約束した少年
かつての友人たちに対しての追憶を、記憶の向こうに押し隠す。なるべく感情を抑え込むように、わたしはわたしの両親の最期をローレルに話した。
ローレルは一度も口を挟むことなく、最後までただ黙って聞いてくれていた。
そうやって遠い日の思い出を掘り返しながら、街が祭りに沸くその様を飽きることなく眺め、わたしは果てのない追想に耽っていた。
人間として両親と三人で生きていたころ、毎日を息を潜めて生きていきながら、それでも喧騒に紛れて街を歩くのは嫌いじゃなかった。中には親切にしてくれた人もいた。いつも行く市場の店番、懇意にしてくれた食堂のおかみさん、騒がしい近所の悪ガキ。そのすべてはわたしたちを普通の人間たらしめてくれていた。
それでも。
何度来ても、何度見ても、この世界の人間をすべて滅ぼすことさえできればと、そんなことを願ってしまうくらいには、まだ悪夢の中から抜け出せていないんだと思い知ってしまう。
そしてそんなことさえもできなかった自分がここまでして生き続ける意味があるのかと、何度自身に問いかけても答えはまだ出てこない。ただどうしようもない虚無感だけがそこにあって、それにいまだに苛まれている。
それはあのなんでもない日々が、息を潜めながらも世界の美しさに感動していた日々が、まるで虚構だったと突きつけられているようだった。
やがて、夜が明けるころ。
「……そろそろ、戻ろうか」
やっと立ち上がって伸びをしたわたしに、こっちを伺うようにずっと沈黙していたローレルも動き出す。
「もういいのか?」
生え始めの柔らかい新緑のようなリーフグリーンの瞳を揺らしながらローレルがそう尋ねてくるものだから、思わずその頭を撫でてしまった。
「気遣ってくれているの? ありがとう」
「おい、人がせっかく殊勝な態度をとってやっているのに、台無しにするような真似はやめろ」
「うんうん、いい加減に戻らないと誰かさんは早くお風呂にも入りたいだろうからね」
「言いながらいちいち頭を撫でるな! やめろ! 子ども扱いするなと言っている!」
顔を真っ赤にして怒りだすローレルになぜだか安心する。
遠い過去の記憶からやっと戻ってきたのだと、その不機嫌そうな表情にやっと実感がわいてきた。
「また来年、来ようね」
最後にちらりと双子の紅い塔を振り返る。遠くの空に霞むその先端は、やはりここからではよく見えなかった。
転送ポイントを経由して無事に森の中の家に辿り着いたわたしたちは、それからも相変わらずいつもの日常を過ごしていた。
ローレルは変わりなく無愛想で無口でおこりんぼで、掃除は嫌がるし皿洗いも適当だし、ちゃんとするのは畑仕事と入浴だけ。話しかけても返事はあまり返ってこない。
彼は奴隷で、わたしは彼を買った所有者で、それは決して覆ることのない事実だ。その事実がある限り、ローレルがわたしに心を開くことなんて起こり得ないのだろう。
それでも彼はわたしたち有魔族の行く末を知って、そしてそれを忘れないと言ってくれた。その事実は、少なからずわたしの心を軽くしてくれた。
「ねぇ、ローレルはさ」
夕食のあとは寝るまでに短い団欒を過ごす。団欒と言ってもわたしが一方的に喋っているだけで、それは決して団欒とは言わないのかもしれない。ローレルは聞いているのかいないのか、いつも暖炉の火を見つめているだけだし、返事もしない。
「エレン・ケレブって知ってる?」
「……」
ローレルは返事をしなかった。いつものことだ。
「遠い昔に聞いた話だけど、耳長族の隠された王国らしいね。そこにはたくさんの耳長族がいるんだって」
ローレルはなにも言わない。沈んだ瞳になんの感情が浮かんでいるのか、わたしには伺い知れない。
「いつか君をそこにつれていってあげられたらいいな」
そこでやっと顔を上げたローレルはなにかを言おうとして、でもふいに言葉を切ると振り切るように首を振った。
「私はおまえに買われた。ここから出ていけるわけもない」
「……でも、いつかは」
