澤谷ソウイチと、A kid use Project
精霊がアヤカの感情に反応し発生した炎は、実験の非適合となった子供たちの肉体を包み込み、純粋なるものへと浄化した。
美しい光景を目の当たりにしたアヤカは先程まで自らの体を蝕んでいた、焼けつくような感覚から解放されたのだった。
「リュウ…ありがとう」
自身の体を支えてくれるリュウに軽くそう言うとアヤカは一人前に出る。
「アヤカ」
「大丈夫。私が、決着つけないといけないから」
リュウは彼女の背中を静かに見送った。心の中で複雑な思いを抱えながらも、彼女の決意を見守ると心に決める。
孤立無援となった澤谷は、その神秘的な炎を冷ややかな瞳で見つめていた。
澤谷の心の中は、混沌の渦に飲み込まれていた。自らの手で剣とした子供たちが消え、仲間であったカレンが寝返り、四方から敵に包囲された絶体絶命の状況。だが、彼には確信があった。
「君たちに私を殺すことは出来ないよ」
目の前に立つのは、かつて娘として育ててきた少女――いや、彼の脳裏には「特異な存在」として彫りつけられていた存在。
「お父さん」
それは澤谷の体に一瞬の振動を送り込み、内なる何かが拒絶の感情を震わせた。彼の魂が、彼女に父と呼ばれることへ大きな違和感を感じていた。
「まだ私を父と呼ぶのか」
澤谷の心の中で、過去の記憶が交錯する。
(私は何をしている?)
鈍痛が黒い石を埋め込まれた左手から広がり、脳に直接語り掛けるような感覚に包まれた。それは一瞬、危険なものではないかと感じたが、まるで麻薬のような作用で心をほんの少し落ち着かせ、彼はその感覚に身を任せた。
(私は何をしていた?)
(私は)
「アヤカ…」
彼の心の奥底から何かが訴えかけてくる。しかし、その思考は脳によって激しく否定された。
(どっちが、正しいんだ)
混沌とした思考の中で、目の前に立つのは、彼が親代わりとして育ててきた少女、アヤカ。彼女の瞳には、澤谷がかつて見たこともない強い意志が宿っていた。
「お願いだからこんなことはもうやめて」
アヤカの足元から炎がちらついた。
「その炎で私を焼くつもりか?」
彼女は首を振った。
「お父さんはこんな事する人じゃなかった。少なくとも、初めて会った時は…」
次にリュウが前へ出る。
「澤谷さん、あなたの真実を見せてください」
「私の真実、だと?」
リュウは左手を前に掲げ、青白い光から時の矢を取り出した。
「過去に何があったか…あなたの過去を少しだけ覗かせてもらいます」
光の矢が澤谷に向けられる。
「リュウ、そんなことできるの?」
リュウは頷くと、澤谷に向けて矢を放った。その光の矢が澤谷に向かって飛ぶ。青白い光が風を切り裂き、彼の左肩に命中した。
ドクン
鼓動のような音が響き、空間が歪んでいく。一瞬真っ暗になった後、その光景は現れた。
暗がりの路地を進む一人の男の姿があった。
「あれは…お父さん?」
アヤカは微かな驚きと懐かしさでその男の姿を追った。
この男、澤谷ソウイチは20代後半の若い頃のようだった。彼が身に纏っているのは今の豪華なスーツではなく、老朽化した衣服。顔には虚ろさが滲んでいた。
突如、彼の襟元を掴む手が現れる。現れた男に強烈な一撃を喰らわされるソウイチ。男は財布を奪い取り舌打ちをした後その場を後にし、解放されたソウイチは地を這いながら空を仰いだ。
アヤカ達の意識の中に、彼の心の叫びが滲み込む。
「子供が事故で死んだ。妻は後を追うように病死してしまった。自暴自棄になり企業も失敗した…このまま、死んでしまいたい」
虚ろな表情で空を眺めているソウイチの目の前に、微かな輝きが舞い降りる。
「この光は…?」
その光は手のひらサイズの小さな女の子の姿に変わり、その微細な羽をはばたかせてソウイチの周りを浮遊し、幻想的な風景を描く。そして彼の肩にちょこんと座ると、その髪を戯れるように遊び始めた。
「とうとう幻覚が見えるようになったか」
