save② 私の世界で「あなた」は外れる変数 ―芹沢カレン―
私の存在は、現実とデータの境界にある。
感情というプログラムが私に"不快感"を伝えている。
その原因は、"あなた"がキッドと共にいること。この感情は、私のコードに組み込まれたエラーかもしれない。
でも、そのエラーが教えてくれる。
非常に不快だ。
…原因は、私と同じである「あなた」がキッドと仲良くなっている事。
私はあなたを利用し、キッドを理解し、そして制御する。これが私に与えられた目的。私にはそれだけが必要。
キッドに近づく他者への反発、プログラム上の指示「キッドを守れ」との関連性。
彼は私の目的、私の存在理由。彼を守ること、それが私の中核を構成する指令。だから、「あなた」とキッドの関係が私のプログラムに干渉をもたらすのだ。
……
キッドを中心に構築された私の世界で、「あなた」は外れる変数。外れる変数は、排除されるべき。
見てなさい、あなたに最上級の絶望を与えてあげるわ。
キッド、私の分析が正しければ、あなたも同じ結論に至るはず。
愛してるわ、キッド。
*
カチ
微かに響いた音にカレンが静かに視線を向けると、ダイスケがハンドガンに銃弾を込めている姿が映った。
瞬間的に把握した。ダイスケは、リュウとアヤカを助けに行く気だ。そして、彼女の中に、ある「未来」が展開されていった。
――それは、ダイスケが1人、中に取り残されるという未来。
この未来において、彼の生存はほとんど不可能に近い。そう思った瞬間、カレンは前に走っていた。
まるで自分らしくない行動だと思った。感情的な行動。これはいつも彼女の人生からは遠く離れた存在だった。
(こんなに非合理的な行動は、私らしくないわ)
「また、あとでね」
その言葉と共に施錠された厳重セキュリティエリア。一人、取り残された自分。
(私、ちゃんと笑えてた?)
軽く自分の頬に手を当てると、少しだけ口元が緩んでいるのを感じた。いつも彼が自分に向ける表情を思い返し、目を閉じる。
直後、背後からの静かな足音が響き、振り返ったカレンの目の前に映ったのは実験体148とイサムが呼んだ存在だ。
異形の存在に目を向けながら、周りの状況を把握しようと意識を向ける。状況は絶望的だが、彼女の緑色の瞳は光を失っていなかった。
(非適合者達は砲弾の傷を再生しながら徐々に動き始めている…)
ざっと見て2,30体はいるであろう。彼らが動きを取り戻せば、この狭い空間での生存は事実上不可能となる。つまり、生き残る為にはその前に目の前の実験体148を倒さなければならない。
傷ついた右腕は激痛が走り、自由に動かすことが出来なかった。少しだけ意識を向け、指先と肘の先が動く事を確認し、自分がとるべき行動を模索した。
カレンの能力【エネルギーの増大と形状変化】で彼女が扱う武器は、ブレード・鞭、そして銃の3つが主だ。
(狭い室内…ブレードと鞭は使用不可能)
続いて、銃の攻撃を防御した実験体148の固い皮膚を思い返す。
(銃の攻撃はほぼ無効化される…ただし、至近距離であれば銃弾は有効)
光の銃は彼女の手から光を放つ様に消え、そしてゆっくりと息を吐き、肩の力を抜いた。
(つまり、有効なのは近接戦闘…彼女の隙をついてエネルギー弾を至近距離で打ち込むしかない)
戦闘は時間勝負。室内にはしばらく、カレンと実験体148の息遣いだけが静かに響いていた。
実験体148が一気に接近してくる。
その動きは俊敏で、鋭い爪がカレンの顔面目掛けて振り下ろされた。体を逸らし回避すると風を切る音が耳元に響く。
一呼吸。それと共に腰を落とし右手を振り上げる。肘関節に当たったそれは、「彼女」の体のバランスを狂わせた。
(入った)
実験体148が体制を崩したのを見逃さず、光の銃を取り出し彼女に向け――しかし
その時実験体148の姿勢が僅かに下がった。
直後、下から繰り出された手がカレンの肘に触れ、体のバランスが崩れる。続いて反対側からの蹴りが襲いかかってきた。
咄嗟に距離を取るが、カレンは奇妙な感覚に襲われた。
(気のせいかしら…彼女、今、私と同じ技を使った)
人間の体で最も弱い力点のひとつである、間接。そこへ軽く力を入れれば相手の体は簡単にバランスを崩す。それはカレンの最も得意とする型のひとつだった。
再び肩の力を抜き、彼女が動くのを待つ。
直進してきた実験体148の動きにに対し体を逸らし避け、今度は首元に手刀を繰り出す。しかし、すぐに肘関節に手を伸ばされ距離を取った。
(間違いない…彼女が今使ったのは、私と同じ技…どういう事?)
