【番外編】リュウとダイスケ 幼い暗殺者と狙撃手の少年の出会い ・前編
リュウがダイスケ・ナオキと暮らし始めた時の話です。独立した話になっているので、本編読んでいない方も楽しんで頂けたら嬉しいです。後編は明日アップします。
(嫌だ!もう嫌だ!!!)
繁華街の香ばしい屋台から立ち上る匂いと、人々の笑い声や会話、キラキラと光るネオンの中、リュウは追手の気配を感じながら冷たい風を切って走った。
焼きそばの残りかすや破れたチラシを踏みながら、滑る小さな体で人ごみをすり抜けた。しかし、彼の背後では闇の仕事をする男たちが冷静に、しかし速く彼を追いかけてきた。徐々に進路を奪われ、追い詰められ、リュウの心臓は高鳴り、短い息を繰り返す。
人ごみを抜けたところで道路に面した道に出る。繁華街を照らすネオン。人々の声。鳴り響く車の音。全てがリュウの頭に煩いくらいに響き、彼の頭を混乱させた。冷汗が額を伝い、心臓の音が大きく脳に響いていく。そして背後に感じる追手の視線。
(捕まる……!!)
追手の鋭い声が遠くで響き、あたりの全ての音がスローモーションのように鈍く響く感覚がした。
その時、ちょうど発車しようとしていたバスの扉が開く音に我に返る。リュウは最後の力を振り絞って飛び乗り、扉が閉じるのを確認するとほっと一息ついた。窓の外を見ると、闇の組織の男たちは彼を見失い繁華街へ戻っていく。
彼らはプロの暗殺者。そしてリュウは彼らの所属する組織”影縫い”で戦闘員として訓練された子供。
彼らはリュウを追いつめ、その存在を絶やすつもりだったが、彼は一時的に逃れた。組織から逃げた者がどんな目に遭うかは、今まで受けてきた厳しい戦闘訓練から安易に想像がつく。リュウの手には冷たい汗が伝い、深く息をした。
「間もなく次の停車位置に到着します」
アナウンスに、彼は驚き、急に現実に引き戻された。
そう、リュウはお金を持っていなかった。乗客に揉まれながら、必死に考える。そして、目の前の泥酔している男性の懐が無防備に開いている事に気付いた。
選択の余地はなかった。
男の懐から財布を盗んだ。財布を盗む行動は組織での日常的な訓練の一部だったが、その時男性と目が合う。
(気付かれた…!?)
警察に連れていかれたら、組織に連れ戻される。それが頭によぎった瞬間の恐怖は言葉では言い表せないものだった。咄嗟に財布を服の中に隠した直後、男性の顔がふにゃりと笑い、その大きな手がリュウの頭を撫でる。
「ボウズ、1人でバスに乗るなんて、えらいなぁ…ひっく」
笑いながら吃逆を繰り返す男性に俯いたまま動けないでいると、バスが停車して乗客が下りていく。その流れに身をまかせてリュウも降りると、足元の冷たいアスファルトが急に周囲の人の視線を強くリュウの五感を刺激した。
(ここじゃだめだ、もっと遠くへ…)
冷汗が額を伝り、遠くのバスのエンジン音が耳に響く。彼は走ってすぐのバスに飛び乗った。
「遠くへ逃げないと…逃げないと…」
まるで自身に言い聞かせるように呟きながら、都会から離れた田舎を目指した。
何度もバスを乗り継ぎ、何夜を明かし歩いただろう。時には追手に捕まる恐怖に怯えながら人気のない夜道を歩き、バスを見つけては乗り継ぎを繰り返し、ろくに食事もとらないまま数日が経過した。
最終的に辿り着いたのは、田んぼと木々に囲まれた細道のバス停。降りるとあたりは雨が降りだし、やがてリュウの体を激しく打ち付けた。
(静かだ)
恐らく組織の管轄からは大分離れた田舎。孤独と罪悪感、そして逃亡の疲れからへたり込む。
「おやおや、どうしましたか。こんな所で」
急に自身の体を打ち付ける雨が止まり、声をかけられ顔を上げると、長い茶髪を後ろに束ね、穏やかな表情をした若い男性がリュウに傘をさしていた。瞬間的に後ずさったリュウの様子に、彼は腰を下ろし目を合わせる。
