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思い返す少女

ここまで読んでいただいて、ありがとうございます!

 

 ここでの崖の上での時間を、ローレルはいつになく粛々と過ごしていた。

 人間の都市ユートピアでは、紅の塔建設の周年を迎えてちょっとしたお祭り騒ぎをしている。昼夜関係なく煌々と灯りを点している様は、まるで賑わいの声が聞こえてきそうな錯覚を抱かせるほどだ。


「……ねぇ、どうせここにいるならさ」


 話しかけたけれど返事は返ってこなかった。ローレルはその無垢に揺れる瞳を、ただ紅の塔に向けていた。


「少し昔話を聞いてくれない? わたしが人間として、人間に混じって暮らしていたころの話なんだけどさ。わたしの両親の最期……君にも知ってもらいたいんだ。わたしたちを悼んでくれる君にだけは、話しておきたくて……」


 ローレルはなにも言わない。その横顔を見つめるうちに、記憶の奥底に置き去りにしていた過去が奔流のように押し寄せてきた。








 両親と一緒に人間に混じって暮らしていたころ。

 わたしたちは各地の町や村を転々としながら生きてきた。人間と違ってとてもゆっくりと年をとっていくわたしたちは、他種族だとバレないうちにその土地を去る。数年単位での放蕩生活だった。

 なかにはよそ者に厳しい所もあったから楽しいことばかりではなかった。でも父は薬学に精通していたし、そして誠実な商売を心がけていたから、旅する薬師一家としては概ねどこの町でも受け入れてもらえていた。

 そうやっていろんな町を旅してきたけど、一番最後に立ち寄ったのは、今ではもう行くことのないどこか遠い国の港町だった。

 あそこは本当に暮らしやすかった。身元を詮索するような者もいない。よそからきたからと背を向けられることもない。誰もが友好的で、それでいて無関心で、でもだからこそ互いに成り立つ信頼と居心地の良さがあった。――心から、そう思っていた。







 そのころのわたしは、父の仕事を手伝って薬の配達を担っていた。


「リナリア、これを頼んでもいいかい?」


 工房がわりに使っている部屋のほうから、穏やかな父の声が聞こえる。


「いーよ! 今日は、と」


 母さんが用意してくれたパンを咥えながら顔を出すと、「まだ食べてたのかい」と穏やかな顔で父さんが笑う。


「リナリア、まだスープも残ってるわよ」


 咎めるような母さんの声も響いてきて、慌てて居間へと戻る。

 今はみんな、茶色い髪に茶色い目。平凡な見た目のわたし。どこにでもいるような、ただの人間の家族。いつまでも変わらない、平穏で単調で、でもそんな日常にわずかに潜む緊張感。


