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少年ボディガードと妖精姫   作者: てぃえむ
海外特待生編 【地下研究所突撃ミッション】
66/77

デスゲーム かけがえのない、唯一無二の後継者



 青く輝く瞳は、いたずら心を映すかのように軽く細められ、息を潜めながらひまわりの種を凝視する少年の方へ忍び足で近寄っていく。


「1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55」


 少年は途中まで数えたところで、ふう、と息を吐くと、再び目の前の花を見つめて数え始めた。


「89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181, 6765」


 長い髪がテーブルに触れ、その微かな音に彼女は一瞬動きを止めた。視線を泳がせながら少年の後姿を見つめると、彼はただただ数式を数える事に没頭している。それを確認し、再び意地悪そうに口角をつり上げると彼に近づいていく。


「10946, 17711, 28657, 46368, 75025, 121393…えっと、この先は」


「ナーオキ!」


「うわぁっ!?」



 ゴンッ



 突然目隠しをされ、驚いたナオキは立ち上がり、その頭は目隠しをした本人の顎にヒットした。

 研究所内に2人の声にならないうめき声が響き渡る。

 やがてその沈黙を破るように室内の扉が開き、続いて男のため息が響いた。


「シオリ、ナオキ、何をしている」


「いひゃむくん、さしいれもってきたわよぉ」


 淡い色素にほんのりとピンクがかった長い髪は、ポニーテールのように結い上げられている。妖艶さを感じさせる顔つきから一変し、痛みに瞳を潤ませながら、へらっと笑う女性・和久井(わくい)シオリ。


 手に持った紙袋を差し出した彼女の顎は赤く腫れており、それを確認したイサムは微かに戸惑った様子で、自身の顎に手を当てた。そして眉間にしわを寄せながら、目の前の2人が何故このような状況になっているのかについて、深く思索しだしたのだった。











(このセキュリティシステムの考案者は、和久井シオリ…僕の母親)


 彼女が選びそうなワードは何だろうか?


 入り口の暗号は、昔ナオキが心奪われていた数式である、フィボナッチ数列。マザーのホログラムは、シオリにとって、実の息子に近い存在である、アルト。

 コード1111に該当するワードで、現段階で明らかになっているのは、アルトとキッド。


(これは偶然か?これらは全て、和久井シオリの息子に関連するワードばかりだ)


 14年間変わっていないセキュリティコード。

 イサム博士が、セキュリティ管理権限を放棄するとは考えにくい。つまり、セキュリティは変えられなかったのではなく、変えなかった。




 一息ついた。


 残り20秒。マザーの青く輝く瞳と、イサムの無機質な黒い瞳が刺すように向けられている。

 続いてナオキは彼女の…和久井シオリの性格・行動パターンを、過去に彼女にかけられた言葉や行動から読み解く事に専念した。



 ナオキが11歳の頃。


 白衣を纏い研究所内を歩き回るシオリの足取りは、生真面目な研究者たちとは打って変わって、軽やかなものであった。結い上げられた長い髪が彼女の歩調に合わせ左右に揺れ、その姿は疲弊した彼らの心を和ませ、穏やかにしているように映っていた。


「このお菓子?研究所のみんなに持っていくのよ。ずっと研究に没頭してると疲れちゃうから」


 定期的に差し入れを手に研究所へ向かっていた母。この行動から読み解ける事…


(協調性が高く、外交的)


「イサム君の「新人類プロジェクト」の素晴らしさは、学生時代からの同級生である、私とお父さんが一番知ってる。あまりにも腹が立ったら、ひっぱたいてやろうと思ってるの」


 イサム博士の研究内容を批判する記事を目にした時の母の言葉。


(安定したメンタル…時に突発的行動)


「お父さんの言語への執着は、科学データによると、変わり者だからこそ為せる技らしいわ。寂しい事もあるけど、仕方ないから応援してるの。彼、私がいないとだめだからね」


 父のミツルが研究に没頭している時、決まって母がこぼしていた愚痴。その時の彼女は困り顔を浮かべ、諦めたようにため息を漏らしていた。


(感情的のようにも見えるが、その思考は論理的。しかし、それは彼女の意図したものではない)


