回復する少女
いつの間にか、大分時間が経っていたようだった。
気づいたら部屋の中は薄暗くなっており、ソファで眠っていたわたしは、驚いたことにローレルに膝枕をされていた。
「起きたか」
身を起こそうとすると、まだ休めと制される。
陽は落ちてきて、少し肌寒い。あんなに陽気に辺りを照らしていた太陽は、今は切なげな落陽の色を振りまいている。
「もう夕方……?」
かけられていた掛け物を引き寄せようとすると、ローレルが肩にかけてくれて頷いた。
「……なんかさ」
思わず頭上にある、新緑の明るい瞳を見上げる。
「ここにきてから随分と大人しくなったね……?」
着ているものも相まってなんだか別人みたいだ。そう指摘すると、ローレルは若干気まずそうな顔をした。
「多少なりとも責任は感じているんだ」
その言葉になぜだかちょっとだけ、がっかりした。なんでだろう、自分でも謎な感情だ。ただそっか、ケガを負わせた責任感からかと、そう自嘲する自分がいた。
「そんなの気にしなくていいのに……と言いたいところだけど、左腕が動かないのは実際困るからなぁ」
敢えて明るくそう言うと、掛け物の中に顔を埋める。
「だから傷が治るまではしっかり面倒みてもらうことにするよ」
「傷が治ったら……」
ローレルはなにかを言いかけて、ふいに言葉を切った。
「そういえば、昼間はなにをしてこんなことになったんだ」
「ん? 別に大したことはしてないんだよ。だだ庭師のお兄さんを手伝おうと思って魔力を使ったら……」
そこまで言うと、ローレルは呆れたようにため息をついた。
「……養生という意味を知っているか?」
「もちろん。こうしてちゃんとヒマを持て余してるじゃない」
「ハァ……」
不名誉にもものっすごい大きなため息をもらってしまった。
「お願いだからもう大人しくしていてくれ。私だっておまえに看病されたときは黙って言うことを聞いていただろう」
「いやー、激しい抵抗にあったことしか覚えてませんけど……」
「あれは不必要な薬を飲ませようとするからだ!」
気づいたらいつものようにくだらないことで言い合いになっていて、それがあの家で暮らしていたときみたいで、なんだか可笑しくなって笑っていた。
ローレルは急に笑いだしたわたしにしらっとした視線を寄越してきたが、それ以上なにを言うこともなく、ただ肩に手を添えてきた。その遠慮がちな手の重みに安心して、そしたらまた眠たくなってきた。
「いいから、休め」
いつになく諭すように静かにそう告げられて、わたしは再び重いまぶたを閉じた。
「……ねぇ、ローレル」
そのまま微睡んだと思っていたのだろうか。目を閉じたまま問いかけたわたしに、ややあって返事が返ってきた。
「……なんだ」
「なんで家の場所がバレちゃったのかなぁ……」
語尾が震えたのは誤魔化せただろうか。
「見つからない自信はあったんだけどな……実際何十年と隠れ住んでいたわけだし……」
「それについては……っ、謝らなければならない」
肩に置かれた手に、力が入ったのがわかった。
「私があのとき奴隷印をぐちゃぐちゃに壊しただろう……痕跡からは奴隷印に登録するときに使われていた私固有の魔力の印が漏れていたらしい。そのわずかな魔力の残滓を探査機で辿って来た、と……」
この世界の生き物は少なからず固有の魔力を持ってはいる。……それを使えるかどうかはまた別の話だけど。抜きん出て多い魔力を持ち、次第に自在に操ることができるようになっていったのがわたしたち有魔族だ。
その固有の魔力を識別して反応し、縛り付けるのが奴隷印の仕組みだ。
今回の件はローレルが人間の奴隷に貶められたことまで突き止めていたラズラルさんたちが、ハイレイン傭兵団が魔力探査機を略奪したことを知って貸与をお願いし、そして執念の末反応をみせたのがわたしたちの隠れ住んでいた森だったという、偶然とタイミングが重なった奇跡的な確率だった。
――ただ一つ懸念するべきことは、現在の魔力探査機にはその固有の魔力を識別する機能までついているということだ。それはなんて恐ろしい事実だろう。
「今、魔力探査機はどこに?」
「ハイレイン傭兵団に返した、と」
その言葉にビクリと体が揺れた。思わずローレルを見上げる。ローレルは透き通ったきれいなリーフグリーンの瞳で見下ろしてきた。
「……ハイレイン海賊傭兵団」
ステイたちが変わらず魔力探査機を持っている。そしてその機械を耳長族に貸与していた。
「ハイレイン傭兵団はまだここに?」
「……いや」
ローレルは短く答えた。
「安心しろ。彼らは有魔族を探し出して人間に提供するために魔力探査機を手に入れたわけではないらしい。それにたとえそうだったとしても、だったら尚さらおまえを彼らの手になど渡すものか。だから今は難しいことをごちゃごちゃ考えずに体調を戻すことだけ考えていろ」
