78・聖女よ、騎士服を纏え
アンネリーゼの癒しの間にラングヤール侯爵がやってきたのは翌日だった。昨晩屋敷を訪問したいとの知らせが来たが、当主の留守を理由にアンネリーゼは聖堂を指定した。
ラングヤール侯爵は第一王子暗殺容疑を上手くバルチュ伯爵に向けたようだが、いつまで知らん顔でいられるかわかったものではない。懇意にしていると世間に思われたくなかった。
「わたくしに無礼を働いた疚しさを癒しに来られたのかしら?」
アンネリーゼは今日もお付きの老尼僧に席を外させていた。これで聞かれたくない話も存分にできる。
「これは手厳しいですな、聖女アンネリーゼ。しかしそのとおりでございます。あの晩は私も気が昂っておりまして、大変ご無礼申し上げました。謹んでお詫び申し上げます」
ラングヤール侯爵が金貨の袋を差し出す。
アンネリーゼはそこへ置けと言うように、視線で小机を指し示した。
「これでどうか、孫娘の顔を元どおりに……。お願いいたします」
「よろしくてよ――と言いたいところだけれど」
「まだなにか?」
ラングヤール侯爵が眉をひそめる。
「例の企て、魔法陣を使ったでしょう? あれは誰に描かせたの? 教えてくださらない?」
例の企てとは、もちろんディートハルトの暗殺だ。
「……魔法陣をどうなさるおつもりですか」
「あなたに関係なくってよ。ほかにも、自由で素敵な魔術師を大勢ご存知なのではなくて? 教えてほしいの。彼らの連絡先を」
「さて。私は正規の魔術師しか存じませんが」
「かわいそうに。聖女ブリギッタは一生あのお顔ね」
「……」
「問題なくてよ。醜くても聖女なら嫁ぎ先なんていくらでもございますもの、ね?」
唇をわなわなと震わせる侯爵に向けて、アンネリーゼは艶やかに笑った。
*****
「新聞とはすごいものだな。城にいながらにして息子の奴の活躍がわかる」
王妃マルガレータは読み終わった新聞を夫に手渡した。
新聞など興味ないと言いたげに書類をめくっていた国王ディートヘルムが、重々しく手を伸ばし、食い入るように紙面に目を走らせる。
(やれやれ)
実は我が子が心配でしょうがないのだ、この男は。愛情深いくせに不器用で、ちっとも息子に伝わらないのだが。
(父と息子とはそういうものなのかな)
ほっとこうと思いつつ、マルガレータは次のお楽しみに手を伸ばす。王に渡した上流階級向けの知的で上品な新聞ではなく、職人の若衆が読むような娯楽性に富んだ大衆紙である。
「なんだその下品な新聞は」
マルガレータがにやにやしながら読んでいると、王がじっとこっちを見ていた。
「読むか? こっちのほうがおもしろいぞ」
「そんなものの何がおもしろいのだ」
マルガレータは連載小説の面を上にして、王に差し出した。
「新聞記事を下敷きにした創作だと思うのだが、こっちのほうが登場人物が生き生きしていて血沸き肉躍るかんじだぞ」
「第一王子ディータス八世……?」
「創作だから。モデルはどうみてもディートハルトだし、高級紙の記事に連動している」
「くだらぬ」
と言いつつ、国王が俗悪な大衆紙の連載小説にじっくり目を通している。
「記事を小説化するのが物凄く早くてな。大衆作家とは相当筆が早くなくてはやっていけぬなあ。ワス・アズワルドという作家らしい」
「ふむ」
「前回までの分はそこの棚にまだあるかな。まあなに、ディートハルトがモデルとはいえ、くだらない大衆小説だ。新聞でディートハルトの動向がわかればじゅうぶんだ」
「そうだな」
「では、私は公務に向かう」
「うむ」
マルガレータは王家の居間を出た。
ドアは閉め切らず、細く開けた隙間から王の様子を覗き見る。
王は読み終えた大衆紙を脇に置き、棚に向かってごそごそと既刊を漁り始めた。
自分がいたら絶対「前回までのは?」と言い出さないと思った。既刊の在りかを示して部屋を出たのは、プライドの高い夫を持つ妻の気遣いである。
(創作のほうにしか出てこない登場人物もいるが、今日のは驚いたな。王妃で聖女で男勝りって)
――私ではないか。
小説を読んでいて、自分が魔物討伐の旅に加わったかのようで楽しかった。
そう言えば、ディートハルトの旅の一行には癒しの聖女がいない。厳しい討伐の旅だ。その点は心配である。
(癒しの聖女をつけるよう陛下に相談してみるか。しかし、討伐や戦地に行ける聖女など、まだこの国に存在するのか?)
