お出かけする少年
「ローレル、明日はちょっと出かけない?」
ある日の朝、そう話しかけると、洗濯物を干していたローレルは怪訝な顔で振り向いてきた。
「お出かけって……どこへだ」
「どこへ行くのかは着いてからのお楽しみだよ!」
やけにウキウキしているわたしを胡散臭そうに見遣ると、ローレルはため息をつきながら「わかった」と短く返してきた。
最近のローレルは少し棘が取れてきた。棘が取れてきたというよりも、ここにいることに諦めがついたと言うべきか。以前はこうやって色々とお誘いをかけてもにべもなく断られていた。けど今は十回に数回くらいは仕方なくといったように付き合ってくれるようにはなった。……渋々感はすごいけどね。それでも大分進歩したものだ。
翌日。
朝から気合を入れてサンドイッチの具材やら飲み水やら準備しているわたしを、ローレルは白けた目で見守っていた。
「そんなに大量の荷物を持って、いったいどこにいくつもりだ」
「ついてからのお楽しみだってば。それよりほかにすることないなら、ローレルも準備を手伝ってよ」
ローレルは口汚く舌打ちしてきたが、幸いにも文句は言わずにこっちへと来てくれた。
「サンドイッチを作ったことは?」
「あるように見えるか?」
「残念だけど見えないねぇ。ま、パンに好きな具材を挟むだけだからさ」
切れ目を入れた堅パンに焼いた干し肉を入れ、よく火を通したスクランブルエッグを乗せる。
ローレルはいやいやながらといった体で渋々手を洗ってわたしの隣に来て、見様見真似で作り出した。随分と恐る恐る、慎重に作業を進めている。
「片付けが終わったら、さっそく出発しようね!」
「わかったから、そうはしゃぐな」
皿洗いはローレルに任せ、残りの準備を終わらせる。古びた革の背負い袋にパンパンに詰め込んだ荷物。それを見てローレルはまた呆れたようなため息をついた。
「それを貸せ」
「ええ? でもけっこうに重たいよ?」
「いいから貸せ! 子供扱いはやめろと言っただろう!」
ローレルはわたしから奪うように荷物を受け取ると、それを難なく担ぎあげてみせた。
「見た目よりも頑丈だと何度言ったらわかる。その気になればおまえなど一瞬で組み伏せることもできるんだぞ」
「そうだね。でもローレルはそんなことしないよね。そんなことする理由もないしね」
「ハァ……」
なにやら呆れている様子のローレルを促して、わたしは意気揚々と外へと出た。
外に出かけるときは、たいてい買い出しに行くときだった。だから広大な森が目の前に広がっていても、あの転送ポイントを設置してある朽ちた小屋に行く以外はあまり出歩いたこともなかった。
ローレルもそれを知っているからか、いつもとは違う方向に歩き出したわたしを不審に思ったみたいだ。
「いったいどこに連れていくというんだ。いい加減に教えろ」
不機嫌な声の裏にわずかに滲み出た不安に、後ろを振り向く。さんさんと照らされる太陽の下、甘いミルクブロンドはとろけるように輝き、生まれたての新緑みたいな明るい目はきらきらと光っている。ただその表情だけがどよんと曇っていた。
「そんなに警戒しないでよ。ただサプライズで喜ばそうと思っただけだから」
「サプライズ?」
そんなことされる謂れはないとでもいいたげに、眉間の皺が深くなる。
「そう、サプライズ。なんてったって今日はローレルがうちに来てくれて一年経つからね!」
その言葉に、ローレルは音もなく息を呑んだ。
「だからもっと楽しい顔をしてよ! これはいつも家事を手伝ってくれるローレルへのお礼だよ?」
ローレルがなんともいえない顔をした。
怒ればいいのか、喜べばいいのか、よくわからない顔だ。一瞬の表情の揺らぎを見せないようにローレルはすぐに頷くと、「サプライズは嫌いだ」と俯いてしまった。
呑気に森の中を歩くこと、数時間。
ローレルよりも先にへばりだしたわたしに呆れながらも、なんだかんだとローレルはついてきてくれた。
やがて鬱蒼とした木々が疎らになり、わずかに開けた花畑へと出る。
「なんだ……ここは」
「すごいでしょ、ここ!」
見渡す限りに白やピンクやの鮮やかな花々が咲き誇っている。その先に歩もうとしたローレルを咄嗟に引き留めた。
「この先は崖になってるから、気をつけて」
ローレルはちらりと振り返ってわかっているとでも言いたげに頷くと、さらに前へと歩んだ。
「ここは一体どこなんだ……」
崖の先に広がっている光景に、ローレルは目を細める。
その視界の先にも見渡す限りの木々と川しかない。人間の文明とは隔絶された、未踏の地。
「あの小屋はね」
