兄弟喧嘩
朝5時半。
リュウが目覚めると、手のひらサイズの小さな女の子が顔のそばで静かに寝息を立てていた
起き上がりその姿を見ると、体全体が青白い光に包まれ、ドレスを着た5歳くらいの幼い少女に見える。
「おはよう」
声をかけると、女の子はあくびをしながら起き上がり、小さな羽をはばたかせて、お気に入りの場所であるリュウの左肩にちょこんと座った。
部屋を見回すと、窓から差し込む光…外にはキャンパスが見える。
昨日の事を思い返し、机の上のノート開いた。昨日の記憶がぼんやりとしているが、自分の書いた文字は認識できる。
「よし、大丈夫だ…」
リュウの身体は昨夜の恐怖感から解放され、心地よい朝の新鮮な空気に包まれていた。
キッチンへ足を向けると、リビングは美味しそうな香りに満たされていた。アヤカは鼻歌を歌いながら、朝食と今日のお弁当を準備していた。
「おはよう、リュウ。調子はどう?」
「うん、だいぶよくなったよ。ありがとう」
アヤカは動物モチーフのおにぎりを作りながら、優しい微笑みでリュウを見た。
朝起きると、アヤカは手作りのレモンウォーターを用意してくれている。それを飲み干すと、体が一気に元気になっていく気がした。
部屋の扉が開く音がし、その方向に視線を向けるとダイスケが部屋から出てきた。
「なあリュウ、ちょっと話があるんだけど」
「何?」
いつもなら、ダイスケはまだ寝ている時間だ。様子が少しおかしいことにリュウはすぐ気付いたが、頷いて彼の部屋に足を運んだ。
ダイスケの部屋は木目調のスタイリッシュな家具で纏められていて、本棚には参考書と、彼の好みを象徴するような最新のファッション誌が並んでいる。
「話ってなんだ?」
部屋の中央の小さなテーブルに座り、ダイスケの言葉を待った。
「昨日の言葉、どういう意味だよ」
冷たく響くその言葉に、リュウは心の奥が冷たく凍り付いていく感覚を覚えた
「誰を憎んでるだって?」
ダイスケの表情はいつものように笑っていたが、その言葉と声は確かな怒りを含んでいた。
緊張感と共に、昨夜の黒い感情が再び湧き上がってくるのを感じた。喉元までのし上がってくる感覚に耐えながら、リュウは目を泳がせ言葉を探した。
どうするべきだろう?本音を話すべきだろうか?
心の中で自問自答を繰り返す。
「…昨日、焦ったのは事実だ」
ダイスケは静かにリュウの言葉を待っている。
「俺は…一人で出かけ、負傷し、一日眠り続けた。これがあるべき場所だったら…依頼人は死んでたかもしれない。わからなかったんだ…今まで感じた事のない感情だった。それが、つい口に出た…」
リュウの言葉は震え、かすかに揺らいだ。心情がそのまま声に出てしまっているかのような言葉を、ダイスケはただ黙って聞いている。
「ごめん」
リュウが謝罪の言葉をつぶやき頭を下げた瞬間、部屋の中の空気は一層張り詰めていくようだった。
眠り続けていた自分の代わりに、ダイスケがアヤカを守ってくれていた。その彼に対して、許されない行為をしてしまった。深い後悔と、身のすくむような何かがリュウの心を支配していた。
ダイスケは深く息を吸った後、少し目を細めて話し始める。
「お前とは9歳の頃からずっと一緒だったよな」
その声は普段の軽快さがなく、どこか重みを帯びていた。急に昔話を切り出され、顔を上げるとダイスケの表情は少しだけ寂しそうに見える。
「ナオキがお前を匿ってから、兄弟のように育ってきたと思っている。3年前のあの時も、ただお前を信じて味方でいたんだ。だから教えろ…」
寂しさを感じさせる表情から、少しずつ怒り利を含んだ声に変っていく。
「なんで一人で出かけたんだよ」
声を震わせながら投げかけられた言葉。
ダイスケは強く、寛容な人間だ。大抵の事は笑い飛ばし、軽く受け流してしまう。その強さと寛容さにリュウは何度も救われてきた。その、ダイスケが怒りに震える姿を見て、自身の行動がいかに軽率であったか。それを再確認させられるようだった。
(どう、説明したらいいんだ)
自分の体が一部妖精化していて、異常な身体能力を持つようになった原因が明らかになった。
以前から練習していた自分の内部エネルギーを制御する力、力の調和を身につけて、いつでもシオンの攻撃に対処できるよう対策をしておきたかった…
だが、それは…後衛の2人を守りながらじゃ、無理だった。
リュウは口から出てきそうな言葉を飲み込んだ。
独自の魅力を持つ明るい人間であると同時に、ダイスケは繊細で傷つきやすいプライドも持っていた。昨夜の自分の行為は、彼を傷つける行為でもある…そう思った。
「ごめん、それは言えない」
声を振り絞った。それがダイスケへの誠実な返答とは程遠いことは痛感していたが、どうしてもそれだけは言えないと思った。
「でも…単独になったところを狙われたと言ってもいい。悪かったと思ってる」
そう言って頭を下げる。
自分の思いつく、精一杯の対応をしたつもりだった。
「そうかよ、じゃあ頭上げろ」
ドカッ
リュウが頭を上げた途端、ダイスケの拳がリュウの顔面に直撃し、体は後方に躍り出た。ふいに起きたことに驚くが、すぐ殴られたのだと気づき我に返る。
「お前とは本当の兄弟みたいに育ってきたと思ってる。けど今回の事に関してはがっかりだ」
そう言い放ち、冷たい目でリュウを見下ろした。
「アヤカを守るのはお前の仕事だ…それを二度と忘れるな」
そのまま胸元を掴み、冷たい視線を送ったまま言葉を重ねた。
「何とか言えよ」
怒りと悲しみに満ちたダイスケの声は、リュウの心の奥底に深く突き刺さる。兄弟のように育ってきた彼への、自身の行動に対する懺悔の気持ちを再認識するように唇を噛み締めた。
「…分かった。頼むから手を離してほしい」
震える息と共に部屋に響く言葉。リュウはゆっくりと息を吸い込むと、ダイスケの瞳を見つめ言葉を続けた。
「確かに…俺は今回、ダイスケを裏切った。言い訳はしない…その通りだ」
ダイスケの眼差しは痛いほど突き刺さり、その視線に必死に耐えながら自分の思いを伝えた。
「けど、俺はいつでもアヤカを守ることを最優先に考えてる…それだけは、信じてほしい」
後悔と自己批判に溢れたリュウの言葉にしばらくダイスケは沈黙していたが、やがてため息をつき視線を少し外した。
「お前さ…アヤカが好きか?」
「え?」
突然の問いに、リュウは一瞬まぬけな声を出した。
大切な存在だ…そう言いたかったが、その感情を上手く表現することが出来なかった。
ダイスケは舌打ちをして、言葉を続けた。
「俺は好きだぞ」
はっきりとそう言われ、リュウは言葉を失った。
「今度やったら…」
胸倉を掴む手に力が籠り、彼の鋭い視線が再びリュウに突き刺さる
「アヤカは俺が守る」
そう言うと胸倉を掴んでいた手を離し、部屋から立ち去った。
静かになった部屋でリュウは彼が出て行ったドアを呆然と眺めていた。
肩に乗った女の子が、リュウを不思議そうな顔で見ている。
心の奥底には黒い感情と共に、後悔と反省が混ざり合い、自分の行動が原因で関係が傷ついたことに対する罪悪感が胸に重くのしかかっていた。




