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少年ボディガードと妖精姫   作者: てぃえむ
海外特待生編 【地下研究所突撃ミッション】
64/77

デスゲーム フィボナッチ数列に心躍らせていた少年



 薄茶色の無垢な瞳は、無機質な研究所に咲く、ひまわりの花にくぎづけになっていた。



「1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144」


 途中まで数えたところで、ふう、と息を吐くと、再び目の前の花を見つめて数え始めた。


「233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181」


 部屋に扉を開く音が響き、誰かが近づいてくる。しかし、少年の意識は目の前の花のみに絞られ、無意識にテーブルの上に置いてあった丸眼鏡をかけると再びその数字を数え始めた。


「6765、10946, 17711, 28657, 46368, 75025, 121393……言えた!!」




 喜びの声をあげる少年。しかし、その背後から、いら立ったように足早に歩く男の足音が響き、少年が気付いた時には眼鏡を取り上げられていた。


「この眼鏡は私のものだ。勝手に使うな」


 振り向いた先には、白衣を纏った小柄で細身の男性。ダークブラウンの髪は若干乱れており、少し長い前髪が黒い瞳にかかっている。

 取り上げた眼鏡をかけた男は、ひまわりと少年を交互に見た。


「小僧、フィボナッチ数を暗記しているのか?」


 男に言われ、少年は得意げに語りだす。


「うん、ひまわりの種の配置はフィボナッチ数列に従っていることが多いんだ。これは自然界でよく見られるパターンで、貝殻の螺旋の形も関連してると言われてるんだ」


 瞳を輝かせながら少年は語るが、その数式は本来彼がもっと成長してから学ぶものだ。


「名は、何という?」


和久井(わくい)ナオキ。おじさんは?」


 少し考え込むように、顎に手を当てた男。彼は少しだけ間を置き、口を開いた。


「イサム…本橋(もとはし)イサムだ」




 それは、17年前。ナオキが11歳の頃、イサムと初めて会った時の記憶だった。









 残り10分。


 厳重セキュリティエリア繰り広げられるデスゲームは、終盤に差し掛かかり、見守る4人の間にも緊張が纏っていた。




「和久井って…ダイスケの苗字だよね。ナオキは橋本(はしもと)じゃなかったっけ?」


 アヤカの言葉が、その場の静寂を一瞬切り裂いた。それと共にリュウ、アヤカ、カレンはダイスケの方へと目を向ける。


「イサム博士は、ナオキを和久井の息子って言ったね。カレン、何か知ってるか?」


 リュウの問いかけに、カレンは一瞬、深く考え込むように顔を伏せる。


「和久井ミツル教授は、若くして数々の功績を挙げた、才能ある言語学者だった。…彼は14年前、妻である和久井シオリと共に、イサム博士のクローン技術の頂点とも言えるキッドを盗んで、消息を絶ったと聞いたわ」


「言語学者だって?」


 ダイスケの声には疑問と驚きが混ざっていた。


「妻のシオリってのは、どんな人だったんだ?」


 ダイスケの目は探るようにカレンを見つめ、いつもの明るさが微塵も感じられない。その様子に少しだけ沈黙をした後、カレンは言葉を選びながら語り始めた。


「和久井シオリについては、アルケミスタでは極秘とされているわ…でも、形式上では保育士という事になってる」


「保育士…?」


 カレンの言葉にリュウとアヤカも表情を強張らせた。


 ダイスケは、物心つかないうちに両親を失った。崖の上から何者かに突き落とされ、2人はダイスケを守るようにして死んだと聞いている。そして、親を殺した犯人に復讐する為、彼は狙撃手という道を選んだのだ。


