リュウと一緒に生きたい
「アヤカの未来はアヤカが決める。勝手な事を言うな」
リュウの言葉は私の心を激しく揺さぶった。
お父さんが変わり始めてから、私は毎日を楽しむ事だけを考えてた。「あの部屋」の出来事も、全て忘れてしまえるように。全てが「楽しい」で終わるように。
…お父さんとの思い出が、いつまでも私の中で輝いていられるように。そして、そのまま消えていくのも仕方ないって、思ってた。
でも、それって、逃げてただけなのかな。
リュウが一緒に歩きたいって言ってくれた、私の未来で、私はどんな顔をしているのかな。
*
「アヤカ、こっちに来なさい」
澤谷の声が静まり返った部屋に響き渡る。
意識を失ったリュウを抱きしめたまま、アヤカは頑なに首を振った。目の前には銃を向ける澤谷、その後ろには芹沢ユウジが立っている。
「お父さん、銃をしまって」
「お前は何もわかっていない」
「お願い!」
アヤカと澤谷の視線が重なり合ったまま、重苦しい沈黙が流れた。
その沈黙を破るように、イサム博士が澤谷の横に立つ。丸眼鏡をかけなおすと、無機質な瞳がアヤカを見つめた。
「娘、世界のエネルギーの枯渇の深刻さを理解しているか?」
イサムがアヤカに直接語り掛けるのは、初めてだ。彼から受けた数々の実験が、アヤカの体を微かに震わせた。
「エネルギー危機は、一時的な問題ではない。これは人類の存続に関わる重要な事態であり、一刻を争う…我々はその前に手を打たなければいけない。それが何故理解できない?」
(世界のエネルギーの為に犠牲にならないといけない…それはわかってる…でも)
自身に何年も人体実験を繰り返した、イサム博士。アヤカは彼が怖かった。しかし、自分の為に戦ってくれたリュウの言葉を思い出しながら、首を振った。
「11年前にも同じようにエネルギー危機に陥り、大災害が世界中を襲った。放置すればいずれ世界樹の力は失われ、当時の災害が再来するだろう。迅速な対策が必要だ」
「イサム博士、あなたらしからぬ発言ですね」
その声と共に、ナオキがリュウとアヤカを庇うように前に立った。
「確かに科学的な観点から見れば正しいかもしれません。しかし、我々は忘れてはならない。科学は人間の為にある。そして、その中心には常に個人の意志と自由があるべきだ」
イサムの無機質な黒い瞳がナオキを刺すように見つめる。対するナオキは穏やかな表情を崩さず、いつもの微笑を浮かべた。
「…と、以前のあなたなら言うでしょう」
自分の事を良く知ったかのような言葉をかけられたイサムは一瞬眉を顰めた。
「貴様は科学を志す者か?」
「ええ、そうです。あなたの論文も拝見させて頂いていますよ、イサム博士」
イサムは少しだけ沈黙し、自身の感情を隠すように顔に手を当てた。
「私もそれは理解している。しかし、これが現状を解決する最も効率的な方法である事は事実だ。貴様は1人の為に何百万もの命を犠牲にするつもりか?」
「1人の人間を犠牲にすることが唯一の解決方法なのでしょうか?エネルギー問題は、長期的で且つ倫理的な解決策を、より広い視野を持ち取り組むべきではありませんか?創造的な解決策を見出す事も、我々科学者に求められることではないのでしょうか?」
イサムとナオキの議論が続く中、芹沢ユウジが手に持ったステッキで床を軽く叩きながら、アヤカの前に立った。
「シオンの敗北は、我らにとっても探究の価値があるものでございます。彼もまた、貴重な体験を得たことでしょう」
ユウジの視線は倒れたシオンの方へ一瞬だけ向けられ、そしてアヤカの方へ注がれた。彼の瞳は憂いに満ちており、まるでアヤカへ救いを求めるように悲し気な表情をしていた。
「アヤカ、貴女の不安と恐れは我々も深く理解しております。しかしながら、この問題は生きる者全ての課題であり、残念ながら、貴女の力はこの危機を乗り越えるために必要不可欠でございます」
丁寧でありながら柔らかい言葉。そしてアヤカに軽く頭を下げたユウジ。
「この危機を乗り越える鍵となるのは、貴女の力です。私たちは全力でサポートいたします…共に世界の危機を乗り越えてまいりましょう」
そう言うと、アヤカに手を差し伸べた。
「アヤカ、そいつの事を信じるな!」
ダイスケの声が響いた。
この男…芹沢ユウジが、リュウが殺される時に言い放った言葉がアヤカの中に蘇ってくる。
(この人の言う事は、本当なの…?)
