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79・王妃参入


 ディートハルト一行は、ひさしぶりに野営から離れ今夜は宿での一泊だった。公爵とガウとモニカを除いた若者組は、宿の食堂で数日ぶりのまともな食事をがっついていた。


「明日から西領――ラングヤール侯爵領だ。俺死ぬかもしれないなあ……」


 酒杯を片手に、ディートハルトがげんなりしている。ミアは隣でぶんぶん首を横に振った。ジェッソもだ。


「ディー、わたしが守るから!」

「わ、私も……」

「魔物ならいいけど、刺客は勘弁してほしい……。どうせ俺の命狙ってくるんだろ、あの狸侯爵が」

「その可能性は否めませんから、お二人は殿……ディー様から決して離れないでください。自分たちもそうします。討伐の効率は落ちますが、仕方ありません」


 ゲルルクはじめ親衛隊の騎士たちも、第一王子だとバレないように「ディートハルト殿下」ではなく、ありふれた偽名で呼んでいた。


 今となってはあまり意味がないのであるが。


 食堂に別のグループ客が入ってきて、ディートハルトの一行に目を止める。


「もしかして、『ディータス八世』殿下!?」

「やあどうも」


 机に突っ伏しながら片手をあげて、ディートハルトが気軽に応じる。


「いつも小説読んでます! そろそろこのあたりを通られるんじゃないかと思ってたんですけど、うわあ~お会いできて感激です!」

「どうもどうも。冒険者の知り合いがいたら声掛けてもらえるとうれしいな。ワス、ちらし」

「ハイッ」


 ワスが鞄から取り出したちらしを受け取り、ディートハルトが姿勢を正して手ずから客に渡す。

 ちらしには「ディータス八世(第一王子ディートハルト)の討伐隊にご協力お願いします」から始まる、勧誘の言葉と各地域の連絡先などが書かれている。


「うわっ、ほんとに勧誘されるんだ~」


 客たちがケタケタ笑う。冒険者とは関係なさそうな者たちだが、別にいいのだ。裾野は広ければ広いほどいい。世間で話題になっていれば各地のギルドで話が通りやすいとガウも言っていた。


「サインもらってもいいですか」

「『ディータス八世』でよければ」

「もちろんです!」


 第一王子のサインなど気軽にするわけにはいかないが、架空の名なら問題ない。客たちは「ありがとうございます! やったー!」と満面の笑顔を浮かべ、「俺たちの国を守ってくださるお礼に、何かおごります」と申し出た。


「ありがとう。ちょうどデザートを頼もうと思ってたところだから甘えるよ。『ミリア』、何がいい?」

「林檎のコンポートがいいです」

「わあ、俺たち『聖女ミリア』にデザートおごっちゃうよ!?」

「ありがとでーす」


 小説の登場人物の見た目や性格はモデル準拠なので、とくに格好つける必要もない。ミアはすっかり『聖女ミリア』に馴染んでしまった。もう第二の名前だ。


 だから小説の読者に会ってもさほど困らないのだが、一つだけやっかいなことがある。


「『聖女マリエッタ』は?」

「王妃様だろ。さすがにもっといい宿泊ってるよ」


 客たちの話に、ミアはワスと顔を見合わせた。

 モデル準拠ではあるが、小説の中でしか旅に参加していない登場人物もいるわけで。ディートハルトの知り合いが発行している高級な新聞を読んでいる者ならば、小説は小説だと理解してくれると思うのだが、そんな人には滅多に出会わない。


 大体みんな、名前を変えただけで小説が事実そのままだと思っているようである。


「僕のせいで王妃様が魔物討伐の旅に出ていることになってしまった……」

「わたしのせいかも……」

「ふん。俺に黙ってこそこそするからだ」


 なぜかディートハルトはこの件に関して冷たい。娯楽小説化した旅行記も公表しろと言ってきたのは彼なのに。


「大丈夫かな。僕、不敬罪で首刎ねられないかな」

「大丈夫ですよ。王妃様はそんな方じゃないですよ」


 食堂の扉がまた開く。


 一行は目を向けて――全員固まった。



「ここにいたのか。我が息子『ディータス』よ!」



「は、母上!?」

「「「「「王妃様!?」」」」」



 特別誂えの白い騎士服の、王妃マルガレータがそこにいた。




「なんで私が来たかって? ラングヤール侯爵の刺客避けだ」


 さすがに食堂で詳しい話は聞けない。

 王妃が「私の分は?」と客にちゃっかり自分のデザートをたかったのち(客は『聖女マリエッタ』にもおごっちゃったよ!?と喜んでいた)、一行はディートハルトがとった部屋に場を移した。


