save① ダイスケ君への手紙
今回から挿絵(漫画)が入ります。
ミツルは静かに、ハーモニア大学の図書館に腰を下ろしていた。
「懐かしい、と言うべきなんだろうけど」
最新の本。スタイリッシュにデザインされたテーブルや本棚。昼間は開放感があるであろう、大きな窓からは星空が広がっている。この大学が生徒の教育にどれだけ力を入れているか。それが反映されているかのようだった。
「やっぱり、全然覚えてないなー。ま、仕方ないか」
そう呟いた瞬間、壁の方から機能停止を告げるような機械音が鳴り響いた。
その音を聞いたミツルは立ち上がると、音の聞こえた【隠し扉】の方へ目を移した。
「さてと、俺の出番かな」
立ち上がったミツルの姿が窓から差し込む月の光に照らされ、図書館内に映った。
短めの黒い髪。深い青の瞳。日本の学生の制服のようなブレザーと青いチェックのズボン。気崩されたワイシャツは、彼の自由奔放な性格を表しているかのようだ。
そこには異形の存在――非適合者と呼ばれる、ゾンビのような存在。
「セキュリティシステムを全停止。ここまでは予定通り。そうだろ?キッド」
図書館の窓から覗く月の光に照らされたミツルの右目は黒く染まっており、まるで顔の左右で人格が違うようにも感じられた。
彼の左手には黒い石が輝き、前に出すと青白い光が現れ、光の弓が形成される。
「頼むぞ。君の力がないと、この距離で”彼”に当てる事はできないんだ」
軽く矢尻を撫でると、ミツルは弓を引き絞った。それは非適合者たちとは別の方向――地下研究所の入り口の方へと向けられた。
「受け取れ、羽瀬田リュウ。これは未来を変える力だ」
黒い右目が微かに輝き、そして矢は放たれた。
光の矢は光を放ちながら地下研究所の奥深くへ飛んでいく。それを確認し、一息つくと今度は目の前の非適合者たちに目を移した。
「さあ、次は頼まれた仕事をしてやるか、みんな」
左手を非適合者の方へ向け一息吐き、そして彼の「仕事」が始まった。
*
カレンが取り残され、誰一人言葉を発することなく静寂が流れた。イサムは顔に手を当て俯き、ナオキもまた、ガラス越しに映る厳重セキュリティエリアの中を見つめた。
リュウはしばらく呆然としていたが、アヤカが小さなうめき声をあげた事に気付き、急いで彼女の熱と脈拍をチェックする。
異常はない。
安全を確認し、ほっとしたところでリュウは厳重セキュリティエリア内のカレンに視線を移した。
その奥には先程のカレンの砲弾により動きを止めた非適合者たちが見える。しかし彼らは徐々に体を再生させ、少しずつ動きを取り戻しているようだった。あの非適合者たちが動き出したら、カレンはただではすまないだろう。
「カレンが実験体148を倒すことを願うしかないな。その直後扉を解除し、再び閉める…それが唯一の方法だろう」
イサムは【実験体148】いう名前を用いた。あの非適合者の事だろうとその場の3人は理解し、ナオキはイサムの言葉に顔を伏せ、やがて頷いた。
「しかし、イサム博士…もう扉の電源が残っていません」
「マザーシステムの制御室が人体実験エリアの反対側にある。そこを再び操作する」
そう言うと、イサムは単独で奥の廊下を歩いて行った。
「ナオキ、俺たちは」
その時――
頭の中に”声”が響いた。
「ナオキの行動から目を離すな」
その言葉に顔を上げた瞬間、光が見えた。
それはリュウが使う「時の矢」に似た光。矢はまっすぐとリュウの方へ向かい、そして胸に命中した。
ドクン
鼓動のような音が響き、一瞬後ずさると、脳内に何かの映像が浮かんできた。
(なんだ…これ)
――そこは、資料が山積みになった部屋。そして、一人の男が机に向かう姿が映し出されていた。
(…ナオキ?)
ナオキは何かを書いているかのようだった。
映像が切り替わり、ナオキの書いている「文章」が映し出される。
【 ダイスケ君へ 】
書き出しの文章から、ナオキからダイスケへ当てた手紙という事が分かった。
(時の矢が見せる過去…と言う事は、これは、アヤカを守る為に重要な情報って事か…?)
しかし、時の矢を持っているのは自分だけのはず。一体誰が?