「俺の父さんは言語学者で、母さんは、保育士だ」


 ダイスケの声は震え、その中には深い困惑が浮かんでいた。





 そんな中、室内にモニターから発せられた厳重セキュリティエリア内の音声が突如として響いた。


「60160 マザー、提案がある」


 冷静かつ確かな声が、4人の周りの緊迫した空気をほんの一瞬、乱した。


「より有意義な議論のため、質問応答の形式を導入したい」


 イサムの提案に、マザーの電子的な声が一瞬置いて回答した。


「了解しました。以下のプロトコルで進行します。質問者への時間は10秒、回答者へは40秒。そして10秒のインターバルを取ります。また、各回答は簡潔に、そして必ず数式コードを伴う形で行ってください」






「あの暗号を、解読…」


 モニターから聞こえた新たなる議論のルール。それを聞いたカレンの驚きを含んだ声が、再び4人の間に緊迫した雰囲気をもたらした。


「ナオキはさっき、数式を使ってたけど…解読はできてないの?」


 アヤカの疑問の声に、リュウが答えた。


「部分的には解明できてると思う。でも全てを理解するにはヒントが少ないんだよ」


「私、全然わからないよ…」


 リュウは彼女を安心させようと、空中に指で数字を描きながら概説を始めた。




「ナオキが言っていた“マザー、次の質問を”って言葉、それを要約すると“次、質問”だよね。これを英語にすると“next,question”になる。この英語のフレーズは文字数が12だろう」


 アヤカは確認するように口の中で英語のフレーズを数え、うなずいた。


「次の質問を、に該当する数式90240。この数字を、英語の文字数、今回の場合は12で割り算すると7520になるんだ。恐らくこの7520が、基本の数字なんだと思う」


 アヤカの顔が一瞬困惑した後、指を使って計算し始める。しばらくしてから、「そういうことか…」と小さくつぶやき、驚きの表情をした。

 



「でも、どうして英語なの?」


「イサム博士が数式を英語で言ってるから、マザーの基本言語が英語である可能性が高いんだ。」


 その推測に続けて、ダイスケが深刻な表情で補足した。


「でも、例外があるぞ。それがマザーを呼び出した時のひとつだけ桁が違う数式、あれはアルファベット数で割っても7520にならない。たぶん特定の質問には、あの数式を使用してるんだろうな。解読が出来ても、うかつに使うと、そのトラップに引っかかる可能性があるって事だ」




 その数式は、イサムがマザーを起動する際に使用した数式


「1220720 マザー、出現しろ」


 この命令に該当する英語は"Appearance"

 これは文字数で10だ。しかし、7520に10を掛けた数値75200とは異なり、1220720の数式が使われているのだ。


「じゃあ、今の数式がトラップだったら、ナオキは偽物と判断されて…」


 4人に沈黙が走った。







 傷む左腕を抑えながら、ナオキは自身に迫られた「選択」の答えを模索していた。

 コードを使用。その言葉に心臓は早鐘を打っていたが、彼の瞳は冷静さを失っていなかった。


(数式の解読はまだだ…)


 目の前のイサムと視線を交わしつつ、ナオキは策略を巡らせる。


「60160 マザー、僕からも提案です」


「はい、何を要望しますか、イサムβ?」


 ナオキは軽く息を吐いた。残り10分、互いへの質問は5回。


「片方の要求だけを呑むのはフェアじゃない。40秒以内の回答が不明瞭なら、追加質問を可能にしたい」




 ひとつの賭けだった。

 イサムが質問応答形式を提案した理由はほかでもない。それはイサムの昔の親友、和久井が盗み出したクローン、キッドの在り処をナオキから聞き出す事。そして、その情報を聞き出した後にトラップコードにに該当する質問を投げかけ、ナオキを殺すつもりだろう。


 だとしたら、ナオキの対応は一つに絞られる。


(イサム博士にキッドの居場所を知られる前に、数式コードを解読しなければ)


