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キスくらいしてくれてもよかったのに

 エドガーが砦に行ってから、三週間と一日後。

 ヴィヴィアンは、十八歳の誕生日を迎えた。


 当日の朝、彼から押し花と手紙が届いた。


 便箋いっぱい大きく書かれた『愛してるぜ!』には、声を出して笑ってしまった。全然、柄じゃなくって笑えたのだ。

 きっと、彼の兄が書け書けとけしかけたのだろう。

 だって、手紙の二枚目の内容とテンションが違い過ぎる。


 二枚目には、謝罪の言葉やヴィヴィアンを心配する文字ばっかりだった。

〈プレゼントがショボくてごめん〉と、いう文言には「そんなの全然いいのに」と思わず言葉が漏れた。


 押し花にされたその花を、彼がどこで見つけて、どんな顔で押し花にしたのか? と考え、これまた笑った。

 寒い北部に花はとても少ないのに……。

 そう思うと、ほんの少しだけ泣けた。


 エドガーからの手紙は、ヴィヴィアンを笑ったり泣いたりと、忙しくさせる。

 そして、読み終わるとどうしようもなく寂しい気持ちに襲われるので、忙しいどころではなくなる。

 ……会えなかった期間だってあったのに。

 それなのに、もうそれを思い出せないほど、彼に会いたくて堪らない気持ちになるのだ。




 エドガーの誕生日の夜、ヴィヴィアンはエドガーに寮に帰りたくないとごねた。


 同僚達が恋人と外泊しているの知っていたからだ。

 そして、彼女達が泊まった先で何をしているのかも知っていた。


『今夜は私と一緒にいて』


 ありったけの勇気をかき集めた言葉で、精一杯に背伸びした、最大級の誘惑だった。


 なのに、エドガーは、少しも悩まずに『だめだ』と言った。


『酷い、馬鹿! 女に恥かかせて、最低! 馬鹿! エドは私のことが嫌いなんだ! もういい! 婚約なんて破棄してやる! 結婚もしない! 嫌い、大嫌い!』


 大人の対応のエドガーとは違い、ヴィヴィアンはあの頃みたいな我儘な子供に戻って、彼をこれでもかと詰った。


『……何もうっ……笑わないで……私、エドが死んだら、エドのこと絶対許さないから……』


 そして、うわあん! と声を上げて泣いた。


 泣くなよ、と困ってる声のエドガーに、ヴィヴィアンは『ざまあみろ!』と思ったし、実際にそう言った。


 ヴィヴィアンを子供扱いするエドガーなんて、困ればいいと思った。

 

