妖精化
シェアハウスのキッチンで、アヤカは食事の準備をしながら、精霊たちのざわめきを感じ取った。
「何だろう、すごく嫌な予感…」
不穏な空気が周囲を包んでいく。まるで、何かが危険を訴えているかのような、「声」
「リュウの身に何か…?」
「おい、アヤカ!」
ダイスケの声に反応する事もなく、アヤカは外へ飛び出した。
…胸騒ぎが、止まらなかった。
*
地下研究室。
暗い室内をリュウの体から溢れる淡い光が照らし、彼の背中には片翼の羽がうっすらと映っていた。
(体のエネルギーが、一気に爆発したみたいだ…)
ついさっき、タケシのハンドナイフを受け止めた自身の左腕。まるでガントレットのような強固なエネルギーの塊となっていた。
(「力の調和」は、まだまだ応用が利くって事か)
目の前の3人の方へ視線を向けると、シオンが1人前に立ち黒い刀を向けていた。
シオンが一気に距離を詰めてきた。
その手に握られた黒い刀が振り下ろされ、エネルギーを込めた左腕で受け止めると、金属がぶつかり合うような音が響き渡る。そのままシオンの体を弾き飛ばし、距離を取った。
(シオンの斬撃の動きは…)
動きを予測しようとしたところで、シオンの周りで輝く夜の精霊が目に映った。
(…いや、シオンは心を読んで戦う。計算は全て読まれる…なら)
一気に前に出た。横からの一閃を左腕で弾き飛ばすと、すぐに切り返しの振り落としが迫る。
まるで、シオンの動きが鮮明に把握できているかのようだった。上からの刃に振りかぶった左腕を強く降りぬくと、シオンの体は後方に弾き飛ばされた。直感の動き。これは3年間でリュウがシオンと対峙する為に訓練してきた戦闘法だ。そして…
(身体能力が飛躍的に上がってる…それに精霊の力を感じる。この力は、一体なんだ?)
エネルギーを込めた強力なフックを撃つ。ガードしたシオンはまたも後方に飛ばさた。
形勢はどう見てもリュウの方に傾いていた。しかし、シオンは変わらず冷笑を浮かべている。
(何を考えてるんだ…?)
その答えはすぐ頭に浮かんだ。
この地下研究所を発見し、数カ月。彼らは姿を現す事はなかった。リュウ達が潜入している事に気づいていなかったはずがない。
「…そうか、俺たちの、戦闘データを取っていたんだな」
その言葉と共にシオンが下段から構え、エネルギーを集め始めた。
「君の友達…ダイスケ君、でしたか」
「ダイスケが、どうした?」
「彼はミッションから下ろした方がいい」
室内にはシオンが集めた精霊の雷がパチパチと音を鳴らし、その音だけが響いていた。
「君は気付いているでしょう…彼は足手まといです」
一瞬、返答にためらった。確かに、力だけで言えば、そうかもしれない。それはリュウ自身が妖精の力を手に入れなければ3年前アヤカを守ることが出来なかった…その経験からの判断だ。
しかし、同意はできなかった。
「お前は、ダイスケの強さを知らないんだ」
足手まとい…少なくともそんな風に思った事はなかった。ダイスケとは兄弟のように育ってきた。リュウの事を誰よりも理解し、彼なりの気遣いで支えてきてくれたことを感謝している。
「ほう、では彼に奇襲をかけましょうか。昔の君のように…彼はどんな顔を見せてくれるでしょうね」
その言葉に頭が頭に血が上るようだった。
「黙れ」
「その首を君と妖精姫の前に晒したら…君はどんな顔を見せてくれるかな?」
「黙れ!!!」
叫びと共に、左腕が熱くなっていくのを感じた。
そのまま、一気に接近する。対するシオンは下段に構えた黒い雷を振り上げ、リュウの方へ撃った。目の前から迫りくる黒い雷。それに向かって、拳を打ち込んだ。
黒い雷と、リュウの左腕に集中したエネルギーが激しく交差する。一瞬体が後方に押されるが、そのまま拳に力を込めた。
「――あああああッ」
青白い光が左腕に集中し、爆音と共にシオンの雷を打ち破った。スパーク音が響く中、一気に距離を詰める。
