君がいてくれれば、強くなれる
「What a cute lunch box!」
(かわいいお弁当ですね)
早めの昼食をとっていたナオキは、スミス教授に話しかけられた。
アヤカがナオキの為に用意したお弁当は、健康を重視するナオキの好みに合わせて野菜がふんだんに使われたヘルシーなもので、特に目を引くのは添えられた愛らしい猫型のおにぎりだった。
「Thank you, Professor」
(ありがとうございます、教授)
軽く返事をすると、スミス教授がナオキに念押しする。
「The professor emphatically adds, "I'm counting on you for him.」
(彼の事、頼みましたよ)
スミス教授はリュウがお気に入りだった。ナオキは小さくため息をついた後、穏やかに答える。
「I will respect his wishes, but I will try to talk to him.」
(彼の意志を尊重しますが、話はしてみます)
ナオキに呼び出されたリュウは、昼食前に科学室を訪れていた。複数の研究グループが同時に作業されるよう、広大に設計された室内はさまざまな設備が揃い、大学内には専門の技術サポートスタッフが在籍している。ナオキはそのスタッフのうちの一人でもあった。
「話って、何?」
「先日の検査の結果が出ました」
以前からリュウの飛躍的な身体能力向上に疑問を持っていたナオキは、この大学の最先端の設備を利用して、リュウとアヤカの体の検査を内密に行う事を提案した。その結果が出たのだ。
検査結果の画像には、リュウの左腕と首の一部が異なる色調で示されていた。その画像に違和感を覚え、ナオキに問いかける。
「どういうことなんだ?」
「これはアヤカさんの検査結果ですが…」
ナオキは少し言葉を詰まらせた後、アヤカの結果と比較した画像を出す。
「細胞レベルにまで精密に分析した結果、君が再生した身体の一部がアヤカさんの細胞構造と一致していることが判明しました。つまり…アヤカさんが君を蘇生させた際、君の体組織の一部は彼女の独特な細胞構造に再生、同化したのです。これが何を示すか、把握できますか?」
リュウは再度検査結果を見た。
「俺の体の一部が妖精化してるって事?」
ナオキは小さく頷いた。
「君の身体能力の飛躍的な向上は、この細胞構造の変化と相関があると推測されます。つまり、アヤカさんの細胞と同化した結果生じた可能性が非常に高いということです」
橋本ナオキは28歳にして、このハーモニア大学でも一目置かれる優秀な教師であり、教授達からの信頼も厚い。常に穏やかな表情を崩さず優しい口調で語り掛ける彼は、生徒からも人気があった。
しかし、リュウが話を聞きながらナオキの方を見ると、表情は強張り、いつもの穏やかさが感じられなかった。
ナオキは常に相手が理解しやすい言葉を選ぶが、焦ったり想定外の事態に陥ると今のように論理的口調になる。つまり、この結果は彼にとって想定外だったのだろう。
(ナオキ、ありがとう)
傷つかないよう、言葉を選びながら語るナオキの心中を察するように、リュウは心の中で呟いた。
「うん、でもこの力がなかったら、シオンからアヤカを守ることはできなかった。これはアヤカを守るための力だ。後悔はないよ」
そう言って、少しだけ微笑むと、ナオキの肩が少しだけ降りたような気がした。
保護者である彼に与えてもらったのは住む場所だけではない。教育全般を支える彼は、リュウ達にとって、父がわりと言っても良い存在となっていた。
その教育方法は主に行動経済学や心理学に基づいた合理的なものであり、実に効率の良いものであった。
そのクリエイティブな発想に時に驚かされることもあったが、教育熱心なナオキの言う事を3人は素直に聞くようにしている。
(日に日に、ナオキの気持ちが分かっていく気がする…これが成長するって事なのかな)
心の中でそんな事を考えながら、時計に目をやると12時20分。ダイスケとアヤカを待たせて、もう大分時間が経っていた。
「そろそろ戻るよ、弁当食べないと」
そう言って、教室を後にしようとするリュウをナオキが呼び止めた。
「リュウ君、スミス教授が君の才能を褒めていましたよ。優秀な生徒だと」
スミス教授…物理と数学を教える教授だ。
入学試験の時、初めて会った大学教授に好奇心が抑えられず、つい、いろいろ質問を投げかけた。それがきっかけでスミス教授はリュウを気に入り、たまに数学の講義を受けに行くと瞳を輝かせながら喜んでくれる。いわゆる”優しいおじいちゃん”の印象の男性だ。
しかし、リュウはそれを少しだけ後悔していた。
「俺たちはミッションで来てるんだ。今は…成績は周りに怪しまれない程度に維持してればいいと思う」
数式の織りなす自然の法則や、日常生活のところどころで現れるパターン。その共通点に気付いてから、リュウの心は数学の虜になっていたが、自分の役目はこの大学の調査。そして何より一番大切なのは…
「3年前…アヤカの未来を見たんだ」
「アヤカさんの未来…ですか」
リュウは3年前シオンと対峙した時の事を思い出した。一度死んだ自分に精霊の力が流れ込んで来たのを感じた事。アヤカの未来…世界樹を見た事。
「3年後、俺はアヤカを守ることができず、アヤカは世界樹になるんだ」
左手を前に出し、集中すると青白い光が拳から溢れてくる。それはそのまま矢の形になり、リュウの前に現れた。
「未来のアヤカが、これを持たせたんだ。俺はこれで未来のアヤカを守ってみせる」
リュウは自身の気持ちが揺らいだ時、いつもこの矢を出し、当時の自分の気持ちを思い返していた。それは当時の痛みを忘れない為。そして自分自身を鼓舞する為だ。