浮かび上がる疑問。リュウはその映像を目にしながら、ナオキが書く文章を読む事に集中した。
【 まず君に謝らなければいけません。
僕の両親はイサム博士の幼馴染であり、大学の同級生でした。父の和久井ミツルは、主に言語能力を活かした解析や解読で研究をサポートし、母のシオリは、クローニングにより生み出された子供たちの世話をしていました。
君はイサム博士の生み出した最高傑作のクローン・キッドであり、君を守って死んだ2人は、僕の両親…そして、2人を殺したのは、この僕です。
イサム博士の研究には協力している妖精がいたとされています。詳しい事はわかりませんが、博士の持続可能なエネルギーシステムの計画は、その妖精の協力から発案されたと、僕は考えています。
数々の失敗を経て生まれたアルトと呼ばれたクローンの子供。僕の調査したところによると、アルトは精霊界に行ったが、何らかのトラブルがあり実験は失敗に終わったようです。
そして、アルトの失敗を糧に作り出されたキッド…彼はイサム博士の最高傑作と言われていました。皆がキッドの誕生を賞賛し、期待しました 】
ナオキの文章を見ながら、リュウは先程のデスゲームを思い返す。
イサム博士が生み出したクローンである、アルト、キッド、ユーズ。イサム博士とナオキの母親の和久井シオリの細胞から生まれたクローン…それがキッド、つまりダイスケ。当時は皆がイサム博士の研究を支持していた。
ナオキ自身もイサム博士の過去の研究は支持しているようだった。そして一つの疑問が浮かんだ。
(…イサム博士の研究に、協力していた妖精…どうして協力関係を結べたんだ?)
目の前のナオキは続きの文章を綴っていく。
【 しかし僕の父と母は、それに疑問を持ちました。
まだ生まれたばかりのこの子には未来がある。そして、この子の運命はこの子自身が決めるべきだ
そう言って、まだ赤子だったキッドを連れて研究所を抜け出しました。しかしアルトの失敗で周りからの非難を浴びていたイサム博士は、キッドの行方不明により窮地に追い込まれました。
唯一両親の計画を知っていた僕は、逃亡経路を追いました。博士に憧れていた僕は2人を見つけた時激しい怒りに襲われ…その後はよく覚えていません。気が付いたら両親は崖下で動かなくなっていました。
しばらくして、崖下から子供の声が聞こえ、僕は様子を見に行きました。2人は、身を挺してキッドを守っていました。彼は、生きていた。
僕はキッドを殺そうと思い彼を抱き上げました。その時、君の顔を初めて見ました。
僕の顔を見るなり、その赤ん坊は泣き止み、笑いかけたのです。そしてその瞳は純粋で、輝いていた。その顔を見た瞬間。自分がしたことが正しかったのか、わからなくなりました。
そのすぐ後駆け付けた救助に、こう、伝えました。
「この子の親が殺された」
当時は災害が世界各地で起きており、身元不明等よくある事だった。
僕は本名の和久井を捨て、橋本ナオキと名乗りました 】
リュウの意識はナオキの綴った一文にくぎづけになっていた。その一文とは
”僕はキッドを殺そうと思い彼を抱き上げました ”
過去の事とは理解していた。しかしダイスケがこのことを知ったらどう思うだろうか。そう感じながら、ついさっきの出来事を思い返す。
彼はデスゲームで明かされた事実を受け入れ、イサムを自らの父と認め、共に謝罪をした。それを目の当たりにしたリュウは、ずっと一緒に育ってきたダイスケの心の広さと強さに、深く感銘を受けていた。
内に秘めた強さと寛容さが、常に彼を支え、前進させている。それは周囲の人間にとっても希望の光のようなものであり、リュウ自身も、その強さに何度も救われてきた。
(ダイスケならきっと、受け入れて前に進めるはずだ)
そう、確信した後一息つき、視線を戻すと目の前のナオキは更に続きの手紙を綴っていく。
【 孤児となった僕は施設に入りました。そして、同じく孤児となっていた君と再会します。
年長だった僕は施設内で子供たちの世話をする事も義務付けられました。
ダイスケ君が成長するたびに、怒りとも憎しみとも言えない複雑な感情が僕を支配していく一方。そんな僕の心とは全く関係なく、君はよく懐き、遊びに誘ってくれました。そして、共に過ごすうち、君の笑顔は僕に異なる存在であることを忘れさせ、本当の弟のように感じるようになっていきました。
和久井教授と妻のシオリが願っていた事は、キッドが自分自身で未来を切り開き、生きる事。持続可能なエネルギーの器となる運命を受け入れるもその一つと考えていました。
僕が出来る罪滅ぼしは、君がいつか自身の正体を知った時に戦える力を与える事。守り、育て、自ら未来を切り開くことが出来る日までサポートする事。
