制止してきた少年
ローレルはこの世界のエルフの特徴のとおり、森や小川といった自然の中に身をおくことが好きなようだった。よく畑仕事の合間にボーッと座り込んでは空を眺めている。
そういうときはいつも、なにかに抗うかのように爛々と燃えている目は力を失い、波打つ髪は風にクシャリとかき乱れ、随分と覇気のない様子になる。わたしがじっと見つめていてもそんなことにも気付かずに、ローレルは微動だにせずにずっと空を眺めている。
淡いまつげが陽の光を反射して煌めき、白い肌はより一層白めいている。普段の小憎らしさが鳴りを潜め、妙な神々しさを醸し出すのだ。
「……今日の夕食はなんだ?」
「今日はキノコと豆のスープだよ」
「また豆スープか……」
まるで絵になるような光景の中にいる人がそんなことをボヤいてきたものだから、つい吹き出してしまった。
「そういえば、また補給に行かないと。ちょっと心許なくなってきたからなぁ。明日は買い物にでも行ってくるか」
こっちを振り向いたローレルは、わずかに顔を強張らせた。
「また行くのか」
「今は二人分消費しているから減りが早いんだよ。塩も残り少ないし、砂糖なんかなくなってからしばらく経つよ。干し肉も小麦粉も欲しいし」
「おまえはこんな人から身を隠すような生活をしておいて、都合のいいときだけ人間を頼るんだな」
「まあね」
悪びれもなく返すと、ローレルは一瞬言葉を詰まらせた。
「……自分で作ればいいじゃないか」
ローレルは視線を揺らして、表情を読まれないようにか顔を俯けてきた。
「砂糖だって蜂蜜を変わりにすればいい。わたしが養蜂してやってもいいぞ」
「できるの?」
「このあいだ片付けた本に載っていた。やり方さえわかればできるに決まっている」
それは……あまりあてにはできないな。
「肉がほしいのなら、狩りは得意だ。なにも人里にまで買いに行く必要はない。そんなに頻繁に人里に降りたら……」
ローレルの言いたいこともわかっている。
もしも有魔族だとバレてしまったら。わたしの命は人間の使う魔導具の強力な原動力になる。だから人間による有魔族狩りが横行して、結果ただでさえ長命でなかなか子を成さない有魔族はその数を極端に減らしてしまった。
「大丈夫だよ。いつもバレないもん。髪もちゃんと染めていくし」
なんでもないことのように笑ってみせるけど、ローレルからは笑顔は返ってこなかった。そういえば未だに彼が笑う姿を見たことがない。
「だがその目で気付く奴もいるかもしれない」
「目だって色を変えられるから大丈夫だよ!」
たしかにわたしの瞳もこれまた珍しい。二つの色が混じり合っている、有魔族特有の瞳。
ありきたりな容姿ではあるけれど、フローライトの石のように淡いゴールドとシルバーの光が織り混ざったような、なんともいえないきれいな色をしているのだ。
本当に、色だけはド派手な種族だ。
「君たちとは違ってわたしは色さえ変えれば見た目は彼らと変わらないからね。街で魔力を使わなければどうということはないよ」
「人間を見くびるな」
ローレルは苦々しげに吐き捨てた。
「あいつらは脆弱で愚かな、ただの有象無象の集まりなんかじゃない。狡猾で陰湿で、自己の利益のためならなんだって犠牲にできる、獣以下の集団だ」
この話は終わりだとでも言いたげにローレルは無造作に立ち上がると、足音も荒く家へと入ってしまった。
その後ろ姿をため息をつきながら見送る。
それでも、その人間の作ったものを利用しないとわたしたちだって人並みに生活していけないのだから、仕方がない。
元々はこんな関係性ではなかったらしい。昔は人間にとって魔力を使える有魔族とは理を越えた存在だった。
それに人間は神の如き美貌と知恵を持つ森の民、エルフこと耳長族のことは崇め奉っていたし、獣のような俊敏性と力をもつ獣人族のことは、恐れつつも頼り、そうやって互いに助け合いながら、人間はか弱くも生き延びてきた。わたしたち有魔族もそんな人間族を慈しみながら支えてきたのに。