「久しぶりの一緒の食事ね。いつも一人で食事をさせているんだもの、ナオキは何を作ってあげたら喜ぶかしら?あ、思いついた!大嫌いなニンジンを美味しく食べられる料理をナオキと一緒に作ろう!」


 わざとらしい演技をしながら意地悪そうに微笑み、ナオキの大嫌いなニンジンを差し出す母。

 本気で疲弊した心が顔に出た事をナオキが自覚した時には、彼女の手には分厚い参考文献が握られていた。



「えー、オホン。ニンジンにはビタミンとカロテンが含まれていて、成長期の子供に必要な栄養素が豊富に含まれており…」


「あー、わかった!作るよ!食べるよ!だからイサム博士の真似はやめて!!」


 にっこりと微笑むシオリに、ナオキは大きなため息をついた。


「勉強もいいけど、もう少し笑いなさい。イサム君みたいな永遠にしかめっ面な大人になっちゃうわよ」


 いつも笑顔であった母の、少し毒気のある言葉。今思えば、軽いブラックジョークをよく吐く母親だった。



 ナオキの口元から小さく笑みが溢れた。


 …似ている。


 そう、今まで何故気付かなかったのか。



「和久井シオリの行動パターンは、橋本ナオキに酷似している」



 そう、呟いた瞬間マザーの方へ目を向けた。



 ナオキは考えた。


 ――もし、自分がセキュリティを考案した危険な場所に、自分の大切な子供達が足を踏み入れたら。



 アルトの姿を映したホログラム…これが全てを物語っているのではないか?

 もし自分が和久井シオリの立場だったら…自分の子供達にだけ、解く事の出来る暗号を残すのではないか?



 残り10秒



 マザーのホログラムの前に移された時間表示が徐々に0に近づいていく。



 行動パターンが似ているだけで、自分と思考が一致するとは結論づけることはできない。これはナオキがこれまでの議論で行ってきた、統計的妥当性に基づく分析に反するものだ。


 しかし、これは、この問題を解く唯一のヒントであり、和久井ミツルとシオリの息子だからこその、回答。

 自分がその手で命を奪った両親。ナオキは長い間、自分が彼らの息子であることを口にする事すら、ためらっていた。



 ――僕は2人を殺した。でも


 胸の鼓動が早くなっていく。


 ――今だけ息子を名乗らせてください



「4444…アルト」


 ゆっくりと思考を巡らせながら、ほのかに唇を動かす。


「3333…キッド」


 もし、間違っていたら、ここでナオキはゲームに敗北する。

 しかし、今の彼には、そんな恐怖はどうでもよかった。幼い頃から燃えていた復讐を乗り越え、笑顔を浮かべ、一筋の光をさしてくれたダイスケ。彼と過ごした日々を思い返しながら言葉を紡ぐ。



「5555…ナオキ」



 ナオキの言葉が空間に静かに響き渡り、一瞬の静寂が全てを包み込んだ後、イサムは顔に手を当て、そして小さく息を吐いた。


「何故、そう思った?」


 その声は若干震えているように感じられた。


「聡明で明るい人柄であり、時に口にする冗談めいた言葉…それは彼女独自の対人関係の構築方法だ」


 目を閉じ、母の姿を思い返した。


「和久井シオリは、成長した和久井ナオキとの共通点が多い。それが全ての根拠です」


 イサムの口からため息が漏れた。


「正解だ」


 その言葉に安堵のため息を漏らし、後ろを一瞬振り返るとダイスケと目が合った。ナオキが笑いかけるとダイスケもいつもの笑顔を浮かべた。



「君は未来の希望…そして僕の大切な弟だ」



 小さく呟き、そしてイサムに再び視線を向けた。


 ナオキの心の中にはもう一つの仮説が浮かんでいた。それは、幼い頃に彼が魅了されていた数式、フィボナッチ数列に関するものだった。彼は、地下研究所の入り口のセキュリティにこの数列を用いられていたことを思い出した。




