70・王族の魔力
「家令は魔法攻撃しようとするし、家来は物理攻撃しようとするし。ヴァッサー伯爵家、完全に敵じゃないですか」
ミアにとっては五年前から敵だから、今さらではあるが。
家令はそこそこ強い魔力があって挙動不審だった。最初にこっそり魔力を封じておいて正解だったとミアは思った。その後数人の騎士が斬りかかってきたが大した腕ではなく、ゲルルクとミアが次々と剣を叩き落したら全員逃げ腰になった。
家令を締め上げてカレンベルク公爵の居場所を吐かせ、そこへ向かう。
「応接間だなんて。普通にもてなされてるのかな」
「それはないですよ。鍵がかかっています」
「お父様! いるなら開けて! ミアです! ミアでーす!」
ミアは叫んだのち、応接間の扉に耳をつけた。
かすかな物音と男性のうめき声が聞こえる。
「お父様!? どうしたの、無事ですか! お父様ーっ!」
返事はない。
「ゲルルクさんこの鍵、外からですか?」
「そのようです。……おい、鍵はどこだ?」
引きずってきた家令に鍵を出させる。
鍵を開け、ミアは勢いよく応接間の扉を開いた。
カレンベルク公爵が、床の上に倒れていた。
「お父様!? ――うそでしょう、お父様!」
絨毯の上に、扉に向けて這った跡であろう血の汚れがあった。
ミアは公爵に駆け寄った。仰向けにして助け起こすと、頭部から血が垂れて額が赤く染まっていた。床には銀の燭台が転がっている。
「お父様!」
「う……。ミア……? なぜミアがここに……」
「こっちが聞きたいです! お父様、どうして領主館に」
「ミア……伯爵を止めるんだ。アンネリーゼが……」
「アンネリーゼお姉様もいるんですか?」
「いない……。だがヴァッサーを……伯爵を止めなければ、村が……」
「伯爵? 伯爵はどこですか?」
「おそらく外……」
怪我と出血で朦朧としながらも、公爵は立ち上がろうとした。
「お父様、立っちゃ駄目!」
「行かなければ……ヴァッサーを止めなければ」
「ディートハルト殿下が止めてくれます! あっ、でも――」
ディーは、父ローレンツの力を必要としているのだ。
ミアは咄嗟に父親の額に手をかざした。
「何をなさっているのです、聖女ミア」
ゲルルクが不思議そうに問う。
「怪我、治せないかなと思って。……駄目、やっぱり聖女違い」
「失礼。私がお運びします」
ミアの無駄な努力は無視して、ゲルルクが公爵を背負う。
「ありがとうゲルルクさん。わたし、聖女なのに怪我も治せなくて。あ、敵が出てきたらわたしがやっつけるから、お父様をよろしく」
ミアは剣をしっかり持ち直した。
「敵をやっつけてくださる聖女様で助かります」
「今は正規の聖女の力がほしい。……ごめんなさいお父様。わたし、包帯巻くくらいしかできない」
血塗れの父親の顔を見て、ミアは悲しくつぶやいた。
雑魚敵を次々なぎ倒して魔法陣にたどり着き、ゲルルクと父親と共にもと来た山道へ抜ける。敵が追って来られないように、ミアは魔法陣を封じた。
「風が……」
上空を強風が吹き荒れる音がする。
不思議と地上は凪いでいて、ときおり枯葉がかさこそと転がる程度だ。
――自然の風ではない。
ミアはすっかり暮れた空を見上げた。
「何あれ……」
暮れたはずの夜空がぼんやり輝いていた。
気味の悪い薄緑の光の塊がある。ほのかに輝く光の玉が集まって巨大な塊になり、まだらに光を放っているのだ。
「真っ暗で何も見えませんが」
魔力のないゲルルクは首を傾げたが、公爵は空を見上げて目を見開いた。
「いけない。これは……!」
「この風、きっとディーだ。急ぎましょう」
