仲直りのプレゼント
体育の授業。
生徒はフットサルの競技に励み、鮮烈な声援が体育館内に響いていた。特に人気者の中本ショウがボールを取ると、女子たちは彼に黄色い声援を送る。
一方のリュウは、いつも通り見学していた。視線の先には、運動神経抜群のアヤカの姿があり、彼女はフットサルでも、いつものように活発に動き回っていた。アヤカの頬色が健康的に見え、リュウはひとまず安堵していた。
「羽瀬田君、フットサルもやらないの?」
サツキが話しかけてきた。
彼女は先日の学芸会で不思議な事件に巻き込まれていたが、目を覚ました彼女は手品を見た後の記憶がないようだった。その後の体調に問題はないようで、その様子にリュウは安堵した。
「いつも気にしてくれてありがとう」
2人の会話はアヤカが華麗にボールを奪う場面で途切れた。シュートが決まると生徒たちから熱狂的な歓声が上がったが、リュウに対する彼女のいつもの視線や手振りは今日はなかった。
「アヤカちゃんと何かあったの?」
突如、サツキの問いかけに、リュウは一瞬言葉を失った。
「やっぱり!今日は二人ともいつもと違うもの」
サツキの鋭い洞察に、リュウは内心で冷や汗を流した。彼女のこの感じ取る力は、学級委員としての責任感から来るものだろうか。そう思うと、彼女には敵わないと感じた。
「やっぱり僕が何かしたのか…」
そのつぶやきに、サツキは大げさなため息をついた。それを聞き、やはり自分が何かをしでかしたのだと考え込むリュウの顔色が引き締まった。
リュウが果たした仕事はただひとつ、依頼主であるアヤカのボディガードとしての健康チェックだけ。しかし、それがなぜこんな問題に…と、リュウ自身が思っていた。
学校に到着してから、アヤカの周囲の雰囲気を探っていた。周りに集まる精霊たちが彼女の感情を伝えてくれることを期待していたが、怒りを示す静電気ではなく、悲しみを表す冷たい微風が吹いていた。
「もしかして、体温チェックが嫌だったのかな?」
深く悩むリュウに対して、サツキは唖然としながらつぶやいた。
「羽瀬田君、それが問題なのよ。君のデリカシーが足りないことが」
「デリカシー?」
「あ!…ごめんね、つい」
サツキはつい口から出た言葉を取り消すように口元を抑えると、気まずそうにその場を去って行った。そんな彼女の後姿を見つめながら、リュウは再び今朝の出来事を振り返り、眉間に深くしわをよせたのだった。
その日、アヤカは一日を通してほとんど口を利くことがなかった。
帰宅の際、澤谷が玄関で出迎えてくれたが、アヤカは何も言うことなく、ただ無言で豪邸の中へと消えていく。
「喧嘩でもしたのかい?」
「いえ、そんなことはないんですが…。正直、どうしてアヤカさんが怒っているのかわかりません」
今朝の自分の行動を振り返り考えたが、さっぱりわからない。それを聞いた澤谷は、ふむ…と、少し考え込んでから提案を口にした。
「そうだ、プレゼントでもしてみたらどうだろう?気持ちを伝えることが大事だよ」
「プレゼント、ですか?」
リュウは年齢は11歳だが、プロとして働くボディガード。依頼主へのプレゼントなど、これまでの経験では前例がなかった。
「あくまで一つの提案だよ。アヤカがあのような状態だと、君も仕事に差し支えるだろう」
澤谷の言う事は確かに合理的ではある。
「少し、考えさせていただけますか」
そう答えると、屋敷を後にした。
澤谷邸を後にしてしばらく歩くと、都会の喧騒がリュウを現実へと引き戻した。アヤカと共に過ごす時間は、現実とは微妙に異なる感覚を持たせる。都会の喧噪は彼を現実へと引き戻す強力な錨であった。
アヤカのボディガードを務めてからの数々の不思議な出来事、特に驚きながらも受け入れてしまっている精霊という存在。
…アヤカの感情に反応する精霊の起こす風や雷。