「数学を学ぶのは好きだよ…でも、あと3年…あの未来と向き合うまで、自分の事は後回しにしようと思う」
ナオキの視線が自分の持つ時の矢に注がれているのを確認すると、彼の方へ少しだけそれを近づけた。青白い光の中にキラキラと光の結晶が舞う、その幻想的な光をナオキは興味深そうに見ている。
「時間を操る矢、でしたね。変えられるのですか?それで、未来を」
科学者であるナオキは、不確定なものに対しては大抵疑問を口にする。
もちろんそれはリュウも理解していた。いくら時間を操ることが出来ても、未来を変えられる保証があるわけではない。
「…変えてみせる」
何が自分を動かすかは明白だ。アヤカを失いたくない。それだけが、今のリュウを突き動かしていた。
時刻は19時。1人でシェアハウスを後にしようとするリュウにアヤカが心配そうに話しかけた。
「本当に、一人で行くの?」
「うん。すぐ戻るから、心配しないで」
彼女を安心させるように伝えたが、アヤカの表情は変わらなかった。
「聞いた?ナオキから」
アヤカの目が少し見開き、何か言おうとして絞り出す声がうっすらと漏れる。冷たい風がアヤカの悲しい気持ちを伝え、それはリュウの心にも少しだけ影を落とした。
「今日の弁当美味しかったよ。ありがとう」
少し驚いたような表情をしたアヤカ。その反応を見て心の中でダイスケの言葉に感謝を感じた。
ふとアヤカの左手に目をやると、手首には3年前にプレゼントしたブレスレットが繊細に輝いている。
「このブレスレット、まだつけてるんだ」
つい最近まで、冬着で生活していたから気が付かなかった。その指摘に、アヤカはまるで子供が宝物を見つけたような表情でブレスレットを眺めた。
「新しいの、今度プレゼントしようか」
アヤカの手を取りブレスレットを見ると、ビーズはだいぶ色がくすみ、古ぼけた印象になっている。小学生の頃のプレゼントなのだから、当然だ。しかし、アヤカは慌てて言い返した。
「これがいいの!私の宝物だから…」
その言葉を言い終えると同時に、アヤカは目を逸らす。そんな彼女の横顔が、そう、まるで…
(なんだ、この気持ち)
むずがゆい、不思議な感覚。
しかし、すぐその気持ちを振り払うように、任務の事を考え首を振った。これから自分は一人で、あの化け物がいる場所へ行くのだ。
一息ついてアヤカの方を見ると、表情が少しだけ穏やかになっている。
「少し、元気出た?」
その言葉に反応するように顔を上げたアヤカは、顔を伏せ、ぽつりと呟いた。
「リュウが、嬉しそうな顔してるから」
「…」
顔に出ていたのだろうか?そう思って自身の顔に手を当てた。
アヤカが微笑んだのを見て、心が温かくなっていく気がした。
(君がいてくれることで、どれだけ心が温かくなっただろう)
「帰ってきたら、美味しいものが食べたいな」
そう、伝えると、いつもの笑顔で頷いてくれた。
「リュウの好きなもの、たくさん作って待ってる!」
3年前、一緒に暮らす事になったアヤカに家事を教えたのはリュウだった。
リュウとダイスケについていけるようになりたい。そう、口癖のように呟きながら、家事やナオキに与えられた教育に真剣に取り組む彼女は輝いていた。頑張るアヤカの姿にリュウは心のやすらぎを感じ、それはダイスケとナオキも同じだった。
しかし、成長すればするほど感じる、世間と言う壁。アヤカの感情に反応する精霊の起こす特異な現象に悩まされることがあったのも事実だ。
(ただ、一緒にいたいだけなんだ)
そう、たったそれだけ。
「アヤカ…」
「何?」
「君がいてくれれば、俺はいくらでも強くなれるから…だから」
アヤカは柔らかな笑顔を浮かべた。昔から、変わらないその様子に、リュウの顔も自然と緩む。
「やっぱり、昔のままだね」
アヤカはそっと、リュウの髪に触れた。
3年前のあの日から、アヤカはたびたびリュウの髪に触れ、優しく撫でてくれた。でも、いつからだったか、ダイスケがそれを照れくさいと言うようになり、気が付いたらリュウも彼女の手を避けるようになっていた。
…触れられるのは、久しぶりだった。
その心地よさに目を閉じたリュウに、アヤカは微笑む。
「ここにいるね」
彼女は変わらなかった。11歳の時、初めて会った時のように、心に寄り添い、同じ時間を過ごす事を喜んでくれる。そして、何も言わずに待っていてくれる。そんな彼女の言葉はリュウにとって、何よりも心強かった。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
アヤカの返事が静かな部屋に響き、扉を閉めると意を決したように深呼吸をした。そして、図書館の方へ走り出した。
リュウは走りながら考えていた。
(確かめよう。もし、妖精の力が手に入っているなら、ずっと練習してきた、あれができるはずだ…)
人間とは違う存在となった自分。3年前の出来事を思い返しながら、今はただただこの力に感謝する事にした。
――リュウにとって、アヤカを守る事…それは自分の人生を賭ける、唯一のものだ。
戦う意味、強くなる理由、存在意義…もし、それがなくなってしまったら。
…そんな事は、考えたくもなかった。
「任務の開始だ」
目を閉じて、息を吸うと意識を集中した。
無機質に変貌したリュウの瞳は、図書館に続く暗闇に向けられ、吐く息と共にゆっくりと目を開くと、周りの音と感覚を遮断するように、彼の心は戦う事――その一点に絞られた。
そんなリュウを、空から見下ろす存在たちがいた。
彼らは、「神秘的な存在」と呼ばれ、リュウの時の矢と同じ青白い光を放ち、夜空をはしゃぐように飛び回っていた。
そのうちひとつの光がリュウの後を追いかけて行った。