「了解しました。40秒以内であれば、追加のデータ要求を認証し、その応答はコードを省略します」


 ナオキとイサムは瞬時にその取り決めの意味を捉えた。回答時間の40秒ぎりぎりまでの沈黙が追加質問の可能性を閉ざすことになる。しかしそこへマザーの声が再び響く。


「イサム博士、あなたのデータ履歴から判断すると、迅速なデータ処理と応答が得意ですね。その処理速度も、あなたの特徴として認識されています」


 マザーの言葉が冷たく厳重セキュリティエリア内に響いていく。


「私は長きにわたり、あなたのアクティビティログ(行動)モニタリング(観察)してきました…あなたのデータを、誰よりも深く分析しています」


 人工知能が、まるで感情を持つかのように織りなす言葉。それは部屋の中を圧迫するように広がり、ナオキの背筋を凍らせ、イサムもまた、その重圧を感じ取っていた。




 一瞬の違和感を振り払うように一息ついたナオキは、再び現状を分析するための深い思索に入った。


(イサム博士はキッドの情報を引き出すまで僕にゲームの敗北はさせないはずだ。一回目の彼の質問は、僕を死なせない質問をしてくるはず…)


 イサムの以前の言葉を思い返しながら、ナオキは状況を整理した。


「A kid use Project」が完成するには、キッド、ユーズ、そして妖精姫が必要とイサムは言っていた。恐らく3年間アヤカを狙う刺客がナオキたちのもとへ来なかったのは、キッドが不在である事が原因であると。


 つまり、キッドが見つかれば、彼らは間違いなくアヤカを狙ってくるだろう。


 知られるわけにはいかない。しかし、お互いへの質問形式であり、迅速かつ的確な回答が要求されるこの状況で、言い逃れをする事は難しい。


(キッドの居場所はイサム博士に突き止められる。そう考えるべきだ)


 深く目を閉じ、覚悟を決め、イサムからの質問を静かに待ち受けた。





 一方、イサムはナオキの動きを観察していた。


(キッドの手掛かり…この男からは何としても情報を引き出さねば)


イサムの目に、ナオキの背後のドア越しに映る四つの姿が映り込む。リュウ、ダイスケ、アヤカ、そしてカレン。


(やはり、あいつがキッドなのか?)


 彼はかつて、リュウの持つ特異な能力を見て、彼こそがキッドであるのではと疑っていた。キッドが持つ圧倒的な集中力、強靱な心と肉体。それを兼ね備えた少年の姿。

 イサムの深い黒い瞳が更に鋭さを増してナオキの方を向く。


(4回目の質問が終わる前にキッドの居場所を吐かせ、最終的にトラップを踏ませればいい…しかし、奴もその前に数式の解読をしようとしてくるはずだ)





「では、イサムαからのデータリクエストを受け付けます」


 マザーの言葉にイサムは静かに語りだした。


「お前がイサムであるならば、知っているはずだ。和久井の息子、和久井ナオキが幼少期に心奪われていたものと、それに関する数式の20番目を答えろ」


(やはり、そうきましたか)


 ナオキは理解していた。イサムが何を求めているのか、そしてそれが何を意味するのか。

 幼い頃、心の底から魅了されていたのは、ひまわりの種の螺旋形状。数学的な美と言われるフィボナッチ数列の織りなす自然の美の法則だった。ナオキは11歳の頃からその数式を暗記しており、その数字がひまわりの種のどこに該当するのかを数える事に没頭していた。


 しかし、これを答えれば自分の正体を自白しているようなものだ。何故なら、これは自分がイサムと初めて会った時の思い出…

自分とイサム、そして両親しか知らない事だからだ。


 心の中で葛藤しながら、ナオキは深く息を吸い込み、意を決した。




「150400 ひまわりの種の螺旋形状」


「30080 6765」




 ナオキの言葉を耳にし、イサムの心の中で疑いが確信となった。


(間違いない、こいつは和久井の息子だ。教員免許にあった橋本という苗字は偽名か…)


 彼の脳裏には、当時14歳だった和久井ナオキの姿が浮かぶ。常に研究室に顔を出し、好奇心旺盛にイサムの研究に質問を浴びせかけ、そして将来は科学者になりたいと言っていた無垢な子供。


 友人である和久井ミツルと妻のシオリの息子であるナオキを、イサム自身も息子のように思い接していた。


(立派に、成長したものだ…)


 心の中で、幼かった少年に賞賛を送る。


 しかし、今自分たちが挑んでいるのは、負けた方がマザーに抹殺される、デスゲーム。

 イサムの記憶の最後にある彼の記憶。キッドと共に和久井とシオリが姿を消したあの日。そして、その時告げられたナオキからの最後の言葉。


(お前はあの時、何をした…?)