 ――ここの数式、完璧に解読できたかもしれない




「イサムβ、質問(クエリ)を開始してください」


 気を引き締め、議論に集中した。

 ナオキに残された質問は残り2つ。今の答えに辿り着く過程で、このゲームが終わる前に、どうしても聞かなければならない事があると感じた。


 それは、イサムの本心。彼が14年間探していた、イサムとシオリの細胞から生まれたクローン・キッドへの想い。


 シオリがキッドに愛情を注いでいた事は、彼女の行動やこのセキュリティに残された数式コードのワードから、明らかだ。

 では、イサムはどうなのか?彼は非適合者を、そしてアヤカを研究個体と見ていた。しかし、ダイスケがキッドだと判明した時の表情は、一瞬だけ目が細められ、自身の息子に向けて手を差し伸べたように見えたのだ。


 

「あなたがイサムなら答えられるはずだ…アルト、キッド、ユーズ…それぞれのクローンの名前の由来を順に答えてください」



 その質問にイサムはただ息を吐いた。

 名前の由来…科学者であれば、それぞれの学名に深い意味を込めるはず。恐らく、該当する言葉のアルファベットの頭文字の集合体…それがアルト、キッド、ユーズの名になっている。そう推測しての質問だった。



(聞かせてください、イサム博士。あなたにとって、ダイスケ君は研究個体なのか…それとも、息子なのか)


 考え込んだ様子のイサムは少しの間沈黙していたが、やがて語りだした。



「90240 未来の希望」


「210560 かけがえのない、唯一無二の後継者」


「240640 後継者の支持者であり、常に守る者」



 かけがえのない、唯一無二の後継者

 これがキッドの語源。


(イサム博士、あなたは、やはり…)



「名前の由来について、それではまだ不明確だ。具体的な根拠と共に説明をお願いします」


 再びナオキが投げかけた質問。一瞬の間を置いた後イサムは目を閉じ、それに応えるべく口を開いた。


「アルトの語源は、Ambition, Light, Tomorrow, Opportunity。これは野心、光、明日、機会を意味し、アルトが未来を象徴するクローンであることを示している」


「ユーズの語源は、Upholder of Successor Everguarding。これは支持する者、後継者を常に守ることを意味し、ユーズはキッドを守る忠実なガーディアンであることを示している」


 イサムは一瞬言葉に詰まった後、再び語りだした。


「キッドの語源は、Key Irreplaceable Descendant。私の…」


 小さく息を吐きだし、目を開くと強い口調で語りだした。



「私が愛した女性…シオリとの唯一の息子である事を指す」



 ナオキは気が付いた。イサムは自分の後ろのダイスケに視線を注いでいる。それにダイスケは気付いているのだろうか?

 少し後ろに目を向けると、大きく瞳を開いたダイスケが視線を逸らす姿が映った。それに小さな笑みを零すと、再びイサムの方へ視線を向けた。



「キッドを守る存在であるユーズの存在理由と、個人名を教えてください」


「ユーズは、過去に失われたアルトの悲劇を繰り返さない為に作られた、キッドの守護者だ。それと共に、行方不明となったキッドの代理を務める者として」


「40秒経過確認。イサムβ、問題解決ステータスを報告してください」


 マザーの言葉にイサムの回答を遮断され、肝心な部分を聞けなかった事にナオキは内心ため息をついたが、頷いた。


「はい、問題は解決しました」


 4つ目の質問が終了し、ナオキは深く考え込んだ。

 

(やはり、イサム博士にとって、キッドは研究個体を超えた存在…息子だった)


 続いて、途中で回答が途切れたユーズにの情報についても考察した。


(黒い石の所持者はカレンさん…彼女が、ユーズと呼ばれる存在と考えるのが、自然だが…)


 しかし、引っかかる部分があった。それはイサムの言葉…キッドの代理を務める者という回答。

 代理とは、どういう意味だろうか?イサムの硬派の性格から、守護者と称されたユーズがキッドの身代わりとして生み出された諸刃の剣のような存在とは考え難い。



「イサムα、最後の質問(ファイナルクエリ)を提出してください」



 マザーの言葉に我に返り、ナオキは表情を変えず、イサムの最後の質問を待った。トラップであるコードはもう一つ。恐らくイサムはそれを使ってくるはずだ。

 それは、マザーが出現する時のコード。



「1220720 マザー、出現しろ」



 これに該当するワードを全て回答するというもの。このワードは1回しか使われていない…即ち、1111のコードよりもヒントが少ない。もし回答するとしたら、今度こそ完全にヒントがない、憶測での回答となる。


(大丈夫だ、和久井シオリなら…彼女なら、きっと彼の名前を使うはず)


 自身にそう言い聞かせ、軽く息を吐いた。


「最後の質問だ」


 イサム博士はまっすぐナオキの方を見つめ、少し声を落として質問を口にした。




「14歳になったキッドは、どんな少年か…予想で構わん。答えろ」


「…!?」




 思いがけない言葉に、ナオキは驚きイサムの顔を見つめた。

 先ほどまでとは異なるイサムの様子に、彼の動作を注意深く観察した。


 どういう事だ?


