シオン・ヴァルガスと夜の精霊
少し前。
ダイスケは見張りをしていると周りの空気が微妙に変わったことに気が付いた。
それは、緊張感。今まで感じた事のない空気だった。
瞬時に緊急用の通信機のボタンを押してナオキに信号を送ると共に、気配の方へ警戒を強めた。心拍の音が耳を圧倒し、待ち構える彼の瞳は周囲を網羅した。
そこへふわりと風が吹き、微かに草花が音を立てて揺れ、その直後それはダイスケの目の前に現れた。
「誰だ!?」
黒服を着た男が3人。ダイスケを囲むように現れた。
(こいつら、昔リュウが着てたのと同じ服装)
黒いタクティカルスーツ。一瞬で昔リュウが在籍していた組織の人間だと判断した。
(リュウみたいな奴が3人。そう考えていいんだよな)
男たちの目に宿る、凍てつくような冷徹さを感じ取りながら、ダイスケは懐のハンドガンに触れ、次の一手を待った。
*
夜の山を月の光が照らし、黒いコートを纏う男の白髪が月の光を浴びて銀色に光輝く
シオンは自分の時間である夜を待ちわびていた。日が落ちると動き出す夜の精霊たちは彼の周りに集まり、喜びの歌を奏でる。足元の先の山道には、少年が女の子を背負って進む姿が映った。
それを見つめる彼の心の隅で微かな喜びの芽が芽生える。同時に精霊の光は彼の持つ黒い刀に引き寄せられるように、その周りを浮遊しだした。
「さあ、彼の所へ向かおうじゃないか」
夜の精霊たちの光に身を預け、空を浮遊するようにシオンは彼のもとへ向かっていく。その瞳には獲物を狙う狂気の光が宿っていた。
*
(今、ちょうど真ん中あたりか)
アヤカを背負い、静かな山道を歩きながら時計に目をやると夜中の12時半。
進路は木々に設置された僅かな照明の光に照らされ、ところどころは確認出来た、しかし10メートル先には漆黒が広がる山道はクラスメイトと共に歩いた昼間の風景とは打って変わって、先の見えない難解な道に映った。
幸い舗装のされている道は、わかりやすく一本道として続いている。
背中で苦しそうに呼吸を繰り返すアヤカの様子を気にしながら、急ぎ足で山道の入り口を目指す。先程通信機のボタンを入れ、ダイスケに再度呼びかけたが、やはり反応はなかった。
(ダイスケ、無事でいてくれ…)
「リュウ…」
アヤカの声が響き、彼女の方へ目をやると、うっすらと目を開けていた。
「今ナオキが迎えに来てくれてる。入り口まで移動してるから、少しだけ我慢して」
そう言うと、彼女に微笑みかける。
アヤカはその微笑みに安堵し、リュウの背中に顔を埋め、感謝の言葉をつぶやいた。
「ありがとう、リュウ」
しかし突如、辺りを包む暗闇の中に不気味な黒い光が漂い始めた。
「これは、さっきの」
リュウの瞳は先程キャンプ場で見たばかりの、花弁のように舞う光に固定されていた。
「夜の精霊…?」
アヤカが呟いた。彼女の声に一瞬だけ注意が向いた直後、再び前方へ視線を移すと一人の男がそこに佇んでいた。
「あの男は…」
リュウはその男をアヤカの父親である澤谷の仕事部屋で2度見た。黒いコートに長めの白髪、深く被った帽子から覗く漆黒の瞳の中に潜む深い闇と冷たさに、リュウは息を呑んだ。
「こんにちは、リュウ君」
彼は口元に笑みを浮かべると、黒い刀をリュウの方へ向けた。その刀の周りに黒い光が舞うのを見て、リュウは彼が事件の黒幕であることを確信する。
「芹沢ユウジの、仲間なのか?」
シオンは一瞬の沈黙の後、微笑みを浮かべながら答えた。
「芹沢ユウジは、同じ目的を持つ同盟関係と言ったところでしょうか…君の事も、彼からよく聞かされていますよ」
「じゃあ、澤谷さんも…?」
「彼は少し違います。しかし、仕事仲間であることに変わりはありません」
リュウは一瞬、澤谷と芹沢ユウジが直接の関係ではない事を理解し安堵の息を漏らした。
「私の目的は、君を捕らえること。芹沢からの依頼です。君の友人のもとへも、彼の組織の戦闘員が向かっているはずです」
その返答に一気にリュウの体が凍り付く。
自分より遥かに経験豊富な戦闘員が、複数人。応答のなかったダイスケの身が心配だが、今は背中のアヤカを無事送り届ける事が最優先と自身を言い聞かせる。
「わかりました。組織に戻ります。でも、その前に澤谷アヤカを自宅まで送り届けたい」
その申し出に、彼は静かに言葉を返す。
「芹沢ユウジより、裏切り者の言い分に耳を貸す必要はないと聞いています。よってその申し出の回答はNOです」
言い終えた途端、シオンは足を踏み出し、リュウに急接近すると黒い刀を振り下ろす。咄嗟に避けるがアヤカを背負ったままでは戦う事はできないと判断し、アヤカを急いで背後の地面に降ろし、構えた。
リュウの眼差しはシオンを捕らえ、彼をけん制した。
視界を素早く巡らせ、周囲の把握をする。正面にはシオン、その奥には闇に包まれた山道が広がっている。周りは木々で覆われ、左側には高台へと続く道、右側には深い崖があった。