君が興味を持った狙撃を僕が指南すると、驚いたことにキッドである君は、9歳でプロの狙撃手になるという才能を発揮した。
キッドが持つと言われる驚異的な集中力と精神力、エネルギーを吸収する為の強い肉体。イサム博士は、やはり天才的な科学者でした。 】
手紙を綴るナオキの表情は口元が緩み、眼差しには温かさが満ちていた。
(ナオキはダイスケを、本当の弟みたいに思ってるんだな)
5年前ナオキに初めて会った時の事を思い返した。素性のわからない自分に傘を差し、自宅に招き入れ、温かい食事を提供してくれたナオキ。
当時のリュウは周囲の全てを恐れていた。組織からの脱出と追手の恐怖、妹を失った孤独と絶望が彼を支配していた。反射的に逃げようを後ずさったリュウに、ナオキはこう、声をかけたのだ。
「大切なものを失った、悲しい瞳をしていますね。何が君をそうさせているのですか?」
柔らかく伝えられた言葉と、穏やかな微笑。そして、差し出された手。
(ナオキもあの時、いろんなものを失っていたんだ)
そう、考えながらリュウは少しナオキに申し訳ない気持ちになっていた。
手紙を覗く事は、本人のプライバシーを侵害する行為だ。これが時の矢の見せた未来だとしても、今の自分の行動は、正直言って不適切だと思った。
この手紙は、デスゲーム中で明かされた事実をダイスケに伝えるものだろう。そう、考えて視線を逸らそうと思った時、リュウの視線は次にナオキが綴った文章に釘付けになった。
【 因果応報というものなのでしょうか。僕は16の時に病に倒れました 】
(病…?)
急に体中がざわつくような感覚に襲われる。ナオキが綴る文章から視線を逸らす事が出来なくなった。
ナオキからそんな話は一度も聞いたことがない。
【 僕の病気は、率直に言うと不治の病であり、運動機能の低下と言語障害・知能障害が主な症状だそうです。幸か不幸か僕の症状は【運動機能の低下】のみで済んでいたようですが、3年前…ついに本格的な発症となりました。この病は発症から数年で知性が失われていき、いずれ死に至るそうです。
少し早いですが、君たちが手に入れてくれたカラスの石で、自身に不適合を与え、体を維持する事にしました。
黒い石は適合した者に妖精の超能力を与えますが、非適合の人間は相反する細胞により人ではない姿として永遠を彷徨う存在となります。僕はこれを応用し、ゲノム編集による一時的な肉体の維持・つまり病の進行を止めることに成功しました。
僕に出来る最後の事は、黒い石により出来上がる未来をイサム博士に体現する事。そして彼に才能を正しく使う事を訴える事と思っています 】
思考が停止し、リュウは目の前の事が一瞬理解が出来なかった。
不適合を与えて体を維持?
病の進行?
未来を体現…??
(なんだ、この手紙)
数々の疑問が脳内を巡り、リュウは酷く混乱した。
ナオキの表情は、変わらず穏やかだ。まるで、その事が当たり前であるかのように。
【 君の力は君自身で未来をつかみ取る為の力です。
誰より明るく、強い君ならきっとできます
ダイスケ君、そしてリュウ君もアヤカさんも、まだ14歳。大人のサポートが必要だ。
この体が持つ最後の瞬間まで、僕は君たちの保護者であり続けようと思う。
その想いを、ここに記しておこうと思います。
一つだけ、心残りがあります。
それは、ダイスケ君。君が大切な人を見つけて幸せな晴れ姿を披露してくれる事です。恐らく、僕の体はそれまでもたないでしょう。
君が幸せな人生を送ることを、心の底から願っています。
橋本ナオキ 】
目の前の出来事をただただ茫然と見つめる事しかできなかった。
これは、ナオキがダイスケに宛てて書いた手紙――しかし
(まるで遺書じゃないか。ナオキはまだ、俺たちに隠している事があるのか?)
リュウとダイスケは、過去に自分たちが任務や仕事に就く理由をナオキを問い詰めた事があった。その時のナオキは非常に疲れた様子で、珍しく鬱陶しそうに視線をそらし、こう言ったのだ。
「君たちが僕がいなくても生きていけるくらい大人になったら、話します」
手紙には、ナオキの病が3年前に本格的に進行したと書かれていた。つまり、あの時のナオキは既に病気が本格化し、体が疲弊していたという事だろう。
そう考えると、リュウの中で今まで感じた事のない感情が湧き上がってきた。
(どうして言ってくれないんだ?俺たちが子供だからか?そんなに頼りないのか?)
目の前のナオキはその手紙を机の引き出しにしまい、深く息をついた。彼が部屋を出ていった後、リュウは手紙がしまわれた引き出しを眺めながら、心の中で呟いた。
(ナオキは俺たちの為に、一体どれだけ自分を犠牲にしてきたんだ…?)
