妖精姫と狙撃手の少年
廊下の窓の外に映る夜空を見上げ、ダイスケは図書館の前で立ち尽くしていた。
(アヤカが一人で出て行ったから、ついてきたんだけどな…)
アヤカの膝で眠るリュウを見て、ダイスケの心はまるで針で刺されるように痛んだ。寒い風が通り過ぎていく中、彼は陰から二人を見守っていた。
「何やってんだ、俺…」
胸の内に湧き上がるふつふつとした感情と共にぽつりとつぶやき、2人の絆の深さに苦笑いを浮かべた。
アヤカがリュウの事を大切に想っているのは知っていたし、リュウもアヤカがいないと駄目なくらい彼女を必要としている。
3年間、一緒に暮らして助け合ってきたのに、自分だけが置いて行かれたような気がした。それはまるで一人だけ漆黒の闇に取り残された感覚だった。
*
どれくらい時間が経っただろうか。
深い眠りについたリュウに、アヤカは少しだけ困っていた。
「どうしよう…そろそろ戻らないと」
リュウが目覚める様子はない。どうにか起こそうにも、アヤカの力ではどうにもならない。
「なーに、やってんだよ」
「ダイスケ!」
アヤカが顔を上げると、ダイスケが目の前に立っていた。彼は軽くリュウの頭を小突くと、起きそうもない様子に少し顔をしかめ、無理やり体を起こした。そのまま背中に背負うと、図書館の出口に歩いていく。
「行くぞ。見つかったら面倒だからな」
「う、うん…ありがとうダイスケ」
アヤカは彼の後を小走りで付いていった。
真っ暗なキャンパス内。
図書館からナオキの待つ部屋までは、そう遠くないが夜の闇が少しだけ時間がゆっくり流れるように感じさせた。
周囲の空気が微妙に冷たく感じる。アヤカの不安な気持ちに反応して、風の精霊が悲しみを訴えているようだった。
「アヤカ…あのさ」
ダイスケの声はいつもの彼とは違い、少し元気がなく聞こえた。
「俺の昔話聞いてくれないか?」
「昔話…?」
アヤカはきょとんとした顔をして彼を見つめ、普段余計なことを話さないダイスケの言葉に少しだけ驚いていた。
「コイツ。全部話しただろ…フェアじゃないっつーか…」
リュウの方に少しだけ目をやりながらそう言うと、ダイスケは深く息を吸い込んだ後、ゆっくりと吐いて、口を開いた。
「俺の親、俺が赤ん坊の頃、大きな地震が起きた時に死んだらしい」
普段の明るい彼とは一変し、憂いを帯びた表情…悲しみを含んだ声…どれも普段のダイスケが見せないものだった。ダイスケの視線がアヤカの方に向けられ、軽く頷くと、彼はほっとしたように話を続けた。
「父さんは言語学者、母さんは保育士だったって聞いてる。俺を連れて逃げてた父さんと母さんは地震の時高台から落ちて…俺を守るように死んだって。5歳くらいの頃だったな…それ聞いたの。悔しくてさ、強くなりてぇって、思った」
プライドの高い彼は、普段決して自分の弱みを見せようとしない。
そんなダイスケが自ら弱みを見せてきた。何か、訴えたい事があるのだろうとアヤカは直感的に感じた。
「預けられた施設からよく抜け出して、ナオキの家に忍び込んでた。その時おもちゃのピストルで遊んでたのが狙撃に興味を持ったきっかけだよ」
ダイスケは空を見上げた。
「狙撃は俺の全てだ…誰もいなかった俺に、唯一の存在意義を与えてくれた」
「どうしてそんな危険な仕事を選んだの?」
ダイスケと会ってから、アヤカは狙撃手についても学んだ。危険な仕事であることは理解しているつもりだった。
「俺の親を、崖の上から突き落とした奴がいるんだってさ」
一層低くなった声にアヤカは言葉を失った。親を殺した存在…それを語る彼の目は、深い闇を映しているようだった。
「俺はそいつを見つけ出し、必ずやり返す。俺の全てを賭けて…いつその時が来てもいいように、強くなったんだ」
ダイスケの声は、怒りに震えていた。その表情は普段の社交的で明るい彼からは想像もつかないものだった。
