思い知る少女
「ルィンランディア様……」
一度跪いたラズラルさんは、わたしが目覚めているのに気がつくと、ハッと顔を強張らせた。
「なんだ。勝手に入るなと伝えていたはずだが」
ローレルに応えることなく、ラズラルさんはふわりとドレスが乱れることも厭わずに、再びその場に低頭する。
「リナリア様……我が君を保護していただいていたにも関わらず、御身を傷つけるような暴挙に出てしまい……なんとお詫びをしたらいいか……!」
突然始まった謝罪に、正直戸惑った。
「このような恩に背くような罪をどう償えばいいのか……それこそリナリア様のどうか気の済むように、煮るなり焼くなり好きにしていただければ……」
「ラズラル、ラズラル!」
ローレルの厳しい声に、ラズラルさんはやっと顔を上げた。
「リナリアはそんなことは望んでいない。それよりもなんの用だ」
「ルィンランディア様」
その途端、ラズラルさんの声に批難するような調子が混じった。
「まだお部屋から出てこられないのかと部下たちが気を揉んでおります。ここは殿下しか立ち入れぬ部屋ゆえ、誰も呼びに行けぬと……処罰を覚悟でこうしてお声をかけに伺いました」
「そうか、それは悪かった、が」
ローレルは仕方無しにといった様子で片手を払った。
「しかしリナリアの前に顔を見せるなとあれほど言っただろう」
「……ですが」
ラズラルと呼ばれたその美しい女性の貴人は、ちらりとわたしのほうを見上げる。
まじまじとその姿を見つめる。本当に物語の中のエルフのように美しい人だった。長い髪は緩く編み込まれて束ねられ、スラリとした肢体にはシフォンの柔らかな細身のドレスを纏っている。その姿は神秘的で、まさに絵のようだ。
「……正直言うと怖かったです、けど」
躊躇うように繰り出した言葉に、ラズラルさんはわななくようにまつ毛を伏せる。
「でもこうやってちゃんと治療してくれましたし、その後の面倒も見てもらってますんで、もうチャラってことで……どうでしょう? それにそもそもわたしが奴隷を買ったりしたからこんなことになってしまったんですし。まぁ自業自得でしかないというか……」
ハハと乾いた笑いを浮かべたわたしに、ラズラルさんはなんともいえない顔をする。
「それでももし気に病まれるのであれば、帰るときにちょっくら資材をおすそわけしてもらえば……」
「リナリア!」
途端にローレルが厳しい声を出して、咄嗟に降参するように両手を上げた。
戸惑うようにわたしたちを見上げているラズラルさんを外へと促して、ローレルは立ち上がる。
「クルグルを呼んでくる」
ローレルは短くそう言った。彼の冷たい手が離れていく。
「絶対にここを動くな。部屋の外に出るな」
そう言ってラズラルさんと一緒に足早に立ち去っていくローレルの後ろ姿を、なにも言えずに見送った。
それからすぐにクルグル先生がやってきて色々と触診されたり、問診されたりした。そして新たに調合したという薬を置いていかれ(今度は長くは眠らないということはしっかり確認した)、再び部屋に一人になる。誰もいない、薄暗い部屋に、一人。
気づいたら、特大のため息を吐き出していた。
――わたし、ここにいるとみんなの邪魔なのかも。もしかしなくともローレルの手を煩わせてしまっている? さっきの様子からすると部下のみなさんにはこんな傷なんて早く治してさっさと出ていってほしいとか思われているのかもしれない。
なにもすることがない。話し相手もいない。ポッカリと空洞な部屋に一人いると、らしくもない暗い考えしか浮かんでこない。
「いかんいかん、こんなの自分らしくもない」
暗い考えを振り払うように頬をピシャリと叩く。少し体も楽になったことだし、やることもないし、そういえばここに来てからずっと部屋にこもりっぱなしだ。ちょっと探検にでもいってみようか。
そう思っておそるおそる扉の前に立つ。鍵がかかっていたらどうしようとも思ったが、扉は簡単に開いた。
「……っ!」
扉の外にはエルフの騎士が立っていた。二人とも扉が開いたことにびっくりしているのか、あんぐりと口を開けてわたしを眺めている。
「ど、どうもー……」
しれーっと通過しようとしたが、あいにくとすぐに止められた。
「あの……えっと? どちらに?」
片方の騎士が気まずそうに話しかけてくる。
「ちょっと、ね?」
誤魔化すようにニコリと笑ってみせたけど、騎士たちは誤魔化されてはくれなかった。
それにしても二人ともまぁ、えらい顔の整っていることで。まるでファンタジー映画に出てくるような出で立ちで、エルフそのものって雰囲気だ。
「なにかお困りですか?」
話しかけてきたのはアッシュゴールドのサラサラの髪をひとまとめにまとめた、柔らかいライムの瞳が優しそうな優男系騎士だった。
「いえあのヒマなんで、ちょっと探検にでもと……」
騎士たちは困ったように顔を見合わせた。
「すみませんが、この部屋から出ることはできません。殿下の許可が降りていません」
「ええー……?」
なんでよローレル? 勝手に出歩いてもらっては困るってこと?
