【番外編】ショウとサツキ ライトブルーの瞳に映る虹色の心
学級委員長サツキと、副委員長ショウの話です。
ふんわりとした黒髪につり目が印象的な少女・サツキは、いつものようにお気に入りの中庭に足を運ぶ。
ふと、緑の芝にひときわ目立つ淡い色素の髪が目につき、深く心の奥でため息をついた。
「ショウ、どうしてこんなところにいるの?」
この閑静な場所は、サツキの住む荘園の一部だった。彼女は大手企業の経営者の娘で名の知れた家だが、ショウは更に名の知れた財閥の跡取りである。
しかしショウは幼い頃からサツキの事が気に入り、たびたびこの中庭に姿を現していた。
「姉さま達が家でお茶会をしてるから、適当に抜け出してきたんだ」
端正な顔立ちに小学生にしては高めの身長。誰もが美少年と口を揃えて言うだろう、彼の表情はいつになく穏やかであった。
「ここにいることがばれたら、私のお父さんの首が飛ぶかもしれないのよ」
そんなことを心配しながらも、サツキは芝の上に寝転がった彼の隣に穏やかに腰を落ち着け、ノートに真剣に何かを記していた。
「それ、学級日記?」
サツキは静かに頷いた。
ショウはこの庭に訪れると、気持ちの良い芝に寝転がって昼寝をしたり、空を眺めるのが好きだった。傍らにはまじめに勉強をするサツキの鉛筆の音が微かに耳に届き、風に揺れる草の心地よい香りに癒されていく。
”どうして、そんなに苦しそうなの?”
それは、ある日中本ショウがクラスメイトの澤谷アヤカにかけられた言葉だった。
「サツキ、前に澤谷さんにこんな事言われたんだけど」
「苦しそう、か。私はちょっとわかるかな」
「なんで?」
「ショウは、財閥の跡取りにしては自由奔放なのよね」
ショウの瞳は遠くの空に吸い込まれるように視線を上げながら、サツキの言葉に耳を傾けていた。
「自分の立場や、責任を感じつつも、それに逆らって自分の心の声を大切にしようとしているから、そう見えるのかもしれないわ」
「紅茶を煎れたり、僕が趣味に没頭したり、姉さまたちは喜んでくれるけど周りの大人は今の僕を見てため息ばかりつくんだ」
穏やかに返すショウの言葉を、今度はサツキが静かに耳を傾ける。
「クラスの女の子たちは、僕の事を気が利くとか、優しいとか、そんな事を言うんだ。毎日姉さまたちに紅茶を煎れてるから、それが染み付いてるのかな」
そう語る彼の顔は少し不服そうに口をとがらせ、クラスではあまり見せない子供らしい表情。サツキはそんなショウの子供らしい一面が大好きだった。
「みんな、そんなショウが好きなのよ」
ショウは飛び起きて不機嫌そうに言う。
「僕がそんな人間じゃないって、サツキは知ってるだろ?」
その言葉にサツキは少し困ったように笑うと、優しく頷いた。
「そうね、ショウはそんな人間じゃないかな。紅茶を煎れるより、剣道をしている時の方が楽しそうだもの」
サツキの言葉は心地よく響き、ショウは剣道をしている時を思い返した。ピリッとした空気に、相手と交わす視線。心の駆け引き、そして間合いを詰め、打ち込んだ時のスリル。
「あの爽快感が、たまらないんだよ」
相手と対峙をする時のワクワク感を想像すると湧き上がる好奇心。キラキラとした瞳で語るショウを見て、サツキは小さく笑みを零す。
「それ、クラスの女の子が聞いたらびっくりするわね」
サツキの言葉に歯を見せて笑い、彼女の方へ目を向けると傍らにあるクッキーが目が留まった。
「これ、サツキが作ったの?」
そう言いながらひとつ口に放り込む。
「お行儀悪いわよ」
軽く窘めながら紅茶を煎れるサツキは微笑んでいた。差し出されたそれを一口飲むと、茶葉の良い香りが鼻を抜けていく。それを飲みながらショウは思った。
(やっぱり、サツキの煎れた紅茶の方が何倍も美味しいな)
ショウは考えた。自分の好きな事…
空を眺める事…体を動かす事…朝の清々しい時間…そして、サツキの隣で過ごす心地よい時間。
「気配りもいいけど、本当はもっと、いろんなことを知りたいんだ。学びたいんだ」
「それで、そんなショウはなんで私の所にいるの?」
「サツキは僕の知らない事をたくさん知ってるだろ?」
サツキと共にいると、彼女の繊細な気配りや知識、行動の背後に潜む哲学がショウの好奇心や学びの欲求をかき立てる。人魚姫の舞台だって、裏方と言いながら監督に近い仕事をこなし、皆を引っ張っていたのは彼女だ。
だから、時折彼はこっそり家を抜け出しては、サツキのもとへと足を運ぶのだ。
ショウは再びぼんやりと空を見上げた。
「澤谷さんはさ、僕の事を王様みたいだって言ったんだ」
それを聞いて、サツキは小さく笑いながらショウの方を見る。