アジトの前庭にたどり着くとガウが待っていた。ガウはゲルルクに背負われたローレンツ・カレンベルク公爵を見て目を丸くした。
「ディーのやつが、ローが来ていると言っていたが。まさか本当に」
「殿下は……殿下はどちらに」
「ロー、まず止血だ」
「どうか私を空が見えるところに……。やらなければならないことがあるのです」
「その怪我で動いたら命にさわるぞ」
「命に代えてもやらなければならないのです!」
父らしくない大声に、ミアは驚いた。
「ディーはどこ? この風、ディーが起こしてる風だよね? 魔虫を風で押し戻してるの?」
「ディーは山道を上がった峠にいる。こう暗くちゃ俺らにゃ群れの位置がわからん。しかし朝までこの風を保たせるなんて芸当とてもじゃないが――あっ、おい!」
公爵がゲルルクの背を逃れ、山道へ向かおうとした。足がもつれて倒れそうになったところをミアが駆け寄って支える。
「行かせてくれ!」
ミアの手を振り払い、血塗れの顔で公爵が叫ぶ。
「アンネリーゼに村人を殺させたくない!」
(アンネリーゼ? どういうこと?)
ミアは父親の必死の形相を見つめた。
アンネリーゼが?
この魔虫騒ぎの首謀者?
ミアの脳裏に五年前の姉の言葉が蘇る。
『ヴァッサー伯爵がわたくしのお友達だってこと、忘れないでね。あなたの生まれ育った村、領主の彼ならどうとでもできるわよ』
「お前の娘のしわざか、これは」
「そうです」
「わかった。死ぬ気で行け」
ガウが静かに言った。
*****
ワスはジェッソとエリンとクリンと共に、山道の小道でディートハルトを見守っていた。
山道は片側が崖になっていて広く空が見える。曇って月明りのない夜空は真っ暗で、ディートハルトが起こす風だけが上空でごうごうと唸っていた。
ほのかなランプの明かりに照らされた王子の顔を時おり眺める。
旅路で冗談を言い合っていたときと同一人物とは思えない、引き締まった強い男の横顔だ。
ディートハルトはワスより五つ年下だが、とても年下には見えない厳しい横顔だった。社交界で馬鹿王子と呼ばれている彼は、本当はたくさんのものをその背に負っている。
(背負ってるものが、社交界の連中にとって価値がないだけでさ)
王都の社交界の連中の目には入らない、国のすみっこの人々のつつましい暮らし。
それが、馬鹿と呼ばれる第一王子が守ろうとしているものだと思ったから、ワスは彼をモデルに痛快な娯楽小説を書こうと思い立ったのだ。
第一王子の旅の噂をかき集め、第一王子が行きそうな辺境の村を訪ね、リアルさを追求するために魔物狩りを体験してみようと思った。
ワスはいつものように体当たりの取材をしていただけなのだが、どんな運命の巡りあわせか、第一王子当人を取材する好機に恵まれた。
(でも小説の取材だなんて、そんな――)
ディートハルトの額にじんわり汗が滲み出ている。魔力のないワスは暗闇で魔虫の群れを感じることができず、魔法の風で群れが押しとどめられている様子もわからない。
魔力のあるエリンとクリンが「すっげえ……」「これが王族の魔力……」と絶句しているので、とんでもない魔法が継続しているらしいことだけわかる。
そしてその魔法に、今、キュプカ村も自分自身も守られているということも。
(殿下……)
なんだかワスは胸がいっぱいになってしまった。
この人についていきたい。
この人の役に立ちたい。
そのために自分ができることを精一杯やりたい。
自分ができることと言えば、ディートハルトがどれだけ自分たちを守ろうとしてくれているか皆に伝えること、それだけだ。
「ディー! お父様を連れて来た!」
山道の下のほうから、ミアの声がした。