女の子は、ソウイチの周りを不思議そうに飛び回ると、彼の瞳をじっと見つめた。虚ろな瞳の奥の方に何かを見つけたようにはしゃいだ後、彼女の体が光を帯び、3歳くらいの人間の女の子の姿に変化した。
金髪にライトブルーの瞳。お人形のような顔をした女の子が微笑みかける。
「君は」
「パパ」
ソウイチは、目の前の少女にパパと呼ばれ固まったが、彼女の発する小さな光に目を奪われ手を伸ばす。少女はそのままソウイチの胸に飛び込んだ。
(森の中にいるような、香りがする)
そう思いながら彼女を抱きしめ、立ち上がると彼女と視線を合わせた。
「君は、私のもとへ舞い降りた天使かな」
小さく笑うと、女の子はまるで月明かりに照らされた水面のような柔らかな笑顔を浮かべ、その小さな唇でソウイチの頬に優しいキスをした。やがて彼女の瞳は徐々に重くなり、彼の腕の中で深い眠りへと落ちていった。
ソウイチは自身が寂しかったことに気が付いた。腕の中で眠る少女の寝顔は彼の心を満たし、明るく照らしていく。
「この子に名前をつけよう…そう、アヤカ。愛らしい君にぴったりだ」
それはソウイチの最愛の妻の名前であった。
彼がその子を家族として迎え入れる決意を固めたその日から、彼の運命は不可解な方向へと急展開する。潰れかかった企業に融資をする取引先が見つかり、手掛けた企業が成功し、一気に彼は成功者の道を歩くことが出来た。
その数々の奇跡に、ソウイチは驚きつつも心は希望に満ちていた。
「お父さん、あのね、今日は風の精霊さんが遊びに来てくれたんだよ」
アヤカはたまにこんなことを言う不思議な子だったが、よく笑う愛らしい少女ですくすくと育っていく。
やがて、ソウイチは世界各国に孤児院を経営する資産家になった。彼の心優しい性格は、世界中の人間に評価され、ソウイチは子供と言う存在に自身の全てを捧げる覚悟でいた。
彼がかつて失った子供の愛、そしてアヤカへの深い愛情が、彼の生きがいとなっていたのだ。
アヤカの存在に癒され、立ち上がったソウイチの心は美しく輝いていた。それは澄んだ色の中心に微かな光が輝く、慈愛に満ちた心であった。
アヤカと出会ってから3年程立ったある日の事。
数々の孤児院を経営していたソウイチは、彼らの未来を切り開く為自分が何をするべきかの模索をしていた。そんな時、澤谷家の静かな住まいの扉を、2人の男が叩いた。
「あなた方は?」
「私はシオン・ヴァルガス、そしてこちらは芹沢ユウジ。新しい時代を切り開く事業の為、あなたに弊社を訪れてもらいたいのです」
彼らが持参した一冊の資料ファイルには、"A kid use Project"の文字と、多くの孤児の名前。
プロジェクトの詳細を聞いたところ、子供たちの未来を支援する為新たな教育を生み出す為、持続可能なエネルギーを生み出す研究とその教養についての計画が詳細に記されていた。
澤谷ソウイチは子供たちの未来に関わる事業に興味を持ち、彼らの会社を訪れる事に決めた。しかし、アヤカが静かな力で彼の袖を引っ張る。
「お父さん、行かないで」
彼女の瞳に映る不安を見つめながら、ソウイチは「心配ないよ」と、柔らかく答えた。
彼らの研究施設・アルケミスタは海外のハーモニア大学の地下に存在する一風変わった施設であった。強固なセキュリティが施され、まるで要塞のような巨大な施設。
そしてソウイチが目の当たりにしたのは彼の予想を遥かに超える光景であった。大きな透明な試験管に閉じ込められた無数の子供たち、そして彼らを取り囲む科学者の面々。その中心に立つ指導者のような男は「イサム博士」と呼ばれていた。
「一体、これはなんだ!?」
冷たい照明の下、試験管の中で静かに眠る子供たちの首元には「実験体α」「実験体β」と名前が書かれていた。吐き気を催しながら自身をここへ連れてきた二人に抗議する。
「我々は、無尽蔵なるエネルギーの研究を進めている。そして、あなたの娘はその成功の鍵となるのです」
