save④ ああ、可愛らしいあなた ―?????―
リュウ一人称です
5年前。
ある日”影縫い”が、俺に突きつけた、仕事のターゲット。
名前は、「春田シンジ」
春田大学附属病院の、跡取りの第一候補の男だった。跡取り問題で揉めていた事から、病院関係者からの依頼で、彼の暗殺が決まった。
当の春田シンジは、病院の跡取り問題に心を痛め、いつか海外で身寄りのない子供たちのケアをしたいなんて夢を語るような、自由奔放な男だった。
よりによって、彼が暗殺の候補に選ばれるとは思わなかった。何故なら、春田大学付属病院は、ユメが入院していた病院で、春田シンジは、ユメの面倒をよく見てくれた、”優しいお兄さん”であり、俺自身も世話になっていた人だったからだ。
ユメと春田シンジ。2人の命を天秤にかけられた、俺の選択は…
迷いはない、ユメの為なら、当時の俺は何だってした。
その日の仕事は、絵本を読んであげたユメが寝静まってからの、30分…静かに執行される予定だったんだ
「お兄ちゃんのお嫁さんになるの」
ユメは口癖のように、そう、言っていた。
病院でオムライスを作ってあげると、ケチャップでハートマークを描いてくれとねだられて、シロツメクサの冠を作ってあげたら、指輪も作ってほしいって言われたっけ。
ユメのお願いを聞いてあげると、まるで天使みたいな笑顔を浮かべて、俺に抱き付いてきた。
そして、僕が帰る時…
「ユメ、ここにいるね。お兄ちゃんが来るの、ずっと待ってる」
必ず、そう言ってくれた。そんなユメの笑顔に癒されて、辛い「しごと」も頑張ることが出来たんだ。
病院では患者の為の食事が用意されているから、本来であれば、俺がユメの為に料理を作ってあげるなんて、不可能だ。
でも、病院の跡取りだった「春田シンジ」は、そんな俺とユメの為に自主的に残業をして、調理場を開けてくれた。温厚で、いつも優しく微笑んでいるような…そう、ナオキに少し似ている大人だった。
俺の知らない所で、ユメはいつも春田シンジに言っていたらしい。
「お兄ちゃんのお嫁さんになるなら、お兄ちゃんよりお料理上手にならなきゃ」
「お仕事から帰ってきたら、ほっぺにキスしてあげるんだ。お兄ちゃんは照れると思うけど、優しく頭を撫でてくれるの…そんなお兄ちゃんが、ユメは大好きなんだ」
ユメの純粋な心が描く未来を、春田はシンジうんうんと聞いてくれていた。そして、ユメはそんな彼を心から慕っていたんだ。
ある日俺に組織が言い渡した、次のターゲット。俺が、殺す、「ひょうてき」
何故、彼が選ばれたのか。
何故、俺が彼を殺す事を選ばれたのか。
少し考えればわかる事だ。
組織――”影縫い”は、人間らしい感情を徹底的に排除しようとする。冷酷で、無慈悲で、そして自身の死にさえ、無感情であるべきだ。そう、教えられてきた。
俺はいつも、任務の前に深呼吸をした。戦いの合図であり、感情を消すサインだ。
目を閉じ、一呼吸。開くと映るのは無機質な世界。音、感覚、自分の心でさえ、その世界にはない。
決める
行動する
そして、繰り返す
「春田シンジ」を殺す事を「決めて」「行動」する事に躊躇がなかったわけじゃない。彼は、俺にとっても”優しいお兄さん”で…そして…
「君を引き取りたいんだ…ユメちゃんと一緒に」
ある日、「春田シンジ」が俺に伝えた事。正直、耳を疑った。
――きっと、父さんが傍にいたら、こんな人なんだろうな。
5歳の頃”影縫い”に売り渡された俺は、親の事をおぼろげにしか覚えてなかった。でも、そんな俺に「春田シンジ」は希望に近い、暖かさすら与えてくれた。