「陛下も宰相も騎士団も、お前の敵を手をこまねいて見ていたわけじゃない。動きがあったら対処する」

「動きって?」


「ラングヤール侯爵が自領地内でお前を潰そうと、秘密裏にゲートルドの傭兵くずれに接近した。お前の今回の討伐が王都でも話題になってきたから焦りが出たな。陛下はこれを機に、お前の討伐の後押しをする決定をした。お前の旅は正式に国家事業になったのだ。危険な国家事業なのに回復要員もおらんのでは様にならんからな。私が来た」


「聖女を寄越すのはわかるけど、王妃が来るか普通?」

 ディートハルトは半分呆れている。


「私が適任なのだ。第一に、魔物討伐に同行した経験のある聖女が私しかおらん。第二に、王妃が出向けば否が応でも国家事業であることを示すことができる。第三に、なぜか世論が私を推す」

「世論が?」

「どうやら、私が第一王子の魔物討伐隊に参加している小説が流行っているらしい」


 ミアはちらりとワスを見た。

 気の毒に、脂汗をかいている。


「第四に――これは個人的な理由だが。私自身が来たくなったんだ」

 王妃はワスのほうを見て、にやっと笑ってみせた。


「ラングヤール侯爵も国家反逆の罪を負う身になりたくはないだろう。やつの手下が私を見てしっぽを巻いて逃げるよう、なるべく目立つ騎士服を誂えさせたぞ。どうだ?」


 王妃マルガレータは真っ白な騎士服で、その場でくるりと回ってみせた。



「聖女で王妃だ。強い駒だぞ。この私を上手く使えよ」



 そう言ってすっくと立つ王妃の背後から、ミアは辺境の民の喝采が聞こえたような気がした。




「ディートハルトに話があるから、ちょっとほかの者は退室してくれ」


 王妃にそう命じられ、ぞろぞろと部屋を出る。


「そうだ、ワス・アズワルド。お前にも話があるからドアの外で待っていろ」

「ハイッ……!」

 かわいそうに、王妃に待機を命じられたワスは真っ青だ。

「怒られる……不敬罪……あああ」

「わたしも一緒に行きますよ。王妃様のこと教えたのはわたしなんだし」


 王子の護衛のためミアとジェッソもドアの外に残っている。ミアは必死にワスを慰めた。


「いえ。ミアさんの提案を取り入れたのは僕です。作品の責任は作家である僕がとります」

「大丈夫、げんこつくらいで済むと思います!」

 げんこつなら、ディートハルトが食らったのを見たことがある。

「げんこつですか。いただいてきます!」


 げんこつの覚悟を決めているうちにドアが開いた。


 ディートハルトが中からぬっと出てきたが、なんだか様子がおかしい。

 ほわんとして、夢見心地というか……。


「ディー、どうしたの?」

 遠くを見ているような目をしているので、ミアはディートハルトの目の前でひらひら手を振ってみた。


「えっ。あっ。ミア? わああああ!」


 ディートハルトはミアに気付くと、顔を真っ赤にして壁まで後ずさった。


「なに。どうしたの。わたしの顔になんかついてる?」

「いや! なにも! ごめん俺ちょっと頭冷やして……」


 あわあわとそう言いながら階段を駆け下りて、蹴躓いて途中から転がり落ちたりしている。


「ちょっと! 護衛から逃げないで! ジェッソさん追いましょう!」

 ミアはジェッソとともに王子を追い、ポカンとしたワスだけがその場に残った。



 そしてワスは王妃から、げんこつではなくおかしな注文を受けることになる。


『ディータス八世』と『聖女ミリア』の恋の伏線を、作品の中に張りまくれと。読者がじれじれして「さっさとくっつけ!」と思うような、胸キュンのやつを頼むと。




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