私の「お父さん」
アヤカ一人称です。
妖精と人間のハーフである私は、周りの妖精たちとは少し違っていた。
初めてお父さんに出会った記憶、今も私の心に鮮やかに刻まれている。
あの時私は、一人ぽっちで、でも初めてやってきた世界にワクワクしてた。キラキラと輝くネオンの光、人々の楽しげな声、そして見慣れない乗り物。私が生まれた土地とは異なる、新しい世界。
共に人間界に降りた仲間たちは、あっという間に空の彼方へと消えていった。ある子は緑豊かな場所を求め、ある子は移ろう季節の風に身を任せ、またある子は足下に輝くネオンの元へと進んで、小さな花に心を奪われていた。
期待に胸を躍らせていた私。色鮮やかな世界の中、最も興味を引いたのは、「人」だった。
人の心は私には、色とりどりのシャボン玉のように映った。とっても綺麗で、繊細で、でもみんな違う色をしてる。瞳の奥を覗き込むと、その人の心がキラキラ輝いているの。
なんて美しくて、尊いんだろう。そう思った瞬間、私は人という生き物への好奇心で満たされていき、綺麗な心の持ち主を探しはじめた。
長い事その世界を見て、探して、そしてついに見つけた。道端に座り込んでいた、その人の悲しげな瞳を覗き込むと、広がっていたのは陽だまりの中で輝く淡いグリーンの世界。
私の心は跳ね上がり、その人の望むものを探したの。どうすれば喜んでくれるか。どうしたら、この綺麗な心を輝かせることが出来るのか。
その時に見えたんだ。大切な人がいた事。失ってしまって寂しく思っている事。
彼の望む姿になる事は、妖精である私の務めでもあった。そう思った時、私の姿は彼の心の中にある小さ男の子と同じくらいの人間の姿に変わってた。
宿主…妖精が共に生き、奇跡を与える存在。私はその男の人の妖精になれて、とても幸せだったんだ。
*
私はいつも守られている。私の周りの人たちは常に戦っている。その事実が、私を悔しくさせる
ボディガードとして守ってくれるリュウ。狙撃手として戦うダイスケ。知識でサポートしてくれる、ナオキ。そして、同じ女の子なのに前線に立つカレンちゃん。
「お父さん」
手足が細かく震える中、眼前には野獣のような肉体、肥大化した胴部、そして鋭い爪と牙を持つ姿が立ちはだかっていた。私の宿主であった澤谷ソウイチ…今の彼は、奥に立つイサム博士の手により、かつての温かな「お父さん」の面影がまるでなかった。
実験器具が散乱し、時折電灯がスパークのようにパチパチと音を鳴らす、一般研究室内。薄暗く、広い部屋の中、彼の大きな体が重い足音を鳴らし、こちらに近づいてくる。
手を合わせて、もう一度子供たちを消滅させた、あの炎を出そうと試みた。
(キャンパスに、描くように…もう一度)
炎を発生させたのは、リュウへの恋心。もう一度それを思い浮かべたけど、でも、できなかった。目の前のお父さんの姿を見て、恋に焦がれる気持ちを思い出すなんて、とてもできなかった。
人としての心が邪魔をする。炎を灯す為の熱い想いを呼び起こそうとしても、それは手の届かない場所にあった。それどころか、そんな情熱を感じる余地さえなかった。
リュウが、好きな人が、私を支えて、すぐ傍にいてくれているのに。
目の前ではダイスケとカレンちゃんが動揺した私を守る為、前線に立ち獣の姿と化したお父さんと激しく交戦していた。
「アヤカ、大丈夫か?」
私の体が震えている事に気付いたリュウが心配そうに声をかけてくれた。
こんな事じゃ駄目なのに。私も、もっとリュウやダイスケ、ナオキ、カレンちゃんの役に立ちたいのに。やっと、少しだけ力になれると思ったのに。
(これじゃ、守られてただけの3年前と、何も変わらない)
自分を奮い立たせるように、心に訴えた。どうすれば、いい?その答えを探した。炎が出せないなら、別の何か。私が、強く感情を揺さぶることが出来るもの。
恥や緊張から炎は燃え上がり、怒りは雷鳴を轟かせる。そして悲しみは冷たい雨を降らす力となる。
「雨…」
私の目前には、かつての「お父さん」が立っていた。しかし、その姿は全く異なり、かつての優しい面影はどこにもない。その変貌に、私の心は深い悲しみに包まれていく。
悲しみが起こすもの、それは水の精霊が起こす、冷気を帯びた水。
”愛してるよ、アヤカ”
お父さんは最後に確かにそう言ってくれた。ずっと、違う人になってしまったと思っていたけど、心のどこかで覚えてくれていたんだ。
あの日、リュウが一度命を失った日から、私は自分の心を動かさないように、気持ちを落ち着ける練習を何度もしてきた。みんなに迷惑かけないように。
でも、今この力は、この悲しみは、みんなを守るための力になれる。
悲しい
悲しいよ、お父さん
私の心をこんなに揺さぶってくれてる、これも、お父さんの愛情だと思っていいかな?