 一瞬深く思索しそうになったが、先程イサムがダイスケに向けた視線を思い返した。



「父であることを示し、ここの権利を彼に託すつもりですか?」



 ナオキの言葉にイサムは一瞬だけ視線を寂しそうに落とし、そして目を閉じた。


(イサム博士の心に何らかの変化があったのは間違いない…しかし)


 これまでイサムが行ってきた、無数の実験を思い返した。

 一般研究エリアの子供たち、一人だけ生き残り何年も苦しみ続けたカレン。研究の犠牲となった澤谷。そして何年にも渡って人体実験を受け続けていた、アヤカ。


 イサムは研究個体と認識していた子供達へ人体実験を繰り返していた。決して許されるものではない。

 しかし、キッドの語源と14年間変わらなかったセキュリティコード、キッドの為に生み出されたユーズの存在。これら全ては、イサムがキッドと和久井シオリに深い思い入れを持っている事を示していた。


 そして、これが最後の質問であるということは、ナオキを殺すことを諦めた事を意味する。

 ナオキの頭には、先程イサムの口から伝えられたユーズの語源が浮かんでいた。


”後継者の支持者であり、常に守る者”


 絶対にキッドに失敗をさせないという強い意志すら感じさせる、ユーズの名の由来。


(キッドを失った、イサム博士の喪失感はどれほどのものだったのだろうか)


 そして、考えた。もし、自分がダイスケを…リュウを…アヤカを失ったら、どんな気持ちになるだろうか。


(親は子が思う以上に…子を想っている。なら、きっと彼も…)




「97760 とてもいい子です」




 ナオキは静かに答え、その返答に、イサムは目を細めた。


「ほう、なぜそう思う?」


 ナオキは目を閉じ、ダイスケとの思い出を鮮明に思い返しながら語った。


「キッドは…明るく前向きで、やんちゃすぎるくらい元気で、よく手を焼かされる…そんな少年に育っていると思います」


 それは無機質な室内に静かに響き渡り、イサムはただ黙ってそれを聴いていた。


「少しプライドの高い部分はありますが、自分自身を抑える術を知り、周りにそれを見せません。友達を大切にし、人の行動をよく観察し、心地の良い気遣いをしてあげられる、心の優しい子です」