その花畑のど真ん中に敷物を広げると、ローレルが振り返ってくる。
「昔、父さんの友だちが住んでたんだって。命を狙ってくる人間にうんざりして、誰にも見つからない場所を求めて家族で移り住んだって」
明るいリーフグリーンの瞳はなんともいえない感情に揺らぎながら、わたしを見つめている。
「転送ポイントはそのときの名残かな。そうはいってもやっぱり人里を利用しないとままならないこともあるからさ」
一緒に暮らしていた家族も、いずれ時がくればその体は自然に還り、跡形もなく消え失せてしまう。
わたしがあの家に辿り着いたときには、すでにご両親の部屋は物置になっていた。そこに大量に収納されていた本の量に、かつての持ち主の孤独を垣間見た気がした。
ローレルはゆっくりとこっちにくると、敷物の上に座り込んだわたしを見下ろした。ときおり吹きすさぶ風がお互いの髪をいたずらにかき乱していく。
敷物の上に座っていると、草の青々しい匂いやかすかな花の香りがわずかに漂ってくる。
「ご両親が亡くなったあと、残された息子さんはしばらくそこに住んでたんだけど、やっぱり一人に耐えられなくなってやがて街に引っ越したそうだよ。そのあとどうなったかは知らない」
聞かなくてもその末路はわかり切ってはいる。この世界には、有魔族はもうわたししかいない。つまりそういうことだ。……いや、もしかしたらこの世界のどこかに、わたしのように息を潜めて、はたして生きているんだかわからないような生き方をしている有魔族もいるのかもしれない。
「わたしもそうなる前に、ローレルがここに来てくれてよかったよ」
そうニコリと笑ってローレルを見上げると、ローレルはやっとため息をついて敷布の上に上がり込んできた。
「……腹が減った」
返事の代わりに静かにこぼされた言葉に、はいはいとバスケットを差し出した。
ローレルは自分で作った歪なサンドイッチには手をつけず、わたしが作ったものだけをパクリと平らげてしまった。そして一人で先に食べ終わると、敷布の上でゴロンと横になってしまう。
うららかな暖かい陽射しに誘われたのだろうか。やがてローレルは抗えないようにまぶたを落とすと、スーッと寝入ってしまった。微かに聞こえてきた寝息に微笑ましく見守る。
どこか安心したように眠り始めたローレルを見遣って、わたしは手慰みに花冠を作り始めた。
大分朧げな記憶をなんとか手繰り寄せて、なんとか形を整えて花冠を作り上げる。白とオレンジと赤の花で作った、甘いミルクブロンドに似合うような歪な形の花冠。
それをそっとローレルの頭に置く。いつも神経質な彼にしては珍しく、それでも目を覚まさなかった。
夕方になってローレルはパチリと目を覚ますと、訝しげに起き上がった。
「なぜ起こさなかった。もう夕方じゃないか」
「せっかく来たから夜景まで見て帰ろうと思って」
「不用心な奴め」
そうぼやくと、ローレルは気づいたかのように頭に手をやって花冠を外してしまった。
「……なんだこれは?」
「一周年記念のプレゼント!」
その言葉に、ローレルは顔を歪める。
「歪じゃないか」
「そうはいうけど、結構難しいんだよ?」
「ハッ……」
なにやら自信ありげに不敵な笑みを浮かべると、ローレルはおもむろに花に手を伸ばした。
「まさかローレルも作れるの?」
「見て驚くな」
それだけ言うと、ローレルは器用にも指を動かして次々と花を編み始めた。そしてあっという間に本当に驚くほどに、ローレルは見事な花冠を編んでみせた。形のいい細長い指が編み出す芸術的なそれに、ほぅと感嘆のため息を吐く。
今までにも誰かに作ってあげたことがあるのだろうか。……そりゃ、あるんだろうな。じゃなければこんなふうにきれいに編めっこない。でも本人が話したがらない過去を詮索したってしょうがない。
開きかけた口を閉じて、わたしはひたすらその様子を眺めていた。
「……母が、よく作ってくれた」
まさかローレルが話してくれるとは思ってもいなくて、その横顔を見つめる。
伏せられた視線は真っ直ぐに花冠に向かっている。それはわたしに話しかけているというよりも、まるで独り言のようだった。
「とても器用な人だったんだ。今思うと色々なものを作っていたな。栞やドライフラワー、いい香りのサシェ……部屋にはいつも母の作ったもので溢れていた。花に囲まれて、花の似合う人だった」
長いまつ毛が物憂げに瞬いて、淡いリーフグリーンの瞳に郷愁を乗せる。
「……あの花園は、今はどうなっただろうか」
遠い思い出に馳せるその横顔を、見つめる。沈みゆく太陽がなんとも切なくその表情を照らしていた。




