攻撃された少女
人生はいつも、なんの前触れもなく急変する。
あのときもそうだった。
わたしはただ、毎日を変わりなく過ごしていただけだった。なのに理不尽にも唐突に両親を奪われ、住む場所を奪われ、生きる意味を奪われた。
運命に弄ばれるわたしたちは、なされるがまま、流されるしかなかった。
「やっと見つけたぞ」
畑で作物の手入れをしているときだった。唐突に不審な声が響き、ぎょっとして振り返った先にいつの間にか人が立っていて、目を瞠った。
太陽の光を反射して眩しいくらいに輝く白磁の美貌。長くまっすぐなシルバーアッシュの髪は、毛先のほうで玉のような髪留めで留められている。その手には華奢な肢体には似つかわしくない大きな弓が握られている。
まるで作りもののような美貌のエルフの女性が、湖面のような青い瞳に憎悪を浮かべてわたしを見据えていた。その後ろからも耳長族の騎士たちが、また一人一人と次々と姿を現してくる。
「貴様が、我が君を……!」
なにか言われていたようだが、よく聞こえなかった。――なにせそのエルフの女騎士の傍らにあったのが、まさかの魔力探知機だったからだ。
なにも考える間もなく、咄嗟に背を向けて小屋へと走り出す。
「ローレル!」
気づいたら叫んでいた。
「ローレル! 逃げて……!!」
小屋から驚いたように顔を出したローレルに手を伸ばす。
でもその手は届かなかった。あっという間に蹴倒され、うつ伏せに倒れたわたしを押さえつけるようにエルフの女騎士が踏みつけていた。
必死に振り仰ぐわたしに、有無を言わさない様子で眼前に矢を突きつけられる。
「奴隷なぞ買い求めたのが運の尽きだったな。死ね!」
間髪置かずに、矢が放たれた。まっすぐにわたしの脳天をめがけて撃ち込まれたはずの矢は、しかし咄嗟の判断で腕を振り動かしたおかげで、突如として発生させた突風に煽られてかろうじて急所は避けられた。
「やめろ! ラズラル!」
だけど応戦する前に、カッと強い痛みとともに灼熱で焼かれるような熱さが左腕に走った。それからすぐにじわじわと這い上るような悪寒。
「リナリア! 大丈夫か!」
やけに必死なローレルがわたしの顔を覗き込んでいる。いつも作りものみたいにすべらかな白い頬が、赤い血で汚れてしまっている。
その頬を拭ってやろうとして、逃げてと伝えたくて、でも右手が届かない。這い上がってくる悪寒は急激に広まってきて、今や全身がガタガタと震えている。
「ルィンランディア様! ご無事ですか!」
「やってくれたな……! おい、今すぐ解毒剤を持ってこい! 止血剤もだ! 急げ!!」
「ルィンランディア様! なにをなさっておられるのです、そいつは……!」
「いいから一刻も早く薬を! 決してこの娘を死なせるな! ああ、なんてことを……!」
絞るように振り出された声。頬に当てられる、冷たい手。
それがわけもわからずに意識を失う前に見た、最後の光景だった。
――……。
――――……。
――気づいたら……あの港街に立っていた。
両親と過ごした……最後の街だ。懐かしい、記憶の中のそのままの場所に立っていて思考が混乱する。
あれ……わたし、どうしてたっけ。なにか取り返しのつかないことが起こる前に戻らないといけない気がしたんだけど……なんだったっけ。
とりあえず家に帰るか。そう思って懐かしの家路を辿る。
景色は驚くほどになにも変わっていなかった。いつも配達する角っこの靴屋に、惚気の長い若夫婦がやっている花屋、ハイレイン海賊傭兵団の船が泊まっているだろう港、どこもかしこもわたしの朧げな記憶がまるで映像になったかのように、どこか懐かしさを伴ってわたしを出迎えてくれる。
そうして一つ一つ記憶を辿るように歩いていって、とうとう自宅へと着く。目の前の玄関の扉に手を伸ばして、開けると――。
「あら? リナリア、どうしたの?」
扉を開けた先のリビングに、談笑していた父さんと母さんがいた。
「あれ? 父さんに……母さん、……?」
混乱のあまりに出た言葉に、父さんは顔を上げるとにこりと微笑んでくる。
「お、リナリアか。そんなところに突っ立ってどうした?」
促されるままにリビングのテーブルに腰掛ける。あんぐりと口を開けたまままじまじと二人の顔を眺めているわたしに、父さんと母さんは本当にどうしたのと笑い声を上げた。
「なんだか今日のリナリアはおかしいわね。本当にいったいどうしたの。そんなに見つめて」
「い、いや……」
なんだろう。なにか大切なことを忘れている気がする。もう一度父さんと母さんに会ったら言おうと思っていたこと。伝えなければと思っていたこと。ずっとあれから後悔していたことがあったはずだ。
……そう。そうだ。
「……思い出した」
ガバリと勢いよく顔を上げたわたしを、両親は静かに見守っている。
「もう一度、もしももう一度だけ伝えることができたなら……ずっと言いたかったことがあったんだ」
震える声に揺れる肩。そんなわたしを両親はなにも言わず、優しく見つめている。
「ご……ごめんね、父さん、母さん……あのとき、わたし……助けられなかった」
「……」
父さんからも、母さんからもなにも返ってはこなかった。
「わたしだけ助かって……でもずっと、あのときどうすればよかったのかずっと考えてた。長い間一人きりで生きてきて、人間への復讐も失敗して、誰にも知られることなくまるで死んだように生きてきて……でも今度こそ言える。父さん、母さん。わたしも一緒に連れていって」
両親はなにも言わなかった。ただ静かに微笑んでいる。
「あのときはわたしだけ逃げてしまったけど……でももう逃げない。今度こそ父さんと母さんと一緒に行く」
「……リナリア」
父さんは優しくわたしの名前を呼んだ。
「リナリア。私たちがここに来たのは……おまえを連れて行くためじゃないよ」
「父さん……! でも!」
「リナリア、わがままは言わないの」
「母さん! もう一人はイヤなんだよ!」
「リナリア」
二人に優しく名前を呼ばれた。
「リナリアはもう一人じゃないでしょ?」
その途端、玄関の扉が勢いよく開いた。そこに誰か立っているのに気づいて、目を凝らす。眩しいくらいに夏の海の陽射しに晒されて、逆光になっていてその姿はよく見えない。
でも、よく見えなくてもわたしにはそれが誰だかわかってしまった。
わたしよりも少しだけ大きな体格。ふわふわの髪。どこか偉そうな態度。名前を尋ねなくてもわかる。
「待っている人がいるよ。ほら……」
父さんと母さんに促されて、立ち上がる。その人物はわたしを掴もうと精一杯に手を伸ばしてきた。
「ローレル……」
そう呟いた瞬間、わたしは吸い込まれるようにローレルの影に駆け寄っていた。




