ぷつりと切れた、世界
山道の入り口に到着したダイスケはナオキの車を発見して安堵した。
「ダイスケ君、リュウ君は」
「リュウが昔所属していた組織の戦闘員が襲ってきて、囮になる為に残った」
言葉を失うナオキ。ダイスケはアヤカを車に乗せると背中に背負った狙撃銃を取り出す。
「ナオキ、俺は撃つぞ」
ダイスケは狙撃銃を構えると、山の方を見た。スコープ越しにリュウのいるところを探りはじめた。その様子を見てナオキは止めようとせず、しかし忠告をするように言う。
「それがもし誰かの目に触れていたら、どうなるか理解していますか?」
「わかってるよ、リスクも危険も承知の上だ」
ダイスケはついさっきまで一緒にいたリュウの言葉を思い出した。
”僕は君を守る存在だ。今までも、これからも、ずっとだ”
リュウがアヤカのボディガードとして、彼女に残した言葉。彼は自身の意志で決めて、そして残った。
「俺も決めてやるよ。難しい事は全部関係ねえって。これは俺が決めた一発だ」
暗視スコープには敵と対峙するリュウの姿が映っている。その距離はおよそ1キロ。雨が降り風も吹く中、狙撃のシチュエーションとしては絶望的だった。
しかしダイスケの心は自身が驚くくらい静かに落ち着いていた。集中力を研ぎ澄まし、軽く息を吐くと風と雨がまるで自身の一部のように体に浸透していく。
ゆっくりとスコープ越しに照準を合わせる。ターゲットが動く様子をスローモーションのように感じながら、その黒い瞳の中に捕らえ、軽く銃口を撫でるとトリガーを引いた。
雨の音にかき消されていく銃声。ダイスケの撃った球は風を切り、黒いコートの男の左肩に命中した。その瞬間、スコープ越しにリュウと目が合った気がして、彼は森の中を静かに見つめた。
「ばかやろう…」
小さく呟いた後銃を下ろすとダイスケも車に乗り込む。
「急ぐぞ、ナオキ」
その言葉に頷くとナオキは車を走らせ、アヤカの自宅へと向かった。
暗がりの中、アヤカは意識がはっきりしてきた時、自身が乗っているのが車であることに気がついた。
「ダイスケ…リュウはどこ?」
目の前に映ったダイスケの顔を確認し、苦しそうな呼吸を繰り返しながら彼の服を掴み、必死に訴える。しかしダイスケは前を向いたまま、一言も発しなかった。彼の服を掴むその手に力がこもる。
「リュウは、どうなったの?」
ダイスケが歯を軋ませる音が密かに鳴り、彼は強く拳を握りしめた。
「今は、アヤカを無事に家に送り届けるのが最優先だ。それがリュウの願いだからな」
その言葉にアヤカの瞳に涙が浮かんできた。
「あいつが自分の意志で何かを強く決めるところ、俺、初めて見たよ。リュウにそんな事させたのアヤカが初めてだ」
ダイスケの言葉にアヤカは顔を伏せ、左手のブレスレットを静かに眺めた。
「これね、リュウからのプレゼントなの」
独り言のように呟く。これをリュウから贈られたのは、そう遠くない日。喧嘩をした時に仲直りの為に彼が用意したそれは、アヤカにとって大切な思い出の品だった。
「リュウのことだから、きっと一生懸命選んでくれたんだろうな」
ダイスケはリュウがアヤカと喧嘩したと言っていた夜の事を思い出した。
「そう言えば言ってたな、喧嘩したって」
「私がわがまま言ったの。でもリュウはいつも通り優しくて」
アヤカの瞳から涙が零れる。
「私、リュウが大好きなんだ」
その言葉にダイスケは少し微笑むと、アヤカの涙を拭った。
「たぶんあいつも同じだと思うぞ」
アヤカは大粒の涙を流した。ダイスケは彼女の頭に手を置き、慰めるように撫でる。窓の外の雨はアヤカの悲しみを反映するように、その激しさを増していったように感じられた。
深夜の山道を下り、ナオキの車はダイスケとアヤカを乗せ、澤谷邸へと到着した。
「アヤカ!無事なのか!?」
車が豪邸の敷地内に滑り込むと、玄関前に待機していた澤谷が飛び出してきた。アヤカの透き通るような腕に目をやると、その光景に澤谷の顔色が一段と青ざめた。
「澤谷、娘はどこだ」
「イサム博士、こちらです」
入ってきた白衣の男・イサム博士の乱れたダークブラウンの髪がダイスケとナオキの前を通り過ぎる。彼は2人に目もくれず、アヤカの傍に寄り、感情の宿っていないような黒い瞳を彼女へ向けた。
ダイスケはナオキの微妙な変化に気付いた。
(何動揺してるんだ…?)
