今なら間に合いますから!
マリッジブルーなのかも知れない。……なにそれおいしくなさそう。
ヴィヴィアンは、結婚式──結婚誓約書にサインする二週間前にして、味わないだろうと思っていた気持ちを感じていた。
なんだかどんよりした憂鬱な気持ちが心を支配しているようだ。
『変わってないな』
昨日のエドガーは、どんな表情であの言葉を言ったのだろう。そっぽを向いていたから分からない。
ここ思い返せしてみれば、ヴィヴィアンはエドガーにだけ我儘な態度だった。
ちょっと反省した時期もあったが……今は『あれがしたい、これがしたい、それも欲しい、あれも欲しい』をエドガー限定に発揮している。
エドガーはヴィヴィアンを好きだと言ってくれる。
ヴィヴィアンも、彼の気持ちを疑っていない。
では、なぜこんなにも不安なのか?
と、いうわけで、ヴィヴィアンは美味しくないマリッジブルーをもぐもぐするのであった。
◇◇◇
突然だが、ヴィヴィアンは閉じ込められた。
「わあ、大変」
二年前、ヴィヴィアンはメラニーの姐御の洗礼を受けたので二回目の閉じ込められである。
しかも、今閉じ込められてるのは、二年前と同じ衣装の廃棄場所として使われている物置部屋だ。
しかし、今のメラニー姐さんはすっかり牙が抜けて大人しい。というのも最近十年ぶりに再会した幼馴染といい感じらしく、彼女の雰囲気はとっても柔らかい。
……心が満たされている、『幸せな女』という生き物は他人を傷付けない。
それに、メラニー姐さんはヴィヴィアンがこの部屋から簡単に出られることを既に知っている。
つまり犯人は、「ブリトニーさん?」。
ヴィヴィアンが呟いたと同時にカタン、と部屋の扉の向こうで音がなった。
ビンゴだ!
ブリトニー・リー・ペシが王宮に上がったのは半年前。
彼女はヴィヴィアンと同じ男爵家の娘だ。
ヴィヴィアンが憧れてやまない金髪と豊かな胸を持っている彼女とは、サンドラを通じて知り合った。
最初は仲が良かった……とかではない。全く。
でも別に嫌われていたとかではなかった。挨拶もしていたし、雑談もしていた。
だけど、ある日『アレクサンダー様と婚約しているって本当ですか?』と思い詰めた顔で聞かれ頷いてから、彼女の態度は変わった。
でも無視したり、ヴィヴィアンがいないかのように振る舞うだけという害のない態度だったので気にしていなかった。
しかし、とあることからブリトニーは、昔のメラニー姐さんを彷彿とさせる行動をすることになる……。
『今年は、独身生活最後のウィスタリア・フェスティバルだねっ』
『そうだな。でも来年も一緒に行くのにそんなの関係あんのか?』
『あるよ。記念でしょ?』
『そういうの好きだよな、ヴィヴィって。じゃあ、今年も記念硬貨買うか?』
『毎年買うの。今年は自分で買うから、買ってくれなくてもいいよ』
──多分、というか絶対、あの会話が原因だ(と言ったのはサンドラである)。
ヴィヴィアンとしては、イチャついていたつもりはなかった。
なんてことない日常的な彼との会話だった。
が、ブリトニーと一緒にこの場面に居合わせたサンドラによると『え? あれでイチャついてなかったとか言うの? アレクサンダー卿、ヴィヴィちゃんの髪の毛指に絡めてくるくるしてたんだよ? ねえ、あれでイチャついてなかったとか言うの?』と、同じことを二回も繰り返すほどに、ヴィヴィアンとエドガーの二人は、『あれは世間一般的に、すっごくイチャついていた部類だよ! この恋愛上級者め〜〜〜っ!』だそうだ。
そして、サンドラは『ブリトニーの顔が怖かった』とも教えてくれた。
からの、ブリトニーからの『アレクサンダー様と寝たの』発言である。
「ううう……」
ヴィヴィアンは呻いた。
は、恥ずかしい。
所謂、共感性羞恥心である──過去の自分のカトリーナへの愚かしい行動が、今の自分を苦しめる。
「ブリトニーさん、今なら間に合うから更生しましょう? 今なら間に合いますから!」
扉の向こうにいるであろうブリトニーに、『今なら間に合う』と強調し、ヴィヴィアンは説得を試みた。
嫉妬にかられて愚かしい行動をする彼女はまるで、『悪役ヴィヴィアンの一生』の中の自分のようで、見ていてはらはらするのだ。そして恥ずかしい。
というか、なぜエドガーは変な女ばかりに目を付けられるのか……あれ? もしかして、その『変な女』の中にヴィヴィアンも含まれていたりする?