でも、組織は無慈悲に俺に突きつける。「春田シンジ」の死を。それにより組織が期待していたのは、俺の精神崩壊…そして、更なる服従。それが、組織の…「芹沢ユウジ」のやり方である事は、嫌と言うほど教えられてきた。
与えられた次の「お休み」は、春田シンジの、命日となる日。それを俺に通告した時の、芹沢さんの顔は、今でも忘れられない。
逃げられる、はずはなかった。
「春田シンジ」が、例え俺の借金を全額払ったとしても、組織を抜けた人間…そして手を貸した人間。
どちらも、ただですむはずがない。
「春田シンジ」を殺したら、ユメはどう思うだろうか。
怒るだろうか。失望するだろうか。涙を流すだろうか。俺を、嫌いになるだろうか。
怖かった。
人を殺す時に感じる恐怖とは全然違う、虚無。孤独。疎外感。それらが俺の心を支配していくようだった。
ユメ…当時の俺にとって、お前は人生を賭ける、唯一のものだった。お前の為だけに…生きていたんだ。守る為に「ユメの大好きなお兄さん」を殺せって言われたら、俺は従うしかなかった。
――でも
出来なかった。
”優しいお兄さん”の、悲しみに揺らぐ瞳。俺の方へ差し伸べた、大きな手。…死の直前なのに、いつもと変わらない、優しい声。
無機質な世界に微かに響く声が、俺を現実に引き戻し、ナイフは彼の喉元で止まり、床に滑り落ちた。
失敗は、ユメの死を意味する。でも、どうしてもできなかったんだ。
ユメ…お前は俺の「仕事」を、いつから知ってた?「春田シンジ」を殺すことが出来なかった俺を…笑顔で抱きしめてくれたのはどうしてだ?
酷く混乱した俺は、笑顔に一瞬の安堵を感じて…ほんの少しだけ目を閉じた。目を、開くと…目の前に映ったのは、窓から身を乗り出すユメの姿。
指先が、目の奥が、胸の奥が――疲れて乾いた口の奥から心の叫びが湧き上がってきた。
嘘だ!!やめてほしい!!
ユメの手を掴もうとした俺の手は、空を切り…
微かな笑顔と大粒の涙を浮かべて、ユメは夜の空に消えて行った。
人生を賭ける、唯一のもの。それを失った時、人はどうしたらいいんだ?
多くの人は、本能的に逃げるか、自己崩壊して周囲に流されるか。もし…心が強い人間なら、新しい「価値観」を見出して、前に進むんだろう。
俺は、逃げた。
”影縫いから”…ユメの死から…今までの、「しごと」から。
……
……
ピ――…
機械的な音と物にパネルに文字が表示されていく。
【 CNS-Null: Project USE-Δ01 】
【 AI-Synchro:YUME-Interface v1.0 】
【 GO YUME 】
俺は切り替わっていく画面をぼんやりと眺めていた。試験管の液体が排出される音に我に返ると、そこには微かに呼吸する、少女が横たわっている。
「ユメ…?」
声をかけると体がぴくりと反応した。
未だに信じられなかった。当時は8歳だったけど、目の前のユメは、12,3歳くらいの姿だ。そして、はっきり言えた。
この子は、羽瀬田ユメ。俺の、妹だ。
淡い色素にほんのりピンクがかかった特徴的な髪色。白い肌に、俺と同じ深い青の瞳。一体、何故ユメがここに?ユメは死んだはずだ。
目の前のユメは微かに呼吸を繰り返しながら、ゆっくりと目を開けて、目の前の俺を見て、笑顔を浮かべたんだ。
「オニイ…チャン…」
「――!!」
声を聞いた瞬間、思い出の中にある妹の姿が鮮やかに蘇ってきた。
姿も、声も、その表情も、ユメそのものだ。生きていて、良かった。ただただ、その気持ちだけが、温かく心を満たしていく。
――駄目だ!!!