再び雷を纏わせた黒い刀を振るシオン。対するリュウは左腕に集まった青白い光と共に刀に向かって拳を打ち込んだ。
爆音と共に雷が消え、その衝撃はシオンの体を再び後方へ大きく弾き飛ばした。
しばらく両者の荒い呼吸が室内に響く。
「ダイスケの事をこれ以上言ってみろ…次はお前を、殺す」
リュウの瞳が刺すように見つめ、シオンはしばらくリュウに視線を向けていたが、黒い刀を一振りし、戦闘体制を解いた。
「君に力を貸しているのは、太陽の精霊ですか…」
「太陽の精霊?」
そう、呟くとリュウの言葉に返事をせず奥の扉の方へ向かっていく。
「影山、カレン、今回は失敗です…出直しますよ」
「待て!」
立ち去ろうとしたシオンを呼び止めたリュウに、シオンは足を止め、少しだけ振り向いた。
「あなたの保護者は賢い。この大学は我々の管轄です。ここの生徒である以上、我々はアヤカに迂闊に手は出せないでしょう」
「ここが、お前たちの…じゃあ、澤谷さんも」
「澤谷も、あなたとアヤカに会いたがってましたよ…近いうちにまた会いましょう」
3人は、やがて扉の奥に消えていった。
静かになった地下研究所。
ふと、足元に落ちているガラス片に自分の姿が映っている事に気が付いた。
「これが…俺か?」
右目が変色し、背中に片翼の羽が生えている。体から淡い光を放ち、表情は無機質に変貌して…
自分の姿を呆然と眺めていると、部屋の陰から何かが蠢いた。それに気づくと共にそれと共に部屋を照らしていた背中の羽が、あたりに光を放つように消えていく。
急な重だるさが体を襲い、消耗が激しいと判断したリュウは出口へと向かった。
外に出て、地下研究室の扉を閉める。月の光を眺めると、少しだけ心が落ち着く気がした。
(…ひどく、疲れた。それに、体中の細胞が、熱く燃えているみたいだ…)
朦朧とした意識の中でそんな事を考えながら壁伝いに崩れるように座り込むと、自然と瞼が閉じていく。
「リュウ!」
目を開けると、図書館の入り口にアヤカの姿見える。
「アヤカ…!?一人で来たのか?」
心配そうな顔をしたアヤカが駆け寄ってきて、リュウの体にそっと触れる。リュウの体の傷を見て、目を潤ませ、そして叫んだ。
「また、こんな傷だらけになって…もう少し私やダイスケを頼ってよ」
アヤカがリュウを抱きしめると、彼女の体から淡い光が溢れ出す。
「お願い…もう一人で、頑張らないで」
光と共に、彼の体の痛みが引いていく。体がじんわりと癒されていくのを感じる。
(あたたかい…)
先程まで疼いていた体中の細胞が穏やかになっていくのを感じた。心の底からアヤカの癒しの力を感じながら、その心地よい感覚に身を委ねていく。
治癒が完了してアヤカが少し離れると、リュウの顔色が良くなっているのを確認し安堵の息を漏らした。
ふと、リュウの肩の存在に気付く。
「あなたは…はじめて見る子だね」
青白い光を放ち、小さな少女のような風貌をした女の子をアヤカは見つけた。恥ずかしそうにリュウの後ろに隠れると、少しだけ顔を出しこちらを見ている。
「リュウ、この子は…」
言いかけたところでリュウがぽつりとつぶやいた。
「アヤカ…少しだけ、膝を借りていいかな」
自分を抱きしめるアヤカの腕の心地よさに目を閉じると、そのまま彼女の膝の上に頭を預け、深い眠りについた。
女の子はリュウが動かなくなったことが不思議でたまらないようで、じっと彼の顔を見つめている。
「あとであなたの事、教えてね」
アヤカがそう言って頭を撫でると、気持ちよさそうに喜んでいるようだった。
リュウは地下研究室で何をしていたんだろう…
そんな疑問を感じながらしばらくアヤカはそのままじっとしていた。
眠る彼はいつもの大人びた表情とは打って変わって、子どもの様に無防備に感じ、アヤカの胸に愛しさがこみ上げてくる。
無理しないで
そう言いたい気持ちをぐっとこらえ、絞り出すように言葉を放った。
「…ここにいるよ、リュウ」
短い黒髪を撫でながら、誰もいない図書館でしばらく眠るリュウを見守った。