目の前のお父さんが変わり果てた姿になってしまった事。喪失感と悲しみが私の胸を圧迫する。
気温が急に下がってきた。私の感情が深化するにつれて、水の精霊が放った水が冷気を帯び、一つ一つの水滴が小さな氷の結晶へと変わっていくのを感じた。
ああ、悲しいって、こんなにも心の奥を凍り付かせるほど、手足がこわばる感覚になっていくものだったんだ。
私の心に反応して、水の精霊の悲しみが生み出した冷気。それを包み込むようにリュウが力の調和で冷気を一点に集中させてくれて、私の前には巨大な氷塊が立ち昇った。炎とは違うエネルギーの塊に、リュウは一瞬驚いたように瞳を開いたけど、私を支え続けた。いつもそう、リュウは何も言わず私を守ってくれる。
巨大の氷塊の大きなエネルギー、精霊たちが私の心に戸惑い、凍てつくような冷たさが私の体を襲った。
「アヤカ、狙えるか?」
リュウの緊迫した声が響いた。そう、リュウはエネルギーを制御してくれているだけ。お父さんにこれを当てるのは、私の役目なんだ。
「カレン!今だ」
ダイスケの声と共に、カレンちゃんがブレードでお父さんの肉体に深い傷を負わせた。それに合わせるようにダイスケの放った銃弾がお父さんの右目に直撃し、彼は悲鳴を上げながら顔を抑えて後ずさった。
(お父さん)
体が大きく震える。
(まだ、私は、躊躇してるの?)
心は激しく動いていた。
(私が…お父さんを)
お父さんを、殺す
そう思った瞬間目の前の氷が一気に巨大化し、膨大なエネルギーを纏い始める。悲しみの感情が増幅して、強くなりすぎた。リュウが抑えてくれているけど、これをそのまま放ったら、この地下研究所もただではすまない。そうなったら、ここにいるみんなも…
心の中で精霊たちとの対話を試みる。いつも、私の周りをふわふわと漂い、私が悲しい時に冷たい風を吹かせてくれた水の精霊を落ち着かせるように彼らに心を向けた。
それなのに
悲しみと、葛藤。いろんな心が混じって、冷たさで、視界までぼやけていきそう。私の肩を支えるリュウの腕が微かに震えているのを感じる。このままだと、リュウも凍えてしまう。
「集中しなさい」
その声に引き戻されるように我に返った時、後ろにカレンちゃんが立った。彼女が私の背中に手を添えて力を込めると、大きな氷塊とエネルギーが形を変えて、巨大な矢のように鋭く形を変えていく。
(カレンちゃんの、エネルギーの形状変化の力…?)