「プレゼント、か」
今朝彼女の周りで吹いていた冷たい微風を思い返しながら、何を渡したら喜ぶかを考えた。
妹のユメにはぬいぐるみとか、絵本とか…あとは料理を作ってあげたら喜んでいたが、どれもピンと来なくて悩んでいると、アクセサリーショップが目についた
足を運び店内に入ると、眩い輝きを放つアクセサリーがリュウを包み込んだ。その鮮烈な輝きに目がくらんでしまい、店を出ようと後ずさろうとしたその瞬間、店員が声をかけてきた。
「お探しのものはございますか?」
「え!」
驚くリュウに対して、店員は優しい笑顔で返した。
「えっと、プレゼントを探して…」
「彼女さんのですか?」
「いや!アヤカは友達で!ちょっと喧嘩をしてしまって…」
戸惑いながら話すリュウに店員は微笑む。
「では、喧嘩の仲直りにぴったりのプレゼントを選びましょうね」
店員の勧めてきたアクセサリーを眺め、その中からひとつのアクセサリーを選び、リュウは店を後にした。
帰宅してその日の食事を終え、明日の学校の準備をしていると買ってきたプレゼントの入った袋が目についた。
(これって、完全にボディガードの範疇を超えてるよな…)
真面目なリュウにとって、前例のない事に手を出す事は大きな抵抗があった。
昨日人魚姫のセリフに乗じてアヤカに伝えた言葉も、本来のリュウであれば絶対に言わない事だ。今となってはそれを思い返すだけで顔が熱くなり、かすかな罪悪感を覚えつつ、再びそのプレゼントを手に取り深く考えた。
(なんで怒ったんだ?何がいけなかったんだ…)
夜中の9時。
研究に没頭しているナオキに申し訳ないと思いながら、リュウは研究室の扉を叩いた。
「ナオキ、教えてほしい事があるんだけど」
ナオキは仕事中だけ眼鏡をかける。周りの声が入らないくらい仕事に没頭する彼だが、この日はリュウの声に反応し、ゆっくりと顔を上げた。
「どうしましたか?」
眼鏡を外し、いつもの微笑をうかべるナオキ。
リュウは昼間の出来事を話した。迎えに行き、アヤカに「一緒に学校生活を楽しみたい」と言われたこと。そして体温チェックをした後アヤカは怒ってしまった事。ナオキはそれを聞き、深く考え込んだ様子を見せた。
「僕が何かおかしいのかな?」
「いいえ、何もおかしくはありませんよ」
椅子に背を預け、少しだけ天井を見上げる。考える時にナオキはいつもこの動作をとる。
ナオキはひとつの質問に対し、複数の仮説を立てる。何が今のリュウに最も適切で、問題解決の繋がるのか…それについて深く模索しているかのようだった。
やがて彼の頭の中での解析が終わったようで、一息つくとリュウに語り掛ける。
「君は真面目でとてもいい子です。しかし時には規律から逸脱する事も考えても良いかもしれませんね」
「規則違反って事?」
リュウの言葉に、ナオキは首を振った。
「規則違反とは少し違います。そうですねぇ…例えば、今の君の目的は何ですか?」
今の目的…
どうして自分はこんなに悩んでいるのか。澤谷の言葉に驚きつつも、アクセサリーショップに足を運んだのか。ナオキの仕事を中断させてまで、知りたかった事とは、何だったのか。
やがて、リュウの中で一つの答えが浮かんでくる。
「…アヤカに、元気になってほしい」
そう、呟くとナオキが微笑んだ。
「それが、答えですよ」
ナオキから受けたアドバイスを心に刻みつつ、部屋に戻るとダイスケの姿に目に止まった。彼は狙撃銃のメンテナンスに没頭しており、金属とオイルの香りが室内に静かに広がっていた。
狙撃銃のメンテナンスをしている時、ダイスケは話しかけられるのを嫌がる。いつも賑やかな彼の沈黙は、リュウにとっては貴重な考え事の時間を与えてくれた。
無言でベッドに横になると、規律から少し逸脱する…その意味を理解しようと、ダイスケを観察した。