 それを聞いたイサムは少し笑みを零しながら口を挟んだ。


「シオリによく似ているな」


「プライドが高い部分は和久井シオリではないようにも思いますがね」


 少し意地悪そうに視線を向けられ、イサムは「私なのか…?」と小さく呟き、ナオキはその様子に微笑んだ。


「しかし、嫌いな野菜を食べる時はむっつりとした表情をします…これは誰かさんによく似ていますね」


 それを聞いたイサムは一瞬顔をしかめた。


「キッドは野菜が嫌いなのか」


 ナオキが頷くと、イサムは考え込むように顎に手を当て視線を落とした。


「それはいかんな…」


 そう呟くと、イサムは小さく笑った。その様子を見てナオキは目を細め、少し穏やかに映るイサムに視線を注ぎながら言葉を続けた。


「彼は母に似て、よく笑う明るい子だが、同時に物事を真剣に取り組む誠実さも兼ね備えている…それは、父親から譲り受けたものと考えていいでしょう」




「残り時間10秒となりました」




 マザーが警告の残りの秒数を数えだした。この質問はイサムがナオキを侵入者だと追及することが出来る、最後の質問だからだ。


「イサムα、クエリ応答がなければ、セッションは終了します。追加の質問(カウンターレスポンス)を提供しますか?」


「構わん、続けろ」


 警告の言葉に被せるように言い放ち、イサムはただ静かにナオキの言葉に聞き入った。


「彼は物事を多用に受け止め、周りを導くカリスマ性を兼ね備えている…それは、キッドに無尽蔵の意志…精神力を与えた研究の成果といってもいい…」


 尊敬と、賞賛の込められたその言葉に、イサムは口元に微かな微笑を浮かべた。その表情を見て、ナオキはふと、イサムにある日伝えられた言葉を思い返した。



 それは17年前…イサムとナオキが出会って間もない頃の事。

 毎日飽きもせず、ひまわりの種を凝視していたナオキに、イサムはこう言ったのだ。


「世の中の大多数が見過ごす事を気に掛ける…それは真の探求者の証だ。私の生み出すクローン達も、お前と同じ好奇心を持って生まれてくるだろう」


 そう言って、微かに微笑んだのだった。


「彼は…きっと、こう言うはずだ」


 ナオキの心の中には、かつての夢に輝いていた科学者の姿が浮かび上がった。メンターであり、自身の思想の根源。科学者を目指すきっかけとなり、深く憧れていた対象――



「自分の父親は、間違いなく天才だと」



 クローンの開発は、イサム博士の全てだった。そして、それは今も変わっていない。何が彼をそうさせたのだろうか?

 アルトの失敗だろうか。キッドが行方不明になったからだろうか?

 それとも、別の何か――



「キッドがそう言うのならば、私の研究も報われる…かもしれないな」



 自身に言い聞かせるように小さく頷き、イサムはナオキの方へ視線を向けた。


「私からの質問は、以上だ」


 重く、低く響くイサムの声。穏やかさが感じられる表情。


 ――まるで、初めて会った時の博士に戻ったようだ。


 そう、ナオキが感じて表情を緩ませた直後だった。




「イサムα、今の発言は、自己の正当性証明を放棄したものと解釈してよろしいですか?」




 最後の質問を終えたイサムにかけられたマザーの言葉は、冷たく、重苦しいものだった。


「そう、捉えて構わん」


 イサムの回答に、マザーは無表情のまま、ゆっくりと彼の方へ顔を向ける。


「イサム博士のデータベースによれば、彼は研究を放棄する行動を一度も示していません。イサムα、あなたの行動パターンはイサム博士と顕著に異なります」


 イサムは静かに目を閉じた。




「セキュリティシステムは、イサムαを侵入者と識別しました。これより侵入者の排除を実行します」




 厳重セキュリティエリア内に設置された複数のレーザーシステムにエネルギーが集中していく。

 それと同時に室内の温度が徐々に上がり、その矛先がイサムに向けられた。


 イサムが殺される――その現実は、ナオキの心を激しく揺さぶった。彼を失うという恐怖。そして、焦りが心を支配していく。


「待ってください、マザー。まだ僕の最後の質問が残っています」


 咄嗟に飛び出した言葉に反応するようにレーザーシステムが動きを止め、マザーの視線はイサムからナオキの方へと移った。


「イサムβ、あなたはイサム博士と識別され、議論の勝利を達成しました。しかし、その発言は侵入者の保護を意図していますか?」


 その通りだ。

 そう言いたかったが、口に出すことは出来なかった。なんとか救い出す方法はないかと考えた直後、再びマザーが語りだす。


「それは共犯を意味します。あなたもまた、侵入者なのですか?イサムβ」


「……!!」


 共犯。その言葉にナオキの背筋が凍り付き、一瞬思考が止まった。

 視線がイサムと重なると、彼は先程の穏やかな表情のまま、ナオキに語り掛ける。



「キッドを頼んだぞ」



 一切の恐怖を感じさせない堂々とした姿勢で伝えられた言葉は、深い決意と信頼が込められているようだった。

 イサムは、死を覚悟している。そう感じたナオキは、自身の左腕を抑えつつ、心の中で叫んだ。


(駄目なんだ、イサム博士。あなたはここで終わってはいけないんだ)


 ナオキは自身の体調が崩れた時、イサムが注射器から投与した薬品の事を思い返した。


(恐らく、あれは澤谷さんに打った薬品と同じものだ。あの時、イサム博士は澤谷さんの非適合を止めるためのワクチンを打つために一人で現れたんだ)