 一瞬よぎったその思考を振り払うかのように、小さく首を振る。

 そして、再びナオキの方へ鋭い視線を向けた。




「正解だ」




 ナオキは早まる鼓動を落ち着けるように、一息吐いた。


(これでイサム博士は僕の正体を完全に悟った)




「ではイサムβ、10秒のデータバッファ時間の後、データリクエストをお願いします」


 静かに響くマザーの声。心を落ち着けながら、自身の質問を考えた。



「僕からの質問です」



 ナオキが今するべき事は、キッドの情報をイサムに把握される前にトラップとなる謎の数式1220720のパターンを読み解く事。


(イサム博士にその数式を言わせる質問を投げかければいい)


 そう考えながら頭の中で、その数式の答えを探る為の質問を考える。


(数式コードは、単純に7520にアルファベット数を掛け算したもの…イサム博士が考えたにしては、簡単すぎる)


 そう考えたところで、新たな仮説が彼の心をくすぐった。


(このセキュリティコードの考案者は、博士ではない、別の誰かなのか…?)


 彼はその後、セキュリティの中心となるホログラム、マザーの姿を見つめた。

 淡い色素の髪にほんのりピンクがかかった、特徴的な髪色。そして、青く輝く瞳。


(この子供の姿がマザーのホログラムに採用されているということは、セキュリティ考案者にとって思い入れの強い存在である可能性が高い)


 ナオキの思考はセキュリティの核心、そしてこの研究施設と繋がりのある子供の存在へと向かっていた。


(そして、イサム博士がセキュリティ考案を任せる相手…この子供もセキュリティ考案者も、博士の親しい人物である可能性が高い)


 思考を巡らせるうち、一つの質問が頭の中で形を成していった。






「あなたがイサムなら、把握しているはずだ。マザーとは何年程関りがあったかを答えてください」


 その質問にイサムは一瞬表情を僅かに歪ませた。彼の表情を見て、予期していなかった質問を受けたと判断するナオキ。


「52640 おおよそ25年だ」


 ナオキはイサムの様子をじっと見つめた。そして、彼の視線の動きに着目する。


(視線が一瞬上に泳いだ…)


 上に動く視線は、人が情報を思い出そうとする時によく見られる動き。引き続き、微細な動きの変化がないかを観察しながら口を動かす。


「正解です」


 ナオキのその言葉と共に、イサムが一瞬顔を覆うように手を当てた。


(感情を隠す動作…間違いない、博士は何かを隠した)


「しかし、25年前。それだけでは不明瞭ですね。このクローンの子供のホログラムとの関係をもう少し明確にお願いします」


 それはイサムの反応から導き出した、ほとんど憶測に近い質問だった。

 マザーがイサムの作ったクローンの子供の姿であるという確証はない。しかし、この研究施設に関連のある子供である事に加え、彼の特徴的な髪色と瞳の色…それはナオキの良く知る、ある人物によく似ていたのだ。


 ナオキの瞳が再びマザーを捉えた。


(マザーが反応していない…どうやら図星だったようですね)




 一方で、イサムはナオキの質問に微かに動揺していた。


(このホログラムのモデルを目にしたことがあるのは限られた人間だけだ…当時子供だったこの若造の目に触れる事はないはずだ)