「……うん……」
なぜハイレイン傭兵団が魔力探査機を手に入れたのか。頭の中で引っかかっていることだけど、たしかにローレルの言うとおりだ。だるい頭で真剣なことを考えても、思考は散り散りに飛んでいってしまう。
眠りを促すかのように額に置かれた手に、わたしは再びまぶたを閉じた。
その後もあまり体調は思わしくなく、ずっと熱が出たり下がったりを繰り返していた。そんなわたしに、しばらく経ったころにクルグル先生が調合した薬を持ってきてくれた。
「なにぶん有魔族の資料を探し出すところから始めなければならなかったですからな」
ホホホと笑っているクルグル先生に、ローレルはいいから早く薬を出せと冷めた視線を送っている。
「ですが殿下に優秀な部下がいて助かりました。フィアロの助言がなければ、薬草を探すのも一苦労でした」
なんとあの庭師のフィアロがクルグル先生の必要な薬草を調達してきたり、クルグル先生の求めている薬効に沿った薬草を提案したりと、かなりの活躍を見せてくれたらしい。まさにフィアロさまさまだ。
「わかった、フィアロにはあとで礼を言っておく。で?」
与太話はいいから早く薬を出せ、とローレルはクルグル先生をせっついている。
「ホホッ、そう焦らずとも。では試しに飲んでみてはもらえませんかの?」
試しに、との言葉が引っかかったが、ずっと傷の治りも悪いし毒の抜けも悪い。そんな体にも辟易していたので、腹を括って飲んでみることにした。
「…………、っ!! っくうぅぅ……かぁっ!?」
なにこれ、まっず。
いまだ味わったことのないまずさに舌がジンジンと痺れて、思わず涙目になる。そんなわたしを見て、ローレルがクルグル先生を問い詰めはじめた。
「おい、なにを混ぜた!?」
「説明してもいいですが、聞いたところで分からんでしょうに」
「いいから! いったいなにを飲ませたんだ!」
「そう興奮されずとも、ほら」
ジンジンと痺れた感じが舌先から全身に広がっていって、ボゥっと頭の中まで痺れたようになっていく。
「リナリア!? リナリア!」
あ、まただ。またローレルがわたしの名前を呼んでいる。そう思いながらも返事をする余裕もなく、瞬く間に深い深い泥水のような夢の中へと落ちていった。
今度はなんの夢も見なかったようだ。次に目が覚めたときにはようやく体も軽くなっていた。
左腕の感覚も大分戻っている。キュッと握りしめられた先には、わたしに寄り添うように眠っているローレル。
その横顔を見るともなしに眺める。長く伸びたまつ毛は今は落とされていて、淡い室内灯に照らされて輝いている。動かないと本当に作りものめいていてなんだかぞっとする。今までしかめっ面しか見せてくれなかったのが嘘のように、その顔はどこかあどけない。
ここ最近はどこかリラックスした様子も見せてくれていたみたいだったのに。それがわたしがケガをしてからというもの、ローレルはまた頑なに感情を押し込めたような顔をするようになってしまった。
繋がれた左手を解こうとして、その途端にローレルは目を覚ました。
「やっと起きたか」
わたしが起きていることに気づいて、ローレルはガバリと身を起こした。
「うん。どれくらい寝てた?」
もうしばらく寝なくていいなと思えるほどには、頭はしゃっきり冴えている。
「……二週間ほどは」
ローレルは目を見開いたまま、わたしの頬に手を伸ばしてきた。
「二週間!? そりゃまた随分と寝こけてたね……」
ローレルの冷たい指がわたしの頬をなぞる。それにしてもえらく冷たい手だ。
「あれ、なんの薬だったの?」
「クルグルは魔力の流れを整える、と言っていた」
ローレルの声は若干震えていた。いつもと違うその様子に、彼のほうこそ大丈夫かと顔色を伺う。
「ローレル? なんだか顔色が悪いけど大丈夫?」
「……そのためにしばらく眠りにつくだろうと。いつになるかはわからない。万が一にも魔力が整わなければ、目は覚めないかもしれない。そうほざくものだから……」
「博打な薬だったわけだ」
そんなものを説明せずに飲ませるクルグル先生の所業よ。まぁ、説明も聞かずに飲んだわたしもわたしだけど。
「まぁでも、だったらこれくらいで目が覚めたからよかったんじゃない。おかげで体も軽くなったし、左腕の感覚も戻ってきたような気がするよ」
「本当に、よかった」
震える指がわたしの耳を触る。まるで撫でるように、あの夜に口づけてきたかのように耳を触られて、さすがのわたしも平常心を保てなくなってきた。
「ローレル?」
ローレルが口を開こうとしたとき。
扉をロックする音が響き、返事を待たずに一人の貴人が入室を乞うてきた。
「ルィンランディア様」
艶めくシルバーアッシュの髪。輝く湖のような薄い青緑の瞳。わたしを射ったあの女騎士、ラズラルさんだった。