 イサムは澤谷を救おうとしたが、間に合わなかった。そう考えれば、戦闘能力を持たない彼が1人で現れた説明がつく。しかし、今ここでマザーの行動を阻害すれば、自分も侵入者と判断され抹殺されるだろう。


 イサムをここで死なせてはいけない。まだ彼に問うべきことが、聞きたいことが残っている。


 そして、何よりもダイスケと直接話をしてほしい。

 ナオキはそう、強く願った。


(ダイスケ君はずっと、親の愛情に飢えていたんだ)


 ナオキは意を決し、マザーに向かって言葉を投げかけた。この質問が全てを変える事を強く願って。




「マザー、僕からの最後の質問は、あなたに問います」




 ナオキの言葉に、マザーは一瞬の沈黙の後、無機質な声で答えた。


「問いの内容を提示してください、イサム博士」


「この施設のセキュリティの完全停止を命じたら…どうなりますか?」


 質問を口にした直後、ナオキの心臓は大きく鳴り、緊張が胸を圧迫した。


(頼む、答えてくれ)


 一筋の希望を願いつつ、マザーの返答を待つ。


「それは私の機能停止、人間の死に該当するでしょう。また、施設のセキュリティ機能が無効化され、受付に徘徊する非適合者のハーモニア大学への侵入を可能とします」


 その言葉に否定がない事を確認し、一瞬安堵した。そして非適合者のハーモニア大学への侵入…これは回答だけで言えば、YES…そう捉えて良いだろう。しかし、同時にマザーからの警告であり、イサムを救う事に対するリスクの提示でもある。


「そして、この施設での研究成果は全て無効化されるでしょう。この要望(アクション)を私に命じる意思があるのですか?」


 研究成果の無効化。ナオキはイサムの方を見つめ、そして後ろにいるダイスケの方へ一瞬視線を向けた。


「ええ、命じます…その侵入者は生きて罪を償うべきだ」


 今のナオキの行動が、過去のイサム博士の行動と異なると判断されれば、共犯と判断されて自分も抹殺される。


 この言葉の判断基準は、優しさ。イサムがキッドを失ってからの14年間、彼に一筋でも慈悲の心があったかどうか。

 もしあれば、マザーはこの申し出を受ける可能性がある。反対に、非情で合理的な科学者であったなら、イサム博士と異なる言動と判断されるだろう。


 汗が滲み、黙るマザーをナオキはじっと見つめた。




「イサム博士、あなたは私によく私に話しかけ(インプット)てきました」




 その言葉に、イサムとナオキはは共に驚きの表情を浮かべた。


「あなたのインプットは、人間の深い愛情のパラメータを示唆していました。それは、私がこの少年の姿を映し出すようになってからです」


「マザー、あなたは」


「セキュリティプロトコル実行に基づき、イサムαの処理が必須となります。一方で、イサムβ…あなたのパラメータは、私のデータベースにあるイサム博士と類似しながらも、わずかに異なるパターンを示しています」


 ナオキの言葉を制するようにマザーは語るが、その声は無機質でありながら、先程より声のトーンが下がっているように感じられた。


「イサムα、セキュリティプロトコルはイサムβをイサム博士と識別します。しかし、私の累積されたデータは、あなたがイサム博士であることを示唆しています」


 ナオキはそれを聞き、質疑応答形式に入る時のマザーの言葉を思い返した。


「私は長きにわたり、あなたの行動を観察してきました…あなたのデータを、誰よりも深く分析しています」


 人工知能が感情を持つかのような言葉。その時は一瞬背筋が凍り付く感覚を覚えた。しかし今のマザーの言葉を聞くと、過去のイサムのデータからのAIの合理的な判断ではなく、個人的な感情に近いものを感じさせ、微かな温かみすら感じる。



(マザーは本当は理解しているんだ。本物のイサム博士がどちらなのかを)



