今度はなにも言わなかった。
「うん。でもありがとね、フィアロ」
セレンさんの言うとおり彼がとても腕の立つ騎士だというのなら、今までずっとわたしを守るために自分を偽らなければならなかったことは、それはきっととても不本意なことだっただろう。
「それで、わたしのせいでごめんね」
「違うんです」
フィアロは思わずといったように、頭を振った。
「僕はあなたと過ごした時間までもを偽っていたわけではありません。できることなら……」
フィアロは一瞬、言葉を詰まらせたけど、止めなかった。
「あのときに言ったことは本心です。リナリア様がここから去ってしまうくらいなら、リナリア様がルィンランディア様のそばを離れるくらいなら、それならいっそ、僕がそばにいると言ったことは偽りなんかじゃない。僕は……」
「フィアロ」
フィアロの掠れた言葉を遮ったのは、ローレルの鋭い声だった。
「どういうことだ?」
立ち上がったフィアロを、ローレルの突き刺すような視線が貫いた。
「ルィンランディア様」
改まったフィアロはローレルに敬礼した。
「以前よりリナリア様は傷が治ったらここを出ていくと、そう伺っていました」
「そういう事実はない」
すぐに鋭い声のローレルが否定した。
「リナリアはずっとここにいる。私のそばから離れることはない」
「ですが、リナリア様はここを去ることを望んでおられます」
「っ、望むなど……!」
「もしもお一人で行かれることを心配なさっていられるのなら、私がリナリア様の護衛に志願したく思います。そうすれば少しはルィンランディア様の憂いも晴れるかと……」
「心配してくれているところ悪いが、リナリアはどこにもいかない」
精一杯、怒りを堪えた声だった。
ローレルは冷たい声で、でも荒げないように自分を抑えながら、それでもフィアロに突きつけた。
「それに私が心配しているのは一人で旅立たせることだけではない。そうやって私のいないところでリナリアの隣に私以外の何者かが立つ、それを私はなによりも懸念している。だからこれ以上は何人たりとも彼女には近づけさせない。リナリアに触れていいのは私だけだ。わかったのなら二度とその話を私の前でするな」
部屋にいた誰もが息を呑んだのがわかった。
フィアロに声をかけようとして、ローレルに目で制止される。フィアロはしばらくローレルを見つめていたが、やがて頭だけ下げると部屋を退室していった。
「ルィンランディア様」
ふぅと息を吐いたローレルに、セレンさんが声をかけた。
「ルィンランディア様、差し出がましいですがフィアロがいたからリナリア様のお命が助かったのも事実。どうか処分だけは……」
「心得ている。心配しなくてもフィアロをどうこうするつもりもない。ただ、」
ローレルは冷たい瞳で、横柄にも言ってのけた。
「リナリアは私のものだ。たとえおまえでも、これ以上気安く接するのは許さない。この話は以上だ。少し二人きりにしてくれ」
セレンさんもラズラルさんもこれ以上なにも言うこともなく、敬礼だけを残すと二人はフィアロの後を追うように退室していった。
二人が退室してすぐ、ローレルの凍りついた声はわたしに向けられた。
「リナリア?」
きっと睨まれた視線に思わず両手を上げる。
「どういうことだ? 説明しろ」
ローレルは向けてくる瞳に責めるような色を乗せると、逃げは許さないとでもいうように両手でわたしの頬を挟んだ。
「いや、どういうことっていうか……」
「おまえは私に最期までそばにいてほしいって言ったくせに、他の男とここを出ていくつもりだったのか?」
とんでもなくローレルが怒っている。
返事ができないほどに頬を挟む手に力を入れられて、わたしは必死に頭を振るしかできなかった。
「私がどうにかみんなを説得しておまえのそばに居られる道を模索している最中に、おまえは他の男をたらし込んでここを出ていこうとしていたのか?」
ローレルは明るいリーフグリーンの目を細めて、グリグリとわたしの頬をいたぶった。
「ちがっ……ちが、ちが、違うって!」
その悪魔のような手の中からなんとか身をよじって逃げ切ると、今度はそのまま壁際に追いやるように追い詰められた。
「ハッ……あくまで違うとすっとぼけるか。なら言ってみろ。なにが違う?」
壁の隅に追い詰めて冷たい顔で見下ろしてくるローレルは、まるで魔王が降臨したかのように容赦がなかった。
「だって……そんなの!」
あまりにも容赦なく追い詰められるものだから、わたしはやけっぱちで本音を暴露する羽目になった。
「それこそなにも考えずに君とまたあの森の家に帰れたらどんなにいいか! でも君は帰るおうちが見つかって、仲間もいて、なんだかわたしは邪魔者みたいだし……」
段々と声が萎んでいく。注がれる視線に耐えきれなくて、視線は床を這った。
「フィアロはいい子だ。行く宛のないわたしを心配してあんなことを言ってくれてる。その気持ちに甘えてたのも事実だよ……わたしがそう選択すればみんな納得して、一番穏便に済むんじゃないかって、そう考えるべきじゃないかって自分を納得させようとしてたのも事実だ」
「……。それで本当にいいのか、おまえは」
なにかしら堪えたような声が頭上から降ってくる。
「そんな綺麗事で自分を納得させて、それでこれから先も後悔せずに生きていけるのか」
「……それは、」
小さくこぼした声は聞こえなかったのか、ローレルは身を寄せてきた。
「本当はずっとローレルのそばにいたいよ。一緒にいたい」
意を決して顔を上げる。覗き込んできたリーフグリーンの瞳に目が釘付けになる。
それ以上ローレルは怒らなかった。なんとも表情の読めない真剣な顔で、ローレルはわたしの髪に手をかける。
「君があの家に来てくれて、久しぶりに誰かと一緒に過ごしてどんなに楽しかったか。それは他の誰でもない、世界に置き去りにされた孤独がわかる君だったからそう思えたのかもしれない。君は優しさでも同情でも憐れみでもなく、ただそばにいてくれた」
「……」
「君のそばにいるのは楽だったんだ。楽で、楽しくて、辛かったけど幸せで、……そしてそんな毎日がずっと続けばいいって願ってた」
「だったら余計な気なんて回さずに、ずっとそばにいればいい」
ローレルはわたしの耳に唇を近づけると、口づけた。
「おまえがそうしたいと望んでいて、そして私がそうしろと言っている。それ以外になんの理由がいる」
それはまるで、キスされているような錯覚を抱かせるほど、丁寧で情熱的な口づけだった。