心とは別の、冷静な自分が訴えてくる。違う。この子がユメなはずはない。ユメは確かに、俺の目の前で死んだんだ。
少し考えればわかるはずだ。ここには「芹沢ユウジ」…”影縫い”のトップが関わってる。芹沢さんが…ただ、ユメを生かしておく。そんなことはありえない…あの人は意味のない行動はとらない…きっとこの現実にも裏がある、はずだ。
しっかりしろ。影山さんは「ユーズプロジェクト」の最高傑作…そう、言ってた。この子は…イサム博士が作った、クローンの「ユーズ」
この子は、ユメじゃ…ない。そう、俺の頭は訴えてる。それなのに、どうしてなんだ?
目の前の、少女から…目が、離せないんだ…。
「私、待ってたよ?」
小さな手が俺の頬に触れて、彼女は微笑み、俺と同じ深い青の瞳に涙が滲んだ。
「ユメ、大きくなったよ。お兄ちゃんのお嫁さんに、なれるかな?」
妹の言葉が鮮やかに蘇ってくる。
”お兄ちゃんのお嫁さんになるの”
それはいつも、ユメが俺に言っていた言葉だ。
「本当に、ユメ…なのか?」
思わず口から出た言葉は、ほとんど俺自身の願望に近かった。ユメがいなくなった事…それは俺の長い間忘れられなかったトラウマだ。
生きていた。もし、本当にそうだったら…それほど幸せな事は…
……幸せ?
俺は今、幸せ…なのか?
「覚えてる?あの日の夜…お兄ちゃんが、私を連れて逃げようとしてくれた日」
「あの夜」…それは、「春田シンジ」の命日になるはずだった日の事。俺が、「しごと」に失敗した日の夜の事だ。
「お兄ちゃんの体は震えてて、ずっと1人で頑張ってくれてたんだって…嬉しいけど、寂しかった。ユメはお兄ちゃんの力になれない…待ってることしかできなかったから」
そう言いながら、ユメは俺を抱きしめてくれた。
「ユメ、大きくなったから…お兄ちゃんの役に立つ為に頑張るから…」
そう、言って俺の頬にキスをした。目の奥が熱くなって、今まで忘れていた事が一気に頭の中に浮かんできた。
守りたかった妹。守れなかった自分。”影縫い”から受けた過酷な戦闘訓練と仕事の日々。ユメが…夜の闇の中に消えていく時の全身から湧き上がった、心の叫び。
「連れて行って、お兄ちゃん!」
忘れることが出来なかった過去から、今全て解放されたような気がして、俺は目の前の少女を抱きしめた。
「ユメ!!」
鼓動を感じ、体温を感じ、生きている事を実感する。
この子…
この子は、俺の
”ユーズに騙されるな!!”
「――!!」
遠くから声が聞こえた。
”ナオキの行動から目を離すな”
ナオキの手紙の映像を見た時の、あの声と、同じだ。真実を、確かめないといけない。死んだはずのユメが、どうしてここにいるのか。
頭ではわかってる。こんな事はありえない。カレンが1人戦っているんだ、足を止めている場合じゃない。
わかっている、のに…
心のどこかで願ってしまう。
――頼むから…頼むから!本物であってほしい!!お願いだから、この現実を、誰も否定しないでくれ!!!
心の叫びが、冷静な判断を打ち消し、突きつけられた現実の暖かさと残酷さが、ユメを愛しく思う気持ちと共に、俺を支配していく。
過去の俺が失ったもの…戦う意味、強くなる理由、自分の存在意義。あの頃俺が人生を賭けると誓っていた唯一のもの。
それを失った時の、恐怖と絶望。
あれはきっと、悪い夢だった。
そう、言ってくれ。ユメ…
――突如、背後で爆音が鳴った。
振り返ると、そこに立っていたのは、シオン。
「我らが天才科学者イサム博士の生み出した、最高傑作…返して頂きましょうか」
彼の浮かべる冷笑に、腕に抱いたユメの体が震えるのを感じ、咄嗟に背後に隠した。
時刻は23時25分。
シオンの周りに漂う夜の精霊が、白髪を不気味に照らす。震えるユメを安心させるように「大丈夫」と呟き、前に出た。
「ユメは、渡さない」




