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68・領主館の魔虫使い


「この虫ども、ここを狙ってきたみたいな動きしてなかったか?」


 ガウのアジトの一室である。

 麻袋に捉えた数匹の魔虫は、一匹ずつガラス瓶に閉じ込めた。


「ここ?」

「ガウのアジトだよ。狙いすましたみたいに飛んできた。特級魔獣の死骸が置いてあるせいか? 雑食らしいけど、魔物の肉を好んで食うとか」

 ディーが瓶の中でもがく虫をにらむ。


「魔物の死骸に損傷はないぞ。こいつら真っ先に人を狙ってきた」

 忌々しげにガウが言った。

「人間を……」

「俺らを狙ってくれて助かったがな。村に行かれたら被害が出る。小さい子供もいるんだ。――群れが村に来たらどうする」


 魔虫の群れがまた来たら。

 ミアは窓の外を見た。日はすっかり傾き、あと数十分で日が暮れる。明るいうちなら魔虫の動きも見えるが、暗くなったら剣で一匹ずつ殺すなんて無理だ。


「村にたどり着く前に風で押し戻すよ。でもその次に打つ手がない。さっきは庭に集められたから重力魔法で始末できたけど、村の近くに集めたくない。暗かったら取りこぼしが出たとき見つけられない」

「うーん。じゃあどうしたらいいの」


 ミアは瓶の中のミルメコレオを見ていた。躰に魔力を纏っているが、魔物自身の持つ魔力ではなく、外から付与された異質な魔力であるのがわかる。室内が暗くなってきたため、魔力が淡い緑色に発光しているように見えた。


「その光……」

「ディー、見えるの?」

「暗いと見えるみたいだ。その薄い緑の燐光みたいなやつ……見たことがある。王領の森でペルーダが発してた光と同じだ」

「王領の森のペルーダって、あの石化してた……? あっ。ディー、この光――」


 薄緑の光を見ていたミアは、その光の一部が長く尾を引き、細い糸のように窓の外へ続いているのを見つけた。


「糸みたいに細く外に続いてる。わかる?」

「……わからない。淡く光ってるのしか」

「俺には光なんて見えねえ。エリンとクリンは見えるか?」

「言われてみれば、ぼんやり」

「同じく」

「魔力持ちにしか見えねえのか。モニカ、お前は?」

「光は見えるわ。糸は、ミアに言われてわかった。ミア、あんた糸もはっきり見える?」

「うん」


 ミアは糸をなぞるように指で辿り、窓辺までたどり着くと窓を開いた。光る糸は庭を越え、山の下方へと続いている。


「たどれそう」

「ミアは魔力を視る力が強いのね……。そういや十歳で覚醒だもんね。あたしより素質が強いんだわ」

 モニカがふむふむとうなずく。


「よし。糸の出どころを探る。ジェッソ、ゲルルク。ミアに続くぞ」

 ディートハルトが魔虫の入った瓶を一つ掴んだ。




「峠からの道をずっと下るかんじで、糸が続いてる」

 暗い山道に出て、ディートハルトが持つ瓶から伸びる光の糸をミアは目で追った。


「国境の方向ではないんだな……」

「うん。町の方向。それは確か」

「嫌な予感がする。あのペルーダと同じ光だと思うと」

「あのペルーダがどうしたの?」

「いいか、まだ極秘だぞ。王領の森のあのペルーダは、従魔の術で操られてた疑いがある」


 従魔術について知らされていなかったミアとゲルルクが、目を見張った。


「うっそ。従魔術ってほんとにあるんだ。神話にしかないと思ってた」

「本当にあるかどうかまだわからないよ。目撃したのは俺だけだ。フェリクスとアウレールに調べてもらってるけど、真偽の知れない古い資料しかない」

「従魔術師ってやっぱりゲートルド人?」

「あのペルーダと一緒に回収した死体はゲートルド人だった。古の魔術だろうと使えそうなものは活用するのは大したもんだと思う。このミルメコレオも従魔術で操られてるとするなら、この糸の先にいるのは従魔術師ってことになりそうだ。会ってみたいけど、襲撃されたってことは敵だよな」