 彼は瞬時に視線を下げ、集中して考える。ナオキがマザーに投げた質問の手法を思い返した。


 憶測と一般論を巧みに組み合わせた回答…イサムの口調、しぐさを完璧に模倣する観察力。そしてAIであるマザーを騙し続ける度胸。


(確か、細胞生物学と心理学の研究をしていたな)


 そこまで考えたところで、イサムの頭にある仮説がよぎった。


 心理学の研究においては、数多くのデータとともに、人間の性格、潜在的な心の動き、そして行動のパターンを探る部門が存在する。

 ナオキの追及は確かに憶測の範疇かもしれない。だが、それはイサムの振る舞いや微細な動作から導き出された、行動学的に基づく合理的な推測であり、現に彼の分析は的を得ていた。


 そして、質問として投げかけられた以上回答する他ない。それが今イサムとナオキの挑むゲームのルールだ。


(この私が、若造に行動パターンを掌握されるとは)


 そう思考を巡らせた瞬間、イサムは短い息を吐き出した。




「セキュリティシステム自体は25年前に導入した…しかし、マザーが今の姿になったのは、14年前の事だ」


 イサムの回答にナオキは更に質問を重ねる。


「その後、セキュリティの変更は?」


 イサムの目は、瞬く間にナオキを鋭く射るように見つめ、一瞬の間をおいてから話し始めた。


網膜虹彩(もうまくこうさい)認証…つまり認証システムのみ、定期的に最新のものに更新している」




 ナオキはその回答に違和感を覚えた。


(数式コードや暗号は、セキュリティ強化の為に定期的に変更することが必須だ。しかし、博士はそれを14年も変えていない…)



「正解です」


「ではイサムα、10秒のデータバッファ時間の後、データリクエストをお願いします」




 イサムは数式コードが14年間変更になっていない事を突き止められ、内心焦りを感じていた。


 ナオキがこのデスゲーム開始からの短い時間で行っていた、科学データを用いて人の心を解読する行為。それを成し遂げる為には人間の各性格ごとの詳細な参考文献が必要となる。その膨大なデータを全て、目の前の男は頭に収めている…そう、イサムは解釈した。


(私の每挙手一投足が、奴の研究データとなってしまうのだろう)


 それは、まるで自分の心や行動が彼の手の中で遊ばれているような、不可思議なものだった。


(興味深い…ならば数式を解読してみろ。私がキッドの情報を貴様から聞き出す前にな)


自身に芽生えた焦りと、長らく感じる事のなかったスリル。何年もイサムが感じていなかった感覚。久しぶりに芽生えた、好奇心と探求心を抑えるように一瞬右手を顔に当てた。



「和久井ミツルと妻のシオリ、そして息子のナオキは14年前消息を絶った。奴らがどうなったか、答えてみろ」



 ナオキは、イサムの突然の質問に、背後の扉の向こうにいるダイスケたちの方に一瞬意識を向け、そして目を閉じる。


(突き止められる事は覚悟していたはずだ。イサム博士としての回答をする事だけに集中しろ)


「 37600 死亡したと認識しています」


 その回答にイサムは続けて質問をする。


「何故、そう判断した?」


 冷たく突き刺さる、イサムの言葉。


(当然だ、当時死亡したと認識していた人間の一人が、目の前にいるんだ)


「14年もの間、一切の消息が途絶えている。確率論的に彼らの生存確率は0.05%未満です。このデータを基に、死亡したとの結論を導き出しました」


「それはおかしいな」


 イサムはナオキへ強い視線を送る。


「和久井ミツルの息子、ナオキは、私に当時ある事を伝えた。奴らの消息不明の理由にはその少年が絡んでいる可能性が高い」


 その言葉に、ナオキは言葉を失った。そして、向けられるマザーの瞳。青く輝く、深い瞳が、彼を静かに凝視していた。


 答えを詰まらせると不利に立たされることを熟知していた。だが、彼の心の奥底では、激しい葛藤が生まれていた。


(ダイスケ君は、どう判断するだろうか)


