話す少年
「エクセリオンは、今はこのエレン・ケレブの王として君臨しているが……このエクセリオンこそがまぎれもなく、私を人間の奴隷へと貶しめた張本人だ」
そう語りだしたローレルの声は、いやに平坦だった。まるですべての感情はどこかへと置き去りにしてしまったのだとでもいうような風情で、ローレルはただ淡々と語り始めた。
「当時、私はまだ若く、他人の悪意というものに少し鈍感なところがあった。生まれながらにして跪かれ、敬われ大切に扱われてきた私は、親しい者が、それも血の繋がった身内の者が私に対してそういった悪意を持ち合わせるわけもないと、疑いもしなかった」
一見すると凪いでいるように見えるリーフグリーンの瞳は、ただ彼が信じることを諦めてしまったのだとわかるような寂しさに満ちていて、なにも言えなくなる。
「まさかあのように優しく穏やかな叔父上が、生涯私を王たらしめるために尽くすと誓ったあの人が、人知れず私に対しての悪意を募らせていたなどと……いや、こう言っている時点で、私はまだまだ甘いのだろうな」
ローレルはいつになく自嘲的な笑みを浮かべた。
「奴はこのエレン・ケレブの頂点に立つために前王を亡き者にし、次期王位継承権を持つ私を陥れる計画をずっと心の奥底で温めていたのだ。突如父を亡くし動揺していた愚かだった私は、表面だけのなぐさめの言葉を繰り出す奴の甘言にまんまと引っ掛かり、いとも容易く人間へと売り捌かれた。奴のせいで……奴のせいで……! 私は気の遠くなるような長い時をずっと、人間に跪きながら過ごさねばならなかった。ものとして扱われ、品物として売り捌かれ、人間の欲求を押し付けられて、それに従わなければ罵られ、いともたやすく打ち捨てられ……そうして私はずっと、尊厳もなにも考慮されることもなく……いっそ、殺されたほうがまだまともでいられたのではないかと思えるような日々を過ごしてきた。ただただ、奴が私にしたことを考えると腸が煮えくり返る……いつか絶対に奴を同じ目に遭わせてやると、今まではそれだけが私が存在する意義だった。でも、それももう……」
ローレルが瞬きをすると、憎々しげな暗い炎は消え去る。次いで透き通るようなリーフグリーンの瞳が私に向けられた。
「今さらなにをどう憤って、怒りに感情を燃やしたところで、起きたことは元には戻らない。私の立場が変わるわけでも、戻るわけでもない。そう思えるようになったのは、おまえの隣という新たな居場所を与えられて、新たな生き方を与えられたからだ。おまえに必要とされて、やっと自分の力で生きていけるようになって、そうして一緒に過ごす時を重ねていくうちに、このまま穏やかに過ごすのも悪くないとやっとそう思えてきた、のに」
そこで淡々と話すローレルの声音が、がらりと変わった。
「なのにエクセリオンは、その私の僅かな安寧さえも、踏み潰そうとした」
ローレルの声は今までに聞いたことのないほど凍りついていて、残忍で、欠片も容赦がなかった。今まで忘れ去っていた厭悪の感情が一気に噴き出してきたかのように、その声は宿怨の思いに満ち満ちている。
「奴はあろうことか、私から王の座を奪っただけでなく、大切なものまで奪おうとした……! そうまでしてすべてを手にしなければ気が済まないというのなら、私を徹底的に追い詰めたいのなら、私もいい加減に腹を括らなければならない」
見上げたローレルは、いつになく冷たい表情をしている。無意識に、その手を握りしめる。
「……リナリア」
冷たい手が、握り返してくる。ローレルはわたしの顔を見てふと微笑んだ。
「そんな顔をするな。エクセリオンは唯一の身内と言えど、今やただの敵だ」
ローレルがわたしを引き寄せ、そっと抱き締めてくる。
「こうなればもう身内でもなんでもない。奴がおまえの存在を知った以上、もはやこちらから動かなければならないな……」
わたしよりも少しだけ高い身長が、少しだけ大きな体が、わたしを包み込むように、それでいて縋りつくように抱きしめてくる。ローレルがそう求めている気がして、わたしは彼の体にそっと腕を回して抱きしめ返した。
「……本当はおまえと一緒に、いっそこのままこの国を去ろうかとも思っていたんだ」
あまりに意外な言葉を聞いて、思わずその顔を覗き込む。
「昔はあんなに戻りたいと思っていたこの場所も、譲れなかったその地位も、おまえと暮らしているうちにもう遠い過去へと過ぎ去っていってしまった。エクセリオンがここエレン・ケレブを安寧に導いているのなら、私は私が真に望む場所に帰ろうと、そしてそのまま忘れ去ってもらってもいいと、そう思っていた」
ローレルは、見上げようとしたわたしの顔を制してきた。今は表情を見られたくないのだと察して、力を抜いてその胸にもたれかかる。
静かな鼓動が、ぼんやりと聞こえてくる。柔らかな衣擦れの音。服越しに伝わってくる低めの体温。
「リナリアと二人、なにも考えずにまたあの森の奥の家で暮らして、このまま世界中のすべての者から忘れ去られたまま、この身が朽ち果てるまで静かに時が過ぎるのを待つ――そんな風にずっと過ごせていたのなら、どんなによかっただろう。心穏やかになれただろう」
目を閉じて、つい先日までそれが当たり前だった日々を思い出す。
朝起きて、質素な朝食を採り、ローレルは川に皿洗いへ、わたしは洗濯物を回収がてら、家の掃除をする。掃除が終わって川に行けば、ローレルと合流して洗濯に取り掛かる。それが終われば家の補修や畑仕事、ローレルはときどき狩りに行ったり、道具の手入れをしたり……生きていくためにしなければならない、いつもの日常のこと。
あまりにも当たり前になりすぎて、すぐにでもまぶたの裏に浮かんでくる、毎日の光景。
――ローレルは、その光景の中に帰りたいと思ってくれていた。
「でも、エクセリオンがそれさえも許さないというのであれば、そして周りの者がそれを望まないのであれば、」
わたしを抱きしめるローレルの腕に、ギュッと力が入る。
「私は、彼を討ち取らねばならない」
静かに告げられた声があまりにも悲しそうだったので、わたしはローレルの胸元に頬を寄せ、彼の体温に寄り添うしかなかった。今そこから離れたら、ローレルはみんなに背を向けたまま、一人で突っ走っていってしまいそうだった。




