望む少年
ローレルは気が済むまでわたしの耳に口づけると、それからわたしを抱き上げて、ベッドの上へと降ろした。
やっと気が済んだかとホッとしたのも束の間、再び彼の体が伸し掛かってくる。
「ローレル……!」
懇願の声は、彼の細長い指に遮られた。冷たいのにどこか傷ついたような新緑の瞳が、わたしを覗き込んでいる。
ローレルは長いまつ毛を伏せると、緩く波打つ金の髪を乱しながらまたわたしに顔を近づけてきた。
「ローレル、もう、もう……!」
もう勘弁してくれと、泣きそうな声はかき消された。灯りもついていない薄暗い部屋に、ローレルがわたしの耳に口づける音だけが響いている。
「重い、苦しいよ……!」
少年の華奢さも残っているが、適度に筋肉のついた体は見た目はそうなくても、のしかかられると相応に重い。胸倉を叩くと、ローレルはやっと体を離してくれた。
「至急の用事を済ませたらすぐに戻ってくる。それまで私の言ったことをよく考えていろ」
耳元に捩じ込まれるように、囁かれた。
「私のことだけを考えながら、待っていてくれ。私だけをだ、ほかのなにも考えるな」
わけのわからない行為に、言葉に、すでに混乱して泣きそうだ。ローレルはそれだけ告げると、やっと体を離して去っていった。嵐のような感情のぶつけ合いの後の静けさに、抜け殻のように放心する。
わたしはどうしたらいいのだろう。ぐちゃぐちゃの感情が撒き散らされていて、もうカオス状態だ。
ノロノロと顔を上げて、とりあえず顔を洗って気持ちを入れ替えようと、洗面室へと向かった。
夜も大分、更けたころだった。
人の気配がして、ベッドの上で寝返りを打つと、隣にローレルが滑り込んでいた。
「……まさかこの時間に戻ってくるとは思わなかった」
「……来ると言った」
「もう夜だよ? 用があるなら明日にしなよ……別にどこにも行きようがないんだからさ」
「そんなことを言って、油断させようったってそうはいかない」
ムッとしたように言われると、有無を言わさず抱き込まれる。
「ちょっと……眠いんだから、耳を舐めるのだけは勘弁してよね」
「安心しろ。舐めはしない。口づけるだけだ」
「だからそれをやめてくれって言ってるのに……」
言うが早いがローレルはわたしの髪をかきあげると、早速耳へと口をつけてしまった。
ああー……せっかく眠れそうに微睡んでいたのに。
「……昼間のときからしているそれ、なに?」
気持ち悪いくすぐったさを必死にこらえながら、迫ってくるチクチクした金髪を一生懸命払う。
「まさか愛を表す行為だって聞いたことがあるけど、まさかのまさかで違うよね?」
ローレルは、答えなかった。
ただなにかに取り憑かれたかのように、わたしの耳に口づけている。
「ねぇー……なにか言ってよ……」
なぜローレルはなにも言ってくれないのだろう。
もう……わけのわからない彼の行動について考えるのも疲れた。
抵抗にもならないムダな行動をするのは早々に諦めて、わたしは彼の腕の中でなんとか寝やすいポジションを見つけようとモゾモゾと体を動かすことだけに専念することにした。
翌朝起きれば、いつの間にかローレルはいなくなっていた。
どんな顔をすればいいのかわからなかったので、ホッとする。でもそれと同時に少し寂しさも感じる。いつもそうやって同じベッドで寝起きして、一緒に食事をとっていたから、あのころに戻ったみたいで久しぶりに嬉しかった。
一人もそもそと遅めの朝食を摂り終わってボーッとしていると、前触れもなく扉が開けられて、顔色の悪いローレルが入ってきた。
「朝食を食べたら、散歩にでも行くか」
その顔色でそんなことを宣ってくるものだから、わたしはとうとう我慢ができなくなった。
「心配しなくても人払いは済ませてある。ゆっくりと……」
「ローレル!」
大きい声を出したわたしにローレルは口を閉じると、あの仄暗い視線を向けてきた。
「……おいで」
きっと拒否されるとでも思っていたのだろう。その言葉だけかけると、ローレルは数拍、戸惑ったように視線を揺らしていたけど、躊躇ったようにこっちに歩んでくる。
「昨日は君のせいで本当に眠れなかったから、また寝直そうと思ってたんだ。ねえ、もう一度……あの家で過ごしたみたいに隣で眠ってくれないかな」
ローレルは口をキュッと結んで、でも視線は頼りなさげにわたしに向けてきている。
「先に言っておくけど、昨日みたいに耳を、っ……その、どうこうするのはナシだよ。わたしは眠たいんだから」
ローレルは戸惑ったように視線を揺らしながらもコクリと頷いて、わたしの誘いに素直についてくる。先にベッドへと潜り込んで中からローレルを見上げると、ローレルはいつになくぎこちなく隣へと入ってきた。
「いつもみたいに背中合わせにくっついて眠ろうよ。君の体温はなんだか安心するんだ」
「ローレルと、そう呼んでくれたら」
彼に背を向ける。背中の向こう側から届いた声は思っていたよりも心細く聞こえた。まるで迷子の少年みたいだ。
「ローレルと、どうかもう一度そう呼んでくれ。君がつけてくれた名前を君が呼ぶ、その声が聞きたいんだ」
「いいよ、ローレル。ほらおいで」
背中にいつもの体温がくっついてくる。
「いい夢を」
そう声をかけて、しばらく。
背中からようやく穏やかな吐息が聞こえてきて、わたしはホッとしてベッドから這い出た。
ローレルが目を覚ましたのはもう夕方近くになってからたった。
すやすや寝ていた彼がぱちっと目を覚まして、覗き込むように眺めていたわたしと目が合うと、彼は戸惑ったように眉を顰めた。
「どう?」
しばらくぼんやりとしていたローレルは、やがてもぞもぞと起き出した。
「少しは頭の中、すっきりしたかな?」
「ああ……」
「よかった。わたしもだよ」
軽く頭を振って体を起こした彼に、あのハーブ入りの薬湯を渡してやる。ローレルは顔を顰めながらもゴクゴクとそれを飲み干した。
「あのさ、ローレル」
項垂れていた顔が上がり、大きな目が見開かれて、わたしを見上げてくる。
「わたし自身はね、あのころとなにも変わってないよ」
きょとんと見開かれた目は、随分と彼を幼く見せる。
「わたしには君が必要で、わたしが消え去るその時まで、君にはそばにいてほしくて……むしろ今だって君と一緒にあの森の家に帰りたいと思っているよ」
ローレルは昨日の冷たい剣幕が嘘のように、コクリと小さく頷いた。
「それだけは間違えないで。覚えていてよ」
ポロリとこぼすように囁いたわたしに、ローレルはようやく眉根の皺を緩ませて頷いた。




