君だけは、絶対に守る
後片付けが終わり、生徒たちが食事の準備に取り掛かる中、リュウは高台にいるダイスケに通信を開始した。
「ダイスケ、そっちからの様子はどうだ?」
「今のところ特に何もないな。でも、油断は禁物だぞ」
「こっちも今は静かだ」
「何かあったら、すぐ連絡しろよ」
ダイスケとの短い会話を終え、通信機の電源を切ると一息ついた。
万が一の時に備え、ダイスケはすぐにリュウ達の所へ駆けつけられる高台から生徒たちを見守っている。ナオキは緊急時の為に山の入り口付近で車を待機させてくれている。この通信機も、ナオキが用意してくれたものだ。
「芹沢さんが、あまりに簡単に僕を見逃しているんだ。何か裏があるような気がする」
暮れゆく空の下、キャンプファイヤーの準備を始める生徒たちを見ながら、昨日の芹沢ユウジの言葉を思い出した。
「逃げた者がどうなるか、君は理解していますね」
もちろん、リュウは理解していた。
「わかってる。でも周りに被害が及ぶ事だけは…」
そんなリュウのもとへ、アヤカが近づいてくる。
「リュウ、お願いがあるの」
彼女の手には飯盒が3つ握られていた。
一方、ダイスケはキャンプ場の全景が一望できる高台に立っていた。手にした精巧なスコープを通して、彼は生徒たちと周囲の様子を見守っていた。
狙撃手である彼にとって、ひとつの場所で目標を観察し続ける今のような行動は、日常的な仕事のひとつだった。背中に背負った狙撃銃に少しだけ目を向けながら、昨日のリュウとのやりとりが心に浮かんでくる。
(万が一の為に持ってきたけど、できれば使いたくないな)
そんな彼の覗くスコープにこちらに向かって歩いてくるリュウとアヤカの姿が映る。
「なにやってんだ、あいつら」
しばらくして、飯盒を持ったリュウとアヤカが目の前に現れ、アヤカが満面の笑顔で温かいカレーライスをダイスケに差し出した。
(カレーとか、匂いのあるものは見張り中は厳禁なんだけどな…)
そんなことを思いながらリュウに視線を送ると、気まずそうに視線を逸らされダイスケは思わず笑いだした。
「あはは、お前ほんとアヤカに逆らえないのな」
「うるさい」
わずかに顔を赤くして小さく言い返すリュウを見ながら、ダイスケは目の前のカレーライスに目を移す。
「ダイスケ、迷惑だったかな?」
「いや、ありがたくいただくよ。腹減ってたんだ」
心配そうなアヤカにダイスケが笑顔を送ると、彼女もいつものふわりとした笑顔を浮かべた。
3人はクラスメイトが食事をしているキャンプ場を見下ろしながら、一緒にカレーを食べた。夜の帳が下り、キャンプファイヤーが灯されると、星々が空にきらきらと輝き始めた。
「見て、キャンプファイヤーが始まったよ」
遠くで、生徒たちの歌声が高台まで響いてきた。
夜空に上っていくキャンプファイヤーの煙。3人でそれを眺めながら、山に吹く微かな風に吹かれ、共に過ごす時間に笑い合う。
無邪気な笑顔を浮かべながら美味しそうにカレーライスを食べるアヤカ。その一瞬だけ、リュウとダイスケは任務の事を忘れ、心穏やかな時間を過ごした。
夜中。
リュウは皆が寝静まったのを確認すると、こっそり外に出てアヤカの寝ているテントの見張りの為座り込む。周りの冷気が毛布を貫通し彼の身体を冷やしても、彼の心は焦点を失わなかった。
(懐かしいな…)
以前…暗殺や隠密の仕事をしていた時は、真夜中の1人での見張りは日常の一部であった。あれから2年、信頼できる仲間であり無二の親友であるダイスケのいる山の上の方に目をやりながら、そんなことを考える。
「リュウ」
突如、アヤカの柔らかな声が闇夜に響き、驚きのあまり彼は即座に振り向く。
(しーっ)
アヤカは微笑みながら、指を唇に当てて沈黙の合図を送った。
「アヤカ、寒いから中に」
「リュウと少し、ここいてもいい?」
「・・・・・・」
リュウは何かを言おうとしたが、やがて視線を逸らし小さくため息をついた。
「じゃあ、せめて毛布かぶって」
自身のかぶっていた毛布をアヤカにかぶせようとすると、その前に彼女は毛布の中に潜り込んできた。