水の精霊が生み出した氷塊とエネルギーは強い破壊力を持つ鋭利な矢となった。
「俺が照準を合わせるから、安心しろよ」
ダイスケが、リュウの反対側に立って私の手を取り、導くように狙いを合わせてくれた。氷の矢がお父さんの方へ向けられる。
そうだ、私は何を躊躇していたんだろう。
リュウは妹を失った痛みを抱えながらも、ボディガードとして私を守って戦ってきた。ダイスケは両親のいない悲しみを乗り越えて、強さへの道を歩んできた。カレンちゃんは、共に戦ってきた友人や仲間を失いつつも、孤独に戦い続けてきた。
ただ守られる存在でいる私。その現状に、いつも胸の奥が締め付けられるようだった。彼らと同じように、私も愛する者たちを守るという強い意志を持っていたはずだ。
みんな大切な人を失って、それでも戦ってきたんだ。私もリュウを、みんなを守りたい、そう誓ったじゃない。
「みんな、ありがとう」
一度膝を付いていたお父さんが再び力を込めて立ち上がり、こちらへと足を運ぶ。
今、私の事を認識できるのだろうか。私にとどめを刺されることにどう感じるだろう。みんなの力を借りて、創り上げた氷の矢を、お父さんに向けた。
目の前に映るのは、かつての父の面影が微塵もない、異形の姿。その瞳と瞳が合い、じっと見つめる。
(うそ…)
淡いグリーンが見える。
日の光を浴びたような、草原のような優しい色。
まるで恋をするように、その心に惹かれた、あの色。
獣のような姿をしたお父さんは、こちらに向かってくる。でも、ゆっくり、まるで撃てと私に言っているかのように。日々の記憶が心の中で渦巻き、こんな時にでも感じてしまう彼の深い愛情に涙がこぼれるのを抑えられなかった。
ふと、私の肩を支えるリュウの手に力がこもるのを感じた。お父さんとリュウは互いに何かを伝えるかのように瞳を合わせている。
「澤谷さんの心の声が、聞こえたよ」
「お父さん、なんて?」
リュウは少しだけ間を置いて、小さく笑いかけた。
「アヤカを頼む、って」
心が熱くなっていく。私は頷くと、氷の矢を獣の姿と化したお父さんに放つ決意を固めた。
「さようなら、お父さん」
大きな風の音を鳴らし、放たれた氷の矢は彼の体を射抜き、部屋は一瞬のうちに吹雪の中となった。壁や床に白い霜が広がり、辺りが凍てつく冷気で埋め尽くされていく。しかしそれらはすぐに収まり、小さな水たまりとなり、水滴音が一般研究室の無機質な壁に響いていく。
目を開けると巨大な氷柱がそびえ立ち、その中でお父さんの凍りついた姿が静かに浮かんでいた。脱力したように膝が崩れ落ちると、リュウが優しく受け止めてくれる。
「大丈夫か、アヤカ」
心配そうに私の顔を覗き込むリュウに少しだけ微笑みかけて、目の前の氷の柱に目を落とした。キラキラと精霊の光を放つ氷に包まれたお父さん。私の宿主であり、生まれて初めて愛を感じ、与えてくれた人。
動かなくなった彼の体。心はまるで、針に刺されたように痛み、押しつぶされそうだった。それをぐっとこらえて、小さく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
頭の中に浮かんでくるのは、無数の思い出たち。
一緒に新しい家で暮らしはじめた日、初めてもらった誕生日プレゼント、遅く帰宅するお父さんが私を温かく抱きしめてくれた夜。そして、私のために時間を割いてくれた、彼の優しさ溢れる日々。すべての思い出が一瞬のうちに私の心を駆け抜けていった。
泣き出したかったけど、泣いてはいけない。何故なら、私が悲しみのまま泣いたら、精霊たちが影響を受けてしまうから。そうなったら、ここにいる私の大切な人たちに被害が及んでしまうから。
張り裂けそうな心が落ち着くまで呼吸を繰り返した。そしてしばらくして落ち着いた後、再びお父さんの方を真っすぐ見る。
私も愛してるよ、お父さん。
心の中でそう呟き、最後に見せてくれた、大好きだった彼の心の色を思い浮かべた。
「草原のような淡いグリーン…陽だまりのような光。その心の映すまま、輝いていたあなたが大好きだった」
凍りついたお父さんの表情が、どこか穏やかに見える。リュウに体を支えられながら、少しだけ安堵の気持ちが、私の胸の中を満たしていった。




