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結婚休暇は一週間もあるし

 ヴィヴィアンは喉の乾きを覚えて目を覚ました。


 カーテン越しの窓の色は外は薄暗い。


 サイドテーブルにある水差しを傾けてコップに注ぎ、三回に分けて全て飲みきってからそろりと元の位置に戻る。


「……」


 エドガーはぐっすり熟睡していて起きる気配がない。

 なので、頬杖をついて観察することにした。

 眉毛が下がってて、ちょっと開いてる口が可愛い。


「エド? ……死んだ?」


 あまりにも静かなので、生きているか心配になって心音を確認してから、ほっと息を吐く。


「……よかった。生きてた」


 ──今日(昨日?)は結婚式だった。


 式での誓いのキスも、結婚誓約書にサインも、披露宴も滞ることなく済んで、あとは初夜だったのに、緊張を和らげようとワインを一本飲んで酔っ払って管を巻き、エドガーに面倒くさい絡みをしまくった。


 ヴィヴィアンは酔っ払っていた時の記憶を保有するタイプの人間だ。


 なので、さきほどのことを想い出して、恥ずかしくなって「うう」と唸る。


『おさななじみだから、すきになったってこと?』

『うん、まあそうなんじゃないの? 知らんけど』

『それって、いもうとみたいってこと?』

『妹っつうか……昔からずっと側にいたから、ヴィヴィが身近な異性で……基準みたいな? そんな感じ』


 ──ヴィヴィアンは、自分を寝かしつけようとするエドガーを無視して質問をしまくっていた。

 結婚式が済み、消えていった二冊の本の内容からくる不安はなくなったと思っていたのに、アルコールによりそれがぶり返してしまったのだ。


『それって、ほんとにすきなの? すりこみじゃなくって?』


 むっとしながらの質問に、エドガーもイラッとしたのかも知れない。ぴんっと額を指で弾かれた。

 そして、エドガーは『刷り込みの何が悪いんだ? 人なんて皆凝り固まった固定観念やら思い込みで生きてんのに』と言って、弾いた箇所を撫でた。


『お前だって俺のこと好きって思い込んでるだけか、刷り込みかも知れないだろ』

『ひどい。そんなことないもん。うたがうなんて、ひどい』

『はあ? ヴィヴィだって、俺のこと疑ってんだからお互い様だろが』


 撫でるくらいならしなければいいのに。

 と、思いつつ、エドガーの言葉はヴィヴィアンの胸にすとんと落ちて、長年引っかかっていた何かも一緒に落とした。


『……いわれてみれば、そうかも……? ごめんね』


 こうして、ヴィヴィアンの怖いことはこんな形で解決した。


 よかった、もう不安はない──会話って大事だ。

 今後何か不安に思うことがあったら、しっかり話そう。

 ヴィヴィアンの愛読しているロマンス小説でヒロインとヒーローが拗れる理由は、大体が『会話不足』だ。


『そゆこと。……解決したか? 寝るぞ』

『うん、ねるっ』


 しかし、ガウンを脱ごうとしたヴィヴィアンは『待て』とエドガーに止められた。


『む。なんでとめる』

『馬鹿。目つむって夢見る方の、寝るだ』

『……しょやは? すっごいのは?』

『いいから寝ろ。朝覚えてねえってお前に泣かれでもしたら、俺も一緒に泣く自信がある』

『わたし、おぼえてるもんっ』

『ああ、そうだな。酔っ払いは皆そう言うんだ』


 本当に、しっかり全部覚えてるのに。

 もにゃっとした言葉でヴィヴィアンが反論しても、『はいはい』と返ってきて……そのまま寝た。


「なんかムカつく」


 ぎゅむり。エドガーの鼻を摘む。


「あははっ」


 エドガーの眉根が寄って苦しそうな顔は可愛い。


「……あにすんあ」

「あ、起きた。おはよう」

「いや、まだ夜中」

「エド、鼻ふがって鳴ってた」

「何なのお前」


 寝かせろ、と言って腕を瞼に乗せているエドガーは機嫌が少し悪そうだ。

「寝た?」とヴィヴィアンが聞くと、「寝た」と眠たそうな声が返ってきた。


「ねえ、エド」

 ──ヴィヴィアンはふと本のことを、エドガーに話したくなった。


「信じてもらえないかも、なんだけど」

「うん? 何?」

「私、十三歳の時に不思議な本を拾ったの。でね、その本には私の破滅? が書かれてたの」


 エドガーは「破滅……」と小さく呟くと顔の上から腕を退けてヴィヴィアンに視線を寄越す。


「そう、私は何らかの罰を受けていて、その罰の一環として畑仕事しているんだけど、にん、……あ、その本は全部読む前に手の中から光って消えていっちゃったから、中間の内容は知らないんだけど、えっと、」