騎士服の聖女は自分とコルドゥアを最後に絶滅してしまった――。
いや。
(ミアがおる。癒しではないが)
あんなに騎士服が似合う聖女はハルツェンバインでは神話にしかいない。さすが古代の聖女だ。
そうだ、聖女よ。
騎士服を纏え。
ミアに続け。
「王妃殿下、なにやらうれしそうですね」
ミアの騎士姿を思い出していたら、知らず知らずのうちに笑っていたらしい。王妃を見つけて近づいてきた宰相に見られてしまった。
「今日の新聞小説が面白かったんだ」
「ふふ、ディータス八世の母君ですか」
「なんだ、お前も読んでいるのか。意外だな」
「少々思うところがございまして」
「思うところとは?」
「あの小説は、ディートハルト殿下の策ではないでしょうか?」
「息子の奴の策? どういうことだ?」
「ディートハルト殿下は民間魔物討伐隊の協力を求めていらしたでしょう。『最果てのガウ』なる有名な冒険者に仲介してもらうほかにも、手を打たれたのではないでしょうか。冒険小説の形をした宣伝です。宣伝で各地の冒険者に活動を知ってもらった上で協力を募ったら、話がはやいでしょう」
「おおお……なるほど」
「殿下が新聞記者を同行されているという話は伝え聞いておりました。これは私の見立てですが、その記者と小説の作者はおそらく同一人物です。そうでなければ、この早さで記事を小説化して世に出すなど無理でしょう」
「そうだな。どういうからくりだろうとは思っていた」
「高級紙など地方の冒険者は読みませんが、大衆紙なら目にする機会があるかもしれない。さらに、高級紙の読者も記事と連動している小説なら、大衆向けでも読むかもしれない。どちらの層にも宣伝になり、どちらの層にも国境の苦境に目を向けさせる機会になります」
「凄い。もしそうなら賢くないか? 息子の奴」
「私もそう思って小説を追っておりまして。民衆の機微に通じていらっしゃるディートハルト殿下ならではの作戦ですね」
「ちゃんと面白いしな」
「本当に。殿下はいい書き手を見つけられました。陛下にもお知らせしましょうか?」
「陛下はもう読んでいるが、読んでないふりをすると思う。そのつもりで今の話をしてさしあげてくれ」
「かしこまりました」
王の性格を知る宰相は、笑いをこらえた顔で承諾した。
宰相と別れ、マルガレータは王立騎士団長の待つ執務室へ向かう。報告があるとの知らせがあったのだ。
喜ばしい報告ではないだろう。マルガレータは気を引き締めて執務室のドアを開けた。
「待たせたな」
「王妃殿下。朝早くから申し訳ありません」
「よい。何があった?」
「泳がせていた無登録の魔術師に接近した者があります」
「そうか。――ラングヤール侯爵か?」
ディートハルトの暗殺未遂事件は、状況証拠からバルチュ伯爵に容疑がかかっているが、共犯者がいる可能性があった。バルチュ伯爵が領地に引きこもったのは、否認のためもあるだろうが、共犯者に消されることを恐れてのことではないかと思われる。
ディートハルトを消したいと願う「王都派」の最たる人物はラングヤール侯爵だろう。ラングヤール侯爵の領地は、王家の目が届く範囲は大変豊かだが、国境沿いの辺境の地は魔物が跋扈し酷い有様だとディートハルトから何度も報告が上がっている。
ディートハルトはラングヤール侯爵にとって、まさに目の上のたんこぶだ。
裏社会の人間を雇ってでも第一王子を消し去りたい理由がある。
「ラングヤール侯爵が最近接したのは、王都の裏魔術師とは別界隈のようで、そこは調査の上追ってご報告いたします。今回は、ヘルガ・クラハトはじめ我々が見張っていた魔術師数名に接近した人物についてですが……」
騎士団長の表情は沈鬱だった。
予想はついたが、その名を問わないわけにはいかない。
「誰だ」
「……聖女アンネリーゼです」
「そうか」
マルガレータは瞳を閉じた。
死んだ友人の顔を思い浮かべる。心に浮かぶ彼女の顔は、いつも若い日のものだ。騎士服に身を包み、ともに戦場で過ごした十代のころの――。
(コルドゥアすまないな。そなたの娘に私の息子はやれん)




