第60話 美留の覚醒
俺たちがトーキオ大学の一件からようやく落ち着きを取り戻し、2週間ほどたったある日、ミーティングで巧はみんなに、今日の放課後時間ある?と聞いてきた。
みんな何事かと尋ねたが、とにかくウチに来て欲しいんだ、と熱心に頼み込むので、結局全員で巧のウチへと向かう事にした。
巧のウチに着くと、俺たちはクリスマス会もやった工場へと案内された。工場のフライス盤の上には、何か加工している途中のようなモノが見える。その機械の下にも何か置いてあって、それはどうも足?のようなモノだった。
「こ、これは何?何か作っているの?」
「実は最近、学校から帰った後、美留が作っているんだ」
「こ、これは、左足だよな?何の左足だ?」
「美留が言うには、宝冠弥勒の足らしい。宝冠弥勒っていうのは、京都の広隆寺にある仏様で、美留の大好きな仏様らしい」
「な、なんだって仏様を?」
「まあ、ちょっと見てくれ、美留、いつものように作業してくれ。みんなに見てもらってもいいだろう?」
そう言われると、再び作業着に着替えた美留がフライス盤に向かい早速切削を始めた。機械にクランプされた材料、まだ荒削りで何を作っているのかわからなかったのだが、美留が例のごとく、両手片足を使って機械を扱い出すと、その鉄の塊が、どうも右足のような形になっていくのがわかる。見事だ、その一言に尽きる。
「なにせ、ウチのフライス盤、そう大きくないから、仏様の一部分しか削れないんだよ」
「仏様のパーツごとに作っているっていうわけ?まったくのフリーハンドで?し、信じられない・・・。そ、それで、私たちにどうしろと言うの?」
「最終的にはこの部品を組んで、宝冠弥勒を完成させたい。そのためには、みんなの協力が必要なんだ」
「何をすれば・・・」
「中はパーツの位置を決める際のボスを作る、それから台座の円形部は旋盤で加工するから、それもお願いしたい。旋盤で加工できない模様部分はパーツに分けて、三日月、セツ姉に加工してもらい、後で接合する。パーツでの表現が難しい部分は、アタシがマシニングで加工する。アタシたちが台座部をつくる事によって、美留は人体部に集中できる。加工に際して、美留の作る人体部から、アタシたちが作る台座部の寸法をきちんと出して図面化するのは、もちろん直にやってもらう。アタシたちは、いくらなんでも図面が無いと加工できないもんな。接合はセツ姉に溶接してもらい、溶接後、みんなで仕上げを行う。宝冠弥勒をみた事がないとイメージできないかもしれないけど、とにかくみんなで完成させたいんだ、この一年間の集大成として」
「面白そうね」
「素晴らしいアイデアだ!僕にも手伝える事ができるなんて、最高だ!ありがとう、キャサリン!」
「お前がアタシに礼言うなんて、珍しいな」
「ぼ、僕だって、ありがたいと思ったら、礼くらいはするさ!」
「でも、本当に素晴らしいのは、美留だよ。見てよ、あれ。美留の技術は、産業向けじゃなくて、むしろ芸術面でこそ陽の目を見るんじゃないかと思っていたんだ。実は、アタシさ、こんな、なんと言うか美留が覚醒する?そういうの期待していたんだ」
「あのトーキオ大学の実験で?」
「うん、そう。あの時の美留、見た?機械にかぶりつきだったじゃん?絶対、アタシ、美留は興味示すと思った。美留の脳みそは特別なんだよ。物体の捉え方が、人間としては精密過ぎるというか、脳内での処理は3Dプリンターを越えるというか」
「機械とケンカさせようと思った?」
「そうだね、ケンカだね。しかもあの時の素材が忍じゃん?美留、なぜか忍がお気に入りだから、きっと何か感じてくれると思ったんだ。それが期待してた、いやそれ以上に美留が覚醒してくれている。それにアタシも答えたいんだ」
美留が踊るように機械を動かすと、フライス盤のエンドミルが切子を出しながら鉄を切削する。そこに現れるのは、狂いの無い形状。アンダーカットといって、加工できない裏の部分は、素材の段取りを変えて加工する。図面、写真一つ見ずに、一体どうやって加工しているのか、検討もつかない。
その神業の様な芸術を、何とか形にしようじゃないか。そんな思いで、俺たちは結束した。
最初に苦労したのは直だった。美留が削ったパーツの寸法をあたり、実際の宝冠弥勒から縮尺を決め、台座の図面を描いていった。直はなんと京都まで足を運んだらしい。そんな直でさえ、美留には舌を巻いていた。
「穴井さんには本当に驚かされます。あんな目検討で加工しているにも関わらず、右足左足の寸法誤差はほとんどありませんでした。右足の親指、左足の親指に至るまで、誤差は0.3mm以内、神業です。穴井さんは一体何者なのですか?もしかして、未来から来たのでは?」
直の図面が出来てからは、俺たちの出番だった。とりあえず、お金になる仕事をこなしながら、美留の仕事も取り掛かる、毎日帰る時間もどんどん遅くなっていった。
「みんな、いつもこんな遅くなって大丈夫?」
「巧ちゃん。心配いらないわよ。どっちみち、みんな帰ったって、誰か待っている人がいるわけじゃないし。今は勉強や自分の事の前に、コッチのほうが楽しいのよ」
「拙も楽しくてならない。拙の仕事は元来、自己完結的なものがほとんど。あえて自らそうしていたのだが。でも、今はこうして兄らと共に過ごす時間を、愛おしく感じてしまうくらいだ。自分でも驚いているが」
「三日月ちゃん、あなた、ここの所、とっても素敵よ、女らしくて。あなた、直ちゃんに貰った香水つけてるでしょう?所作にも柔らかさが見えてきたし、前よりずっと魅力的になったわ」
「はーい、お待たせぇ!みんな、出来たよぉ」
夜。遅くなる時はこうしてカフェミリーズで軽く食事を取る。例のパンケーキだったり、エッグタルトだったり、シフォンケーキだったり、未理は多彩にスイーツを提供してくれ、どれも絶品だった。
「すごい!旨いよ未理!でも、こう毎日スイーツってのもな。みんなデブになっちゃうぜ。何か、こう、甘くなくて、旨いもの、何か食わせてくれよ」
「甘くないモノで、美味しいモノなんて、あるかなぁ?」
それで出てきたのが、今日のサンドイッチだった。お、美味いよ。これ!
「でしょうぅ?ハムは鹿児島産の黒豚を使ったローストポークだしぃ、トマトも露地栽培の今日の朝取ってきたヤツだからぁ、もちろんパンも一本堂のだから美味しいでしょう?」
未理は未理なりに役に立ちたいと考えているのだろう。俺たちが残っている時も帰らずに、ずっと待っている。自分の部屋に篭るわけでもなく、フライス室へ行ってみたり、旋盤室に顔を出してみたり、この間は直と三日月と三人でお茶をしている光景にも出くわした。今まで見た事のない取り合わせに、ああ、こういう忙しいのも良いもんだなと、素直に思った。
良く考えれば、そう考える俺自身も変わったのかも。俺はとにかくこの学校から逃げ出す事ばかり考えていた。それが、どうだ。こんなに遅くては、受験勉強が出来ない、そんな状況を容認している、いや、むしろ楽しんでいる?
やれやれ、俺は一体どうなってしまうんだ?
まあ、いいか、とりあえず今は宝冠弥勒に集中だ。