『心残りがないと、死んでもいいって思うかも知れないだろ?』

『……何それ。心残りって私?』

『そうだよ。今夜、俺がヴィヴィのこと持ち帰ってめっちゃくちゃに抱き潰したら、砦でここぞって時に諦めるかも知れないだろ』

『な、だ……っ』

『自分から誘っといてこうなるんだもんなあ』


 そして、ぐずぐず洟を鳴らすヴィヴィアンに『だから心残りがいるんだよ』と言って、エドガーは笑った。




 ──あの時の会話を思い出すと、ヴィヴィアンはいつも顔が熱くなる。




「キスくらいしてくれてもよかったのに。 ね、エドたんもそう思うよねー?」


 愚痴るヴィヴィアンに、黒猫エドは「にゃ」と小さく鳴いてから首を傾げた。


「はあ……」──エドガーと離れてたったの三週間で、とても嫌なことがあった。


 不快な気持ちを落ち着かせる為にアニマルセラピーにやってきたということが、猫のエドには、分かったらしい。


「今日のエドみゅーは優しいね……」


 その証拠に、ぷりんぷりんなささみちゃんを持ってないヴィヴィアンに、彼は寄り添ってくれた。






 嫌なこととは、エドガーの同期の男ショーンに、言い寄られていることだ。


『あいつが死んだら俺にしない?』


 最悪な男だ。


 最初から思ってた。

 厭らしい顔をしてるゲス野郎で、サンドラの胸ばかり見てる変態野郎だ、って。


 今までは、エドガーの同期だから、すれ違い様に挨拶をしていたのに……。


 本当に最低な男だ。


「エドたそ、私決めたよ。……私、あのショーンって男、やっつける」


 にゃん、と鳴くエドに、ヴィヴィアンは大きく頷いた。




 ◇◇◇




 数週間後。


 ヴィヴィアンはカトリーナの屋敷に遊びに来ていた。

 妊娠中のカトリーナが『つわりがようやく落ち着いたの』とお茶会に呼んでくれたのだ。


「妊娠おめでとうございます、カトリーナ様!」

 ヴィヴィアンは持ってきた贈り物を、妊娠四ヶ月のカトリーナに手渡しながら言った。


 美形の王弟殿下と美しいカトリーナの子供は、さぞや美しいことだろう。

 まだ生まれていなくとも、それだけは確実で確定だと分かる。


「ありがとう、ヴィヴィ! 開けてもいい?」

「もちろんです!」  


 プレゼントは赤子用の靴下と、からころ鳴る布製の玩具だ。


「まあ、可愛らしい!」とカトリーナが弾んだ声を出した。


 姉のアドバイスを参考に、ヴィヴィアンがデザインしたのだが、カトリーナが心から喜んでくれているようで嬉しい気持ちになった。


「そういえば、ヴィヴィは今年デビュタントなのよね?」


 カトリーナの言葉に、ヴィヴィアンは無理に作った笑顔で「はい」と答える。


 一ヶ月半後に催されるデビュタントに、エドガーは間に合うだろうか──……期待してはいけないと分かっていても、どうしてもそれをやめられない。



「……ヴィヴィは、その、元気かしら?」


 エドガーがいなくて、という言葉を、カトリーナはきっと飲み込んだ。


「はい。でも、エドがいないとやっぱり寂しいです」


 寂しくないという嘘を吐こうとしてやめた──大好きな友達だから、寂しい気持ちを共有したかった。


「……そうね、私もエドガーで遊べなくって寂しいわ。ふふ! 帰ってきたらあなたとお茶を飲んだことを自慢するから、今日は楽しみましょう?」

「はい! そうだ、私聞いてほしいことがあるんですっ!」

「あら、なあに? 聞かせて?」


 ヴィヴィアンは、カトリーナにエドガーの同期の男ショーンの話をすることにした。

 湿っぽい空気にしたくなかったことはもちろんだが、単純に己の武勇伝を自慢したかったのだ。


「ふふっ。私、ついに奴をやっつけたんです──」

「まあ! 悪い顔。奴ってだあれ?」


 ──とある日、人気(ひとけ)のない場所にゲスの極み(ショーン)に追い込まれたヴィヴィアンは、はあはあ言う気持ち悪い男の顔面に『(から)(つら)い玉★痛い痛いバージョン卍』をぶん投げて、懲らしめてやった。


 ぎゃあああ、と叫び、転げ回る彼を見た時の爽快さったら、もう……! 最高!


 王宮に女官として上がる際、兄に持たされた(から)(つら)い玉の原料は、(から)〜い粉(企業機密)だ。

 その粉が目に入ると、目が痛くなって涙が止まらなくなり、口から吸い込むと咳が止まらなくなる。

 つまり、玉をぶつけられた者にとって、かなり(つら)い代物というわけだ。


『可愛いヴィヴィ。もしも、可愛いお前にゲス野郎の手が伸びた時、(から)(つら)い玉を投げなさい。いいか、顔に命中させるんだ。そして、ヴィヴィはこの企業機密の粉を吸わないように気を付けるんだよ。いいかい? 分かったかい? 分かったら、これを投げる練習をしなさい。ジェシーとしっかり練習するんだ。簡単な護身術も覚えると尚良しだぞ』

『分かった』


 結果、ヴィヴィアンはゲス男ショーンに完全勝利したのである!


 ちなみに奴は余罪があり、今は騎士の称号を剥奪された。


 実は侯爵家(いいとこ)の次男坊だったそうで、今は訓令兵として自身の兄にしごかれているそうだ。


「と、いうわけなのです!」


 パチパチパチパチッ!!


「素晴らしいわ! あなたって、本当に最高よ! 可愛いだけでもう国宝級なのに、可愛いだけじゃないってもう最強ねっ!」


 話を聞き終わったカトリーナと、カトリーナのメイド達がヴィヴィアンに大きな拍手を送ってくれた。照れる。


「……ところで、その(から)(つら)い玉? っていうの、売ってくださらない?」

「ふふ。そう仰ると思って持ってきました。試作品の、目が痒くなってくしゃみが止まらなくなる『(から)(つら)い玉★痒い痒いバージョン改』も差し上げます。あ、そちらのメイドさん達の分もあります。どうぞどうぞ」

「まあ、メイドの分も? ありがとね、ヴィヴィ。私も顔に命中させられるように訓練するわ!」


 ちなみに、『(から)(つら)い玉★痛い痛いバージョン卍』と、『(から)(つら)い玉★痒い痒いバージョン改』の他に、『ヤバイい(つら)い玉★ヤババイバージョンZ』もある。


 これは、もともとは兄が自身の妻の為に開発したゲス野郎撃退グッズなのであるが、兄嫁が使用する場面は今のところがなく、現在ではヴィヴィアンの為の開発になっている。


 そして兄は、三ヶ月に一回のペースで新しいものをヴィヴィアンの元へ送ってくれて、古いものは人を寄越して回収してくれる。


 今日もヴィヴィアンがカトリーナに会いに行くと手紙で教えたところ、カトリーナ用にと言って箱いっぱいに送ってくれた。『広告塔によろしく』と兄の手紙には書いていた。


 まったく、抜かりのない自慢の兄である。


 そして、ヴィヴィアンもまた抜かりのない妹なのである。




「私、エドガーが帰ってきたら、このことを話そうと思ってるんです」

「……きっと、素敵なあなたを惚れ直すに違いないわ」

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