「近ごろまた新たな魔導具が開発されたらしい。魔力探知機だそうだ」


 包み終わった薬を持って、父さんも居間へと現れた。一段落ついたのか、母さんの差し出したお茶をゴグゴクと飲み干したあと、そんなことを呟く。


「有魔族の数に限りがあることを奴らはやっと思い出したようだ。残り少ない()()を見つけるために、かなりの資金をつぎ込んで完成させたらしい」

「まぁ……」


 母さんの顔が、わずかに青褪める。


「そろそろ、人里を捨てるという選択肢をとるべきかもしれないな」

「そうね。でも……」

「わたしは平気だよ? いつでもその覚悟はできてるよ」


 慌ててそう答えるけど、父さんも母さんも静かに微笑むだけだった。

 多分、わたしの内心なんてバレバレだったんだと思う。わたしは正直、まだこの居心地のいい港町を離れたくなかった。

 ここにはこんなわたしにも仲良くしてくれる子たちがいたんだ。


「リナリア! 遊ぼうぜ!」


 父に頼まれた配達をこなそうと手押し車を引いて歩いていると、元気のいい声に呼び止められた。


「今日の配達はあと何件?」

「ステイ! エマ!」


 振り向くと快活な笑顔が出迎えてくれる。襟ぐりの開いたシャツを鮮やかなサッシュベルトで留めている、この港町では珍しくもない格好。

 青みがかった黒髪は長く、あちこちに跳ねているそれを彼は一纏めに結っていた。そして港の先に広がっている明るい海を彷彿とさせる、鮮やかなマリンブルーの瞳。

 その瞳を輝かせて、この街での唯一の友だち、ステイとエマの兄妹がそこに立っていた。


「今日は多いよ……角っこの靴屋のおじいさんに、肉屋のおかみさん、あの花屋の若夫婦にも今日は呼ばれたし。あの夫婦、惚気話が長いからねぇ」

「うへぇ」


 その途端顔をくしゃくしゃにしてみせたステイに、思わず笑ってしまう。

 ステイたちは、今この街に停泊している傭兵海賊団の船長の子どもだ。生まれるときに産婆さんの到着が間に合わず、「待て!」と言われたにもかかわらず生まれてきたからこの名前がついたのだと、ステイは笑って教えてくれた。

 快活な笑い声が眩しい、よく笑う明るい少年。ステイは明るくて親切で、世話焼きな男の子だった。


「リナリアは優しすぎるんだよ。そんなのハイハイって適当に頷いて切り上げてきたらいいのに。じゃないとあたしたちと遊ぶ時間がなくなっちゃうじゃん!」


 その横で頬を膨らませているエマに苦笑を向ける。エマはステイと同じ青みがかった黒髪を長いおさげにした、勝ち気で元気な少女だった。

 二人はこうしてよく町中でわたしを見つけると話しかけてきてくれた。

 二人と初めて会ったのは、ステイのお父さんに薬の配達を頼まれたときだ。船まで届けてくれと言われて港で立ち往生していたところに声をかけてくれたのが、ステイだった。


「えーやだやだ! リナリアと遊びたい!」

「でも今日はちょっと無理かなぁ」

「そんなの絶対ヤダ!! 兄貴!」

「しょうがないなぁ」 


 ニヤリと笑って見せたステイに、嫌な予感がして後ずさる。


「配達手伝ってやるか」

「え、いいよ遠慮する! 一人で大丈夫だから!」

「そうしよ! リナリア一人じゃいつまで経ってもちんたらするからな。リナリアもそう遠慮するなって!」


 言うが早いがステイはあっという間に手押し車を奪い去ってしまった。


「リナリアも中に乗れよ!」

「イヤ! 絶対にイヤだから!」

「そんなこと言ったってリナリアの足じゃ到底追いつけないだろ。早く乗れって」


 ステイは無理やりわたしを荷台に乗せると軽く準備運動をして、それから手押し車の取っ手を持ち上げた。


「くれぐれも安全運転で……」


 そう言い終わらぬうちに、ステイはすごい速さで駆け出し始めた。


「ステイー-!!」


 半ばキレ気味に名前を呼ぶも、ステイは笑ってばかりでちっとも相手にしてくれなかった。後ろからエマもそのスピードについてきながらケラケラと笑っている。

 今思えば、ステイたちには他種族の血が入っていたのだと思う。おそらく獣人族か、エルフ族。外見上はこれといった特徴はなかったが、二人には驚異的な身体能力の高さがあった。

 ステイたちはやや乱暴にわたしを各配達先まで届けて終えると、あまりの速さに目を回したわたしに出店から搾りたてのジュースを買ってきてくれた。


「そうぶすくれんなって。早く終わってよかったじゃないか」


 ステイが伺うようなマリンブルーの瞳で覗き込んでくるものだから、わたしは降参するしかなかった。


「……手伝ってくれたことには感謝してる。思ってた何倍も早く終わったし。……おかげでステイとエマと一緒に遊べるし。でも! ステイの配達速度、早すぎ!」

「ごめんごめんって。次から気をつけるからさ」

「次なんてなくていいよ! 今度から自分でちゃんと配達するから!」


 眩しい太陽の下で、明るい笑顔がキラキラとわたしを見守っている。――もしかしたら、このときわたしはステイに恋をしていたのかもしれなかった。

 彼らは人間として暮らしていた中で、ただ唯一心を許した人たちだった。








「ただいまー……」

「お邪魔しまーす!」

「お邪魔しまーっす!」


 そんな毎日がしばらく変わりなく続いていた。

 今日も今日とてステイたちに配達を手伝ってもらって、家まで送ってもらう。明るい声で挨拶をした二人に、母さんに続いて父さんまで顔を出した。


「おじさん、今日もいつものやつ、いい?」

「ああ、そう言われると思って用意していたよ」

「さっすが! うちの親父が贔屓しているだけあるよなぁ」


 生意気なステイを半眼で見るも、ステイはへへっと笑い返してきただけだった。

 ステイの親父さんはこうしてちょくちょく父さんから薬を買っていたようだった。それがなんの薬かは知らされていなかったが、一般的な治療薬のほかにも少々違法な薬の依頼も時々あったようだった。