「うわー……」


「やれやれ。魔物と戦っても結局人間と戦うはめになる。地方を魔物退治しながら回れば『王都派』とやらに殺されそうになるし」

「……」

「まったく。俺が何したっていうんだ。王子になんか生まれつくもんじゃないよ」


 ミアもジェッソも、ゲルルクさえも、ディートハルトに同情のまなざしを向けた。




 魔虫入りの瓶から長く伸びる光の糸は、山道から分け入った木立の中で途切れていた。大木に隠れて人目が届かない地面から何本も糸が伸び、そのうちの一本が瓶と繋がる光の糸だ。


 ランプを掲げて地面を見ると、新しい枯葉が積もっていた。

 ミアは迷いなく靴底で枯葉をどかした。何が隠されているか感じ取れたからだ。枯葉の下からは、石板のような平たい石が出て来た。石の表面に円形に描かれた文様がある。


「簡易魔法陣だ。ジェッソ、これどういう用途?」

 ディートハルトの質問に、ジェッソが石板の前にしゃがみ込む。

「移動用です」

「俺たちが強制移動させられたのと同じ?」

「効果は同じです。描いた人物は別です。術式の組み方が違います」

「なるほど。じゃ、行くか」


 買い物にでも行くような軽い調子で、ディートハルトが魔法陣に足を乗せようとした。


「殿下お待ちを。敵地なのでしょう?」

 さすがにゲルルクが止めに入る。あまり動じてないのは、ディートハルトはいつもこんな調子だからだなとミアは思った。


「どこに出るか確かめるだけ。人間相手じゃ戦わないよ」

「必要とあれば私が剣をとりますからね」

「必要が生じる前に速攻で去りたい。戦うのは魔物だけでいいよ。魔物だけで」


 ディートハルトは護衛三人を順番に見つめ、ため息まじりに言った。




 移動魔法陣をくぐった先は、大きな屋敷の裏庭だった。黄昏時がよく似合う、年代物の重々しい館だ。黒ずんだ壁は蔦で覆われ、王都中央の華やかなお屋敷街を見慣れた目には薄気味悪く感じられる。


 目を凝らすと、裏戸口の雨避けにミアも知っている紋章が刻まれていた。


「わたしの記憶違いじゃなければ、この紋章って」

「一体どういうことだ?」

 ディートハルトも呆気にとられている。


「北領領主ヴァッサー伯爵家の家紋だな。領主館か、ここ」


 瓶の魔物から発した光の糸は、まっすぐ屋敷の中に続いていた。


「この光の糸、屋敷の中に続いてるし、ほかに何本も屋敷の中から糸が出てる」

「なんで領主館と魔物が繋がってるんだ。仮にヴァッサーが従魔術を使うとしても、魔物に自領の民を襲わせる理由なんてあるか?」


 ディートハルトが館の裏庭に視線を巡らす。しばらくきょろきょろしていたが、庭の一角にふと目を止めて、怪訝な顔をした。ミアが視線を追うと、そこには夕闇に溶け込みそうな黒い箱馬車のシルエットが見えた。


「あの馬車が何?」

「いや……」

「貴族が乗りそうな立派な馬車なのに、なんで表じゃなくて裏庭に止めてあるのかな」

「ミア、あの馬車は――」


 ディートハルトが何か言いかけたとき、ゲルルクが「お静かに」と注意を促した。

 足音が近づいてくる。

 ミアたち一行はランプの明かりを落とし、物置小屋の影に身をひそめた。


 屋敷の下男だろうか。帽子を深くかぶり質素ななりをした男が一人、表庭のほうからやってきて、ミアたちが出て来た魔法陣のあるほうへ向かっていった。


(えっ。糸が)