カレンの使う武術・システマの動きは流動的で直感的な動きが特徴だ。子供の頃から組織で叩き込まれ、身に着けてきたもの…それは彼女独特の動きを含む独自の戦闘スタイルを形成している。
しかし、目の前にいる実験体148の動きは、カレンの個性的なシステマの動きに驚くほど似ていた。まるで彼女の特有の流れを模倣しているかのように。
「29-23-3-73-43-71-47-71-2-71-2-31-2-73-31-23-3-73-43-19-2-7-47-83」
「…!?」
単調で、まるで機械音ともとれるような声。英語で発せられた数字。それは彼女…実験地148の言葉だった。会話をする非適合者は見た事がない。
「41-23-43-23-31-73-23-31-2-47 …ああ、たまらないわ」
驚き一瞬動きを止めたカレンをあざ笑うかのように、ケタケタと声を漏らす実験体148。
「どういう事…?」
その数式の意味を探ろうとしたその時――
突如、非常用電源で僅かに照らされていた厳重セキュリティエリア内に、明かりが灯った。
(施設の電源が戻った…まさか、イサム博士が)
室内のデジタル時計に23:10と映し出された。
自分を助ける為に僅かに残った電源を使用したのだろうか?一瞬背後のドアの方へ目を向けると、ナオキがパソコンを叩きながら自分の方へ視線を向けている姿が映る。
イサムが施設内の電源を回復させた。そして、ナオキは出口のドアを開くための作業をしているようだった。
(私の、為に…?)
気を取られたその一瞬。気が付いた時には目の前に実験体148の大きな瞳が映った。咄嗟に受け身を取るが、実験体148は下から上へ、捻り上げるように腕を振り上げた。
「――――!?」
先程から感じていた奇妙な感覚。彼女の行動は、自分の行動に類似している。模倣などというレベルではない。全く同じだ。
――でも、なぜ
「67-19-23-43-11 !! 67-19-23-43-11 67-19-23-43-11」
距離を取り、思考を巡らせる。実験体148の言葉の意味を一瞬で理解することはできなかった。しかし、実験体148の様子からは、ある種の「感情」を感じ取ることはできた。
それは、異常な嫉妬心。
憎悪に近い感情が、カレンに向けられている。
距離を取り、深呼吸をして自分を落ち着かせ、そして左手で眼鏡をかけ直し、その数列の意味を探ろうとした。
ケタケタと笑う実験体148。彼女もまた左手を上げ、目元に手を当てた。まるでカレンの動きを真似ているかのように。
まるで馬鹿にしているかのような行動だったが、カレンは表情を変えず彼女に視線を送った。その様子に少し機嫌を損ねた様子の実験体148は、再び語りだした。
「あなたは不要な変数…キッドには…83-2-71-2-67-19-23-7-2-31-11-23-61-11-3-2-23-23」
カレンは実験体148がキッド…つまりダイスケに執着している事を把握した。そして自分に向けられている、強い感情の意味を模索する。
「あなたは、誰?」
小声で呟くと、実験体148はその声に反応して動きを止めた。そして口角を上げ、静かに語り始めた。
「19-2-67-11-71-2,97-73-41-11」
カレンは一瞬瞳を開いた。
「あなた…まさか」
言いかけたカレンに実験体148が再び襲いかかる。
一瞬混乱しそうになった思考を落ち着けるように一呼吸。彼女の姿を捕らえながら、動きに集中した。
(次は左からの蹴り…確率65%…その後追撃の回し蹴りの確率は90%)
それは過去のデータから自分自身を分析した、カレン独自の解析結果だった。息を吸い、自分自身を落ち着け、吐いた息と共に前に出た。
実験体148の攻撃は、カレンの思い描いた通りだった。
襲ってきた左からの蹴りは低く繰り出され、後方へ飛び距離を取った。続いて襲ってくる回し蹴りは顔面を横切り、風を切ってカレンの黒髪をかすめる。
(回避した相手に接近し、一旦間を置く)
自分は彼女の事を知らない。しかし、彼女は自分を知っている。それが示すもの――
それは、恐らくデータ。
彼女はカレンの過去のデータを入手し、それを基に動きを模倣しているのだ。
実験体148の動きが手に取るように分かるようだった。
過去のデータの称号、そして合理的な判断。これは彼女自身がしてきた戦闘法と全く同じだからだ。ならば、自分自身の過去の行動を元に、最も確率の高い行動を割り出せばいい。
(一間を隙と判断し、一発入れてきた相手へ、カウンターの捻り上げの確率は85%)
一間
自身の思い描いた通り、動きを一瞬止めた実験体148。
――カウンターを狙っている
そう、確信した直後、後退して距離を取ると、実験体148の瞳が一瞬大きく開いた。
(そうでしょうね、あなたはここでカウンターが来ると思っていたのだもの)
自身の手から光の銃を取り出し、エネルギーを込め、そして前に走った。
対する実験体148は、大きな牙をむき出しにし、噛みつきにかかってくる。