「大切なものを失った、悲しい瞳をしていますね。何が君をそうさせているのですか?」
そう言って微笑む男性に手を差し伸べられ、リュウはしばらく彼の顔を呆然と眺めた。
「おかえり、ナオキ……って、なんだよ、そいつ!?」
バス停から10分程歩いたところにある小さな研究所の扉を開くと、威勢のいい声が部屋に響いた。2人を出迎えたのはリュウより若干身長が高く、長めのダークブラウンの前髪から覗く黒い瞳が印象的な少年だった。
「バス停の所で雨に濡れていたので連れてきました。ダイスケ君、タオルを」
少年・ダイスケは頷くと急いで物干しのタオルを手繰り寄せ、その少年の頭にぶっきらぼうにかける。
「とりあえず、拭け」
「・・・・・・」
深い青い瞳は虚ろで一切の光を宿していない。黒髪の少年はタオルを当て、無言で拭き、ダイスケと目も合わせようとしなかった。ダイスケの黒い瞳がその様子をじっと見つめていても、何も言わず、表情を変えず、どこを見ているかもわからない。
「ダイスケ君、君の服を借りても良いですか?」
「うん」
(変な奴)
そう思いながら部屋に戻ったダイスケは、自分の部屋に取り込んだ時のまま無造作に置かれた服を適当に選ぶと玄関に戻り、少年につきつけるように渡した。
「ありがとうございます」
受け取った服はオレンジのTシャツに青いハーフパンツ。ダイスケに洗面所に案内され、渡された服に着替えた。
(賑やかな色だな…)
鏡を見て、明るい服に身を包んだ自分の姿に違和感を感じた。
今まで身に纏っていた服は、仕事着といってもいい全身黒のタクティカル服装。今まで身を置いていた組織の自室は、無機質な壁だけが広がる窓すらない灰色のコンクリートの部屋。それに比べて今いる場所は全てが明るく、賑やかに映った。
現実味がないままリビングに戻ると、ナオキが食事の支度をはじめ、ダイスケは適当にテーブルを拭いている。部屋には取り込んだままの洗濯物が散乱しており、テーブルには昼間の食事に使用したと思われる食器が無造作に置きっぱなしになっていた。
「悪いな、俺、今日外国から帰ってきたからさ。部屋片付いてないんだよ」
ダイスケは笑顔でそう言いながらリュウの前に立ち、その顔をまじまじと見た。
「俺、ダイスケ。お前は?」
「リュウです」
無表情のままそう答えるリュウを見て、ダイスケは顔をしかめ、そして思いついたように大声で笑いだした。
「あははは!お前すっごい暗いな!俺が一番嫌いなタイプだ」
部屋にダイスケの笑い声が響いた。
「ダイスケ君、口の悪さは減点対象ですよ」
食事を運んできたナオキに窘められ、ダイスケは一瞬顔をひきつらせた後「悪い悪い」と笑顔で言いながら食卓に座った。
「すみませんね、ダイスケ君はこういう子なんです。リュウ君、とりあえず食事にしましょう。君の事を教えてください」
テーブルには3人分の温かな料理が並ぶ。それを前にリュウは少し戸惑った様子で、ダイスケとナオキが食べ始めるのを待ってから、彼もゆっくりと食事を口に運んだ。
「リュウは俺と同じ年くらいか?」
「9歳です」
「そっか。俺も9歳だ」
ダイスケの黒い瞳は、じっとリュウの動きを観察した。その視線には細かな動きから感情や心が映し出される事を期待していたが、リュウの行動からは一切の人間らしさが感じ取れなかった。
(暗い!とか言われたらちょっとくらい怒り出すと思ったんだけどな)
隣のリュウに気付かれないように視線を送る。
(こいつの着てた黒服、アメリカの軍隊で見たことあるな。それに…)
ダイスケはリュウがスープを口にしながらスプーンの照り返しで窓の外の様子を確認している事に気付いていた。
(外を警戒してる。何かから逃げて来たのか?)