「――――!!」
気が付くとリュウの目の前には、ナオキとダイスケ、そしてイサム博士の姿。その先のガラス張りのドアの向こうでは、カレンの姿が映っていた。
”ナオキの行動から目を離すな”
頭の中でその言葉が繰り返し再生されていく。
―― ナオキの行動…デスゲーム中に、何か不審な動きがあったって事か…?
自分のもとへ飛んできた、光の矢。あれは恐らく時の矢だ。
(誰が?一体何のために、俺にあの手紙を見せたんだ…?)
「リュウ…」
腕に抱いていたアヤカが目を覚まし、その声で我に返った。
「アヤカ、大丈夫?」
リュウの言葉にアヤカは頷くと、扉の向こうでカレンが1人残されている事に気付き、その表情を歪ませた。
「どうして、カレンちゃんが」
彼女の言葉に現実に引き戻された。ナオキの手紙の件は気になるが、今は、カレンを救い出す方法を考える事が先決。そう、思いナオキに話しかける。
「ナオキ、指示をしてほしい。俺たちはどうするべきだ?」
ナオキはリュウとダイスケを交互に見つめた。
「僕たちの目的は、人体実験エリアの研究内容の調査。非常用の電源が使用されているという事は、どういうことか理解できますか?」
「電源が完全になくなる前に、研究内容を確認しないといけない」
「その通りです」
ナオキは少し考え、厳重セキュリティエリアの扉に目を移した。
「イサム博士がシステムを起動した後、この扉をいつでも解除できるように、僕はここに残る必要があります」
それを聞いた時、リュウは激しい不安に襲われた。先程時の矢が見せた映像、そしてその時聞こえた謎の声。
”ナオキの行動から目を離すな”
「ナオキ、非常用の通信機があったはずだ。3人で連絡を取れるようにしておかないか?」
心の不安を打ち消すように提案した。それに頷いたナオキは2人に小型の通信機を渡す。
「何かあったら連絡してください」
ナオキはいつもの穏やかな微笑を浮かべている。
(今は、任務の遂行が優先だ)
自身に言い聞かせるように考え、頷くと、ナオキが言葉を続けた。
「イサム博士は、まだ味方とは言い切れません。人体実験エリアの調査と、イサム博士の見張り。これを手分けして遂行してください。いいですね」
ナオキの指示を受け、リュウとダイスケ、そしてアヤカは3人でイサムの歩いて行った廊下を進んでいく。
3人の間には沈黙が流れていたが、リュウの肩にいたソフィーがダイスケの方へ飛んでいくのを目にしたリュウがそれを破った。
「こら、ソフィー」
呼び止められたソフィーは動きを止めたが、それでも視線はダイスケの方へ向けられたままだ。よっぽどダイスケが気に入ったのだろうか?
「だから、何だよソフィーってのは」
ソフィーの姿が見えないダイスケは呆れた様子でリュウの方を見る。そんな2人の様子を後ろで見ながら、アヤカが呟いた。
「ダイスケに見えないって事は、やっぱりこの子は精霊なのかな?」
リュウの持つ時の矢と同じ青白い光を放ち、姿は少女…まるで妖精に似たような姿をしているソフィー。以前リュウが怒りをあらわにした時、彼女の表情はリュウと同じように怒りの感情を浮かべていた。
しばらくすると行き止まりに差し掛かり、左右で道が分かれていた。
「左が人体実験エリア、右がイサム博士の向かった制御室だね」
その言葉に反応するように、ダイスケは右側に歩いていく。
「俺、こっち行くな。気をつけろよリュウ」
彼の声は変わらず明るかった。その明るさに何度救われてきただろうか…そんな事を考えながら見送っていると、ダイスケがふと足を止めた。
「このミッションが終わったらさ、カレンが作った弁当皆で食おうぜ」
カレンのお弁当。それは、命令を要求した彼女にダイスケが与えた、たった一つの指令だった。それを言い渡された時のカレンの様子を思い返し、リュウは少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「うん。でも、多分カレンは料理苦手だと思うよ」
それを聞いて軽く笑ったダイスケを見ながら、リュウはナオキの手紙の事を思い返した。
しかし、どう聞いたら良いかわからない。言葉に詰まっている様子に気付き、一瞬顔を歪ませたダイスケはリュウに近づき軽く小突いた。
「腹が減る前に終わらせて帰ろうぜ」
いつもの笑顔を浮かべるダイスケに軽く頷くと、彼はひらひらと手を振り、そのまま歩いて行った。
「行こう、アヤカ」
不安そうなアヤカの手を取り、リュウはダイスケと反対の人体実験エリアへと歩いていく。ポケットに入れた通信機を握りしめ、心の不安を落ち着けるように瞳を閉じ、暗い廊下をアヤカと2人歩いて行った。