「アヤカちゃんらしいね。でも、どうして王様なの?」
「僕の心の色が、虹みたいにいろんな色を持ってキラキラ輝いてるって、言ってた。サツキは意味わかる?」
サツキは顔をほころばせながら首を振った。
「わからないよなあ。それが気になってさ、ある日聞いたんだ」
「アヤカちゃんはどう答えたの?」
「それがさ…」
それはアヤカと舞台の練習をしていた時の事だった
「そっか、ショウ君は大好きな人がたくさんいるんだね」
「え?」
クラスメイトの澤谷アヤカは、ライトブルーの瞳をまっすぐショウの瞳に向けながらそう言った。彼女の瞳に見つめられ、動けずにいたショウは意表をつかれ、思わず間抜けな言葉を返す。
「心の中にいろんな色が混じって、キラキラしているもの」
「いろんな色って、どういう事?」
「大好きや、がんばれ、とか……ありがとうとか……あとは、ショウ君の純粋で、まっすぐで、キラキラしてる心」
彼女は優しく微笑み、台本に視線を戻して、機嫌がよさそうに体を横に揺らしながら鼻歌を歌い出した。
「……はは」
ショウが小さく笑うとアヤカが顔を上げて不思議そうに見つめた。
「そんな事言われたの、初めてだ。僕の心が純粋で、キラキラして見える?」
その言葉に、アヤカは笑顔で返した。
「うん。まっすぐで、キラキラな宝物がたくさんで、一生懸命みんなを支えようとしてる王様みたいに見えるよ」
当時の事を思い浮かべながら、ショウは隣のサツキに語り掛ける。
「あれから澤谷さんの事が気になり始めたんだ」
サツキは学級日誌をゆっくりと閉じ、その緩やかな動きと同じように彼に質問を投げかける。
「そういえば、アヤカちゃんには…」
「好きな人が出来たみたいだよ」
サツキは沈黙した。ここ最近、アヤカの事を語るショウは輝いており、彼の気持ちを応援している自分がいたからだ。そんなサツキにショウは穏やかな笑顔を浮かべたまま、言葉を続ける。
「まあ、失恋ってやつだよ。でも清々しい気分だ」
そう言って寝転がると、クッキーを口に放り込みながら、静かに目を閉じる。
「サツキはさ、誰か好きになったことある?」
「え!」
うろたえるサツキに彼は目を開き、ちょっとしたいたずらっぽい笑顔を浮かべた
「いつかそんな日が来るかもしれないだろ?その時は全力で応援するから」
サツキは安堵の笑顔を浮かべた。失恋を知らせる言葉に心が痛んだが、彼の前向きな笑顔に力が湧いてくる。
「ありがとう、ショウ。その時が来たら、お願いするね」
心の中でショウへの恋心を浮かべながら、今の幸せをかみしめた。いつか彼に想いを伝えられる日が来るように願いながら、笑顔を浮かべる。
ショウはゆっくりと、昨日の澤谷アヤカとの会話を思い出した。
「ずっと考えてたんだ」
アヤカに呼び出された校舎裏。彼女の瞳は真っ直ぐにショウを捉え、キラキラと輝いていた。
「純粋で、まっすぐで、キラキラしてて、いろんな大切を持ってるショウ君は、すごくかっこいいよ」
その言葉はショウの心に心地よく響き、浸透していく。
(君はそう言って、僕を王様みたいだと言ってくれたんだよね)
そんなことを考えながら、自分の気持ちに真剣に向き合ってくれた彼女に微笑みかける。
「澤谷さんは、好きな人が見つかった?」
その言葉にアヤカは意表を突かれたように頬を赤く染め、その様子に「やっぱりな」と小さく笑うと手を差し伸べた。
「君の恋が叶うように応援するよ」
彼の言葉にアヤカは目を細めて微笑み、その手を取った。それはショウが見た中で一番の笑顔だった。
「でも、羽瀬田君が君を泣かせたら、僕は彼を殴るかもしれない」
「えっ」
驚いたアヤカを見てショウは少年らしい無邪気な笑顔を浮かべた。
「その時は、また君が好きだって言うよ」
少し驚いた様子のアヤカは困ったような笑顔を浮かべた。
それはつい昨日のこと。ショウは隣にいるサツキの存在を意識しながら、アヤカの温かな言葉を回想した。
”まっすぐで、キラキラな宝物がたくさんで、一生懸命みんなを支えようとしてる王様みたいに見えるよ”
(君が言う、みんなを支えようとしてる王様になれるように、頑張ってみようかな)
気遣いをすると喜んでくれるクラスメイト
紅茶を煎れると喜んでくれる姉達
勉強を頑張ると喜ぶ教育係
そして、新しい事に挑戦すると喜びを感じる自分自身
ショウにとっては全部が大切で、どれも失いたくないものだった。
青空が広がり、ノートに何かを記載していくサツキの鉛筆の音が心地よく耳に響いていく。
その音を聞きながら、ショウは心から初恋の彼女にエールを送った。