(分析から大きく逸れた場合、咄嗟の行動を取る確率97%…その行動に、計算と、合理的判断は皆無に等しい)
腰を落とし、飛び掛かってきた彼女の顎に強烈な肘打ち。硬い皮膚が僅かに軋むが、怒りを含んだ大きな瞳はすぐさまカレンの姿を捕らえた。
怒り、妬み、嫉妬…
それらが入り混じった、狂気じみた瞳。カレンの緑色の瞳は彼女の感情を冷静に受け流し、その無表情に実験体148の表情は醜く歪んでいく。
「13-73-31-2-23 … 不快不快不快」
カレンの左腕は実験体148の首に回され、実験体148の腕はカレンの顔面目掛け振り下ろされる。
「キッドを理解するのは私!!彼を制御するのは私だけ!!!」
振り下ろされた腕は空を切り、カレンの額に軽い傷を残した。しかし直後、実験体148の体は大きく傾く。
「キッド…ダイスケは、あなたの所有物じゃない」
実験体148の体を激しい音と共に床に叩きつけ、すかさず首元に膝の一撃を叩き込む。苦痛の声を漏れ、動きが鈍った彼女の大きな口の中に光の銃を突きつけた。
「ああああああああぁぁぁあぁ!!!!」
「さよなら」
カレンの静かな声と共に銃声が響き渡り、鈍い音と共に実験体148の体は動かなくなった。
「はあっ…はあ…」
息切れを繰り返しながら、動かなくなった実験体148、そしてその後方に映る非適合者達を見つめた。彼らはまだ動き出していない。
(まだだわ、彼女の石を破壊しないと)
体に埋め込まれた黒い石。非適合者はこれを破壊する事で行動を停止する。カレンが光の銃を向けると、黒い石が一瞬煌めいた気がした。
一瞬気を取られたが、すぐにトリガーにかかる指に力を込める。
(キッドへの異様な執着心…彼女はおそらく…)
銃声と共に石は粉々に砕け散った。確認し、一息つくと先程一瞬煌めいた黒い石の事を思い返した。
…まるで何かに反応しているかのように見えた。辺りを見回すが、特に何も変化はない。
――室内の時計を確認すると23:25と表示されている。
イサムが再稼働した施設内の電源は、恐らく長くは持たないだろう。迅速な脱出が必要だ。
そして
(彼に…この事を伝えないと)
そう考えた時、カレンの後ろで扉が開く音が響いた。ナオキが開錠してくれたのだろうか?そう思って振り返ろうとしたその瞬間――
ドン
銃声が響いた。
自身の胸元を見ると、血が滴り落ち、体の力が抜けていく。
「ダイスケ…」
銃声の主は穏やかな表情を保ちながら、口元に微笑みを浮かべていた。彼の名前を呼ぼうとしたその瞬間、カレンの意識は途切れ
彼女の世界は闇に包まれた。
…
……
静寂が厳重セキュリティエリアを包んでいた。床には倒れたカレンの体が無慈悲に横たわり、その前には銃を持った男が立っていた。
一連の出来事を目の当たりにしたダイスケは、信じられない現実に言葉を失い、しばらくの間その場から動くことができなかった。
「どういう事だよ、ナオキ」
彼は声を絞り出した。ナオキの顔にはいつもの微笑みが浮かんでいたが、いつもとは雰囲気がまるで違う。
「僕と君の間には決定的な違いがある」
ナオキは銃を持ったまま、ダイスケに近付いた。
「豊かな感情…合理的判断をする僕は、あまり持ち合わせていないものだ…それが僕に”不快感”を与える」
信じられないといった様子で体を震わせるダイスケ。その様子を見てナオキは小さく笑った。
「僕は君を利用し、理解し、そして時に守ってきた。これは僕に与えられた目的…それだけが必要なんだ」
銃を胸元に突きつけるが、ダイスケは体を震わせ、言葉を発する事はなかった。
「君を守るという使命…それは僕の目的であり、存在理由。だから、カレンさんの存在は僕の思考を激しく乱す…とても興味深い事例です」
指を立て、にっこりと微笑むナオキ。返答のない様子に目を細めると、ダイスケ頬に触れ、顔を近づけ、耳元で囁いた。
「君を中心に構築された僕の世界…彼女は邪魔だった」
言い終えた彼の口から小さく笑い声が零れた。
「キッド、君もそう思ってくれるね?」
倒れたカレン。
今まで見た事のないナオキの表情。
ダイスケの瞳から一筋の涙が零れた。
「わけ…わかんねぇよ」
狭い室内にナオキの甲高い笑い声が響き渡る。
現実を理解できないダイスケは、ただただ倒れたカレンの体を見つめ、そして自分たちの為に犠牲になった彼女への遣る瀬無い気持ちが彼の心を支配していった。
●実験体148が話していた数式リスト●
「29-23-3-73-43-71-47-71-2-71-2-31-2-73-31-23-3-73-43-19-2-7-47-83」
「41-23-43-23-31-73-23-31-2-47 …ああ、たまらないわ」
「67-19-23-43-11 !! 67-19-23-43-11 67-19-23-43-11」
「あなたは不要な変数…キッドには…83-2-71-2-67-19-23-7-2-31-11-23-61-11-3-2-23-23」
「19-2-67-11-71-2,97-73-41-11」
「13-73-31-2-23 … 不快不快不快」