学校生活を通じて共に過ごしてきた彼は、理科が苦手で居眠りをしてしまったことがあったが、その事を皆に笑顔で謝罪し、クラスメイトからの好感度は上がっただけだった。そう、ナオキが示唆していたのは、そんなダイスケのような振る舞いだろう。
(僕が授業中に居眠りしたら…)
その思考が頭をよぎったとたん、クラス全体の雰囲気が氷結し、怒りに震えるサツキの顔が浮かんだ。あまりにも強烈なその光景にリュウは一瞬、身がすくむ感覚に襲われた。
(ダイスケの真似は絶対にやめておこう)
改めて身近にいる親友の偉大さを感じながらダイスケの方を見ると、仕上がった狙撃銃のトリガーの動きを確認してケースにしまうところだった。
「電気、消すぞ」
「うん」
部屋の明かりが消え、暗闇が2人を包んだ。しばらくの沈黙の後、ダイスケの方からリュウに話しかけてきた。
「今朝のナオキの話、どう思う?」
今朝の話、それは、ナオキが自分たちに何か隠し事をしているとミツルが示唆した事。それについてリュウとダイスケはナオキに問い詰めたが、ナオキは「君たちが大人になったら話す」と言っただけだった。
リュウはナオキが何者でも従うと心に決めていたが、ダイスケの心中は少し違うようだ。
「納得とはいかないけど、僕たちはまだ子供だ。大人の考える事は正直まだわからないよ」
「お前、ほんと真面目だな」
暗闇の中で少しだけダイスケの笑い声が聞こえる。
「リュウは、自分の力を誰かを守る為に使ってみたらどうだって、言われたんだったな」
「そうだね」
暗闇の中、ダイスケの言葉を聞きながら、リュウは彼が狙撃の道を目指すきっかけを聞いた日の事を考えた。
”俺には目標があってさ、それを叶える為に強くなりたいってナオキに言ったんだ。そしたらあいつは俺に彼は狙撃手って職業を教えてくれた”
一年前、ダイスケがリュウだけに教えてくれた彼の目標。
それは、仇討ちという、目標。
「ナオキは俺の親を殺した犯人を知ってるのかもしれないよな」
ダイスケの言葉が暗い部屋に響き渡る。それはいつもの彼の明るい声とは少し違う、低く、重苦しいものだった。
「そうだったら、ダイスケはどうする?」
「大人になるまでなんて待ってられるか。聞き出して、そいつを撃ちに行く」
ダイスケは明るく社交的な人間だが、自身の復讐に関してだけは周りが見えなくなる傾向がある。もしナオキが本当にダイスケの復讐相手を知っているのだとしたら、今のダイスケの反応を見る限り、彼が真相を隠したがる理由も少しだけ納得がいくような気がした。
「僕は、ナオキを信じるよ」
「別に、俺も信じてないわけじゃないって」
部屋に響く声が少しだけ穏やかになった気がして、リュウは小さく安堵した。
「そうだ、実はアヤカと喧嘩してさ」
「はっ!?」
ダイスケの驚きに満ちた声が部屋に響き渡る。
復讐の話題に触れている時のダイスケは少し危険だ。話題を逸らす為に切り出したつもりだったが、内容が少し良くなかったようだ。
「そんなに、驚かなくても」
苦笑いしながらのリュウの言葉に、ダイスケは深いため息を吐いた。
「原因は?」
「それが……よくわからないんだ」
先程ナオキに話したのと同じ事をダイスケに話すと、彼が小さくため息をつくのが聞こえた。
「……さっさと謝っちまえ」
自分が何をしたかは未だにさっぱりわからなかったが、正直に謝ればアヤカは許してくれるかもしれない。リュウは空を見上げながら花を咲かせていたアヤカを思い出しながら、用意したプレゼントの事を考えた。
(アヤカには、ずっと笑っていてほしい)
しばらくするとダイスケの寝息が聞こえ、リュウも目を閉じ、徐々に眠りに落ちていった。
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