目の前の白衣の男は、自分たちの事を知らないようだった。しかしナオキは彼を知っているようで、いつもは崩さない穏やかな表情を微妙にひきつらせている。
「先程例のターゲットが届いた。すぐにプロジェクトを開始する」
そう言うと、イサムは邸宅の大広間の扉を開き、消えていった。
ナオキはその後ろ姿に少しだけ緊張した眼差しを向けていたが、やがて安堵の表情を浮かべ澤谷の方に視線を戻した。その様子にダイスケは少しだけ違和感を感じながら、彼もまた澤谷の言葉を待った。
「アヤカを送り届けて頂いて、感謝しています」
澤谷はそう言うとアヤカを抱きかかえ、先ほどイサムが消えた扉の方へと足を運んだ。
「君たちも来てもらおう。今から大切な実験が始まるんだ」
澤谷の案内で、ダイスケとナオキは邸内の奥深く、静まり返った大部屋へと足を進めた。切れ切れに呼吸するアヤカを抱きかかえ、足早に歩く澤谷。
「澤谷さん、ここで何の実験を?」
広い部屋に整えられた設備。ナオキはまるで大型の研究施設のようなその場所に違和感を感じ質問を投げかけるが、澤谷の返答はなかった。
(こいつ、アヤカの父親なんだよな)
ダイスケは澤谷の後姿を見つめながら、彼の行動を観察した。
空気がひんやりとした大部屋の中心に、高度な研究施設を彷彿とさせるセットアップが広がっていた。イサムが手元のスイッチを入れると、強化ガラス越しに部屋の中央に柔らかな光が灯った。
「リュウ!?」
ダイスケの声が大部屋に響き渡った。その先のガラスの向こうには、椅子に固定されたリュウの姿。彼の服は血に染まり、体中に傷が広がり、ところどころ痛々しいほどに腫れ上がっていた。
そしてその隣には2人の男が立っていた。
1人は黒いコートを羽織り、黒い帽子を被った長めの白髪の男。もう一人は壮年の、緑色の瞳に細身で長身の灰色の髪の男。
「おまえ…」
ダイスケは彼を見て驚く。先程狙撃のスコープ越しに捉えた男の顔が脳裏に浮かび上がった。
直後、ダイスケの背後から冷たい金属の感触が伝わってきた。
「動かないでちょうだい」
反射的に後ろへ目をやると、長い黒髪に緑色の瞳の少女が立っている。その手には銃が握られ、ダイスケは彼女が敵であることを認識する。
「お前だろ、学園祭で副委員長を殴った怪力女」
ダイスケの言葉に彼女は何も言わず、銃口を彼に付きつけた。
一方、ナオキは大柄の男に銃を突きつけられていた。
「以前はありがとうございました、タケシさん」
筋肉質で堀の深い顔。迷彩服に身を包んだ男・タケシの濃い眉が更に上昇し、口の端がより強く上がった。
「あん時は世話になったなぁ。傭兵の個人情報を握って脅すなんて、お前が初めてだったぜ」
タケシのその言葉にナオキは小さく笑みを零すと、穏やかに話しかける。
「僕は意外と子供好きなあなたとは仲良くなれると思ったんですけどね」
「そりゃあ、残念だったな。俺はお前みたいなスカした奴が一番嫌いだ」
若干怒りを含んだタケシのハンドガンを横目で見ながら、ナオキは小さくため息をつく。
「しかし、この状況は理解しがたいですね。何故リュウくんがあそこに?彼は無事なのですか?」
穏やかに語るナオキだが、その瞳には怒りと動揺が潜んでいた。静かな空気の中、部屋の奥に立つシオンが答える。
「彼はまだ生きてるよ。かろうじて、ね」
そう言ってシオンはリュウに近づくと、彼の左腕を持ち上げた。
「澤谷、娘を起こすんだ」
イサムの命令の声が冷たく響き渡る。澤谷はリュウの方にアヤカの身体を向け、軽く頬を叩く。アヤカのまぶたがゆっくりと持ち上がり、その瞳にはリュウの姿が写り込んでいた。