「おまえのような奴がこんなところで一人で生きていけないだろう。人手がいるのなら素直に甘えておけばいい。余計な気を回すな」
この話は終わりだとでも言いたげに、ローレルは立ち上がった。
「もう寝る。なんだか今日は疲れた」
そう言うなり彼は私に背を向けて居間をあとにした。なんだか彼らしくない、曖昧で誤魔化すような返答だった。
ローレルは時折わたしの髪をじっと見つめているときがある。
「そんなにこの髪が気になる?」
ある日そう尋ねてみると、ローレルは見つめていることに気づかれたことが気まずかったのか、あからさまにそう表情に浮かべてきた。
「有魔族の中でも珍しいみたいだからね」
髪の束を引っ張ってみせると、ローレルはやはりマジマジと見つめてくる。
生まれたときから母の好きなフェアリーフィッシュに良く似た鮮やかな朱と銀の豊かな髪が生えていたそうだ。親が強い魔力を持つ場合、ごく稀にこうして頭髪の色が混じることがあるらしい。
「わたし的にはどうせ生まれ変わるなら、君みたいなきれいな人になりたかったけど……」
そこまで言って失言したことに気づいてハッと口を噤む。幸いにもローレルはわたしの髪を眺めるのに夢中で、わたしの言葉など聞いてもいないようだった。
「……そんなに気に入った?」
「勘違いするな。物珍しいだけだ」
「触ってもいいよ」
そう声をかけると、彼は緊張したように目を伏せておずおずと手を伸ばしてくる。ローレルはのびやかな腕を伸ばして、私の長い髪束を一房掬い上げた。
「……不思議だ」
うん、わたしもそう思う。いったいどんな規則性でこのように朱と銀がきれいに分け合って生えてくるんだろう。
「こんな髪色だと人間に狩られても不思議はないな。あいつらはなんでもコレクションしたがる」
「うーん、魔塊をほしがられることはあっても、そういった需要があるとは思えないな。ほら、見目は完全に君たちに負けているし」
「それはそうだが……だがこのような頭髪、そうそうお目にかかれるものでもないだろう」
ローレルは言われたことがいまいちピンとこないようで、キョトリと首を傾げた。
「人間にはそんなこと関係ないよ。必要なのは半永久的燃料としての役割だ。わたしたちに君たちのような飾りとしての機能は期待されていない。君たちは観賞用として保護されるけど、わたしは見つかったら薬を打たれて、」
ブスリと注射を打つマネをすると、ローレルはあからさまにイヤそうな顔をした。
「すぐに体が溶け始めて終わりだ。あとには魔塊しか残らない」
「……」
ローレルがどこかもったいなさそうに、こわごわとわたしの髪を撫でている。
そんなにこの色が気に入ったのかな。ローレルって案外と派手好きなんだな。
「……そんなに気に入ったのならさ」
思いのほか近い距離で、ローレルが顔を上げた。明るい緑の瞳の上を甘い金色のまつ毛がハラリハラリといったりきたりしている。
「君がもし最期までそばにいてくれるのなら、その時がきたらこの髪を君に遺そうか」
死んだらすぐに土に還っちゃうからね、そう言うと、ローレルは考えたくないとでもいうように強く首を振った。
「こんなものいるか」
「えー、いらない? わたしは君の髪、ほしいけどなぁ」
ローレルの目が驚いたように見開かれる。大きく開いた目の中にある生まれたての緑の宝石には、随分と嬉しそうな顔をしたわたしが映っている。
「君の髪、ふわふわで柔らかくて絹の糸みたいに繊細だ。もしも君が死ぬその時までここにいてくれるのなら、最期にはその髪を遺してほしいなぁ」
「……勝手にしろ」
ローレルはわたしの髪から手を離した。朱と銀の髪束がはらりと宙に舞って流れ落ちる。ローレルはこっちに背を向け、どこかを見つめている。
「私が死ぬまであとどれほどの長い時間が必要か……そのときにはすでに、おまえは今の約束など忘れ去ってしまっているだろう」
「そうだねぇ……うーん、それにローレルがいつまでもそばにいてくれるとも限らないしね」
「……フン」
この話は終わりだとでもいうようにローレルは居間から立ち去った。
ある日の夕食後の、団欒の話だった。