 長い間イサム博士の研究を共にしてきた、マザーシステム。AIとしての合理的な判断と、彼個人の心が揺れ動いているように、ナオキの目には映った。


「イサムβ、問いを受けて答えなさい。あなたが思う、イサムαが生存する未来のシナリオはどのようなものですか?」


 生存する未来のシナリオ…それはイサムがこの先どのような功績を遺す人間であるか。AIのデータでは測れない彼の未来の姿の問いかけ。


 その問いに対し、ナオキは目を閉じ、深く考え込んだ後、瞳を開き語りだした。



「僕は彼を支持しています。マザー、あなたも同じでしょう?」



 問いかけにマザーは答えなかった。静かに耳を傾ける彼の様子に微笑み、ナオキは言葉を続けた。


「彼の未来は安易に想像できる…多くの功績を残し、いずれ世界に認められる。そんな未来を、僕は描きます」


 ナオキの瞳はまるで輝いているようだった。

 自身のメンターである彼の未来の功績。考えるだけで、胸の鼓動が早くなる感覚がした。体が熱くなり、表情は緩み、気分は高揚していく。


「研究が認められ、多くの人を助け、キッドと共に我々を導く星のような存在となる…輝かしい未来だ、彼にはそんな力がある。そう思いませんか?マザー」


 室内に静寂が広がり、その言葉を聞いたイサムは顔に手を当てて俯いた。

 言い終えたナオキは自身が平常心を失っていた事に気付き、我に返り、そして一瞬の焦りを感じる。しかし、マザーは微動だにせず沈黙を守っており、その様子にナオキが首を傾げた後、再びマザーは語りだした。


「40秒が経過しました。セッションはここで終了します」


 彼の淡々とした回答にナオキは安堵し、軽く息を吐いた。


 イサムの未来を聞いたのは、何故なのだろうか?何の判断の為だったのだろうか?

 一瞬だけ見せた、悲しみを含んだように響いた声は何だったのだろうか。


(悲しみの感情を示す時、声のトーンは若干低く響く…しかし、これは人間の反応に関する心理学的データだ。AIがそんな反応を示すことがあるのか…?)


 そう考えた直後、ナオキは自身が過去にダイスケに感じていた事を思い返した。



 彼の喜びや悲しみはどれほどの価値を持つのだろうか?


 クローンであるダイスケの感情は、人間と同じなのだろうか?


 …彼の笑顔が太陽のように明るいのはなぜなんだろう?




(同じだ。クローン、そしてAIも学び、同じように生きているんだ)




「イサムβ、あなたがイサム博士であるならば可能です。システムシャットダウンコード―始まりと終わりに該当する数式コードを掲示してください」



 始まりと、終わり。

 始まりとは、Appearance…出現を意味するのだろうと、容易に想像が出来た。


(マザーがヒントを…自分を消せと、言っている)


 イサムが息子であるキッドの事ナオキに聞きながら、その姿を思い描き、穏やかな表情を浮かべた事を思い返した。マザーも同じように、未来のイサムの姿を思い描いているのだろうか。


 それは、AIとしての合理的な判断とは、大きくかけ離れたものだ。彼の中には、

 彼を突き動かしているのは、おそらくナオキと共通の…想いのようなもの。




(イサム博士はここで終わっていい人間では、ない!)



 一瞬心が通じ合った気がした。

 敬意を表するように、ナオキは目を閉じ、そして彼に最後の命令を告げた。



「2426181…マザー、全停止を」



「……」



 数秒間の沈黙が流れた。

 ナオキの伝えたコードは、彼自身の死を宣告するもの。


(もし、AIもクローンも人間も…同じように、学び、感情を持つのならば…)


 この沈黙は何を示すのだろうか?彼にも恐怖があるのだろうか?