(そっか、復讐は、今までのダイスケを作り上げてきたものなんだ)
自分の傷をさらけ出し、怒りに震える姿を見て、アヤカはダイスケの髪に少し触れた。
「な、何すんだよ」
反射的にダイスケは後ろに引いた。しかし、アヤカはそのまま彼の頭にそっと手を当てる。リュウより少し長い茶色かかった髪に、アヤカの指が埋もれていく。
「ダイスケには、新しい家族がいるでしょ…私も、リュウも、ナオキも。それがダイスケが決めた道なら、私は支えるよ」
ダイスケの目をまっすぐ見つめ、優しく微笑む。
「怒りに支配されることがないように、私たちが見守るよ。もしダイスケが道を見失いそうになったら、正しい道に戻す手助けをする」
そう言いながら優しく頭を撫でると、ダイスケの口元には僅かに笑みが浮かび、穏やかな表情になる。
「アヤカってさ、母さんみたいだよな」
アヤカは目を丸くして、固まった。
「か、母さん…??それ、褒めてるの?」
戸惑う彼女にダイスケはいつものような笑顔を向けた。子供のように意地悪い笑み…リュウとは違う、年相応の男の子の笑顔。
「納得できないけど、ま、いっか」
困ったように笑いながら、アヤカは空を見上げた。無数の星を眺めながら、ダイスケたちと暮らし始めたあの夜を思い出す。
「話してくれてありがとう。ダイスケの事が知れて、嬉しい」
そう言って、笑顔を向けるとダイスケの顔が少しだけ赤くなった。それを隠すように顔を伏せたダイスケはぽつりとつぶやいた。
「家族…か」
嬉しさと切なさが入り混じった、複雑な気持ちがダイスケの心を支配していく。
「俺さ」
少し声のトーンが下がったことに気付き、アヤカは再びダイスケの顔を見つめた。
「たまに思うんだよな。リュウじゃなくて、俺がアヤカのボディガードだったらって…」
少しだけためらい、間を置いてから再び言葉を続けた。
「そしたらアヤカの大切な人は、俺だったかもしれないだろ?」
その言葉に、アヤカの足が止まった。
「…え?」
夜風が吹き抜け、少しだけ、沈黙が流れる。
「なんてな」
真剣な表情から、ダイスケはまたそのいつもの笑顔に戻った。
「ダイスケ…その」
アヤカは彼の言葉に何を返すべきかを考えていたが、ダイスケはさらに言葉を続けた。
「なんだよ、俺に惚れられてるとでも思ったのか?」
からかうように笑うダイスケに、アヤカは少し赤くなって反論した。
「もう、からかわないで!」
彼女の不満の声に、ダイスケは再び意地悪そうな笑顔を見せた。
「そうだ、明日の弁当は俺のやつ気合入れて作ってくれよ」
「え、何それ…」
「フェアじゃないだろ」
アヤカは少しだけ、考え込んだ。そもそも今日のお弁当は、ユメの命日を迎えるリュウに元気を出してもらう為のものだったのだが…
そう考えながらダイスケの顔を見ると、少しだけ寂しそうな顔をしていて、それは少しだけ拒絶を怖がっている時のリュウに似ているように感じた。アヤカは軽く息をつき、ダイスケに向けて微笑んだ。
「いいよ!とびっきり美味しいの作るから。楽しみにしててね」
「おう」
アヤカの返事に満足そうな顔を浮かべたダイスケは、少し足早に歩きだす。
「ね、ダイスケは…」
「ん?」
少しためらいながら、アヤカは口を開いた。
「私がどんな姿でも…家族でいてくれる?」
寂しそうに微笑むアヤカに、ダイスケは即答で答えた。
「当たり前だろ」
そう言って、いつもの子供のような笑顔を向けるダイスケは、頼もしく、アヤカの心を明るく照らしていく。それはまるで心温まる太陽のように見えた。
「私、ダイスケと家族になれてよかった!」
満面の笑みでそう伝えると、少し照れくさそうにした後答える。
「惚れるなよ」
いつものダイスケに戻り、アヤカは安堵し、そして、自身の傷を曝け出してくれた事に感謝した。
(私も、今度ダイスケに見せるね…私の正体)
そんな想いを胸にダイスケの後ろ姿を見つめながら、アヤカは小走りで彼の後を追いかけた。