人間が魔石を発見してからだ、この世界のバランスがおかしくなってしまったのは。極一部の地域からしか産出されない、魔導具の燃料となる魔石。その魔石を人間が偶然発見し、そして有用な使い道を発明すると、今まで庇護するべき立場の人間はみるみるうちに力をつけ、瞬く間にこの世界の覇者となった。
昔はほかにもたくさんの種族がいたんだ。妖精族、小人族、巨人族、魚人族……でも人間が魔導具を手にしてからというものの、ある種族は見世物として乱獲され、また別の種族は駆逐され、そしてある種族は決して人間の手の届かない場所へと姿を消してしまった。
わたしたち有魔族はそんな人間の脅威を侮っていたのかもしれない。
わたしたちには魔力を扱えるという驕りがあった。なにかあっても、自身の力で対抗できる。太古から圧倒的優位な立場を誇ってきた、強者たる故の驕り。そんな昔から変わらない侮りが、まさかの種族の危機を引き起こしてしまった。
結局最後まで反対するローレルを押し切って、買い出しに行くことにした。
「いつものことじゃん。心配しすぎだよ」
その日は抗議のつもりか、ローレルはまた前のように寝室から出てこなかった。扉の前で、いってきますと挨拶をする。
「それにローレルのほうこそ、一人のあいだもちゃんと家のことやっといてよ? こないだなんか帰ってきたらなにもかもぐちゃぐちゃなまんまで……帰ってきて早々に片付けるの本当に疲れたんだから」
返事はない。
シンと静まった寝室に一つため息をついて、わたしは家を出た。
買い出しに行けるようになったのはつい最近のことだ。しばらくはなにをする気も起きず、それこそローレルのようにこのまま朽ち果ててもいいとすら思っていた。
でもあの紅の塔の破壊に失敗して、父さんと母さんに生きてと、幸せになってと言われたような気がして――それからだ。住まいを片付けたり、人間的な生活をしようと努力するようになったのは。
ただそのためにはどうしても自分一人の力だけじゃどうにもできない部分がある。だからいつも買い出しは細心の注意を払って、数日かけて行っていた。
転送ポイントを三つほど経由して最後の転送ポイントに着くと、その日はそこで一晩過ごす。そして次の日の早朝、陽も昇らないうちから出発し、半日ほどかけて歩いた先でいつも行く港街へと着く。
ズラリと並んでいる商人やほかの街から来た客たちに混じって街に入ると、まずは換金屋へと向かう。膨大な一人きりの時間を使って気が狂ったようにひたすら砂金堀りをしていた時期があったので、金はいくらでも持っている。それをわずかな量だけ硬貨へと換金してから朝市のほうに寄る。
それから普段食べられない魚や果物などを物色し、朝市が終わったら粉屋や雑貨屋を見て回り、必要なものを買い揃えていく。
この街はどこかあの港町と雰囲気が似ている。あの町よりもはるかに人の出入りが多く、余所者にほとんど頓着することがない。それに店を構える商人たちも移り変わりが激しいため、顔を覚えられることも滅多になくて重宝していた。
街や村によっては異種族の出入りを認めないところもあるそうだが、この港街では異種族であることはそれほど重要なことではない。
その証拠に、街には人間のほかにも獣人族の姿もよく見かける。人間に迫害されるわたしたちとは違って、獣人は早くから人間と従属関係を築いてきた種族だ。
人間を蔑みながらも従う者、人間の元で甘い汁を吸い彼らとともに横暴に振る舞う者、一方で誠実な人間と信頼関係を築き、情を通わす者や迫害を辞め手を取り合って生きるべきだと主張する者もいる。彼らの立場はわたしたちとは違って複雑だ。
そんな人間や獣人たちが闊歩する雑多な人混みの中、エルフたちの姿もチラホラと見かける。彼らも希少種であることに違いないが、わたしたち有魔族よりかはまだ圧倒的に数は多い。
彼らエルフの容姿端麗さは人間にとても好まれるから、わたしたちのように狩り尽くされることもなく、捕らえられてペットのように扱われることのほうが多い。
エルフを従えて歩くことは一種のステータスであり、また特に容姿が優れている者や能力が秀でている者は、伴侶になったり部下として取り立てられることもある。――同じ希少種でありながら、ただの魔導具の燃料扱いのわたしたちと彼らとはそこに決定的な違いがあった。




