97・お茶会の約束
大陸の南に位置し、東と南に海を擁したハルツェンバインは豊かな自然と美しい四季を持っている。
春爛漫の四月はとりわけ美しく、人と建物の多い王都であっても風はかぐわしい花の香りを含み、精霊の恵みが隅々まで満ちているのを感じとることができる。
ミアは婚約式の一週間前からカレンベルク家へ帰ってきていた。婚約式では生家から王城へ赴くのが慣わしだからで、第三王子ユリアンの侍女職は婚約式後も続行の予定だ。第一王子の婚約者が侍女職など異例だが、ユリアンがミアの辞職を泣いてわめいて嫌がったのと、ユリアンに手こずっている乳母と教師たちが団結してミアを引き止め、王様に嘆願したので続行となった。
ミアは侍女職を続けるにあたって、宮廷側に願いを一つ申し入れた。家族をいつでも呼んでいいですか?と。
それを聞いたユリアンの乳母から「お輿入れ前のご家族とのお時間を奪ってしまい申し訳ありません」と謝られたが、実は家族と過ごしたいほかにも理由があるのだ。
理由とは。
『フローラをばんばんフェリクスに会わせよう大計画』だ。
「フローラ、今日もフェリクス殿下から手紙は届いた?」
薔薇が咲き始めたカレンベルク家の東屋で、フローラと戸外のお茶を楽しみながら、ミアは姉に探りを入れる。
「ええ。ミアのために私たち姉妹にまで気を配ってくださって」
(ちがうそうじゃない! それはわたしのためじゃなくってぇ……)
「そ、そう。殿下からはなんて?」
「ミアがカレンベルク邸へ行ってしまって、兄も弟もさみしがっていますって。ミアは王家のご兄弟にとっても愛されているのね」
フローラが春の精霊も真っ青の愛らしい笑顔でにっこり笑う。
(フローラも次男にめちゃくちゃ愛されてるから~!)
ああもどかしい。フェリクスも兄や弟のことではなく、もっと自分をアピールすればいいのにと思う。各所から推される婚約者候補を片っ端から切り捨てて奮闘しているというのに、本命に何も言えないこのヘタレっぷり。せっかく文通の段取りをつけてやったのに、不器用すぎて泣けてくる。
「お城にフローラを呼んでいいことになったの。お茶会しようね。フェリクス殿下も来てくれるかも」
「……そうね」
少々元気のない返事だ。
「ええっと……困る?」
「ううん。とっても楽しみよ。ちょっとだけ、アンネリーゼお姉様もいてくれたらって思っただけ」
(……なにその修羅場)
と、ミアは思ってしまったが、フローラは微塵もそんなことを思っていない。アンネリーゼがフェリクスに片想いしていたことをフローラは知らない。
フローラはまだわかるが、当のフェリクスもアンネリーゼに片想いされていたことを知らない。鈍感が過ぎるというか。ディートハルトも、弟はちょっとバカなんじゃないかと思うとか酷いことを言っていた。
フェリクスも変だし、あんな美男子に接近されてなんとも思わず、お姉様お姉様言ってるフローラも変だと思う。お人好しの変人同士お似合いとも言える。
(アンネリーゼお姉様の態度がやわらかくなったからなあ……。しばらくフェリクス殿下どころじゃないのかも)
モニカもいた領主館でのお茶の席はびっくりした。任務で出向いたら家族全員勢ぞろいしていたのだ。アンネリーゼがお茶の席にいたことにもびっくりしたし、アンネリーゼが酷いことを言わないのにもびっくりした。途中からモニカにだけ暴言を吐き始め、逆に安心したくらいである。モニカはモニカで余裕で受け止めていたから、むしろ気の置けない友達同士に見えた。
フローラはあのお茶の席が本当に本当にうれしかったらしく、あの日から食欲も戻り今ではすっかり元の健康体だ。準聖女のおつとめも再開して、アンネリーゼに会うために領地にもちょくちょく出向いている。
「アンネリーゼお姉様のゲートルドでの冒険のお話、できることならフェリクス殿下にも聞かせてさしあげたいわ」
フローラは無邪気に笑うが、「アンネリーゼお姉様の冒険」の内容が冷や汗もので、ミアはどうしたって頬が引きつる。一歩間違ったらゲートルドは戦乱の世になり従魔術がはびこり、その影響でハルツェンバインだってえらいことになっていただろう。最初はワスの小説の構想じゃないのと疑っていたが、その後王城に入ってくる報告とまったく齟齬がないのだ……。おそろしい。
そしてその裏にはモニカがいる。あのガウに「おっそろしい女」と言わしめた母は、やはりとんでもなかった。
「その後アンネリーゼお姉様はどう? 元気?」
「お元気よ。ゲートルドの王様からこっそりお手紙が来るんですって。見せてくださったけれど、これ言っていいのかしら。うふふ」
「ひっ! 言っていいというか、言ってください」
外交問題なので。
「求愛のお手紙よ」
「ぎゃーーーー! まままさかアンネリーゼお姉様、乗り気だったりしないよね!?」
「残念ながら、乗り気ではないの。王都のおうちに帰りたいんですって。おうちに戻って――私と、お茶会してくださるって」
フローラはそう言うと、胸の前で手を合わせ、すべての精霊に愛されたかのようなしあわせいっぱいの笑顔になった。
「お庭でお茶会してくださるって、約束したの」
東屋でのお茶のあと、ミアはフローラと一緒にカレンベルク邸のあちこちを回った。
ミアがカレンベルク家に来て最初に暮らした、一階西端のテラスのある部屋。フローラが歓迎のお茶の席を準備してくれなかったら、ミアはキュプカ村に逃げ帰っていただろう。
フローラとアウレールがたくさんの本を勧めてくれた大きな図書室。バルコニーからアンネリーゼが騎士を弄んでいるのが見えたことを思い出す。
テーブルマナーがてんでなっていなかったころ、ミアだけ隔離されていた小食堂。いつも朝食だけフローラがつきあってくれた。
騎士の詰所に寄ったら、「ミア様をボッコボコにしたかったっす!」と、彼ら流に別れを惜しんでくれた。一番たくさん手合わせしたハウルなんて涙目で、ミアもつられて泣きそうになった。恥ずかしいので裏へ回って、番犬のドゥルとデリとリオをなでくり回してぽろぽろ泣いた。
あちこち回った最後に、ミアとフローラは玄関広間へ戻った。
大聖女コルドゥアの肖像が薄く笑って二人を見下ろしている。見るたびに思っていたが、含み笑いのような微妙な微笑だ。
「なんで思い出し笑いみたいな顔してるのかな。コルドゥア様は」
「思い出し笑い?」
「そんなふうに見えない?」
ミアの意見にフローラが改めて肖像を見上げ、ぷっと吹きだした。
「そう言われると、そうとしか見えなくなっちゃうわ」
「モデルしながら何かおもしろいこと考えていらしたのでは」
「そんなこと言うのミアだけよ。でも」
フローラが花のように笑う。
「ミアのその話、この絵の感想で一番好きだわ」
次回、本編最終話です。
本編終了後いくつかおまけ短編があります。