「っ!?」
「あったかいね」
驚き固まったリュウと目を合わせないまま、アヤカは嬉しそうに微笑んだ。
「キャンプファイヤー、綺麗だったね」
キャンプファイヤーの跡を眺めながらアヤカは言う。
「……そう、だね」
アヤカの体温をすぐ傍で感じながら、リュウは体を固くしたままぎこちない返事を返す。
(これ、帰ったらダイスケにからかわれるんだろうな)
軽く帰宅後の事が思いやられるような感覚を覚えながら、アヤカの方へ目を移すと幸せそうに微笑んでいた。
(まあ、いっか)
その笑顔に微笑みながら空に目を移す。無数の星が夜空にきらきらと輝いている。
だが、その静寂は突如として破られた。アヤカがリュウの方へと倒れ込んできたのだ。
「アヤカ?」
呼びかけるが返答がない。少しだけ彼女の体が熱くなっている。
「アヤカ!」
リュウは急いで彼女の熱と脈拍を図った。
「熱がある…」
彼女の手を見ると、うっすらと透明がかっている。
(あの時と、同じだ)
その直後、あたりに黒い光が舞い上がった。
「なんだ、これ」
その光は花びらのようにキャンプ場を舞い、生徒たちの眠っているテントの周りをゆっくりと浮遊している。リュウの周りにもその黒い光はやってきて、目の前にひとつ、リュウの顔を照らすように止まる。その光に彼は一瞬くぎづけになった。
綺麗な光だった。
まるで刃物の切っ先に宿るように、沈黙の中で煌々と輝き、彼の視線をとらえた。次第に瞼が重くなっていく。
(なんだ、急に、すごく眠たく…)
眠りに落ちそうになった瞬間、アヤカの姿が一瞬目に映る。苦しそうに呼吸する姿を見て、彼は目を開いた。
(眠るな!!)
咄嗟に自身の舌を噛み、頭を振った。血の滴り落ちる感触が彼を現実へと引き戻し、小さく息を吐きだし、状況を把握する為思考を巡らせる。
「一体、何が起きてるんだ」
周囲のテントを視察すると、教師や生徒たちは既に深い眠りに落ちていた。先程光に目を取られた時に自身を襲った激しい眠気を思い出しながら、リュウは即座にこの異常事態を理解する。そして通信機のボタンを入れ、ダイスケに声をかけた。
「ダイスケ、応答してくれ。ダイスケ!」
しかしダイスケの応答はなかった。次にナオキに通信を送ってみる。
「ナオキ、聞こえるか!?」
「はい、リュウ君。何かありましたか?」
「黒い光を見なかったか?」
「黒い光ですか。こちらでは確認していませんね」
応答があることに安堵し、その会話から黒い光の異常な影響が、彼の身を潜める山の麓にはまだ届いていないことを理解した。
「アヤカの体調が悪くなった。でも皆深く寝静まっていて、起きる気配がないんだ。ダイスケも応答がない」
リュウのその言葉にナオキは一瞬沈黙した。
「ダイスケ君からは先程緊急の信号を受け取りました。僕も彼と連絡は取れていませんが、そちらに向かっています。君はどう判断しますか?」
山岳の入り口までは車で5分程。子供の足だと恐らく1時間くらい。アヤカの苦しむ様子に目をやり、リュウは決意を固める。
「アヤカを連れて山を下りようと思う」
「わかりました。山岳の入り口まで車を移動します。気を付けてください」
通信機のボタンを切ると、夜の闇へ再び目を移した。先程の黒い光に、急に体調が悪くなったアヤカ。そして
「もしこれが芹沢さんの仕業なら、多分この後奴らが奇襲をかけてくる…」
緊急の際に備えていたウェポンハンドバッグから、ペッパースプレーとタクティカルフラッシュライトを取り出した。それは学校生活で何かあった時の為に所持していた、最低限の武器だった。
山の闇は厚く、絶望的だ。このような状況は、闇の組織の彼らにとっては、単独行動するターゲットを仕留める絶好の機会となるだろう。アヤカの苦痛に満ちた呼吸を耳にしながら、リュウは深く息を吸い込み、彼女を背中に背負った。
「大丈夫だ、アヤカ。君だけは絶対に安全に送り届けるから」
自分を鼓舞するように囁いて、リュウはナオキの待つ山岳の入り口を目指し足を進めた。