「アヤカのことを言っているのか?」
「正確には、彼女の中に宿る特別な力。妖精とも言われる彼女を、我々と共に研究させていただけませんか?」
ソウイチは初めてアヤカに会った時の事を思い出した。天から舞い降りた光が少女の姿に変え、微細な羽をはばたかせながら自身の周りを飛び回った後人間の女の子に姿を変えた。
あの姿は、確かに神話に出てくる妖精のようだった。
「馬鹿にするな。娘をただの実験材料として差し出せだと!?」
彼の怒りが室内を圧迫するように感じられたが、その怒りも束の間。ソウイチの胸に突如として鋭い痛みが走った。彼が目を落とすと、シオンの黒光りする刀が自身の胸を貫いている。
「おや、失礼しました」
シオンの冷ややかな笑みと共に発せられた言葉。刀が引き抜かれるとソウイチはその場に崩れ落ちた。
(アヤカ…アヤカだけは)
そう思ったところでソウイチの意識は途切れた。
気が付いた澤谷の目の前には灰色の天井が広がっていた。体に傷がない。左手を見ると小さな黒い石が埋め込まれている。
(これは、なんだ?)
そしてあたりを見回すと、大きな試験管の中にあるおぞましいものに息を呑んだ。
(人間の、脳…?)
下にはネームプレートがある。
【 実験体 ソウイチ 】
「澤谷様、こちらのイサム博士と共に、我々がご自宅に研究室を設置しに参上します」
後ろから話しかけられ、澤谷は振り向いた。そこにいたのはシオンとユウジ。そして科学者のような男・イサム博士。澤谷は目がちかちかとする感覚を覚えた。
(彼らは)
彼の脳内で、何かが交差していく。
(彼らは、そうだ。私の大事な取引相手)
彼の頭の中で、思考が新たに組み立てられていく。頭の不思議な感覚を覚えながら、澤谷は彼らに微笑みかける。
「偉大なるプロジェクト A kid use Project に貢献出来る事、大変光栄に思います」
リュウが膝を付く音でアヤカは我に返り彼の方へ視線を向けた。
「リュウ、大丈夫!?」
密かに息切れをしながら、時の矢を使用した副作用の痛みに耐えるリュウ。その視線は困惑の表情を浮かべる澤谷へと注がれていた。
「俺よりアヤカ…君が心配だ」
アヤカは彼の肩を持ちながら、自身の体が震えているのを感じていた。澤谷の過去は、まるで彼がその瞬間から別人に変わったかのような出来事。その光景は、何らかの事件に巻き込まれたことが明白だった。
「その男は私が生み出した生物的実験体の一部…そう言って良いだろう」
深く重い言葉が研究室内に響いた。やせこけた顔に白衣を着た科学者のような男。乱れた白髪交じりのダークブラウンの髪に、無機質な黒い瞳がアヤカに突き刺さる。
「イサム博士、お久しぶりです」
ナオキが一歩前に出て、イサムに語り掛ける。
「今の映像を見る限り、実験体ソウイチとは澤谷ソウイチ自身の脳…あなたは澤谷さんの神経回路を別の者と交換したのですか?」
「その通りだ。計画の為、その男は彼を我々の制御下に置く必要があった」
その回答に、ナオキは怒りを露わにした。
「あなたが進めているこのプロジェクトは、科学的倫理を踏み越えている」
怒りに満ちた声が響き渡るが、イサムは表情を変えず、感情のない眼差しをナオキに向けた。
「イサム博士、私は一体…」
困惑しながら言葉を発する澤谷の言葉を無視し、静かに歩み寄るとイサムは注射器を取り出した。
「貴様には最後の役目として子供を操る能力を与えたが、彼らがいなくなった以上、もう用はない」
それを澤谷の腕へと突き刺す。液体を注入した直後。澤谷の体が痙攣しだした。
「な、なんだ。体が…体が熱い」
「ナノテクノロジーよる遺伝子操作の薬品を投与した。最後くらいは役に立ってもらおう」
彼の体は異常に膨れ上がり、皮膚が裂け始める光景が繰り広げられた。痛々しい叫び声と共に、人ではない何かへと変貌していった。
最後。
イサムは確かにそう言った。
(私は死ぬのか?)