「二人とも、今日もうちで食べて行く?」


 ニコニコしながら出てきた母さんに、ステイとエマはパァッと破顔させた。


「いいの? やった! おばさんの料理めちゃくちゃ美味いんだよね!」

「それにうちじゃ出ないような料理を出してくれる!」

「そう言ってもらえると作り甲斐があるわね。じゃあできるまで水浴びでもしてきなさいな」


 おっとりと笑った母さんにガッツポーズして、二人は後片付けをしていたわたしを忙しなく促した。








 街には浴場もあったけど、わたしたちはよく人目を避けるように街外れの森の奥の湖で水浴びをしていた。

 ステイはいつもそこに着くと、遠慮もなにもなく服を脱ぎ捨てて湖の中を泳ぎ出す。まだ年若いといっても鍛え上げられた体には無駄のない筋肉がついていて、その体は傷だらけだった。

 ステイが湖の奥まで泳ぎながら遊んでいる間、わたしとエマは水浴びを済ます。たまにステイから一緒に泳ごうと誘われるけど、さすがに裸のステイを直視する勇気はなくて、それだけは今まで一度も頷いたことがなかった。

 思う存分たっぷりと水浴びをして、服を着る段になって、いつもと違ってステイは突然鼻をひくりとさせた。


「……おかしい」


 このとき初めてわたしはステイの警戒するような低い声を聞いた。こんな声も出せるのかとどこか場違いな感想を抱いたわたしに、ステイは囁き声と身振りで制してきた。


「きな臭い匂いがする。リナリアはエマとここで待ってろ」

「でも……」


 家にはまだ父さんと母さんがいる。


「俺が様子を見てくるから。絶対にここにいろよ! エマ、リナリアを頼む」

「あいよ!」


 言うが早いがステイはあっという間に見えなくなってしまった。瞬く間に消えてしまった後ろ姿に、急速に不安が押し寄せてくる。

 絶対にあり得ない。人間がわたしたちを見つけられるはずがない。それでもいつかの父さんの声が蘇る。


『近ごろまた新たな魔導具が開発されたらしい。魔力探知機だと』


 膨れ上がった不安をどうにか押しとどめたくて、わたしは居ても立っても居られなくて、ステイの後を追おうとした。


「リナリア! ダメだぞ!」


 途端にエマに尋常じゃない力で引き留められる。


「エマ、お願い! 両親が危ないかもしれない!」

「でも兄貴が……」


 エマをじっと見つめると、無垢な顔に苦悩の表情が現れた。


「っ、今回だけだからな!」

「ありがとう……!」


 エマはわたしの手をとると「しっ!」っとそれだけジェスチャーしてきた。








 時はすでに遅し、だった。

 家の周りは武装した見知らぬ人たちに囲まれ、その足元には見たこともない最新の魔導具があった。

 しばらくして家の中から、縛られた父と母が出てくる。乱暴に引っ張られ、母の顔は叩かれでもしたのだろうか、無残にも赤く腫れあがっていた。

 その姿に思わず駆けだそうとしたわたしの手を誰かが強く引っ張った。


「……待ってろって言ったのに」


 真剣な顔をしたステイだった。


「ねぇ、あれ……どうして父さんと母さんが捕まってるの……行かなきゃ、行って助けなきゃ……!」

「ごめんけど、それはさせられない」


 ステイは有無を言わさずわたしを抱えた。


「っなにするの、離してよ!」

「おじさんからの依頼だ。いつかこういうことが起きたら、そのときはって……現実にならなければいいけどって、言ってたのにな」


 いつも快活に笑っているステイとは思えないほど、冷静で容赦のない声音だった。


「リナリアを無事に逃がす。もう依頼金は受け取っている。これはハイレイン海賊団の名にかけてこなさなければならない依頼だ。だから……本当にごめん、リナリア」


 言うが早いが罵倒しながら喚くわたしの口を押さえ、ステイは密やかに駆け出した。








 

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