「……『にん』、何?」

「な、何でもない。……それより今の話、信じてくれる?」


 ……妊娠してたことは言わなくてもいいかも知れないと思った。

 何となくだが、本の中のヴィヴィアンの相手はエドガーではない気がするのだ。


「分かんね。でも、あの時からヴィヴィは変わったし……完全に嘘だとも思えない。つうか、その本に俺がお前のこと捨てて、他の女選ぶみたいな描写ってあったりした?」


 するどい。


 ヴィヴィアンが「わあ」と言って拍手を送ると、エドガーは「あー……理解」と言った後に、欠伸を噛み殺して言葉を続けた。

 

「だからあんなにしつこく聞いてきたのか……相手は公女様ってとこか?」

「うん」

「最悪な本だな。言っとくけど、俺は公女が苦手だ」

「あ、うん。そんな感じだね」


 仲良くしてね、と言ってみるが、彼からの返事はない。


 ヴィヴィアンが思っているより、エドガーはカトリーナのことが苦手なようだ。

 あんなに綺麗で強くて格好良いのに……。


「じゃあ、もうその本の内容と、『今』ってもう全然別物だよな?」


「うん」

 まさに言おうとしていたことを全て言われた、とヴィヴィアンは思った。


 あの本は消えた。

 書いてある未来は来ていない。


「ならもう平気だな?」

「うん。もう平気。……でも私のこと、捨てられたら倒す」


 倒すとは言いつつ、ヴィヴィアンはエドガーに振られたら死ぬと思う。


「……信用ねえなあ」と口を尖らせるエドガーは拗ね気味だ。


 もうどんな表情でも可愛く見える。

 可愛過ぎてにやにやしてしまう。


「ふふふ」

「……何」

「はっ、エドが可愛くて、つい」


 いつの間にか、ヴィヴィアンはエドガーの頭を撫でくり回していた。


 そしてやっぱりエドガーと黒猫エドは似ていると思った。

 色だけじゃなくて、可愛いところがそっくりだ。


 可愛い。


「可愛いって言うな」

「分かった」


 これからは心の中で言おう。


「ほんとかよ……あ、もう朝じゃねえか」


 エドガーの言葉に窓の方へ視線を移すと、カーテンの外から光が漏れていた。


「あーあ、初夜なのに何にもしなかったね」

「何が『あーあ』だ。酔っ払いめ」

「エド、私、酔ってても記憶あるタイプだよ。……今から、す、する?」

「…………いい。ここお前の実家だし、ジェシーもいるし。……それに結婚休暇は一週間もあるし……」

「もにゃっとエドだ」

「うるさい」


 ほら、もう一眠りして、起きたらビイシ地区の家に帰るぞ。と、言われて抱き寄せられる。


 どくんどくんと心臓の音が耳元で響いて眠れない……と、思いきや、眠たくなってきた。


「おやすみ」と言うエドガーも眠そうな声だ。


 ──そうか、今日から自分は、この男の眠そうな『おやすみ』と、一日の始まりの『おはよう』が聞けるのか。


 ヴィヴィアン、この瞬間、ようやく自分が結婚したという実感が湧いてきた。


「エド、大好き! おやすみなさい」


 ぎゅーっと抱きついた彼は、ふわふわな頭のてっぺんに唇を落としてから、とっても楽しそうにくすくすと笑ってからヴィヴィアンの耳に唇を寄せて、とっても素敵な言葉を囁いた。



「──」



 この時、唐突に。


 ヴィヴィアンは、自分は女の子を産むのだろうなと思い、エドガーはとんでもない親馬鹿になるだろうなとも思った。


 目が覚めたら、エドガーに、『私がしっかり者のママになるね』と教えてあげよう。


 ヴィヴィアンは、頭の上から聞こえてくる寝息に「ふふふ」と笑い声を漏らし、瞼を閉じた。




【完】

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