そんなことを考えながら皿の上のハンバーグを口に運ぶと、ダイスケも同じようにフォークの照り返しを窓の外に向け、リュウに気付かれないようにそれを確認した。
(怪しい気配なし。こいつも一応安心してるみたいだし…)
「とりあえず、その堅苦しい敬語はやめてくれよな」
いかにも嫌そうな顔でそう言われ、リュウは黙って頷いた。
「君はどこから来たのですか?」
「・・・・・・」
ナオキが問いかけるが、彼は答えなかった。
「親御さんが心配しているでしょう。とりあえず明日警察に連絡を」
その言葉にリュウのスプーンを握る手に微かな震えが走った。
「警察に連れていかれたら…連れ戻される」
震える声でそう呟く。
リュウの脳裏に少し前の事がフラッシュバックした。人ごみをかき分け、追手の恐怖と戦いながら、ただただ無我夢中で走り続けた。もし、連れ戻されたらどうなるか。想像しただけで体が震えあがった。
「訓練も、仕事も、もう、嫌だ」
「おい、どうした?」
突然呼吸を荒くし、様子がおかしくなったリュウの顔をダイスケが覗き込む。
「うわあああぁぁーーーーーーーーッ!!!!!!!」
ダイスケの首元に手刀を繰り出そうとした左手が上がった。瞬時の反応で身をかわし、椅子を蹴飛ばしたダイスケは彼の眼差しを捉えた。
「おいおい、食事中だぞ」
先程の虚ろな表情とはうってかわり、恐怖に怯えた鋭い眼光。リュウは独特の戦闘態勢を取りながらドアを背に2人を警戒した。ナオキはただごとではないと感じたが、ダイスケに指示を送る。
「ダイスケ君、とりあえず彼を鎮めてもらえますか?」
そう言われ一息ついたダイスケは自身の足元を見た。散乱する洗濯物と洗濯ばさみ、そしてその傍らにはテニスのラケットが見える。
リュウが距離を詰めようとする。
その瞬間足元のラケットを蹴り上げ手に取ると、落ちていた洗濯ばさみを勢いよくリュウの方へ打ち飛ばした。顔面目掛けて飛んできたそれに一瞬驚いたリュウがそれを払い、ダイスケに蹴りを繰り出そうと足を振り上げる。次は取り込んだばかりのタオルを掴むとそれをリュウの前に投げつけた。
リュウの視界がタオルで封鎖される。振り払い、接近しようとした時
「そこまでだ」
ダイスケの手にはハンドガンが握られており、その銃口がリュウを正確に捉えていた。
「とりあえず、座れ」
「……殺せ!!」
「……お前、何が怖いんだよ」
問いかけるがリュウは息を荒くし、ただただダイスケを睨みつけるだけだ。その様子に軽くため息をつくと、まっすぐ目の前の少年を見た。
「俺、和久井ダイスケ。9歳だ。赤ん坊の頃親が死んで、今はそこのナオキに世話になってる。強くなりたくて5歳から狙撃を勉強して、去年アメリカで本格的な訓練を受けた。食うのが好きだ。腹へってると力が出ないからな。でも野菜とか甘いものは嫌いだ。あと、最近子役のYUKAちゃんがかわいくて好きだ」
「……は?」
急に自己紹介をされ、リュウは固まった。
「自己紹介がまだだったから、した!お前だけにいろいろ聞くのは不公平だからな。他に聞きたいことあるか!?」
銃を突き付けられたまま、質問を投げかけられ呆然とするリュウを見て、ダイスケは笑顔を向けた。
「とりあえず飯を食え。腹いっぱいになったらお前の事も教えろよな」
リュウの戦闘態勢が崩れたのを確認すると、ダイスケは彼の腕を引き強引に椅子に座らせ、その背中を叩く。
「そうですね、まずはこちらから自己紹介しましょう」
ナオキはリュウに微笑みかけながら話しだした。
「橋本ナオキ、23歳です。大学を卒業し、研究職を務めながらこの研究所で心理学や細胞生物学の研究をしている新米研究者です。ダイスケ君とは孤児院で共に育ち、現在は彼の保護者として一緒に暮らしています。ちなみに僕は健康を重視しているので野菜は日々の生活に欠かせないと思いますね」
穏やかなその表情に、彼が温厚な性格であることが見て取れた。リュウの表情のこわばりが解けていくのを見て、ほっとしたように肩を落とすとナオキは立ち上がり、引き出しからノートを取り出した。
「それはそうとダイスケ君、先程銃を振り回しましたね。罰として減点1です」
ナオキがノートを取り出すと何かを書き込んでいく。
そこには「 ダイスケ 7月 ー12 」と記載があった
「は!?鎮めろって言ったのはナオキだろ!?」
「ルールはルールです。それと、リュウ君」
ナオキの眼差しが今度はリュウの方へ向けられた。
「君は暴力と食事中に席を立った。よって減点2とします」
その言葉にリュウは目を一瞬大きく開いた。
「気をつけろよ、減点10でピーマン食わされるんだからな」