「リュウ…!?」
彼女の細い声が驚きと恐怖で震えていた。シオンの手にはリュウの左腕が、もう一方の手には黒く鋭い刀が握られていた。彼女の顔色が一気に青ざめ、言葉を失う。
「まさか…やめて!」
その声と同時に、刀がリュウの腕に振り下ろされた。鈍い音が床を打ち、リュウの失われた腕から飛び散る血が空間を赤く染めた。
「ぐっ…ああああああああーーーッ‼」
リュウの叫びが部屋に鳴り響く。瞬時の出来事に、彼は何が起こったのかを理解するのに時間がかかった。
「はぁっ…はぁっ…」
呼吸の音がいつもよりリアルに耳に響き、足元を見て自身の左腕が落ちているのを見てやっと事態を把握した。目の前が白く霞んでいくのを感じながら、重たい頭を上げるとシオンの姿が映る
「おはようございます、リュウ」
シオンはそう言って前を指さした。その先を見るとアヤカがいることに気が付く。
「アヤカ…?どうしてここに」
アヤカを抱えている澤谷に気付き、リュウは一瞬思考が止まった。
「やっぱり、澤谷さんも」
その言葉にシオンは笑みをこぼし、リュウの顎を掴んで自分の方へと顔を向けさせた。
「ええそうです。澤谷ソウイチは我々の仲間。そして我が組織アルケミスタの目的の為、君にはここで死んでもらう」
目を大きく開き、口元に笑みを浮かべるシオンは狂気じみた笑顔をしていた。次にもう一人の男がリュウの前に立つ。
「芹沢さん…」
芹沢ユウジはリュウを見下すように、見つめた。
「裏切り者の末路としては、少々手ぬるいと言えるでしょう…本来であれば時間をかけて、ゆっくりいたぶりたいところではございますが」
その緩やかで丁寧な口調とは裏腹に、残酷な言葉を発するユウジからは静かな怒りが滲み出ているようだった。
「アヤカは、どうなるんだ」
「君は彼女が以前降らせた不思議な雨を見ただろう」
シオンのその言葉に、リュウはアヤカが屋上で怒りの感情から降らせた精霊の雨を思い出した。
「なんで、それを」
「彼女の心の動きは精霊の力を引き出す。特に怒りや悲しみ…強い感情」
そう言いながらリュウの首元に刃を突きつけると、彼の顔をじっくり眺めながら声を弾ませた。
「では目の前で大切な君が死んだら、どうなるだろうね?」
リュウはようやく理解した。
彼らの目的は、アヤカの感情により反応する精霊を動かす事。そして、シオンはそれにより起こる自然現象を知っている。
「なんの、為にだ」
リュウが問いかけると、シオンの目元に狡猾な笑みが浮かんだ。
「ああ、その顔だよ。最高だ…その絶望に染まる顔が見たかったんだ」
シオンは自身の体に生まれたゾクゾクとした感覚に喜びの声を上げる。その様子を見ていたユウジはため息をつきながら口を開いた。
「シオン、死にゆく者への手向けはそのあたりでよろしいでしょう」
その言葉に口元を緩ませると、シオンは刀を持つ手を振り上げた。
(アヤカ…)
体を固定され、動けない体。朦朧とした意識。
ここで死んだら、アヤカはどうなる?
左肩に痛みが集中し、激痛からの悪寒が背筋を駆け上がるが、そんな事はどうでもよく感じた。
「僕は、まだ」
精霊の雨を降らせたときの彼女を思い出す。あの時の強いアヤカは、まるでリュウ自身を守っているかのようだった。
リュウの妖精になりたいと言った彼女は寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「まだだ」
アヤカの叫びが聞こえた。
その直後耳元に響く風を切るような音。
「アヤカ」
そう呟いたところでリュウの視界はぷつりと切れた。