 ミアは瓶の魔虫と男を見比べた。ミルメコレオから伸びる光の糸は、その男の体に繋がっていた。

 その男の、左肘のあたりに。


 声を出さずに、ミアは瓶と男を交互に指差し、一同に伝える。

 皆わかったと言うように頷き、距離をとって忍び足で男を追った。


 男はミアたちが通って来た魔法陣のある場所を素通りした。そして庭木の繁みのもっと奥に分け入ったのち、ふっと消えるように姿を消した。

 瓶から伸びる光の糸はしばらく庭木の繁みに続いていたが、突然ひゅっと方向を変え、山のほうへ向いた。


「糸の向きが急にあっちへ向いたよ」

 ミアはキュプカ村の上方に見える峠の山道を指差した。

「あの男、別の魔法陣でここから峠へ移動したのか」

「追いますか」

「あの峠……キュプカ村全域を見下ろせる。……嫌な予感がする」

「ディー、魔物の様子が」


 ディートハルトが持つ瓶の中の魔物が、ヴヴヴと羽音を立て、ガラス瓶に体を打ちつけて暴れ始めた。纏う光の明るさが増し、糸が前よりはっきり見える。


「ミア、さっきあの男が消えた魔法陣の場所がわかるか? 教えてほしい」

「うん。追いかけるの?」

「いや、一度ガウのアジトに戻る。皆で防御の体勢を整えたら、もう一度ここに来る。それと、ミア」

「なに?」


「ここにローレンツ・カレンベルク公爵がいる。アジトに連れていこう」

 ディートハルトはヴァッサー伯爵の屋敷を指差した。


「……は?」


「俺たちの幌馬車を追ってきた箱馬車には、カレンベルク公爵が乗ってたんだ。俺が協力を頼んでた……断られたけど。断られたけど、気が変わってひっそり俺たちを追ってくれてると思ってた。でも違ったかもしれない。今ここに、公爵が乗って来た馬車があるから」

「ここに? お父様が領主の屋敷に? さっき見たあの馬車? なんで!?」

「わからない。公爵がヴァッサー伯爵を訪問する理由は本当にわからないんだけど、これだけははっきりしてる。――今、ローレンツが必要だ。彼の魔力が」


「お父様の魔力って」

「火だよ。強力な。虫をまとめてやっつけるには潰すか焼くかだ」


 ミアはうなずいた。なぜだかわからないが、ここに父親が来ている。キュプカ村を守るためには、今すぐ父親の協力を得ければいけないのだ。


 暮れた空にそびえる屋敷を見上げる。

 十歳の自分を誘拐しようとした憎き男の本宅。


「……お父さんを迎えにきましたって言えばいいのかな」

「『カレンベルク公爵家令嬢』である『聖女』ミアですけどって、権威ゴリゴリに強調してこうな。後ろで俺がロイヤルスマイル浮かべててやるよ。急ぐんだ。ここは身分に物を言わす」

「ひええ」

「もし渋ったら、ヴァッサーの魔力を封じて脅す」

「脅すって。封じるのわたしだよね」


 ディートハルトの持つ瓶の虫がわんわんと暴れている。ミルメコレオを操る術者が力を発揮しているのなら、一刻を争うだろう。


 ミアは気合を入れ、ドロテア仕込みの澄ましかえった貴族の表情をつくった。




「殿下の護衛で北領を訪れましたところ、父の馬車に行き会いまして。父に協力を仰ぎたいことがあるのですが、こちらを訪問中らしく。ぜひ取り次いでいただきたいのです」


「しかし、その……」

 玄関広間で対応に出た家令の老人は、あからさまに狼狽していた。


「何か問題があるのか?」

「こちらの男性は?」

 家令の訝し気な視線に対し、ディートハルトが魔剣の柄を見せる。柄には王家の紋章が刻まれていて、それを見た家令は一気に青ざめた。


「ディートハルト殿下でいらっしゃいますか。これは大変なご無礼を!」

「私は急いでいる。ただちにヴァッサー伯爵とカレンベルク公爵に繋いでほしい」

「それが、その……。当主は外出中でございまして」

「公爵が来ているのにか?」

「急用でございます」

「ではカレンベルク公爵に会いたい」

「いらして……おりません」


 うそつけ。さっきまで公爵の訪問を否定していなかったし、目が泳ぎまくっている。


 ディートハルトがゲルルクと目配せを交わした。ゆっくり交渉している暇はないのだ。力づくの予感がして、ミアはあわてた。

「わたしがお父様を連れて参ります。ディートハルト殿下は村にお戻りを。一刻を争うのでしょう?」


 瓶の中で暴れる魔虫を目で示す。

 また群れが襲撃してくるなら、風魔法で防げるディートハルトはすぐに戻らなくてはいけない。

 ディートハルトは一瞬苦い顔をしたが、「頼む」と言い残して、ジェッソと場を去った。


 ミアはゲルルクと共に、領主館の暗い玄関広間に残された。家令は見るからに怯えていて、よく見ると小さく震えている。


「――父はこの館にいるのですよね?」


 ミアが家令の顔を覗き込むように見上げたとき、突然家令は後方に飛び退り、ミアたちに向けて手をかざした。


 何も、起こらなかった。

 家令の目が驚きに見開かれ、しわのある額に汗が浮いた。



「ごめんなさい。あなたの魔力は封じてあります」

 ミアは肩をすくめた。




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