「ミア、待ってた! カレンベルク公爵、どうか頼む!」
ディートハルトは魔虫の群れから目が離せないらしく、空を見ながら声を張る。
ワスは公爵のほうを見て、ぎょっとした。
騎士に肩を支えられながら歩いてくる彼は、血塗れだったのだ。
頭に包帯を巻いているが、滲み出る血に赤く染まり、血が止まっていないことは明らかだ。
「ロー、おまえそれ……」
「大丈夫かよ」
うろたえるエリンとクリンをよそに、公爵は袖口でぐいと顔を拭うと、騎士から離れ一人でディートハルトの横に立った。
「燃やしますか、殿下」
「ああ。もっと小さく集めるか?」
「大丈夫です。このままで」
「全滅させたい。何回でいける?」
「一回で」
ヒューッと、ディートハルトが大衆酒場の客のような口笛を吹く。
「ワス、見とけよ」
「えっ。何をですか殿下」
「陛下が王宮に隠しておいた力さ」
崖の縁に立ち、ローレンツ・カレンベルクが空を見上げる。
血にまみれても、彼はおだやかな顔をしていた。カレンベルク家に滞在している間、ワスはこの当主のことがよくわからなかった。大人しくて存在感のない人物だと思った。
今もその印象は変わらない。ディートハルトの纏う強い気に比べて、カレンベルク公爵は存在そのものが儚く見えた。
(精霊みたいだな)
ローレンツ・カレンベルクは精霊を呼び込む僧のように、魔物の虫でいっぱいの暗い空に手を伸ばした。
次の瞬間。
ボウッと空気が弾ける音とともに、空が昼間のように明るくなった。
熱気とあまりの眩しさにワスは一瞬目を閉じたが、「見とけ」と言われたので眩しさをこらえて目を見開く。
上空に、渦巻く巨大な炎の球が浮かんでいた。
何かが小さく連続して爆ぜる音。
群れをなす魔物が逃げる間もなく、次々と炎に飲み込まれて燃え尽きる。魔物は燃え落ちる灰にすらならず、すべて炎となって溶け消えてゆく。
(……なんだこれ。これが人の手による魔法?)
巨大過ぎる。村一つ覆うほどの炎の塊ではないか。
こんなものが、そのまま人の住む地上へ落下してきたら……。
ワスはぞっとしてディートハルトを見た。風魔法は役目を終え、王子は掲げていた魔剣の先を下げて、空で燃え盛る球を見ていた。
「全て燃えました」
公爵が静かに終わりを告げる。
「うん」
「消します」
「ありがとう」
カレンベルク公爵が伸ばした手をすっと引っ込めると、あれほど燃え盛っていた炎が瞬時に小さな火の玉に代わり、一瞬の間をおいてそれも消えた。
後にはただ、静かな暗い夜空が残った。
まるで夢でも見てるみたいだった。
ワスはエリンとクリンを見た。二人とも、魂を抜かれたように茫然としている。エリンとクリンだけではない。ミアも、騎士も、ジェッソもだ。
皆が我に返ったのは、公爵がどさりと地面に崩れるように両膝をついて、それをディートハルトが支えたときだった。
「お父様!」
「公爵、カレンベルク公爵! ……気を失ってる」
ディートハルトが草の上に公爵を横たえる。
「よかった、息はある。どうしたんだこの怪我。ヴァッサーがやったのか?」
「そうとしか思えない。領主館の人たち、隠蔽しようとしてたし」
「ヴァッサーはどうした」
「屋敷にはいなかった。庭に下男の格好をした人がいたでしょう、たぶんあれだよ。どうしよう、あの魔法陣から追いかけたほうが……」
「下男ってこれ?」
モニカの声がした。山道を下ってきたようだ。
後ろにギルド所属の冒険者たちやディートハルトの親衛隊の面々を従えている。
騎士二人に両側から拘束されるように、粗末な木綿の服を着た男が連行されている。
「ちょっと山狩りしてきたわ。従魔術師なんて狩ったの、はじめてよ」