アヤカはユウジの瞳をじっと見た。彼の心の奥にあるもの…この言葉が嘘ではないのなら、心の色も、何か美しいものを持っているはずだ。
「――――!!」
「嘘!」
アヤカは意識を失ったリュウの体を抱きしめ、後ずさった。
見えたのは、深い闇を宿した、どす黒い赤。今まで何人もの人間を踏みにじってきたであろう、その色は一切の輝きを放っていなかった。
ユウジは、しばらくじっとしていたが、やがて手を引き、そして一瞬瞳を閉じる。
「協力は得られませんか…」
低い声と共に、開かれた彼の緑色の瞳は、驚くほど冷たかった。
――一気に空気が重たくなる。彼の ”本当の顔” が向けられ、アヤカは一瞬言葉を失った。
「穏便に事を進めたいと願っておりましたが…やむを得ません」
ユウジがステッキを強く叩くと、研究室の入り口から足音がし、銃を持って現れた使用人たちがリュウとアヤカ、ナオキ、そしてダイスケに銃を向けた。一気に形勢を逆転され、舌打ちをしたダイスケがカレンに向けた銃を下ろし、その様子を見た芹沢ユウジは不敵な笑みを浮かべた。
「その子供は、”ユーズプロジェクト”の優秀な被験者となるでしょう。科学者の男…あなたにはまず、情報を吐いてもらいましょうか」
まるでアヤカ達をあざ笑い、蔑むように、ユウジは言葉を続けた。
「時間をかけ、ゆっくりと…その穏やかな顔が絶望に染まる様子は、さぞ見物でございましょう」
ユウジの合図ひとつで、使用人たちは一斉に銃を撃つだろう。敵に囲まれ、逃げ場のない密室。状況は最悪だった。
「リュウ、私に勇気をちょうだい」
アヤカはリュウの体を抱きしめ、澤谷に強い視線を送った。
「お父さん、私…お父さんの心の色が大好きだった」
話しかけられ、澤谷は表情を変えずに視線だけ向けた。
「初めて会った時、瞳の奥に見えたのは草原のようなグリーンに、陽だまりのような光がさした、綺麗な心…私、あの時にお父さんの心の色に恋したの」
「何が言いたいんだ、アヤカ」
目の前に映るのは、初めて会った時の父ではない。澤谷の瞳をじっと見つめると、彼の心の色がアヤカの瞳に映る。
「まるで、心がないみたいに…真っ黒に染まってる。今のあなたは、誰?」
その言葉にいらだったように澤谷はアヤカに銃を向けた。
「アヤカ、お前は私の言う事を聞くいい子だった…実験も、教育も、素直に受けていたはずだ!いつからそんなに反抗的になった!リュウ君がお前をたぶらかしたのか?」
澤谷の銃がリュウの方に向けられ、アヤカは彼を庇うように覆いかぶさった。
「お父さん、やめて!」
「アヤカ、どきなさい!」
「お願いだから、元のお父さんに戻って!」
――その時、周りに冷たい風が吹いた。
シャン
鈴の音に反応するようにアヤカが顔を上げると、ひやりとした風は、キラキラとした氷の粒を舞い上げていた。
(何…?こんなの、今までなかった)
プライベートスクールで精霊が雨を降らせた時と同じ音だった。冷たい風はアヤカを守るように吹き、その風に乗って心に響く精霊の静かな怒りが伝わってきた。風はやがてパチパチと音を立て、小さな静電気がアヤカの周りを包んでいく。
水の精霊が悲しみに反応し、起こす冷気。怒りに反応した雷の精霊が起こす電気。アヤカは何が起こったかをようやく理解した。
(妖精姫になったから…私の心に反応する、精霊の力が強くなってるんだ)
気を失ったリュウの体を抱きしめた。
今、本気で悲しいと思ったら、あの時の雨のように精霊たちが動いてしまう。そんな事になったら、ここにいる皆…ダイスケやナオキ、そしてリュウも、危険に晒されるだろう。
怖い
そう、感じた時、周りの冷気は更に冷たさを増したような気がした。
(心を落ち着けないと…でも、どうしたらいいの?)
以前とは違う、自分の心に敏感に反応する精霊たち。制御がきかない彼らの動き。それはアヤカの心を深く闇の中に落としていくかのようだった。
その時、リュウの腕が微かに動き彼が何かを訴えかけようと口を動かしている事に気付いた。
「リュウ?」
一瞬気が逸れ、周りの冷気が和らいでいく。
体を起こそうとするリュウは、澤谷の銃弾から守るように、アヤカを抱きしめた。そして、アヤカだけに聞こえる小さな声で、まるで訴えるかのように呟く。
「ここに、いて」
「…!!」
抱きしめたリュウの体が微かに震えているのを感じ、アヤカは頷くと澤谷に強い視線を送った。
「そうだよね…リュウ。私、リュウの妖精になりたいって、言ったんだもの」
胸の奥が熱くなり、アヤカの周囲にリュウの使う時の矢の光によく似た青白い光が溢れ始めた。それは次第にアヤカの周りを包んでいく。
「私は、あなたたちに協力できません」
芹沢ユウジ、イサム博士、そして澤谷。つい先日までお世話になっていた、屋敷の使用人達。…父に定期的に連れてこられていた、この部屋。
そして、リュウと初めて会った、大好きな中庭を思い返した。
「リュウは私の歩く未来を一緒に歩きたいって、言ってくれたから。…だから、私も精一杯、生きる努力をしたいの」
別れを告げるように、言葉を続ける。そして、リュウが言ってくれた「自分が歩きたい未来」を考えた。
「私、リュウと一緒に生きたい。だから…」
父の方へ視線を向けると澤谷の表情は、強張ったままだった。大好きだった父にはもう会えない。その事実を受け入れるように、瞳を閉じたアヤカは、少しだけ彼に微笑みを浮かべた。
「今までありがとう、お父さん…さようなら」
そう、呟いた直後。
光が強くなっていく。その場の皆が眩しい光に視界を奪われた直後、目の前から4人の姿は消えていた。
その場所にはただ明るい光だけが残っていた。