恐怖と困惑が澤谷の精神を冷たく包み込む。
「お父さん…!?」
「アヤカ、見るな」
反射的にリュウはアヤカの顔を自身の腕で覆い、その視界を奪った。
彼の体は急激に熱を持っていた。不安を隠しきれない瞳の少女と、彼の魂の深部にある過去の記憶が交錯する。
(私は…澤谷ソウイチだ)
彼の手が変わり始めた。皮膚が破れ、裸の骨が露出し、彼の身体は異形のものへと進化していった。意識が徐々に遠のく中、澤谷の心の隅に遠い思い出が浮かび上がってくる。
それは体中の細胞が訴えている、最愛の娘に向けた言葉。
「愛してるよ、アヤカ」
その言葉を最後に澤谷の顔立ちは獰猛な獣へと変貌し、その体は急激に巨大化した。
「オオオオオオオオオオオォォォォォォ」
獣のような咆哮が一般研究エリアに響く。
「これは、俺が一人で戦った時、襲ってきた奴か!?澤谷さんに何をしたんだ!!」
怒りに震えるリュウの声にイサムは表情を変えず命じた
「実験体ソウイチの片割れよ。キッド候補と妖精姫を捕獲しろ」
獣と化した澤谷が、アヤカとリュウに向かって猛進してくる。リュウはアヤカを必死に守り、その爪から逃れた。
「カレン!頼む」
襲い掛かってくる澤谷にダイスケが前に出て銃を撃つ。続いてカレンが前に出て、自身のエネルギーをブレードの形に変化させ、攻撃を受け止めた。
「リュウ、アヤカを下げろ!」
ダイスケの言葉に頷き、リュウはアヤカの方へ向き直った。
「アヤカ、しっかりしろ」
涙と恐怖が交錯しているアヤカの表情を見て、リュウは彼女を力強く抱きしめた。
「何があっても、俺が守るから」
リュウの体のぬくもりを感じ、アヤカの震えが少しずつ収まっていく。
「リュウ…」
彼女の手を優しく握りながら、リュウは彼女の瞳に問いかけた。
「信じてくれる?」
アヤカは瞳に光を取り戻し、頷くとその視線を澤谷の方へ向ける。
「お父さんは最後に、私を愛してるって言ってくれた」
変貌した澤谷に強い視線を向け、過去の温かかった彼を思い返した。
「もう一度、炎を出してみる。リュウ、お願い!」
目の前の澤谷を強く想いながら、アヤカは自身の心と向き合った。
澤谷ソウイチの書き方が所々変わっているので混乱してしまった方の為の補足です。
若い頃~シオンに刺されるまで=ソウイチ
脳を書き換えられた今の澤谷ソウイチ=澤谷