倒れた椅子を直してダイスケが席に着くと、リュウの視線は再びそのノートの方へと向けられる。
「君、減点12って書いてあるけど」
「だから!20になったら来月ピーマン2個食わなきゃならないんだよ!」
そう言いながらふてくされたようにナオキの作った食事を再び口にしはじめた。
「行動経済学に基づき、最も効果的な子どもの教育をゲーム化して導入する検証をしているのですが、今のところあまり成果はありませんね。報酬や罰のバランスをどのように取るか、個々の子供の心理や性格によって適切な方法が変わることが研究から明らかになっていますが」
ナオキはダイスケのー12の数字をー13と修正しながらため息をついた。
「ったく、人で実験しやがって…」
「僕は大人ですが人の親としてはまだ若い。しかし保護者である以上、君をいい子に育てる事は僕の務めであり義務です。この検証が終わったら、次は報酬システムで検証しましょうね」
その言葉にダイスケの疑いの視線が送られる。
「報酬~??」
「例えば好きな食べ物を増やしポジティブな行動を促す方法、嫌いな食べ物を減らす方法なども検討しています。ピーマンの美味しい食べ方を一緒に考えるのも良いでしょう」
「やっぱりピーマンは食うのかよ!」
ダイスケの非難の声にナオキは更に参考文献と思われる分厚い資料を取り出し語りだした。
「ピーマンはビタミンCが豊富で抗酸化作用があるため、体の免疫力を高める効果が期待される優秀な野菜です。さらに研究論文によると」
「わかった!わかった、食えばいいんだろ」
にっこりと微笑むナオキにダイスケは大きなため息をついた。
リュウの瞳は、目の前の2人を交互に追っていた。ナオキの言う「教育」は、自身が今まで受けてきた教育や訓練とは全く違うものだったからだ。不服を漏らすダイスケも、彼には懐いているように見える。
そして、皿に盛り付けられたハンバーグをゆっくりと口に運ぶと、その味わいに目を細めた。
「……おいしい」
リュウがぽつりとつぶやいたその言葉にナオキとダイスケは少し微笑む。
「では、減点10で来月はハンバーグなしにしましょうか」
ナオキはノートに「減点10で来月はハンバーグなし」と記載すると食事を続けた。その言葉にリュウが驚いたようにナオキの顔を見る。
「そこにいるダイスケ君は、プロの狙撃手なんですよ」
リュウはダイスケの顔を見た。
「日本じゃ、あまり仕事ないけどな」
ダイスケは軽く笑いながら言った。
「子供の狙撃手…?」
リュウが密かな疑いを持った声で言う。
「そう、彼はまだ子供ながらプロの狙撃手。君と同じ、少し訳ありの子です」
それを聞き、リュウの強張った表情が少し緩んだのを確認したナオキは言葉を続けた。
「君の戦闘能力は興味深い。理由次第ではここで匿う事を検討しましょう」
理由。そう言われリュウは視線を逸らしながら、ゆっくり話しだした。
「羽瀬田リュウ、9歳です。僕は、あるところで戦闘員として働いていて」
「戦闘員、ですか。具体的にはどんな仕事を?」
ナオキが問い詰めると、リュウは少しずつ話し始める。
「人を殺したり…調査したり…」
ナオキは左手を頬に当て、真剣に聞き入った。
「5歳の頃から戦う方法を教えられて…それから」
そこまで話してリュウの表情が一変する。
思い出したくない光景が彼の脳裏に蘇ってきた。子供の悲鳴。厳しい訓練の日々。そして、守りたかった妹の顔。
「うっ…」
突然リュウの表情が歪んだ。食卓に鳴るフォークの金属音を背に、彼は飛び起き、玄関を飛び出していった。
「リュウ!?」
雨が降り続いている中。
ダイスケが慌てて彼の後を追うと、リュウは地面にうずくまって嘔吐していた。
「ごほっ…げほ」
ダイスケは一瞬、彼の苦しむ姿に言葉を失う。後ろから来たナオキは深くため息をついて、頭をかきながら言った。
「相当プレッシャーを与えられる生活を送っていたようですね」
「ナオキ」
ダイスケの声にナオキは頷いた。
「いいでしょう。ただし、匿うからには事情を知る必要があります。少し君の事を調べさせてもらいますよ」
その言葉を残して研究室の方へと足早に歩いていった。
「おい、リュウ立てるか?」
ダイスケに肩を貸され、リュウは立ち上がる。
「よかったな、とりあえず置いてもらえるみたいだぞ。ああ見えて、怒ると怖いからな」
リュウは黙ったままダイスケの顔を見た。
「とりあえず今日は休め」
「ありがとう」
虚ろな瞳のまま感謝の意を示すリュウを見ながら、ダイスケは彼に笑顔を向けた。
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