「でもこの部屋にいてもやることないし、正直ヒマでしょうがないんですけど……」
そんなこと、一介の騎士に言われても困るよな。そんな顔をされた。
「今は養生に専念するように、との仰せです」
チラリと左腕の包帯に視線を向けられて、一応は事情を知らされているのだろうことが伺える。
「申し訳ありませんが殿下に許可を頂いてから、ということでお願いいたします」
柔らかな笑顔の騎士に押し切られるように、部屋の中へと戻された。
扉が無理なら窓から出るまでだ。何日ぶりか、開け放したガラス戸へと歩んでバルコニーへと出る。
「あ、フィアロ」
例の庭師の彼は、今日も変わらずせっせと庭師の仕事に勤しんでいた。
「なんだか久しぶりだね」
「リナリア様!?」
振り返ってきたフィアロは、目をまんまるに見開いた。
「目覚められたんですね!」
「おうよ! もうすっかりこの通りさ」
ニッコリと笑ってみせると、近づいてきたフィアロはまじまじとわたしを見つめる。
「その様子ですと、クルグル先生の調合した薬はちゃんと効果を発揮したようですね」
「うん、効いた効いた! そういえばフィアロも薬草選びに一役買ってくれたんだってね。おかげさまでこのとおりだよ。ありがとね!」
ニッコリ笑って礼を言うと、フィアロは嬉しそうに少し頬を染める。
「もう動いてもいいんですか?」
「いいんじゃないかな。クルグル先生からはなにも言われなかったよ」
「本当に? なんだか怪しいなぁ……」
「まぁまぁ。部屋にこもってばかりも体に悪いというじゃない。よかったらちょっと庭を案内してよ」
「まぁ、いいですけど……」
フィアロは渋々といった体でバルコニーに上がってくると、手を伸ばしてきた。
「お? もしかしてエスコートしてくれるの?」
フィアロはハッとした顔をすると、差し出してきた手を引っ込めようとした。
「あっ、すいません。つい癖で……」
「つい癖で手を差し出すくらい女の子に慣れているフィアロくんのエスコートかぁ。それは楽しみだ」
にんまりと笑って手を伸ばすと、フィアロはきれいな顔面を渋そうに歪めて仕方なく手をとってくれる。
フィアロに気遣われながらも、バルコニーの短い階段を降りる。促されるまま整然と手入れされた庭へと足を踏み入れた。
「うわぁ……見たこともない花だらけだ」
前世でも今世でも見たこともないような鮮やかな色を湛えた花々が、競うように咲き誇っている。その中でも淡く光るような繊細な色を湛えた花群に目を惹かれた。
「この花……今まで見たこともないや。なんていう花?」
「ああ……これですか。フェアグリーといいます」
近くで見るとその花は一輪一輪、微妙に色が違うことに気づく。その微妙な色の違いをうまく組み合わせて、フィアロは全体的に統一感のある花群になるように植えているようだった。
「フェアグリー、かぁ」
「見たことがないのも当然だと思いますよ。なんてったってこのエレン・ケレブでしか咲かない花ですから」
「そっか。それじゃあ知らないはずだ」
そんな貴重な花を見られたことにちょっと感動する。
「このフェアグリーの花はですね、本来エレン・ケレブの節目の年に植えるものなんですよ」
「節目?」
「ええ」
フィアロはどこか誇らしげに胸を張ると、自分が今まで植えてきたフェアグリーの花々を見回した。
「長らく行方不明になっていたルィンランディア様がやっとご帰還なされたんです! あとは無事に王位を奪還できれば……」
その言葉の意味を測りかねて、首を傾げる。フィアロは若干声を潜めながらも教えてくれた。
「現在はルィンランディア様の伯父にあたるエクセリオン様が、ここエレン・ケレブを統治されていらっしゃいます……ですが、彼は耳障りのいいことを言う者しか登用せず、おまけに裏で外部の人間たちに耳長族の者を売っているのではないかとのよからぬ噂までありまして……だからといって現状、王族の血を引く御方はエクセリオン様とルィンランディア様しかいらっしゃいません。それで皆、ルィンランディア様を必死に探していたんです」
――そっか。そうだったんだ。
まるで遠い世界の、自分とは違う世界の話のようだった。
わたしが一緒に暮らしたローレルは、ただのローレルではなかった。彼はここエレン・ケレブにおいて唯一無二の高貴な血を引く王の末裔であり、皆が彼の無事を願い、彼の帰還に尽力した。
ずっと一人きりで、これからも一人きりの、そこにいるだけで争いの元となってしまうわたしとは大違いだった。
「あとはエクセリオン様さえどうにかできれば、ルィンランディア様の即位も……」
フィアロの話はあまり耳に入ってこなかった。
ただあの森での貧しくも楽しかった束の間の二人きりの生活は、唐突に奪われたまま二度と戻ってこないっていうことだけがわかりきっていて、わたしは力なく笑うしかなかった。