「うるさいうるさいうるさいうるさいっ」
ヴィヴィアンが、うーん? と考えているところで、ドンッ! と扉が叩かれた。
どちらかというと、ブリトニーの方がうるさいのだが……。
なにやら、ヴィヴィアンの言葉がブリトニーを怒らせてしまったらしい。
「ずっとそこにいればいいのよ!」
すぐ出られるんだけどなあ。と、思いつつ「開けてください」とヴィヴィアンは言ってみた。
しかし、案の定「開けるわけ無いでしょ! 馬鹿じゃないの!」と叫ばれた。
開けてくれないだろうなあ。と、思っていたけれど。
たったったーっと、足音が離れて「ふう」と息を吐く。
そして、扉にくるりと背を向けたところで、ヴィヴィアンは小さく悲鳴を上げた。
──かつて手の中で光の粒子になって消えた、あの古びた装丁をしている本が、暗闇の中で青白く発光していたからだ。
腰が抜けて、ぺたんと床に座ってしまう。
「……や、やだ、嘘……だって、私もう……」
我儘は直ったのに、どうして……と思い、はっとする。
ヴィヴィアンはエドガーには我儘放題だった。
怖い。
怖いけど、読まないのはもっと怖い。
「……とりあえず、読もう」
ヴィヴィアンは本を手に取り、表紙の埃をお仕着せのエプロンで拭った。
手に取った瞬間、分厚かった本はとても薄いものに変化した。
しかも、本のタイトルは『悪役ヴィヴィアンの一生』ではなかった。
そして、長過ぎるその本のタイトルは虫に食われたように文字が塗りつぶされていて全文が読めない。
『悪役令嬢に転生したので●●で●●●●なピンク頭の男爵令嬢ヒロインを●●して、憧れの騎士様と●●してみせる!』
なんのこっちゃ、さっぱり意味のわからないタイトルである。
しかし、『ピンク頭の男爵令嬢』という記述に悪意があるだけは確かである。
理解不能なタイトルと同じく、その中身も理解不能だった。
ある日、すまあとふぉんという名のコンパクトで、うえぶ小説を読んでいたJKという職業のミミコが事故に遭い、ヴィヴィアンの暮らすこの世界に転生するというプロローグは、三回読んでも意味が分からなかった。
ミミコ以外に登場人物に名前がないのも不可解だ。
だけど、一章第一話で、JKミミコが金髪紫眼のスタイル抜群な美女である『悪役令嬢』に転生したことを知り、推しの騎士様と結婚してやる! と意気込むシーンを読んで、ヴィヴィアンは何となく物語の流れを察した。
ミミコの推しの騎士の婚約者が『ヒロイン』ということも分かった。
──ミミコは、転生する前に読んでいたうえぶ小説のヒロインを大層嫌っていた。
ヒロインを『脳内お花畑の我儘ぶりっこ女』と、罵る描写はとても稚拙だが、いかに嫌いか分かる文章である。
というよりも、この本の文章の書き方自体に馴染みがなく読みにくい。
一話一話が短い一章は、悪役令嬢になったミミコが推しの騎士にアプローチする話で、二章ではツンと冷たい態度だった騎士の態度が軟化する話で、とうとう三章では我儘ぶりっこヒロインを成敗し、ミミコと騎士が結婚する話だった。
「ん? 何これ?」
ツッコミどころ満載な物語のくせに、やけにヒロインの成敗方法だけはリアルで力の入った内容なのが、ヴィヴィアンの頭を混乱させる。
そして、とっても詰まらなかった……。
そも、ヒロインの我儘なんて幼少の頃のヴィヴィアンに比べたらとっても可愛いもので、『我儘な婚約者に困ってる』と言ってミミコを抱き締める騎士様には「は?」と思わず怒りの声が漏れた。
しかも『貧相な体の婚約者に食指が働かない』という騎士の心理描写には殺意が生まれた。死ねばいいのに……と歯がぎりぎり鳴った。
「これで終わり???」
意味が分からず、「ん? ん? ん〜〜?」と左右に首振り運動していると、どかどかと大きな足音が近付き、部屋の扉がやや乱暴に開いた。
「ヴィヴィ!!!」
「あ、エドだ」
「お前、大丈夫か!?」
「うん? 大丈夫だけど?」
「……本当に大丈夫そうだな」
「うん」
とっても温度差のある会話である。
どうやらエドガーは昨日のヴィヴィアンの態度が気になって、探してくれていたそうだ。サンドラのところにも、猫エドのところにも、部屋にも、いないので、厨房でささみを茹でてるのかと探しに行った先で、ブリトニーが同僚に「閉じ込めてやった」と得意げに話しているのを聞いたらしい。
彼女は、昔読んだ物語の中のヴィヴィアン並に迂闊な女である。
「何してたんだ? こんな部屋なんかすぐ出られるくせに」
隣にどっかり腰を下ろしたエドガーに聞かれ、ヴィヴィアンは一瞬怯んだ。
そして、「うんと、読書?」と、疑問形で返してしまった。
「本なんてどこにあんの?」
「あ、あれ……?」
さっきまで読んでいた本は、ヴィヴィアンの手の中から消えていた。