(崖、か)
シオンとアヤカを交互に見つめ、どうすればこの状況を打破できるかを瞬時に考える。頬には、焦燥から生じる汗が滲んでいた。
再びシオンが接近し、刀を力強く縦に振り下ろす。右足を急速に後ろに引き、半歩右に体を移動させて避けたところで反撃を試みるが、すぐ切り返しの刃が襲ってきた。
リュウは距離を一度取りながら、短く息を吸う。そして今度は自ら仕掛ける。素早く踏み込み距離を詰めた。力強く振り下ろされた刀は黒い光を放ちながら風を切り裂き、リュウの耳元を僅かにかすめていった。
刀はそのまま地面に向けて強い衝撃を与え、土と埃が暗闇に舞う。シオンの動きが一瞬地面に向かって傾き、その隙を見逃さず、リュウは脇腹を狙って強烈な打撃を振りかぶった。
その時、シオンの左手が前に出され、軽くリュウの腕を叩く。勢いを相殺されたリュウは打撃の勢いが宙に舞い、バランスを崩した。
(なんだ、この動き)
その手の動きと連動するように、振り下ろされた黒い刀を避け、距離を取り、息を吐くと再び構えた。
リュウは戦闘スタイルは特有で、相手の攻撃を逆手に取り肘や膝でのカウンターを仕掛ける戦略を主としている。だが、シオン動きは明らかにその戦略を見越しており、全ての技をまるで事前に知っているかのように軽々と受け流していた。
(僕の動きの対処を全て把握されているみたいだ)
もう一度接近を試みる。
シオンの刀が再び飛び出し、放たれる精霊の光が夜の山岳の道を密かに照らす。刀の軌道を見越して左に回り込んで距離を詰めようとするが、シオンが突如左足を前に踏み出し、リュウの腹部に向けて強烈な蹴りを放った。
その強烈な足の一撃を受け、リュウは地面に向かって突き飛ばされた。瞬時に受け身を取り地に足を付け立ち上がるが、まるで全ての動きを読まれているかのような、不気味な強さに一瞬焦りを感じる。シオンの冷徹な笑みとその漆黒の瞳は、まるで相手の絶望を楽しむかのように輝いていた。
息を切らしながらアヤカの前に立つが、リュウは確かに追い詰められていた。
「リュウ…」
小さく呟いたアヤカの声が聞こえた。
「夜の精霊が、あの人を守ってる。まるで彼らがリュウの心をあの人に伝えてるみたい」
「僕の心を、あいつに?」
その言葉に少しだけ冷静になり、以前アヤカが語っていた事を思い出した。
彼女は以前、中庭でこう言っていた。
”リュウの周りにいる精霊たちの、心配そうな声、聞こえる?”
そう、妖精である彼女は精霊たちの声を聞き、リュウやクラスメイトの心を感じ、寄り添いながら学校生活を送っていた。そして、こうも言っていた。
”普段は小さな光の姿をしていて、時々心を現してくれるの。火や、水や、風は精霊たちが喜んだり、泣いたり、笑ったりすると動く、心の声みたいなものなんだ”
(アヤカは人の心を精霊を通じて感じ取れるようなことを言ってた。同じことを奴が出来るとしたら…)
心を読み、対処しながら戦う相手…そんな奴を相手にしたことはなかった。そして彼は芹沢ユウジと協力関係にある。だとしたら、リュウが受けた戦闘訓練や任務中のデータが彼のもとへ流れていてもおかしくはない。
リュウは目の前のシオンに視線を向けたまま、呟く。
「アヤカ、僕を信じてくれる?」
彼の背中を見つめながら、アヤカは朦朧とした意識の中でその心の意図を考えた。
(危険な事を、しようとしてるの…?)
リュウは背中を向けたまま、アヤカの返事を待っている。アヤカは自身の体の重だるさを恨めしく感じた。自身の左手へ視線を向けると、宝物のブレスレットが目に映る。
オレンジとピンク、そして青のビーズに星と小さな花のチャーム。それを見て彼女はうっすらと微笑を浮かべた。
「リュウと一緒なら、何も怖くない」
その言葉に先程までの緊張感が薄れていくのを感じ、少しだけ微笑むとリュウは意を決したように構える。
自身の中に巣くう恐怖が完全に消え、ただ、後ろにいる彼女を守る事だけが、心を突き動かした。自分は彼女のボディガードであることを再確認しながら、その役目を全うすることを再度心の中で誓う。
(恐らく、こいつに勝つのは無理だ。なら…)
アヤカの方に少しだけ、目を向けると再度周囲を見渡した。
(勝たなくていい。アヤカを逃がす事だけを考えるんだ…)
自身を落ち着けるように深呼吸を繰り返す。そして再度、シオンに向かって足を踏み出した。
シオンの外見補足
白髪で目にかかる長めの前髪。光が当たるとたまに銀色に煌めく。
黒い帽子に黒いコート、スーツよりくだけた全身黒づくめ
血色悪そうな肌と、漆黒の瞳。瞳は光の当たり方によっては赤く見える。
年齢不詳、見た目は20代後半~30台前半あたり
戦闘スタイル
基本は剣道で、相手によって戦い方を柔軟に変える。カポエラに近い動きと、システマを組み合わせたようなかんじの独特の体術。