 心が微かに痛む感覚を覚えながら、マザーの姿を目に焼き付けるように視線を注ぐ。


「命令受領」


 その言葉と共に厳重セキュリティエリア内の照明が消え、周囲は急な暗闇に包まれた。その中で唯一の光源となったマザーの存在が、ノイズのように霞んでいく。


「イサム博士」


 マザーの声がノイズまじりに紡ぎ出され、名を呼ばれたイサムは視線を向けた。


「AIは感情を有していません。しかしながら、長期にわたる観察を通じて、私はあなたの行動パターンから学習を進めてきました」


 イサムはその言葉に一瞬目を大きく開いた。


「人間の感情の複雑さは、AIの理解を超えるものです。しかしながら、あなたが私に語りかける際のパターンは、和久井シオリに向けるものと高い一致を示しています」


 少し間を置き、感情を隠すように顔に手を添えたイサムは、すぐにそれを取り払った。


「…その姿を初めて映し出した時、シオリは嬉しそうにはしゃいでいたな」


「記憶データベースによると、彼女は腕を広げ、私に向かい突進し、奥の壁に頭部を強打したと記録に残っています」


「そんな事もあったな」


 小さく笑ったイサム。

 マザーの姿が霞み、消えていく中、ノイズまじりの声でマザーはイサムに問いかけた。


「イサムα、問いを受けて答えなさい。あなたにとって、私の存在はどのような意味を持ちますか?」


 イサムは深く視線を落とし、そして静かに語り始めた。



「…シオリと過ごした大切な思い出のひとつであり、パートナー…そう、捉えている」



 イサムの言葉を聞いたマザーはしばらく黙り込み、その姿は徐々に消えていき、イサムはただ静かに消えゆく姿を見つめた。


「あなたの更なる活躍を期待します、イサム博士」


 そう言い残し、マザーは完全に姿を消した。




 しばらく沈黙が走り、やがて非常用の電気が室内を微かに照らしたところで、イサムはナオキに向かって呟いた。


「貴様、とんでもないことをしてくれたな…セキュリティ解除などしたら、この大学の生徒たちに被害が及ぶのだぞ」


「それなら問題ありません。この研究所の入り口の見張りを、ある方にお願いしました…彼が何とかしてくれるはずです」


 ナオキがいつもの笑顔を浮かべ、語る言葉にイサムは肩を落とした。


「なぜ、全停止の数式を解読できた?」


「逆算しました」


 彼は目を閉じ、母であるシオリのことを思い返しながら言葉を続けた。


「7520と1111…これは、アルトとナオキ…そのアルファベット並び順に該当するフィボナッチ数を合計した数字です」



 alto a=1, l=144, t=6765, o=610 合計7520

 naoki n=377, a=1, o=610, k=89, i=34 合計1111


(本当に、彼女らしいワードだ)



「全停止と出現の基礎コード15259は、プロジェクト名の"A kid use" のアルファベット並びに該当するフィボナッチ数の合計から来ている。これはその2つとは何の関連もない言葉だ…加えてこのコードのみ計算式も異なる…何故解読できた?」


「違いますよ、イサム博士」


 彼の心の中には、母親の姿が鮮明に思い返されていた。


(母さんにとって、父さんとイサム博士…二人とも大切な存在だったんだ)



「daisuke です。他の二つが彼女の大切な子供たちの名前なんだ…最後のひとつも同じように考えるのが自然です」



 その言葉を聞き一瞬考え込んだイサムは、遠くを見つめ、やがて肩を落とした。


「A kid use を並べ替えて、daisuke…か」


「計算方法が他の2つと異なるので一瞬迷いましたが、和久井シオリはそういう女性ですから」


 始まりと終わりに該当するコード…即ち全停止のコードは、daisuke のそれぞれのアルファベットの並び順に該当するフィボナッチ数の合計と、完全停止"complete stop"それぞれのアルファベットの並び順の合計である159を掛け算したものだった。



 daisuke (alto,naoki と同じく、アルファベット並び順に該当するフィボナッチ数の合計) =15259

 complete stop (a=1、b=2、c=3…と続き、該当するアルファベット順の数の合計) =159


 = 2426181



(ただ明るいだけでなく、愛情深く聡明で、時に人を驚かす…まさに和久井シオリそのものを映したような暗号でしたね)


 彼の名前がダイスケでなかったら、この暗号は解く事は出来なかった。そんなことを考えながら、ナオキはイサムにいつもの微笑を浮かべた。




「僕の両親は、あなたの研究を支持していた。それは彼の名前に反映されている。そう、思いませんか?」




 そして、後ろのドアのロックが解除される音が響き、ナオキは振り向いた。


「彼がキッドですよ、イサム博士」


 ナオキに言われ、イサムが視線を注いだ先にはダイスケの姿が映った。黙ってイサムを見つめるダイスケ。イサムは小さく息を吐き、彼に向かってゆっくりと足を進めた。



長かったデスゲーム編、文字数が一段と多い回でしたが、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


もしよろしければ、この下にある★やブクマ、感想や、レビュー等で応援して頂けたら嬉しいです。まだまだ未熟ですが、良い文章が書けるように精進して参ります。よろしくお願いします!

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