 彼の心には、昔の記憶が鮮烈によみがえった。




 それは、14年前の事。ナオキが14歳…今のリュウやダイスケ達と同じ年の頃の事。


(あの頃イサム博士のようになりたくて、科学者を夢見た。それはただの憧れではない、崇拝に近いものだった…)


 キッドが盗まれたことを知ったイサムの怒りと悲しみに寄り添うように、ナオキが告げた言葉。


 ナオキは心を落ち着けるように、軽く息を吐いた。




「和久井ミツルと妻のシオリの死には、息子のナオキが絡んでいる…いや、彼が殺し、姿を消したと憶測するべきだ」


「では、キッドはどうなったと予想する?」


 更なる質問に、ナオキの額から冷汗が滴り落ちた。


(落ち着け。僕は今、イサム博士なんだ)


「もし和久井ナオキが生きていれば、彼がキッドをイサム博士のところに返す確率が極めて高い。しかし、彼は姿を消し、その後の消息は不明だ」


「40秒経過しました。イサムα、処理は完了しましたか?」


 2人の間に流れた張り詰めた空気を、マザーの声が切り裂いた。




 イサムは一瞬昔の事を思い返した。


「博士を苦しめた父さんと母さん…僕があの二人に制裁を与える」


 それは無垢な少年、ナオキが苦悩するイサムにかけた言葉。そしてそのすぐ後、彼は姿を消した。


「…まあ、良いだろう」


 ナオキの方を見ると、若干顔色が悪いように見える。それは穏やかな表情を崩さずにいた彼の、初めて見せる心の動揺を映した顔だった。





 部屋の外では、緊張感に包まれた4人が息を呑んでいた。


「なんだよ、今の会話」


 困惑の表情を浮かべるダイスケ。


「キッドを盗んだ和久井ミツル教授と、その妻のシオリ…そして、2人を息子のナオキが殺害したって聞こえるけど」


 リュウはそれを口にしながら、ダイスケの親の事を考えていた。

 言語学者である和久井教授、そして保育士と言われていた妻のシオリ。盗まれたキッド…彼らが消息を絶ったのは14年前。


「自分の親だろ!?」


 ダイスケの瞳には、驚きと深い悲しみが映し出され、周囲の空気を更に重くしていた。




「どうした、若造」


 モニターからイサムの音声が響いた。4人が驚いて部屋の中を見ると、ナオキが突如として膝をつき、苦しげに呼吸をしていた。




「ナオキ!?」


 ダイスケの声が響くが、ナオキは座り込んだまま、動かなかった。




(まずい、今反応が起きたら…)


 何年も前から覚悟していたにもかかわらず、それはナオキの心を深く、そして暗い闇へ落としていくようだった。


(ここで、死ぬのか…?)


 脳の奥へ浸透するような、深い痛みに体が反応し、一瞬彼の体を大きく震えさせる。

 ナオキの視界はぼやけ、目の前にいるイサムの表情が一瞬歪んだように見えた。





●数式コードの計算方法

 基本コード 7520に、キーワードのアルファベットの文字数を掛け算

 (例)

 「90240 マザー、次の質問を」 = next,question = 文字数の合計12

   7520×12=90240


●謎のコード

 「1220720 マザー、出現しろ」

 命令に該当する英語は"Appearance"だが、7520に10を掛けた数値75200とは異なり、1220720の数式が使われている


●フィボナッチ数列リスト(ナオキが幼少期に心奪われていたもの)


★1から10番目

  1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55,

★11から20番目

   89, 144 ,233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181 ,6765

★それ以降

  10946, 17711, 28657, 46368, 75025, 121393



●登場人物補足


和久井ミツル

言語学者であり、イサムの旧友。シオリと共に14年前イサムのもとからキッドを盗み、その後消息不明


和久井シオリ

淡い色素にほんのりとピンクがかかった、特徴的な髪色と、青く輝く瞳を持つ女性。



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